studio Odyssey


2nd Millennium END. 最終部




「ゆけ!我らが最高傑作よ!!」
 三人の狂科学者(マッドサイエンティスト)たちが、白衣を翻らせて叫んだ。
 エネミーが吼える。
 返すように、巨大ロボットの目が、ぎらりと光る。
 先に動いたのは、エネミーだった。
 その恐竜のような身体が激しく脈打つ。胎動する肉が、エネミーの咆哮とともに巨大ロボット、FAR‐一+二に迫る。
「無駄なことだ!」
 コックピットで男は叫ぶと、フットレバーをぐっと踏み込んだ。漆黒の重装甲のロボットが、それに応える。足の下から激しく巻き起こる砂塵。巨大ロボットの身体が、わずかに宙に浮き、素早く大地を滑った。
「これぞ、地上戦最速移動法!!」
 ぐっと拳を握りしめて言うのは、設楽 信之だ。
「科学的かつ、最も合理的!まさに究極!!」
 エネミーは素早く動く巨大ロボットに向け、無数に肉の矢を放つ。だがしかし、その全てを、重装甲なはずのFAR‐一+二は、やすやすとかわしていく。
「何で機動力だ!?」
 大沢が叫んだ。
「あり得ない!!」
「ってか、あのロボット、いったい、何トンあるんだよ!?」
 植村も驚愕に目を見開く。
「…さすがは、センセイといったところか」
「あ、教授」
 ゆっくりとその戦いを遠巻きに見ながら、平田教授が皆の元へと歩み寄ってきた。その後ろには、元総理、村上 俊平の姿もある。
 教授は戦う巨大ロボットを肩越しに見ながら呟いた。
「あれだけの出力…ゴッデススリーを実現したセンセイの力をもってすれば…」
「科学的かつ、合理的な移動法の割には、実現方法が非科学的な…」
 ぼそり、村上。
「それを言ってはいけませんよ、村上さん」
「それもそうだな…」
 そこは、二年前の歴戦の勇士である。
「き、機動力だけじゃ、エネミーは!」
 ぐっと拳を握りしめ、大沢は強く叫んだ。
「火力がなければ、どんな機動力があったって──」
「それは、春日井さんあたりの仕事なんだろうなぁ…」
 と、ぽつり。シゲ。
「シゲさん、いいから喋らないで!!」
 ベルが、彼の胸元を押さえながら言った。出血は弱くなってはいるものの、どう見ても重傷だ。
「おーい、救急車、まだかー?」
 整備員の誰かが声を上げている。
「よし!反撃だ!!」
 植村のノートPCのスピーカーから、春日井 秀哲の声が聞こえていた。
 漆黒の巨大ロボットが身を翻す。エネミーが素早く体勢を立て直す。
 エネミーの目に、バズーカをかまえた巨大ロボットが映った。
 かのロボットは背中に──それはまるでRシリーズのそれと同じような──あった巨大なバズーカを脇の下から伸ばし、手にしていたのであった。
「喰らえッ!!」
 コックピットのパイロットが叫んだ。同時に、蒼い光が走り抜けた。
「ビームバズーカだと!?」
 叫んだのは植村と大沢だ。
「ああぁぁ…」
「シゲさん!?」
「おーい、誰か救急…あ?スパイダー大隊の救護の人くるって?」
「シゲさん、しっかりー!?」
「さすがは、春日井さんだ…」
 ぼそりと、教授は呟いた。
「しかし──」
 重装甲の巨大ロボットは、ホバーの力に素早く動き回りながら、手にしたビームバズーカをうち続けている。激しい閃光に、エネミーの咆哮。空気が、激しく振るえていた。
 しかし──
「あたってないですね…」
 一行の輪の中に走り寄ってきた小沢が、その激戦に視線を送りながら言った。
 放たれた閃光は、ほとんどエネミーにあたってはいなかった。もっとも、重装甲のかの巨大ロボットで、高速移動をしながらエネミーに向けてビームバズーカを撃つと言うだけでも、パイロットは相当の手練れであろうとは、小沢にも予測はできた。「頼みますよ…」ぽつりと呟く。
「おお、香奈くん、無事だったか」
 小沢に抱えられるようにしてやって来た香奈を認め、教授は言う。
「…はい」
 息を切らしながら、香奈は短く返した。そして、小沢の腕の中からすり抜けるように崩れ落ち、その場に座り込んでしまった。肩を上下に揺らしながら呼吸を繰り返す彼女の肩に手をかけ、小沢が「大丈夫?」と声を掛けていた。
「本部にいたのは、これで全員か?」
 座り込んでしまった香奈に駆け寄る睦美と恭子を見ながら、村上。
「ええ──」
 小沢はゆっくりと立ち上がりながら言う。
「あれを作ったという人は、助けられませんでした」
 あれ──彼の視線の先には、漆黒の重装甲の巨大ロボットが放つビームバズーカーをかわしながらも、徐々に間合いを詰め始めているエネミーの姿があった。
「中で、爆発に巻き込まれてしまったので、おそらく──」
「──そうか」
 小さく頷き、教授は白衣のポケットに手を突っ込んだ。
「どうして…」
 激しく揺れていた香奈の肩が、今は少し、震えているように見えた。「どうして…」
「助けられるかもしれない人が目の前にいたのに、結局、私──」
 彼女の声をかき消すように、砂塵を巻き上げながら、一行の元に一台のジープがやってきた。ジープの後ろには、大型のバンが続いている。
「その男は──」
 ジープの助手席から、ひとりの老人がゆっくりと降りてくる。
「初めから、死ぬ気だったのかもしれんなァ」
 少し間延びしたような調子で、老人は言う。


「先生…」
 ぽそりと、教授が呟いた。
 視線の先にいた老人は、教授の言葉に軽く笑い、シゲの元へと歩み寄った。「どれ──9ミリベレッタか──」傷口を観ながら呟く。「急所ははずれているな…命にかかわることはないだろうが…」
 彼は英語で、自分の後ろについてきた米軍の衛生兵に短く何かを告げる。と、手渡された使い捨ての注射器を、慣れた手つきでシゲの胸元にすっと刺した。
 小さくシゲがうめいたが、それは麻酔か何かだったのだろう。シゲがひいていく痛みに老人を見た。「切れたら、また痛くなるが…」「…あー、またあの痛みはいやっすねぇ」
「石野さん…」
 小さく、香奈が老人の背中に向かって呟いた。石野と呼ばれた老人は、肩越しにちらりとだけ、彼女を見た。
 香奈がうつむいていた。うつむいたままで、ぽそりと呟いていた。
「そんな…初めから死ぬ気だったなんて…」
「科学者の良心みたいなものかもしれんなァ」
 視線を戻し、老人は慣れた手つきで応急処置を施していく。その手際の良さは、後ろにひかえていた衛生兵の誰もが、息をのむほどだった。
「あのご老人は──」
 村上が呟くようにして、小沢に聞いていた。
「石野さん──BSSの理論を、はじめてこの世に出した人です」
 小沢は小さく返す。
「教授の先生で、元々は、医師でもあった人です」
「そうか…これで、シゲ君もひと安心か」
「ええ──」
 小沢は処置を続ける石野の背中を見つめながら、目を細めた。
「石野さんは、中東危機の頃に、現地で医療活動をしていたくらいですから」
「しかし、先生…いつの間に…」
 教授が、老人の背中を見つめながら言った。
「日本に戻ってきていたのなら、連絡くらいはくださっても──!」
「お前と会うのにも、気が引けたんでな」
 石野は呟く。
「二年前、私は傍観を決め込んでいたからなァ…」
 石野はシゲの傷口から視線を外さない。外さずに、呟くようにして続ける。
 ただ一言。
 ぽつりと。
「この国──いや、今となっては、この世界──は、護るべき価値があるか」




