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汁。汁ー。
汁がでてますよー。
ある本を読んでいたのですよ。今日。
でね、その中で、あるコンテストの寸評が載っていたのですけども、みていて、思ったのです。っていうか、いつもコンテストとかの寸評をみていると思うのですけどね。
「コンテストに参加するプロを目指すアマチュアの方には、へたくそでもいいから、はじけるような勢いのある作品を期待する」
って。
じゃあ、具体的にそれって、なに?
コンテストの審査員の方って、えらーい、先生たちなわけでしょう。別に、それに挑む気はさらさらないんだけども、「自分たちもあっと言わせるような、勢いのある作品がほしい」って、いっこ、聞かせてください。
それって、どんなん?
それを考えるのが、作品づくりって話になるとね、思うんだけど、それ考えるのが仕事の人たちと勝負なのでしょ。
なんか、むちゃくちゃな気がするのね。
どうなのかしら。
僕は、自分の書いているものを「小説」と言うことはあんまりない。と、言うのも、僕はね、小説を書いているつもりはないので。わかりやすい分類的なものとして、「小説」という言葉を使いはするけども、どうかなぁ。
なんか、「小説」なんて難しい言葉を使って、テケトーにごまかしているだけな気がするのよね。ある意味では、はかない自己弁護?みたいな。
多くの人がそうであるとは思わないけども、そうである人がいる気もするので、僕はそこでは、なんとか、自分で線を引いておきたいなぁと。
いや、それこそまさにはかない自己弁護?みたいな。
ま。なんだっていいや。
おもしろければ。
読んでくれた人が、ちょっとでも、おもしろかったと思ってくれれば。
テーマなんか、くそ、ですよ。
どんなに深いテーマがあっても、おもしろくなければ、ダメでしょ。すべての文章は、誰かに読んでもらうために生まれてくる訳で、そうでない文章は、つまり、文章としての意味を持ってない。
と、思う。
そういう意味では、最近の僕はちょっと問題だけどもね。
そこはまぁ、おいておいて。ってか、それが問題じゃん?言葉に重みがないよ。
それはそれ。
ぶっちゃけた話。
僕はコンテストの寸評というのが、嫌い。
理由。
昔の話だけども、僕が撮った写真が、まぁ、結構それなりに認められたとき、その寸評で、その写真とその撮影者の人のことを、「ものすごくナイーブな神経をもった、繊細な人が撮った物だと思います」なんて言ったのですよ。
腹抱えて笑いました。
みんなで。
違いまっす。
それはものすごーく腹黒い人が、狙って撮ったのでっす。そして、狙って作ったのでっす。
どうかなぁ。
僕はその写真なんかより、ずっとずっと好きな写真が、10枚以上はある。
そして飾っていつも眺めていたい作品は、少なくとも、その後者の作品たちだ。
だから、それでいいと思っている。今も。
そしてたぶん、これからも。
だから、気にすることなんか、ないのです。
いろんなこと。
変えることなんか、ないのです。