studio Odyssey




毎日が、エッセイ?

『最後の答え』(2000/5/23,6/2)

 面白い事をいくつか考えついたりする時は、だいたい、誰かとなにか話していたりする時だ。

 自分でどれだけ考えていても、答えの出ない話なんていうのは結構あって、そういうもんは、得てして誰かとくだらない話に興じているときに、ふっと答えが出たりする。

 これは僕の持論で、「最後の答えの手がかりをくれるのは、誰か赤の他人のふとした一言だ」

 だから、今日も僕はみんなと話す。

 見つからない答えの何かのヒトカケを探すため、今日もくだらない話に興じる。

 自慢だけれど、僕は、恵まれた環境にいると思う。

 studio Odysseyという場所があって、そこに、十数人の仲間がいて、僕が何かくだらないことをはじめれば、笑いながら、それにつきあってくれる奴らがいて、時に、本音で物事を喧嘩腰に話し合っても、次の日には、いつもと同じに語り合えて、ふとした一言に答えを見つけられて、そんな仲間がいて、僕は、恵まれていると思う。

 そして、僕の書いたいろいろなものを読んでくれるみんながいて、嬉しく思う。

 そして、僕の書いたいろいろなものに、いろいろな感情をもって、感想を伝えてくれる人たちがいて、嬉しく思う。そしてくれる一言に、僕が見つけられなかった答えを見つけられたりして、嬉しく思う。

 だから、僕は、その「最後の答え」を見つけるための手かがりとして、出来る限り、がんばって行きたいと、書き続けていきたいと思っている。

 けれど、このところ、本当のことを言うと、全然、書いていない。理由は多々あるけれど、僕の心が、ちっょと、乾いていてしまったのかなと、ちょっと今日、思った。
 くだらない話をちろっとしていて。

 くだらない話に、ものすごくドライに返して、ただ、まわりを見つめているだけで、今まで、あんなにこんこんとわき出ていた色々なものが、いつの間にか、乾いていてしまったんだなと、今日、くだらない話の中で、ちょっと思った。

 僕は「最後の答え」を見つけるための手がかりを、果たして与えられているのだろうか。
 そして、誰かが教えてくれているはずの、「最後の答え」の手かがりを、しっかりと受け止められているのだろうか。
 どうなんだろう。

 今日、雨が降った。

 答えを枯らしていた泉の上に、雨がふった。
 くだらない話の、雨。

 だから、きっと、乾いた泉は、また、綺麗な水をすこしずつでも、沸き上がらせてくると思う。

 そして、それを気づかせてくれた、その泉の縁に立っていたみんなに、今日はちょっと、わき出た清水のひとしずくを。