   新世機動戦記 R‐0 2nd Millennium END.
                         最終部




       1

 植村のノートPCが、短く電子音を発した。
 はっとした植村が、素早くノートPCに手を走らせる。
「イーグル、イーグル2、分離高度に到達!!」
「よし!」
 教授が白衣を翻らせながら叫んだ。
「分離だ!イーグル2はそのまま、宇宙を目指せ!!」
 その声に重なるように、もう一つの電子音。植村が見つめていた液晶を覗き込んでいたかなたが声を上げる。
「FAR‐一+二、ビームバズーカのエネルギー切れ!?」
「結局、一発でもあたったのか!?」
 大沢がその巨大ロボットに視線を走らせた。漆黒の重装甲をした巨大ロボットは、背中に装着されていたビームバズーカを切り離し、それを海へと投げ捨てていた。スピーカーから声が聞こえてくる。「この時を待っていた…」
 武器を捨てた巨大ロボットに、エネミーが迫る。
「これで、本気が出せるというものだ…」
 その間合いが切りつめられていく。
「イーグル、イーグル2、分離確認!」
「イーグルはオートパイロットにて、太平洋上への着水航路を取りました!」
「一也くんと遙くんに、伝えてくれ──」
 迫るエネミーに、FAR‐一+二のパイロットは軽く口許を弛ませて言った。
「最後のエネミーは、君たちに任せる!」
 迫るエネミーに、FAR‐一+二がしっかりと大地を踏みしめるようにして立つ。それはまるで、突進してくるエネミーを受け止めようとする構えにすら見えた。
 足を踏ん張り、胸の前で腕を組む。
「こいつは──この国は──この世界は──!」
 パイロットが叫んだ。
「俺に任せろ!!」
 マニュピレーションレバーのトリガーを引き絞る。と、無数のエアボルトが爆発するような音と共に空気を放出させた。その光景を見ていた誰もが目を見開く。
 その瞬間、誰もがFAR‐一+二の漆黒の重装甲の全てが、ハッチになっていた事を知ったのであった。
 装甲の一部には、吹き飛んだものもあった。しかし、それら全ての装甲が開かれた奥には──無数の白い円筒──ミサイルがおさめられていたのであった。
「伏せろ!!」
 植村と大沢が同時に叫ぶ。
 一瞬の静寂──そして、全てのミサイルが爆音と共に打ち放たれた。
 エネミーの咆哮──しかしそれは打ち出された335発のミサイルの爆音にかき消されていた。


 耳鳴りがした。
 きーんと、耳の奥で、何かがずっと鳴っている気がした。
 香奈は、音のなくなったその世界で、小さく呟いた。
 この国は──この世界は──護るべき価値があるか──「私は──」
「誰にも、傷ついてなんてほしくなかったのに──だけど結局、誰ひとりも守れなくて──誰にも、たとえ、どんな過去があったとしても、それを誇りに変えて、生きて欲しい──私に出来ることなら、それを支えてあげたかっただけのに」
 ぎゅっと自分を抱き寄せる誰かの腕があった。それが誰だかわかって、彼女は目を伏せた。目を伏せて、そっと、その彼の胸に額を押しつけた。
「──さん、俺は──もう一度、聞きたいことが──」
 その耳に、彼の声が聞こえてきた。
 耳鳴りの隙間に、滑り込んでくるような彼の声。相手の声は聞こえない。彼の口にした単語が、やけに鼓膜に響いたような気がした「BSS──Brain Scanning System──」
「俺は二年前──約束を果たすために──もう一度、聞きたい」
「私は──現実を知っている」
 老人の声が届いたような気がした。
「私は、それを前に口をつぐんだ。──見せたくなかった。──傍観することで、逃げることにした。正義を行うことは──難しすぎる」
 老人の、弱い声が耳に届いた気がした。
「人類は、愚かだ──その歴史から、争いが消えたことはない。もしもこのエネミーが世紀末に、神が使わしたという使徒ならば、その前に、人類は、滅びるべきなのかもしれない。なのに──私たちは──君たちは、それでも、正義を信じて戦う」
 香奈は強く瞳を閉じた。額を彼の胸に押しつける。同じ台詞が耳に届く。
 でも──口を動かそうとする。でも、その口から言葉が紡ぎ出せない。でも──私たちは──!!
「正義って、なんでしたっけ?」
 彼の声。
 誰かの声が続く。
「ひとつだけ──」
 彼の声が、耳に届く。


「自分のしていることを正しいと思えない者に、正義は行えない」


 風が駆け抜けた。
 巻き起こっていた爆煙が、その風にかき消された。
 視界が開ける。
 耳鳴りが消えていた。
 その鼓膜を、エネミーの咆哮が振るわせていた。
 誰もが振り返る。
 青い空と、自分。
 その間に立つ、巨大なその姿。
「シゲさん!?」
 ベルの声。
 振り返ると、石野の腕を掴み、真っ直ぐに言う彼の姿があった。
「この傷、いつまでならほっといても大丈夫っすか?」
 シゲは石野の腕を強く掴み直して、言った。「俺は、最後まで見届けなきゃいけないんですよ──」
「あなたも、この世紀末の前に立った人間なら──BSSに関わった人間なら──同じ科学者なら、わかるでしょう?」
 真っ直ぐに自分を見つめる目に、石野は少し身をひいた。
 しかし、その耳に届いた声に、はっと身を強ばらせた。
「私らは、逃げる訳にはイカンのですよ、先生」
 薄汚れた白衣のポケットに手を突っ込んだまま、教授はにやりと口許を弛ませた。
「それは、『負け』ですからね」
 そして言った。
「『何故』と言われても、答える言葉なぞないですし──未来の自分が見つめる過去の自分、今の自分をどう思うかなど、わかりゃしませんし──人類が愚かかどうかなんかにも、興味はありませんが──誰かの言葉を借りて言うのなら──」


「それこそが、科学者の『良心』とでも言いましょうか」


 エネミーが強く、強く吼えあげた。
 それに返すように、巨大ロボットのアクチュエーター音が高鳴りはじめる。


       2

「FA──フルアーマーだったのか!?」
「しかもあの数は!?」
 植村と大沢の叫んでいた。
 FAR‐一+二。その巨大ロボットの肩に銘打たれていたロゴの真意を知り、二人はぐっと拳を握りしめた。
「生意気なッ!!」
 全装甲に格納されたミサイルを撃ち尽くしたFAR‐一+二に、エネミーが激しく吼えあげた。335発、雨のように降り注いだミサイルの前に、さすがのエネミーも恐竜のような身体の至るところからどす黒い血を流している。
「あれでも倒れないの!?」
 かなたが声を上げた。
 エネミーの肉が、激しく脈動をはじめた。
「来るぞ!?」
「ここは危険だ!離れ──!!」
 香奈の身体を抱き上げ、小沢が声を上げた。それに皆が続いて走り出す。
 直後、エネミーの身体から肉の槍がFAR‐一+二めがけて迸る。
「ああっ!」
 睦美が声を上げた。エネミーの肉の槍は、過たずにその巨大ロボットを打ち抜いた──かに見えた。
「案ずることはない──」
 植村のノートPCから、声が響いてきた。
「これが、我らが最高傑作の──」
「な、なにぃッ!?」
「あれは──」
「装甲だったのか!?」
 驚愕の整備員たちの声。
 植村のノートPCからの声──道徳寺の声だ──が言った。「これが、我らの最高傑作の──」
「真の姿だッ!!」
 エネミーが打ち抜いたのは、その巨大ロボットの装甲でしかなかった。
 ばんっと爆発ボルトのはじける音が響く。そしてその中から、一機の──今までのシルエットからは想像もつかないほどにスマートな──巨大ロボットが現れた。
 軽快なアクチュエーター音が高鳴る。
 陽光に身体を輝かせ──そう、それはまさしく輝いていた。なぜなら──その巨大ロボットのボディは、黄金色一色だったのである──巨体が素早くエネミーの背後へと回り込む。
「金色!?」
 ベルに連れられ、ジープに手をかけていたシゲが、振り向きざまに叫んだ。
 その声が、植村と大沢の声と重なる。
「百式!?」
「これぞ、我らが最高傑作」
 ノートPCから響く声は春日井の声。
「その名を──」
 巨大ロボットがすさまじい速さでエネミーの背後へ回り込んだ。エネミーが振り向く。よりも早く、巨神は振り上げた右の拳を繰り出した。左肩の装甲の奥に隠されていたその名が、陽光にきらめいていた。
「R‐三!!」
「やっぱり漢字なのかよ!?」
「おのれ!やるな!!オールドタイプ!!」
 ジープにしがみつきながらも、植村、大沢。
「オールドタイプってなによ…」
 かなたが目を細めていた。
「く…こんなことなら、俺も一機くらい作ってれば…」
 ぐっとジープの縁を握りしめて、悔しそうに言ったシゲに、ベルもそろそろさすがに、
「…案外、平気なの?」
 ちょっと言ってみた。
 R‐三にはじき飛ばされたエネミーが宙を飛んで、東京湾の海面に大きな水柱を立ち上らせていた。
「この隙に、道徳寺たちのいる場所まで退避だ」
 石野が米兵たちに素早く英語で指示をする。教授も村上もまた、こくりと小さく頷いて、皆を車の方へと急がせた。「今のうちに皆、避難を──」「整備班連中は、走れ!」おやっさんが叫んでいる。「マジっすか!?」「まぁ、確かにこの人数は、乗れないか…」
 海面から、エネミーが顔をあげた。
 ざざぁっという大きな水の流れる音に、香奈が振り向いた。その視界に、エネミーが素早く肉の槍を放つ様が映った。「あ──っ!?」彼女が何かを言おうとするよりも速く、R‐三が動いていた。
 放たれた肉の槍の全てを両腕で弾き、その金色の巨神は素早く構え直す。
「──あ」
 言葉を無くしたのは、香奈だけではなかった。
 教授も、シゲも、そして植村も大沢も、小沢もだった。
 彼女にもわかっていた。
「あの動きは…」
 シゲが呟く。
 間違いないと確信する。あれだけ人間の動きに近い動きを巨大ロボットにさせることが出来るシステムは、ひとつしかない。そう、本来、それは、この世界にもひとつしかない──
「早く乗るんだ」
 ジープに手をかけたまま、身構えるR‐三を見つめていたシゲの腕を、石野が強く掴んだ。
 はっとして、シゲはその老人に振り返る。その隣に、香奈が転がるようにして、駆け寄ってきていた。
「石野さん!?あれは──!!」
「香奈さんっ!」
 彼女が何を言うかわかって、その腕を小沢が強く引く。
 そして、小沢もまた、その老人を真っ直ぐに見た。


