studio Odyssey




明日もまた、エッセイ?

『文豪の魔力』(2000/10/9)

 NHKの番組に、「名作の食卓」という番組がある。(今もあるかは知りません)
 数々の日本文学小説の名作に登場する食べ物を、その小説のストーリーと絡めて紹介する番組だ。

 これが、なかなか面白いのである。

 今日、ちろっと目にしたのだが、今日は島崎藤村の「夜明け前」の特集だった。登場する食べ物は、「ごへいもち」だ。

 「夜明け前」といえば、ご存じのように「木曽路はすべて──」で始まる、江戸末期から明治への、改革の時代に翻弄される主人公を書いた作品であるのだが、しかし別にそんな話はどうでもよくて、「ごへいもち」

 これはどんな食べ物かというと、米をすりつぶしたものをクルミ大の大きさに丸め、いろりの火でゆっくりと焼いた食べ物だ。
 記憶が確かなら、僕も木曽路に旅行に行った際に食したことがある。なかなかに、おいしい食べ物だったと記憶している。(たしか、何かをこのだんごにまぶしていたような記憶があるんだが…)

 が、これ。
 今、僕がここで書いたように、「なかなかにおいしい食べ物だったと記憶している」という描写では、この「ごへいもち」のおいしさは伝わらないだろう。「ごへいもち」は本当のことを言えば、牛フィレステーキに比べればおいしくないし、フルコースの後にパティシェが作ってくれるかぼちゃのプティングに比べれば、めちゃくちゃ質素な食べ物だ。

 だけれど、これが島崎藤村に書かせると、「あ、食べたいなぁ」と思う一品に変わるのである。
 はっきり言ってしまえば、島崎藤村が書く文の中での「ごへいもち」の描写は、ものすごく軽い。「無言でそれを口に頬張り」とか、なんか、その程度の描写だ。

 だが、それでもうまそうなのである。

 文章は必ずしも長く書くことによって伝えたいことが伝えられるというわけではない。
 簡単なことだけれど、なかなかどうして出来ないことに、文豪たちの卓越した描写力というものがある。

 うらやましく思いつつ、「ごへいもち」の描写に右手で口許を拭うわけである。
 たしか、結構うまいモンだったと記憶している。