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ユーモアとは、ぎりぎりの悪口の所に存在する。
行きすぎるとただの悪口。
ぎりぎりのラインが毒舌。そして、ユーモア。
ユーモアがあるかないかと言えば、無いと言うことはないけれども…という感じだが、最近、ただの悪口が増えてきた。よくない傾向。
「毒舌」「悪口」「言いたい放題」は、全て違う言葉だ。けれど、それを混同している人は結構多い。
僕に言わせれば、よくテレビ番組に出てきて「ああだこうだ、云々かんぬん」と抜かしているオバサン連中は(あんただ、あんた)、ただの「言いたい放題」なだけで、全く毒舌家などではない。
で「毒舌」と「悪口」の境界ってどこか。
これは以外と簡単だ。
「毒舌」はユーモアだ。だから、自分の身を削るようにして話さなくなったら、そこからただの「悪口」になる。
だから、やっぱりあれだけ肥えているオバはんたちの台詞は、「毒舌」ではなく「言いたい放題」ということになる。
「毒舌」は身を削る。ユーモアである以上、それは絶対。
たとえばピエロ。僕らはピエロを見て笑う。
笑うけれど、僕らはピエロの何を見て笑う?
ピエロは、なかなか辛い仕事だといつも思う。あれほど、身を削る仕事はなかなかない。笑われてなんぼ、笑わせてなんぼ。同じ人間だもの。辛いことも悲しいこともあるだろうに。
でも、笑ってもらわなきゃならない。じゃ、どんな人間でも笑うシュチュエーションて、どんなものか。
人の不幸っていうものは、結構笑いのタネになる。
僕らがピエロを見て笑うとき、それは、ピエロの不幸の瞬間だ。
ピエロは自分の不幸を笑いにする。身を削る思いをして、笑いを取る。ユーモアとは、そういうものだ。
「毒舌」もそれと同じ。
だから、「悪口」とは違う。
ユーモアは「毒舌」の中にある。
勘違いしている人たちが、どうも最近多いようだ。特に、ブラウン管の向こうに。