「…シゲくんといったか」
 シゲは少し顔をしかめた。
 掴まれた腕が、痛かった。
 この老人のどこにそんな力があるのか、わからなかった。真っ直ぐに自分を見つめる瞳に、何故、気圧されるような力があるのか、わからなかった。
 石野はゆっくりと言う。
「君は、今は麻酔の力で痛みもないだろうが、重傷だ。私の言うことを聞いて貰う」
「あれは──」
 しかし、シゲはゆっくりと、気圧されるような視線に負けずに、言った。
「BSSですね?」
「そうだ」
 老人はゆっくりと、だれけど、しっかりと返した。
「私が、作った」
 誰かが息を飲むのが、石野にはわかった。だから、石野はそっと、目を伏せた。「──わかっとるよ」
「君らが言わんとすることは、わかっている。そして──君たちの信じるものも、心の中にあるものも、わかっているつもりだ」
 石野は手を強く握りしめた。
 視線の向こうの青年が、眉を寄せて顔をしかめている。だが、その目は、真っ直ぐに自分を見つめたまま、動かない。
 老人は細く微笑んだ。
「平田…」
 呼ばれ、教授もまた、軽く口許を弛ませながら目を伏せた。
「恩にきます」
「ここは危険だ」
 石野はゆっくりと言った。「我々には、見届け、そして証明して見せなきゃならないものがあるんだろう?」
「なァ?」
 細く微笑む老科学者にゆっくり笑い返し、シゲはその腕を強く掴み返した。そして自分を支える金色の髪の彼女に向かって、いつもと同じように、笑って見せた。
 うまくは、出来ていなかった。
 けれど、彼女もまた、はにかみを返していた。
「行こう」
 香奈の肩を、小沢が軽く叩く。
「──はい」
 短く。
 強く、彼女は頷く。


「ガガーリンだっけ?」
 真っ暗の空間の中、ただひとつの光。
 彼は小さく呟いた。
 足の間の補助モニターが、弱く光りを放っている。ただひとつの光。蒼い光。インカムに声が届く。
「ソ連の宇宙飛行士だっけ?」
 彼女の声。
 きっと彼女も、同じものを見ている。
「世界初の、有人宇宙飛行士だっけ?」
「あ、あってたか」
 一也はその蒼い光を見つめながら呟いた。「本当に、蒼いんだね」「だね」彼女の笑うような声。
「私はてっきり、NASAとかに騙されてるもんだと思ってたよ。本当は、こんな綺麗な蒼じゃなくて、もっと、薄汚れたモンなんじゃないかなーなんてね」
「本当に、蒼いや…」
 補助モニターを見つめながら、一也は呟いた。
 眼前には、蒼い星──地球が見える。それが、本当に丸いのかどうかまではわからなかった。この高度からでは、手を広げても、まだ地球を覆い隠すには足りないくらいだったのだった。
 インカムに彼女の声が届く。
「私たち、人類で、何人目の、この景色を見た人だろ?」
「有人宇宙飛行は、ソ連とアメリカしか成功してなかったんじゃないっけ…」
「少なくとも一也は──」
 遙が、笑うようにして言っていたた。
「世界で最初の、巨大ロボットで宇宙に飛びだした人になるわね」
「…そりゃ、光栄だ」
 補助モニターが何かを捕らえていた。
 小さな電子音。
 そしてその場所が拡大される。
 ドットの荒い映像が、再スキャンされ、エッジを鮮明にさせた。映し出されたのは、隕石にも似た、いびつな球形の物体だ。その脇に、いくつかの数値が表示され、その数値のひとつがゆっくりと減少し始めていた。
 それは、その物体──エネミー甲殻卵体──と自分との距離。
「もっとも──」
 一也は少し笑う風にして言った。
「世界で最初に巨大ロボットのパイロットになったのも、俺だったけど」
「そして、歴戦の勇士」
「くだらないね」
「そね」
 遙の声が、インカムを通して届く。「いけるわね?」
 響く電子音。補助モニターに、半透明ウィンドウが表示され、そこに文字が流れた
 BSS system released.
 一也はそっと、目を閉じた。
「ああ──思い出した」
 そしてそのまま、口許を弛ませた。
「また、あの時みたいに、聞いてもいいかな、遙」
「なに?」
 LINKed.
 R‐II BSS‐system LINK...
「いつだっけ…たぶん、Necが解体される直前くらいの──ああ、そうだ。本部が占拠された時の出撃の前に、聞いたんだ」
「──なんだっけ?」
 それが台詞は、本当のことを言えば、遙にもわかっていた。でも、彼の言葉を待ってみた。
 一也の声が、インカムの向こうから聞こえてくる。
 彼女はそっと、その光を見つめながら、彼の声を聞いていた。
「俺たちのしてることは、正義だよな?」
 COMPLETED.
「何いってんの」
 system ALL Green.
「あれを見ても、まだそんなこと言うわけ?」
「──聞いてみただけ」
 響く電子音。
 wihtout RESTRAINT.
 蒼い光が、自分の顔を照らしている。
 一也はすうとゆっくり、息を吸い込んだ。
 彼女の声が聞こえてくる。
「...baby, Do you think it's possible that anyone else in the world is doing this very same thing at this very same moment.」
「I hope so」
 FREE.
 聞こえた最後の電子音に、一也はゆっくりと目を開けながら言った。
「Otherwise what the hell are we trying to save?」
 軽く噴出した、バーニヤの衝撃。
 薄膜ディスプレイが光を放つ。
 蒼い光。
 漆黒の宇宙の中に、輝く天体。
「新しい世紀まで──あと、何分?」
「同じ時間刻んでるんだから、いちいち聞かないで」
 聞こえた声に笑い、一也はマニュピレーションレバーを強く握りしめた。
 バーニヤが強く輝く。
 漆黒の闇を裂いて──上も下も、左も右も、ともすれば、国とか戦争とか、正義とか何もかもがない──空間を、その巨大ロボットが、駆け抜けていく。


