ShortCut Link:
半世紀以上も昔の話となった世界大戦のことを、僕はよくは知らない。歴史は、歴史としてでしか、僕は知らない。
終戦記念日、「二度と戦争は起こしてはならない」と、人は声高に言う。けれども、それを声高に叫ぶほとんどの人は、戦争を知らない。僕を含め、歴史としてのそれしか、知らない。
海の向こうでは、戦争は今も続いている。
コソボの問題は、一応の終結を見せた。けれど、まだ、決着が付いたわけではない。この国ですら決着が付いていない戦争の決着が、数ヶ月で、つきようはずもない。
むしろ、過去はリセットできない。決着は、結局、つかないものなのかもしれない。
戦争をテーマにした映画、小説は、それこそごまんとある。僕も、それをテーマにしたものを書いてこなかなかったわけではない。
だけれど、それがどれだけの真実を映しているか、僕は知らない。
僕は、それを見たことがないからだ。
それは幸せなんだろう。きっと。
だけれど、それを見たことのない僕は、その幸せを身体全体で受け止め、感じることが出来なくなっている。
皆は、どうだろう。
黙祷を捧げる、1年、365日の間の、そのほんの一瞬だけでいいと思う。
そう、考えるのも、この国に生きる者として、大切なことなんだと思う。
日本国憲法、第10章、第97条にこうある。
この憲法が日本国民に保証する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
半世紀前の人々の想いを、僕らは今も感じることができるだろうか。
瞼の裏に、見えない戦争を映すことが出来るか、出来ないか。
映せるのなら、そっと、目を開ければいい。
きっとその向こうにあるものが、それだ。
そう、思う。