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管理できる危機は、もはや危機ではない。
僕は危機管理という言葉が嫌いだ。
例の原発事故やらで盛んに言われている危機管理。だけれど、室内待避も解除されて、日常が戻りつつある今、見えない放射能なんて、だんだんと危機感が薄れていって、半年後には誰もこんな話、しなくなるだろう。
そんなもんだ。
いずれ、いつもの芸能の話題と同じように、この事件も風化するだろう。
そしていつまで経っても、何かが起こる度に、起こったあとに、危機管理が云々と、言われ続けることだろう。
僕は危機管理という言葉が嫌いだ。
危機を管理してどうする。管理できるようなモンは危機とはいわないし、倉庫の奥に閉じこめておくだけなら、管理くらい、欠伸をしていたってできるし、ガキにでも犬にでもできる。
管理なんかに意味はない。隣に問題を渡すことも管理だし、倉庫の奥にしまうことだって、管理だ。そんなもんに意味はない。
そうして貯めっぱなしにしている危機は、今、この国の倉庫にどれだけたまってるんだ?
危機は予測できないから、危機なのだ。管理できないから、危機なのだ。
シビアアクシデントは、その時、その瞬間に起こるから、シビアなのだ。
きっと、半年後にはこの事件は風化する。
そしてまた同じようなことが起こったとき、どうなるか。管理しなくても、それくらい誰にでも見える。
言わせてもらえば、
阪神淡路大震災の時も、同じだった。
結局、危機の管理もなっちゃいない。
我々、国民みんなの曖昧な記憶と同じ。