       3

「ご覧いただけますか!!」
 東京国際空港、その上空を飛ぶヘリコプターの中から、佐伯 菜美はマイクを握りしめながら叫んだ。
「ここ、東京国際空港、Nec本部を襲ったエネミーに、一機の巨大ロボットが対峙しています!!」
 エネミーが吼えあげる様が、レンズに映る。
 そしてエネミーは、眼前の巨大ロボットに向かって突進した。
「エネミーが迫ります!!」
 ぐっとマイクを握りしめる菜美の眼下、突進するエネミーを、R‐三は身構えて受け止めた。その金属の身体が、衝撃にけたたましい音を響かせた。
「マヂか!?」
 その様を見て叫んだのは、道徳寺たちの元へと避難してきた一行の中の、大沢だった。
「Rシリーズタイプで、エネミーと格闘戦なんか、まともにできる訳が…」
 R‐0、そしてR‐1、R‐IIも皆、限りなく人に近い動きを実現しているため、各部アクチュエーターの強度、パワーはない。エネミーとがっぷり四つに組み合って格闘戦ができるようになど、設計されてはいないはず──
「ふ…甘いな…」
 にやり、口許を弛ませて返したのは、道徳寺である。
「私の力を持ってすれば、そのようなこと──」
 R‐三のアクチュエーター音が高鳴る。そして──「ああっ!!」菜美はマイクを強く握りしめて叫んだ。なんと、その金色の巨神は、エネミーの身体を易々とさばき、海へと向かって投げ飛ばしたのであった。
 立ち上った巨大な水柱が消えていく様を見つめながら、菜美はもらした。「…すごい」
「し、しかし──R‐IIはいったいどうしたというのでしょう!?このエネミーの攻撃により、米軍のスパイダー大隊は壊滅──Nec本部もご覧のように──」
 カメラがパンされる。映し出されるのは、黒煙をあげる壊滅したエネミー大隊、そして火の手をあげる本部ハンガー。
「我々が入手した情報によりますと、R‐IIは横須賀米軍基地から、このNec本部へと、秘密裏に輸送されてきたということですが──エネミーの攻撃の前に、R‐IIは破壊されてしまったのでしょうか…」
 その菜美の耳に、声が届いた。
 はっとして菜美がカメラマンを見た、カメラマンが耳に付けていたイヤホンにも、同じ声が届いたのであろう。ディレクターが指示を出すよりも早く、カメラは眼下の金色の巨大ロボット、R‐三を映していた。
「私はこのロボットのパイロット──」
 夏の陽光に輝く金色の巨体。
 そのコックピットの映像が映し出されたノートPCの画面を見て、植村は目を見開いた。「私はこのロボットのパイロット──」映像の中の男が言う。
「クワント・コエルム大尉である」
 映像の中にいたのは、金髪に、大きな、黒い独特の形のサングラスをつけた男。
「クワトロかよ!?」
「そこまでするか!?」
 声を上げて植村、大沢は道徳寺を見た。ふっ…と、軽く道徳寺は笑う。
「しかも、ちゃんと大尉になってるし…」
 呟くシゲ。小沢が続く。
「コエルム──ラテン語でそのままじゃないか…大空さん、何してんだか…」
「それを言うのは、ナンセンスだぞ、小沢君」
 教授に言われた。
 画面の向こう、クワント大尉は続けている。
「このテレビを見ている国々民の方には、突然の無礼を許して頂きたい。私は自衛隊の、クワント・コエルム大尉であります」
 海面が、ゆっくりとせり上がっていた。赤い、エネミーの目が光っていた。
「ご存じのように、この場所には、我らの未来を託す存在、R‐IIがあった。だが──今はもう、この場所にR‐IIはいない」
 眼前の薄膜ディスプレイを見つめながら、クワントは言う。
「ここで全てを明かすことはできないが──R‐IIは──そのパイロットたちは、この地球を護るため、宇宙へと飛び立った」
「宇宙と書いて、そらと読ませてきたか…」
 唸るのは教授だ。
「何か、いっきに我々が、主役の座を奪われた感じだ…」
「一也くんたちがどうしてるかは、さすがにここからじゃ、データと音声くらいでしかわからないからな…」
 ぽつりと、眼前のR‐三を見つめながら呟く村上の後ろ、植村と大沢が走り回っている。「うおぉぉ!!ケーブルつなぐぞ!!」「許可なんかいらねぇ!回線奪え!!」「ちょ…なにしてんの!?」かなたが声を上げていたが、彼女以外に、それを気にする者はいなかった。
 海面から姿を現したエネミーが、探るように唸りながら、R‐三を見据えている。「世紀末、この地球に再び降り立ったこのエネミーを、神が使わした使徒と呼ぶ者もいるだろうが──エネミーはエネミーであって、それ以上の存在では、断じてない」クワントはゆっくりと言った。
「エネミーは、何者かの手によって創り出されない限りは、決して生まれることはない。つまり、このエネミーもまた、我々、人類が生み出したものに他ならない」
 その声を聞き、小沢はゆっくりと目を伏せて、ぽりぽりと頭を掻いた。「いいんですかね…」「Necは、政府とは関係がない」村上が返した。「もっとも、彼は、我々とも関係がない訳だが」
「人は、長い間、この地球という揺り籠の中で戯れてきた。しかし、時は、人類を地球から巣立たせようとしている」
 クワントの声を聞きながら、シゲ。ぽつり。
「くそ…ダカール演説小説版の引用か…」
 隣にいたベルは、ダカールというのは都市の名前だろうということはわかった。けれど、その演説というのがなんなのかは、わからなかった。
「いや、わからなくていいと思うよ」
 小沢が苦笑している。
「大空さんも、よくやる…」
「クワントだ、大尉だぞ」
 道徳寺がむすっとした表情で睨んでいた。
「次の宇宙時代への力──二年前の戦争──エネミーが我々人類にもたらした力は、その力だった。それは決して、戦争をするための力ではない。戦争が文明を発展させたという古い規範から、人が、一歩を踏み出すための力であったはずなのだ。無限の宇宙に踏みだし、その果て無き宇宙に対して、永遠に叡智を放出できる人類のための──」
 エネミーが咆哮と共に、肉の槍を撃ち放った。
 クワントが叫んだ。
「ああっ!?まだ台詞が!?」
「さすがに、長すぎましたな…」
 春日井が、ぽつりと呟いていた。


「そうそう、あたるものではない!」
 百式──否、R‐三は肉の槍を素早くかわす。その様を見ながらシゲが「それはシャアだ!」とか言っていたが、とりあえず誰も突っ込まない。
「ケーブル接続!」
 植村がノートPCに別のノートPCから伸びたIEEE1394ケーブルを取り付けていた。よく見れば、そのケーブルは途中でハブに繋げられていて、泉田の持っていたハンディカムにもつながっている。
「教授!いけます!!」
「よし…」
 にやり、教授は口許を弛ませて言った。
「むっ!?」
 道徳寺が顔をしかめさせた。だが、教授は弛んだ口許のままで、続けた。
「では、主役の登場と行きましょうか」
「貴様──またかッ!!」
 巻き起こる粉塵の向こう、エネミーに迫るR‐三の姿。
 巻き起こる粉塵のこちら、白衣を翻らせた教授の姿。
 その映像が、世界中に流れていく。
「これが、最後の戦い──みなさん──」
 R‐三がエネミーに向かって踏み込む。
 繰り出される右手を、エネミーが咆哮と共に受け止めた。
「見届けていただきたい」
 画面が切り替わった。
 漆黒の闇の中、塵のように輝く何かが無数に見える空間を、赤い彗星が駆け抜けていく。
 彗星が迫る空間には、巨大な隕石のようなものが浮いていた。それが何か、画面を見る人々には、全くわからなかっただろう。しかし、その隕石のようなものが割れ、その中から人の形を成した何かが頭をもたげたときに、誰しも、言葉を失った。
 蒼い光が、人の形をしたエネミーを照らす。
 大きく口を開き、エネミーが吼える。いや──音は届かない。誰にも、その咆哮は聞こえない。しかし、誰の耳にも、その声が届いたような気がした。
 エネミーが腕を振りかざす。五つの指が、漆黒の闇を裂いて延び、赤い彗星に迫った。
 バーニヤが光る。
 閃光が闇を裂く。
「そして、今度こそは──忘れないでいていただきたい」
 蒼い地球を背にした、赤い彗星──R‐II──の姿が、そこに映し出された。


