studio Odyssey




これもまた、エッセイ?

『モテない!』(99/7/24日誌より)

 今日は、どちらかというと、女性むけな話題をひとつ。っていうか、うちのページにどれだけ女性読者がいるのかは知らないけれども。

 「an・an」が、「新・美人の条件を見逃すな!」という特集をやっていたので、買ってみた。なんてったって、「男たちが好きな"新・美人"の正体を探れ!」なんて見だしが載ってる。見なきゃだろう。「男達が好きな新・美人って、どんなんだ?」

 で、読んでみるとアレだ。「男たち」が、及川光博さんと中村竜さんだ。確かに「モテ度」高そうな二人が女性についてインタビューをされているけれど…をいをい。それで「男たちが好きな"新・美人"の正体はこれだ!」なんていわれちゃ、寒いぞ。

 美人の定義ってのは、やっぱり人それぞれだ。文化が違ければ、美人の解釈も違うのと同じ。それぞれが背負ってきた過去が、問題なんでしょ。
 万人にモテようなんてのが、そもそも間違い。
 んでもってそもそも僕と違う考え方なのが、「何故モテたい?」

 ワカランのだ。なんとも、もぅ、この次元から、ワカランのだ。よく男性情報誌なんかでも、「女の子はこんな男を望んでる!」みたいな記事が載っている。「ハァ?」 何もそこまでしてモテたくねぇよ。

 「オトす」みたいな事も、嫌いだ。恋は落ちるのであって、そこに「おぅら!」と相手を蹴落としていくもんじゃない。
 はっきり言っちゃえば、「美しくあろう」とか「格好良くあろう」というのに違和感はないが、「美しく見せよう」とか「格好良く見せよう」には、虫ズが走るほどの嫌悪感を感じる。

 よって、僕は我が道をてくてくと歩いている。恋もしなけりゃ、愛もよく知らない。
 それがなんか、問題ある?

 格好いいってのは自分の中の基準なわけで、誰にだって、格好いい自分がある。それを目指しててくてく歩いてたって、いいじゃないか。誰かに横いれされて、見失うことなんかない。「格好いいとはそういうことさ」

 だからきっと、「美人っていうのもそういうものさ」

 あなたを好きでいてくれる誰かは、きっとそのあなたが好きなんだから。
 それがなんか、問題ある?