studio Odyssey




これもまた、エッセイ?

『月のことば』(99/9/24日誌より)

 今夜は十五夜。
 だけれど、台風のお陰で日本全国曇り空。十五夜は、日本全国、どこでも見られないみたいだ。

 この部屋のベランダの向こうも、曇り空。月は、見えない。

 まぁ、十五夜が見られなかったのなら、明日、十六夜の月を見ることにしよう。

 十六夜(いざよい)の月は、十五夜よりも少し遅れて顔を出すため、ためらいの意味に使われる。どちらかと言えば、僕は十五夜よりも十六夜の月の方が、好きだ。

 満月よりも少し欠けている月の方が、美しく見える。それは、見えない部分があるからだとも思うけれど。

 月にはたくさんの言葉がある。
 月に向かって言葉をかけることは簡単だ。

 たとえば十五夜の前の晩の月を待宵という。つまり、十五夜を待つ、楽しみな夜という意味だ。十五夜、十六夜は先にすこし書いたので飛ばして、十七夜。これは立って待っている内に登るので、立待月。続いて十八夜は座って待っている内に登るので、居待月。十九夜は寝て待っている内に登るので、寝待月という。
 他にも、たくさんの月のことばがある。

 月に言葉をかけることは簡単だ。
 平安の昔から、日本人が夜という時間に、ひとりの夜という時に、想いを月にかけたように、月に言葉をかけることは簡単だ。

 見えない十五夜の月に、僕も言葉をかけよう。

  十五夜の月は見えない。
  照れているのか、薄雲の向こうにその顔を隠している。

  明日は晴れるか知らないけれど、
  十六夜になら、
  その美しい姿を見せてくれるだろう。

 直接は言えない言葉も、月に向かってなら言える。
 だから、月のことばは結構好きだ。