「R‐II、最後のエネミーにエンカウントしました!」
 かなたが、植村のノートPCの液晶を見つめながら声を上げた。もっとも、その映像は世界中に向けて流されている。教授はこくりと頷くだけだった。
 画面の向こう、漆黒の宇宙に、光が展開していた。
 R‐IIに迫ったエネミーの指先は、R‐IIのバックパックから伸びたサソリの尻尾のような部位の先端──R‐1の両腕に装備されていたプログハングを、大型に改良したものだ──が発生させる光の盾の前に、はじき飛ばされていた。
「エピオンみたいだ!?」
 シゲがその映像を見て目を見開いた。その後ろでは、植村が「ちっちっち」と指を振っている。「シゲさん、エピオンのあれは、腕ですよ?R‐IIのあれは、バックパックのセカンドツインテラシステムに繋がった、プログテール。そして、セカンドツインテラシステムからエネルギー供給を受けているので──」
「ビームシールドか…」
 春日井が呟いた。
「フ…」
 口許を弛ませて返したのは、大沢だ。
 超甲殻卵体の上のエネミーが、再び腕を振るう。そしてその光の盾に向け、両手の十本の指を伸ばした。
 補助モニターにポップアップしたウィンドウに流れた文字に、一也はマニュピレーションレバーを握り直す。「──ここなら」小さく呟き、一也はR‐IIのオートセレクトシステムに応えるように頷く。
 FCS lock.
 右手のHGBライフルを、エネミーに向けてかざすR‐II。
 そのR‐IIに、エネミーの放った肉の槍が迫る。
「かわせんぞ!?」
 設楽が、その映像を見て声を上げた。
「問題ありませんよ…」
「ビームシールド如きなら、何もバックパックに繋げる必要などないのです…」
 植村とそして大沢が、口許を弛ませて呟くその顔を、モニターからの強烈な光が照らし出した。
 光がはじける直前、R‐IIは背中の二枚の羽根を漆黒の空に向けて広げていた。その放熱版が、一瞬にして赤く輝く。と、同時に、プログテールの先端が二つに割れ、強烈な光の盾を生み出した。
 光がはじける。
 光の盾が、エネミーの肉の槍をうち砕く。
 エネミーが吼えあげた。黒い何かが、球体となって、宙に舞っていた。
「バカな!?」
 道徳寺、春日井、そして設楽が同時に叫んだ。
「エネミーの身体は、超硬化薄膜で覆われている!いかにビームシールドと言えども、あれだけの攻撃には──」
 R‐IIはプログテール素早く振るう。光の盾が瞬時に消滅し、かざされた右手の銃口が光った。
 極大にまで高められたエネルギーが、糸のように細く収束して打ち出される。閃光は、エネミーの身体を貫通し、それが乗る甲殻卵体をも、一撃で打ち抜いた。
「──薄膜?」
 かき消えた光の向こう、腕を振るい反撃を試みようとするエネミーから視線を外さずに、シゲ。痛みからか、顔をしかめながら呟く。隣のベルが、彼の呟いた言葉に目を見開いて、植村と大沢を見ていた。
 ふたりは軽く目を伏せて返した。
「お察しのように、あれは、超硬化薄膜です」
「たしかに、あれはエネミーの力です」
 大沢が、皆から視線を外しながら呟く。
 外した視線の先──海から姿を現した地球最後のエネミーが、R‐三に向かって飛びかかってきていた。
 陽光に巨体を煌めかせ、大地を揺るがしながら、R‐三がその一撃を素早くかわす。そして、強烈な突きを、エネミーの横っ面に向けて打ちはなっていた。「クワント大尉の言うとおりだと、自分も思います…」「大空さんだけどね…」「それを言ってはイカンぞ、小沢くん」
 聞こえる声を無視して、植村はゆっくりと言った。
「ベルさんの気持ちもわかりますが──次の宇宙時代へ進むためには、エネミーの力は必要なんです。そして香奈さん──あと、石野先生の気持ちもわかるつもりです」
 植村もまた、R‐三に向き直った。
 彼と同じように、陽光に輝く金色の巨大ロボットを見つめた、若き科学者のもうひとり、大沢が、彼の台詞に続いていた。
「それは決して、戦争をするための力ではなく、戦争が文明を発展させたという古い規範から、人が、一歩を踏み出すための力なはずなんです」
 その背中を、香奈、ベル、そして石野は見つめていて──道徳寺、春日井、設楽、そして教授は、ぽそりと呟いていた。
「──世代が今、変わろうというのか…」
「俺の時代、短かったなぁ…」
 ぽつり、シゲ。
 植村、そして大沢は続けた。「それは──」
「無限の宇宙に踏みだし、その果て無き宇宙に対して、永遠に叡智を放出できる人類のための──」
「どっちにしても、薄膜もHGBライフルのフルパワーも、空気のない宇宙でないと、放熱問題があって使えないんですけどね」
 さらりと、かなたが言った。
「あっ!テメェ!そういうことを言うな!!」
「裏切り者!!」
 その声をかき消すように、がんっという、鈍い音が鼓膜を貫いた。
 はっとして、皆が振り返る。
 と、R‐三の左腰についていたパッドが、エネミーの肉の槍の前にはじき飛ばされていた。金色の装甲が陽光に煌めき、宙を舞い、そして東京湾に水柱を立ち上らせている。
「何をしている、大ぞ──いや!クワント大尉!!」
 思わず言い直す道徳寺。
「あのヘリコプター!」
 気づいた睦美が声を上げていた。彼女が指さす先に見えるのは、今や植村たちがジャックした電波の発信主、テレビPのヘリコプターだ。エネミー、百式──いや、R‐三──そしてその向こうのヘリを見て、吉原が呟く。
「大空さん、あれを護ろうとして──?」
「クワント大尉だ」
 間髪入れずに教授。
「いい加減、どっちでもいいような…」
「それは言ってはイカンと言っとるだろう、小沢くん!!」
「遠距離攻撃をするエネミーと、近接戦闘型のR‐三…危険だな」
 村上がぽつりと呟いた。頷きを返すのは小沢だ。「さがらせましょう」そして小沢は新士に軽く目配せをした。彼が、胸ポケットから携帯電話を取り出していた。
「クワント大尉」
 インカムに向かって、道徳寺は言う。
「ヘリはさがらせる。ヘリがさがったら、そこでケリをつけろ」
「承知した」
 インカムに、クワント大尉の声が返ってくる。「しかし──左腰パッドが、吹き飛ばされたか──」
「当たり所が悪いと、こうも脆いものか…」
「大尉ー!!」
「くそー…」
 胸の傷口を押さえながら、シゲは顔をしかめさせて呟いた。
「楽しそうだなぁ…」
 心底残念そうに。


