studio Odyssey




明日もまた、エッセイ?

『Odysseyというイメージ』(2001/2/19)

 今日、メールを書いていて、ふと、思い出したのだけども、スタッフにも言っていない、studio Odysseyのイメージというものを、思い出した。

 studio Odysseyには、イメージがある。イメージっていうか、「studio Odysseyというこの集まりは、どういう集まりか」という、イメージだ。
 今日は、そのイメージの話。

 スタッフのみんなも、読んでいるかなぁ。

 studio Odysseyのイメージは、ポスターとして僕の中にある。

 ポスターは、スタッフのみんなの、写真だ。一枚の写真。そこに、スタッフのみんなが映っている。場所はどこかな。そうだな。イギリス北部の崖に面した、草原って感じだな。灰色の雲が覆っていて、海からの風が吹いている。ちょっと、寒い感じ。乾いたというよりは、潮の香りに包まれた感じ。

 くるぶしまでは確かに埋まるような風に揺れる草原の上に、みんなが立ってる。

 カメラの位置はどこだろう。クォータービュー風でもいいし、少し下の方から、あおってみてもいいな。2種類っていうのが、ベターかな。
 で、その写真の中で、みんなはみんな、別々の方向を向いている。誰一人として、同じものを見ていない。身体の方向も、様々。てんでばらばら。同じものを手にしている訳でもなくて、同じことを考えている訳でもない。

 ただ同じなのは、同じ写真の中にいると言うことだけ。

 同じ草原の上、ばらばらと立った人たち。
 それぞれの方向を見て、同じフレームの中。

 そのイメージが、studio Odysseyのイメージとして、僕の中に昔から、ある。

 とはいえ、こんな話は、今日初めてしたけども。
 そうなんだよ。