studio Odyssey




これもまた、エッセイ?

『平和な時代』(99/8/14日誌より)

 半世紀以上も昔の話となった世界大戦のことを、僕はよくは知らない。歴史は、歴史としてでしか、僕は知らない。

 終戦記念日、「二度と戦争は起こしてはならない」と、人は声高に言う。けれども、それを声高に叫ぶほとんどの人は、戦争を知らない。僕を含め、歴史としてのそれしか、知らない。

 海の向こうでは、戦争は今も続いている。
 コソボの問題は、一応の終結を見せた。けれど、まだ、決着が付いたわけではない。この国ですら決着が付いていない戦争の決着が、数ヶ月で、つきようはずもない。
 むしろ、過去はリセットできない。決着は、結局、つかないものなのかもしれない。

 戦争をテーマにした映画、小説は、それこそごまんとある。僕も、それをテーマにしたものを書いてこなかなかったわけではない。

 だけれど、それがどれだけの真実を映しているか、僕は知らない。
 僕は、それを見たことがないからだ。

 それは幸せなんだろう。きっと。
 だけれど、それを見たことのない僕は、その幸せを身体全体で受け止め、感じることが出来なくなっている。

 皆は、どうだろう。

 黙祷を捧げる、1年、365日の間の、そのほんの一瞬だけでいいと思う。
 そう、考えるのも、この国に生きる者として、大切なことなんだと思う。

 日本国憲法、第10章、第97条にこうある。

 この憲法が日本国民に保証する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

 半世紀前の人々の想いを、僕らは今も感じることができるだろうか。

 瞼の裏に、見えない戦争を映すことが出来るか、出来ないか。
 映せるのなら、そっと、目を開ければいい。
 きっとその向こうにあるものが、それだ。

 そう、思う。