       4

「遙」
 インカムに向かって、一也は言った。
 コックピットシートを照らす薄膜ディスプレイの蒼い光が、一也のヘルメットシールドに反射している。
「戦闘空域から離れて」
 短く言い、一也はマニュピレーションレバーを握り、強くフットペダルを踏み込んだ。フルバーニヤンとなったR‐IIの各部バーニヤが光る。漆黒の闇を裂いて、赤い彗星がエネミーに迫る。
「一也!?」
 イーグル2のコックピットから、遙は叫んだ。
 薄膜ディスプレイに映っていたR‐IIが、見る見るうちに小さくなっていく。広大な宇宙の向こうに駆け抜けていった彼の後ろ姿を追いかけるように、彼女は薄膜ディスプレイの解像度を上げていく。しかし、再スキャンの速度よりも速く、R‐IIは宇宙の向こうへと駆け抜けていく。
「イーグル2を護りきれる自信はない」
 一也はインカムの向こうに向かって言った。足の間の補助モニターに視線を走らせる。ポップアップしたウィンドウに光る文字が、セカンドツインテラシステムの放熱状態を告げていた。──薄膜を発生させると、こんなにエネルギーを使うのか…
「迂闊に近づくのは危険よ!?」
「わかってる!」
 一也はディスプレイの向こうのエネミーを真っ直ぐに見た。エネミーの視線と、自分の視線とが合う。
 真っ直ぐに自分に向かって迫る巨大ロボットに向けて、エネミーが大きく口を開いた。迎え撃つと言わんばかりに、身構える。
「でも──」
 放熱状態を告げるゲージは、まだ赤い。HGBライフルなら、通常出力程度では打つことは出来るだろう。だが、薄膜を発生させることは──
 接近戦だ。
 一也の意志に反応し、R‐IIがぎらりとその目を輝かせた。
 返すように、エネミーが左手を振るった。五つの指先が、漆黒の空間を裂いて伸びる。
「食らうかっ」
 響く電子音よりも速く、一也はマニュピレーションレバーを引いた。R‐IIの膝にあるバーニヤが強烈に輝く。と、R‐IIは腰を中心に宙を回転した。一つ目の指を素早くR‐IIはかわす。そして、バックパックのバーニヤ、腰、肩、次々と光るバーニヤの曳光を残しながら、R‐IIは漆黒の闇を切り抜けていった。
 R‐IIを追うように視線を動かすエネミー。背後に、振り向く。
「食らえ!」
 眼前にまで迫っていた巨大ロボットの左手──その手には、シールドが取り付けられている──が突き出されてきた。シールド先端部分には、青い光の放電がある。
 とっさ、エネミーは飛び退いた。
 閃光がエネミーの立っていた場所、甲殻卵体を突く。ばちりとはじけ飛んだ光に、岩石をはるかに凌ぐと言われるその個体に、無数のヒビが走り抜けた。
「かわされた!?」
 遙の声に、一也は素早く返す。
「狙い通りだよ」
 R‐IIが、宇宙空間に飛び出したエネミーを見た。プログテールが素早く動く。闇を裂いて、その切っ先がエネミーに迫る。突き刺さったシールドから左手を離し、R‐IIはHGBライフルを両手でかまえた。
「捕まえた!!」
 闇に浮くエネミーの左肩に、プログテールの先端が突き刺さった。
 ディスプレイの向こう、エネミーが大きく口を開けて吼えあげていた。
「終わりだ!!」
 R‐IIは両手でかまえたHGBライフルを、エネミーへと向けた。背中の二枚の羽根が、再び漆黒の宇宙に広げられる。
 FCS Lock.
 一也はマニュピレーションレバーを引き絞った。
 閃光が、闇を裂いた。


 その光は、大地に立つ皆の目からも、見ることが出来た。
 青い空に、白く駆け抜けた光。
「やった!?」
 夏空を見上げながら、かなたが声を上げた。
「こちらも、終わりにするぞ」
 道徳寺が無線に向かって言った。
 見上げる空を飛んでいたヘリコプターが、空域から離脱をはじめている。「ケリをつけるてやるぞ!エネミー!!」
 眼前のエネミーの懐に、海面に白波を立たせながらR‐三が飛び込む。軽快なアクチュエーター音が響き、その拳をプロテクターが覆い隠した。輝く光。一撃を、R‐三はエネミーの腹に向けて打ち放った。
 エネミーが強く吼えあげた。
 その巨体が、宙を舞う。

 その耳に、響く電子音。

 宙を舞ったエネミーを貫く、一条の閃光。
 空からの、一撃。

 誰もが目を見開いて、夏空を見た。


「一也!?」
 聞こえたインカムからの声と、コックピットを揺らした衝撃に、一也は奥歯をかみしめた。
 HGBライフルの一撃を、エネミーは意外な方法でよけた。無重力空間において、エネミーに移動手段などありはしないというのは、浅はかな考えだった。エネミーは自らの身体の一部を吹き飛ばし、その衝撃によって、HGBライフルの一撃をかわしたのであった。
 ぴんと張りつめられたプログテールが、軋んだような気がした。とっさ、一也はR‐IIへのダメージを減らすために甲殻卵体から飛び上がり、エネミーに接近を試みた。
 だが、エネミーはそれを待っていたかのように、右手を振るい、肉の槍を放っていた。左手をかざす──シールドはなない──展開したビームシールドはいくつかの肉の槍を弾いたが、いくつかの肉の槍が、R‐IIの肩口を、足を、打ち抜いていたた。
 それが、一度目の電子音だった。
「くっ──」
 HGBライフルをエネミーに向けて、一也はかざす。
 打たせるものかとばかりに、エネミーが自らの身体の一部を爆発させて素早く動く。FCS unlocked.補助モニターに現れた文字を確認することもなく、一也はフットレバーを踏み込み、その巨体を追う。
「突っ込む!!」
 近接すれば、プログハングもある──まだ、こっちの方が有利──
 それが二度目の電子音だった。
「!?」
 何が起こったのか、よくはわからなかった。
 補助モニターに素早く視線を走らせる。
 現れた文字は──BSS system LINKed error. LINKed 56.2%
「56.2!?」
 叫びながら、一也はフットレバーを踏み込んだ。
 だが、R‐IIはそれに応えなかった──
 首筋に、いつか感じた事のあるような痛みが、走り抜けた気がした。


 そのエラーは、イーグル2に乗る遙にもわかった。
「リンクエラー!?」
 彼女は思わず声を上げ、はっとしてキーボードに手を伸ばす。そのエラーを見たのは、二回目だ。前に見たのは、二年前──R‐0で──そしてリンク値が60を切ったR‐0は──
「一也!?」
 インカムに向かって叫ぶ。「システムの再起動を──!!」視線をディスプレイに向ける。ディスプレイに映し出されているのは、R‐II、そしてそのバックパックから伸びたプログテールによってつながれているエネミー。
「なに…あれ…」
 そして三度目の電子音。
 地上にいた皆が耳にしたのと同じ電子音が、遙の耳にも届いた。


 一也の眼前にいたエネミーは、ゆっくりと両手をおろしていた。
 それが勝利を確信してのものではないと、何となく、一也にもわかった。眼前のエネミーは、人と同じ姿をしている。表情こそは無かったが、その様は、憂い──ともすれば、慈悲──に満ちたような姿に見えた。
 ずきりと走り抜けた首筋の痛みに、一也は左目を伏せた。そして右目で、それを見た。
 バックパックから伸びたプログテールが突き刺さったエネミーの身体の一部が、激しく脈動している。そしてその脈動にあわせ、R‐IIのプログテール、そしてバックパックへと伸びるケーブルもまた、震えている。
「な──」
 金属であるはずのR‐IIのパーツが、胎動するようにして打ち震えていた。
 それはまるで、生物の鼓動と同じように。連続して繋がっている部品ですらも、まるで身体の一部のように、ひとつのかたまりとして、打ち震えていたのであった。
 補助モニターは、リンクエラーの文字を点滅させ続けていた。
「BSSを再起動させ──」
 マニュピレーションレバーから手を離し、補助モニターのタッチパネルを操作しようとした一也は、はっとして目を見開いた。
 右手が、動かなかった。
「なん──」
 何が起こっているのか、よくわからない。よくはわからなかったけれど、エネミーが何かをしたのだとはわかった。プログテールを、エネミーから外す──どうやって?
 ディスプレイの向こう、エネミーが、R‐IIから視線を外していた。
 一也は、その視線の先を見た。
 ヘルメットシールドが、蒼い光に輝いた。
「ま──っ!!」
 目を見開く。
 しびれたように動かない右手が、動いた気がした。
 彼の耳にも届く、三度目の電子音。
 右手の人差し指に、確かな感覚。
 トリガーを引く。
 閃光が、大地に向けて、放たれていた。


 駆け抜けた閃光が、空気を一瞬にして膨張させた。
 爆音が、すさまじい風と共に駆け抜けていく。
 見守る皆の髪を揺らし、砂塵を巻き上げ、駆け抜けていく。
 エネミーの咆哮すらもかき消し、全ての景色を白で埋め尽くし、駆け抜けていく。


