studio Odyssey




なんというか、エッセイ?

『電気ひつじはどうだか知らないが』(98/12/16日誌より)

 新聞をぺらぺらとめくっていたら、「韓国で人のクローン?」という記事が載っていた。
 これでも、一応は科学者の卵。「お?」と思って目を通してみたのだけれど、「ああ、なんだ」
 その記事は、「体細胞クローン技術を用いて作った胚を、二回まで分裂させる事ができた」という記事だった。

 ちょっと難しい話かも知れないけれど、ようは、この胚を子宮に戻して着床させてやれば、理論的にクローン人間が作れると、そういうわけ。
 もちろん、倫理上の問題云々でそれはしなかったようだけれど…いや、要するに、そこまでの技術は確立たれたんだよって記事でした。

 以前、「遺伝子」をテーマに作品を作ったときにずいぶん調べたんですよ。ちょうど、「クローン羊」の「ドリー」とかが、新聞や週刊誌を賑わしていた頃に。
 で。その調査の最中で、ふと見つけた、すごく印象に残っている台詞があるんですね。

 それは、「クローン羊」の「ドリー」を作ったイアン・ウィルムット博士の言葉なんですけど、博士はクローン技術を用いて人のクローンを作ることに対して、「この技術を、人を作るべき目的に利用すべきではない」と反対意見を述べたんですね。ですけど、博士はこの後に人間の「卵」であるところの「胚」については、「分化が不完全で神経系もない段階ではまだ人間とは言えず、研究対象としても許されると思う」との見解を示したんです。

 さて。

 僕はどちらかというと科学者側の人間なので、博士のこの台詞に対してどうということはないですが、ぞっとする話ですよね。科学者側の人間として。

 多くの科学者がどうかは知らない。
 けど、そこで僕だったら、立ち止まれるかな?科学者として、未知の領域を模索するものとして。

 むー。

 多くの科学者が、どうかは知らないけれど。