studio Odyssey




これもまた、エッセイ?

『管理できる危機』(99/10/2日誌より)

 管理できる危機は、もはや危機ではない。

 僕は危機管理という言葉が嫌いだ。

 例の原発事故やらで盛んに言われている危機管理。だけれど、室内待避も解除されて、日常が戻りつつある今、見えない放射能なんて、だんだんと危機感が薄れていって、半年後には誰もこんな話、しなくなるだろう。

 そんなもんだ。

 いずれ、いつもの芸能の話題と同じように、この事件も風化するだろう。
 そしていつまで経っても、何かが起こる度に、起こったあとに、危機管理が云々と、言われ続けることだろう。

 僕は危機管理という言葉が嫌いだ。

 危機を管理してどうする。管理できるようなモンは危機とはいわないし、倉庫の奥に閉じこめておくだけなら、管理くらい、欠伸をしていたってできるし、ガキにでも犬にでもできる。

 管理なんかに意味はない。隣に問題を渡すことも管理だし、倉庫の奥にしまうことだって、管理だ。そんなもんに意味はない。

 そうして貯めっぱなしにしている危機は、今、この国の倉庫にどれだけたまってるんだ?

 危機は予測できないから、危機なのだ。管理できないから、危機なのだ。
 シビアアクシデントは、その時、その瞬間に起こるから、シビアなのだ。

 きっと、半年後にはこの事件は風化する。
 そしてまた同じようなことが起こったとき、どうなるか。管理しなくても、それくらい誰にでも見える。

 言わせてもらえば、
 阪神淡路大震災の時も、同じだった。

 結局、危機の管理もなっちゃいない。
 我々、国民みんなの曖昧な記憶と同じ。