 言葉を失った皆は、駆け抜けた風が生み出した静寂の中で、その閃光が降り注いだ空を、無言のまま見あげていた。
 風の中に踊る香奈の髪の奥にあった端末が、陽光の中に光っていた。


 誰かが、何かを叫んでいた。
「R‐II、BSSシステムに別の電気信号が混入!!」
「システムのモニター値が、60を切っています!!」


 漆黒の闇の中、二枚の羽根を広げた、人型のシルエット。
 その手に握られていた銃が、高周波の音を少しずつ減衰させている。
「な──」
 ディスプレイの向こうを見つめながら、一也は言葉を飲んだ。
 指先に残る感覚。
 びりびりとしびれるような感覚が支配する身体の中、トリガーを引き絞った、確かな右手の人差し指の感覚だけが、はっきりと認識できた。
 鼓膜に──声が届く。
 いや、インカムからの声とは、明らかに違う。耳から届いて、脳で認識されているんじゃない。直接、脳に届くような声。
 愚かなる生き物──その種の名は──
 誰かの声。
 男なのか、女なのか、わからない。誰かの声。それが誰か──わかっていた。認めたくなどは、無かったけれど。
 一也は強く奥歯をかみしめた。「お前──」マニュピレーションレバーを握りしめる──が、彼のグローブはぴくりとも動かない。変わりに、ディスプレイの向こうに映るR‐IIの右手が、その光を放ったライフルのグリップが、強く握りしめられていた。
「お前が──!!」
 R‐IIの目が、ぎらりと光った。補助モニターには、文字が変わらずに光っている。BSS system LINKed error. LINKed 50.0%
 R‐IIが動く。手にしていたHGBライフルを投げ捨て、変わりにプログハングをその手に装備し、先端から迸らせた青い閃光にライフルを破壊したR‐IIが、振り向きざまにぎらりと目を輝かせ、動く。
「お前が撃ったのか!!」
 バックパックのバーニヤを輝かせ、R‐IIはそれに肉薄した。
 右腕を振るう。
 返すように、左手をかざすのは、エネミー。
 生み出された薄膜に打ち付けられたプログハングの閃光が、闇を裂いた。


       5

「一也!!」
 インカムに向かって、遙は叫び続けていた。
 しかし、インカムの向こうの一也は返さない。星が輝く宇宙の闇の中で、光が明滅を繰り返している。
 モニターには、R‐IIのリンク切れをしめす文字が光っている。しかし、眼前のディスプレイには、右手のプログハングを振りかざしながら戦う、R‐IIの姿が映っている。
 R‐IIのバーニヤが光る。
 回り込もうとするR‐IIに応えるように、エネミーが身体の一部を爆発させて間合いを取り直す。しかし、機動性が上なのはR‐IIだ。詰め寄るR‐IIの右手が振り下ろされる。エネミーはそれに薄膜で応える。
 はじける閃光。衝撃に離れる二人。
 再び体勢を立て直し、R‐IIがエネミーに迫る。
「一也!聞こえないの!!」
 インカムに向かって言う遙の声に応える一也の声はない。


 ざりっと、ノイズがその回線に一瞬、乗った。


「しゃべれるなら、なんとか言えよ!!」
 一也は叫ぶ。
 眼下に見えるその頭部めがけ、右腕を振り下ろす。視界を遮るように伸ばされてくる右手。開いた右手から生み出される薄膜に、プログハングの光がはじけた。
 小さく舌を打ち、一也は飛び退く。体勢を立て直そうとするところに、エネミーが左手から肉の槍を打ち放ってきた。バーニヤを噴出させ、素早くそれをかわす一也。狙いすましたかのように、エネミーがその一也の移動した先に飛び込んでくる。
 ビームシールド──この体勢からじゃ、間に合わない!!エネミーの腹に向け、一也は右足を伸ばした。ずんっという鈍い衝撃が、右足に走った。
「なんとか言えよ!!」
 バックパックのバーニヤをフルパワーで噴出しながら、一也はエネミーを蹴り飛ばした。そして勢いのままに、エネミーに肉薄する。
 右手を突き出す。
 エネミーの右肩に、プログハングの先端が突き刺さった。
 はじけ飛んだ肉の塊と血のようなものが、球体になって宇宙に散った。
「何故、君は私と戦う?」
 眼前のエネミーの口が動いていた。
 声が、頭に直接響いていた。
「君は、私と戦いたいのか?」


「だれ…」
 聞こえた声に、香奈は小さく呟いた。
 もちろん、誰もその問に答えられるものなど、いるわけはなかった。
「遙ちゃん!?」
 かなたが、インカムに向かって問いかけていた。「一也くんは、誰と話しているの!?」


「お前が──」
 一也は言う。真っ直ぐに前を見つめたまま。
「お前が、戦いたいんじゃないのか?」
「私の同胞はそうだったかも知れないが──私の目的は、君と戦うことではない」
 声が言う。
「私は、あの──」
 漆黒の闇の中に組み合う二人の巨神のシルエット。その向こう──
「あの、青い大地を護る事が、私の使命だ」
 青く輝く、水の惑星。


「…エネミー」
 細く呟いたのは、ベルだった。
「ただひとつ、エネミーにプログラムされたこと…」
「エネミーに言語能力があるなんて話は──」
 シゲが呟いていた。
「それに、たとえあったとしても、どうやって一也くんと会話なんか…」
「センシングフィードバックシステムが…」
 植村がノートPCのキーボードをすさまじい速さで叩きながら口にしていた。「くそ…なんでセンシングフィードバックシステムが動いてんだよ!?」
「…センシングフィードバックシステム?」
 村上の問いに、石野が呟くようにして返していた。
「BSSは本来、人と機械を双方向に繋げるシステムだ…機械からの反応を、直接脳に送ることもできる」
「どうしてそんな──!!」
 植村につかみかかろうとしたかなたを押さえて、大沢。
「R‐IIのシステムは、BSSを使って実際にチェックしてないから──BSSのスペック上にある全ての機能に対応してるんだ」
「フィードバックはカットしてたはずなのに」
「エネミーがそれを利用して──」
 はっとして呟いたシゲの台詞に、教授がゆっくりと言った。
「奴らの体内には、ナノシステムが構築されているんだったな…」
 香奈はぎゅっと目を閉じた。聞こえた誰かの声に、ぎゅっと目を閉じた。「人とエネミー…BSSが、それすらも繋げて──」


「なら──」
 一也は右手を引く。
 エネミーの肩口に突き刺さっていたプログハングを引き抜き、バーニヤを噴出させて距離を取り直す。
「どうして撃った!?あのライフルの力は、お前だって、十分にわかっていたはずだろ!!」
「だから、撃った」
 声がゆっくりと返す。
 眼前のエネミーの右肩が激しく胎動している。みるみるうちに、その傷口が修復されていく。
「私は、この青い大地を護ることが私の使命──私の同胞たちは、君たち人類と話すすべを持たなかったが、私は今、君を通して、世界中の皆にこの声を伝えることが出来ている」
「なにを──」
「君たちも、気づいているはずだ」
 はっと、一也が気後れした瞬間に──エネミーは身体の一部を爆発させて、R‐IIに真っ直ぐに迫った。
 その手が、一也の視界を覆い隠すように伸びてくる。一也は左手をかざす。生み出されたビームシールドの閃光が、闇を裂いた。だが、その光すらも裂いて、肉の槍が視界に迫った。
 声が言う。
「この青い大地の平和を護るために、一番の近道──滅ぶべき、種の名は!」
 ばちんと、何か首筋の後ろの方ではじけた。気がした。
 視界から、何もかもが消え失せた。それは、R‐IIの頭部がやられたからだろう。いつの間にか、ディスプレイではなく、一也は自分の視界の中でエネミーを見ていた事に気がついた。
 落ち着け──真っ暗な空間の中、ぼんやりと光る光がある。補助モニターがまだ生きてる。
 右手の握りを確かめる。衝撃に揺れるコックピットの中、一也は、右手を突き出しながら叫んだ。
「言いたいことがあるなら、はっきり言えよ!!」
 確かな衝撃が右手に走った。
 闇に、エネミーの左腕が吹き飛んだ。
「滅ぶべき種──それは、人だ」


 エネミーの身体が激しく脈動をはじめていた。
 補助モニターが警告を発している。
「この大地に寄生し、この大地に争いをもたらし、そして蝕む」
 エネミーの身体に突き刺さったプログテールが、激しく脈動している。そしてその脈動は、R‐IIの身体にまで伝播し始めている。
「正義という言葉に、己らの欲望をすり替え、科学を武器に、全ての生物の生き死にすらも、その力で、コントロールしたつもりでいる」
 首筋を襲う痛みに片目を伏せながらも、一也は返す。
「それは、自分の事を言ってるのか!」
「人類によって生み出された私の命もまた命ならば、全ての生物の命には、人の命も含まれる」
 R‐IIが、一也の意志に反して動いた。
「君も気づいているはずだ!」
 背中の二枚の羽根が、漆黒の闇の中に広げられていた。
 FCS lock.
 Change STANDBY Mode.
 R‐IIの右手が動く。その手が、バックパックから延びた巨大なランチャーのグリップを掴む。その感触に、はっと目を見開いた一也の耳に、電子音が鳴り響く。
「争いを生み出す人類に、その英知に、欲望の産物などに──正義はない!!」
 その電子音は、最終安全装置が解除されたことを告げる電子音だった。
「ツイン・テラ・ランチャー!?」
 補助モニターに映るエネルギーゲージの色が、青から赤に変わっていた。そしてそのゲージの横にしめされた数値が、めざましい勢いで上昇をはじめていた。
「繰り返す歴史の中、人類は、進化を続けてきたか!?」
 FCSが捕らえた目標が、再スキャンによって拡大される。
 はるか宇宙の向こう、小さな光。
「昨日の過ちを今日には忘れ、何事も無かったかのように生きている!」
 人工衛星だと、一也にもわかった。それがカッシーニだと、一也にもわかった。二十億人分の致死量に相当するプルトニウムが積まれているという、木製探査機だと、一也にもわかった。
「この先、人に未来は、果たしてあるか!?」


「セカンドツインテラシステム起動!?」
 ノートPCの液晶に映し出された情報を見て、かなたが叫んだ。
「目標──木製探査機、カッシーニ!?」
「いかん!!」
 叫び、教授は夏空を見上げた。このはるか上空で何が起こっているのか、ここからではわからない。わからないが──「カッシーニを打ち落とすつもりか!?」
「緊急停止信号を送れ!!」
「受け付けません!!」
 エンターキーを叩きつけながら、かなた。「それに──」言う。
「光路上に、イーグル2が──!」
「なっ!?」


 星が輝く漆黒の空間の中、赤い二枚の羽根。
 そしてそのシルエットに重なるように、もう一つの影。握りしめられた右手の巨大なライフルの銃口が、星の光をかき消すほどに強く輝いている。
「心弱き人類に、正義は行えない。強き力を手に入れた人類に、この大地は護れない。矛盾した真実を前に、互いの真理を求めて争い、その根本を見失う──そしてまた、繰り返す──」
 聞こえる声に、一也は強く奥歯をかみしめた。動かない──自分には、何もできない──指をくわえて、この世紀の終わりを見つめることしか出来ない──
「愚かなる人への、最後の救済──そして、この大地を護るために、ただひとつ、人にとって、可能なこと」
「それが、滅び?」
 インカムに、遙の声が響いた。はっとして一也は補助モニターを見た。「ずいぶん、自分勝手な言い分じゃない」「遙!?」
 ツイン・テラ・ランチャーの光路上に、イーグル2があった。
「バカ!!さがれよ!!」
「あ、一也、生きてたか。よかったよかった」
「さがれ!もう90%を越えてる!!死ぬぞ!!」
「そりゃ、出来ない相談でしょうよ」
 軽く笑う風な遙の声が聞こえてきた。「あんた、バカぁ?」
「ここでどいたら、今までの私たちがしてきたことって、なんだったのよ」
 遙はそっと、キーボードに手を伸ばした。イーグル2にも、大気圏突入、そして対エネミー用にビームシールドが装備されている。これでツイン・テラ・ランチャーの一撃を受け止められるはずは無いけれど──光路を逸らすくらいなら出来るかもしれない──
「遙!!退け!!」
「いやぁ、あたしゃ、ヒロインだからよ」
 軽く笑う風にして遙は言う。視界の隅の、震える右手を見ない。「それに、ソイツに私の声が聞こえてるなら、聞きたいしね」
「争いを生み出す人類に、その英知に、欲望の産物に正義なんか行えないってんなら──あんたどうなんだ」
 視界の向こうに、星の終わりを告げるような輝きがあった。
 その光が、今まさに打ち放たれようとしていた。


「さがれ!そして伏せていろ!!」
 海面を激しくゆらし、R‐三が腰だめに身構えた。
 クワントの声とそして、R‐三のバックパックから伸びた巨大なランチャー──R‐三の右手に確かに握られた巨大なランチャー──ツイン・テラ・ランチャー──が生み出す高周波の音が、空気を裂いた。
 金色の身体が激しく輝く。生み出される熱に、空気が揺らぐ。
 銃口が、天を差す。
「間にあえ!!」
 高周波の音が、人の可聴域を突き抜けて高鳴る。


「一也?」
 遙の笑うような声が届いた。
「約束だからね…」


「ちゃんと泣けよ?」


 光の奔流が、宇宙を突き抜けた。


       6

 駆け抜けた光の奔流が、二本あった。
 しかしそれは、固く目を閉じた一也にも、遙にも、見えてはいなかった。
 二人のコックピットに、強い衝撃が走り抜けた。
「遙ッ!!」
 一也は、力の限りに叫んだ。
 その耳に、電子音が響く。
 コックピットが揺れる。はっと目を見開く。
 滲む視界の向こう、蒼い大地。左手が、何かを掴む。「な──」それは、もう一本のツイン・テラ・ランチャーだった。
「撃つ気か!?」
 耳に届いた警告音に、遙は目を開けた。
 エネルギー切れを知らせる警告音に、遙は言葉を紡ぎ出せない。補助モニターの前には、震える右手があった。
 モニターには、見たこともない警告が次々と表示されている。イーグル2の各部状況を伝える電子図には、赤い文字がたくさん光っている。
「ど──生きて…る?」
 なんとか呟き、遙は視線を眼前のディスプレイに向けた。
 交錯した二本の光が、ゆっくりと消えようとしていた。そしてその向こう、左手に握りしめたランチャーを大地に向ける影があった。
「一也!!」
 遙は叫ぶ。
 しかし、その声は届かない。


「やったか!?」
 天を打ち抜いた光が、風にかき消えていくその様を見上げながら、教授。
「どうなった!?」
 ノートPCの画面を見つめるかなたに一瞬だけ視線を送って言う。「は…はいっ」彼女は急いでキーボードを叩こうとするが、焦ってか、うまく叩けない。「手ぇ、どけろ!!」彼女の背中の向こうから手を伸ばした植村が、素早くキーを叩いた。
 エンターキーを叩く。
 かなたがそこに現れた情報を、皆に伝えた。
「R‐IIのツイン・テラ・ランチャーの光路を、R‐三のツイン・テラ・ランチャーが干渉しました!軌道変更に成功!!」
「カッシーニは!?」
「健在っス!!」
 植村はキーを叩き続ける。
「イーグル2損傷チェックプログラム、エラーコード0で停止。チェック不能な損傷レベル。衝撃に等速運動──まずい!重力にかかる!?」
「植村!R‐IIが!!」
 イーグル2の管制プログラムの起動を試みようとした植村の手を、かなたが止めた。「リチャージしてる!!」
「道徳寺さん!」
 叫んだ植村に、大沢が続いた。
「もう一発いけますか!?」
「バカな!?」
 返したのは道徳寺ではなく、春日井だ。
「いくらR‐三の放熱システムが全身をくまなく使っているとは言え、そんな連続でツイン・テラ・ランチャーを撃つことなど──!?」
「いけるな、クワント大尉」
 道徳寺の声に、応えるように、R‐三の金色の身体が再び輝きだした。
 右脇の下から伸びたランチャーで天を真っ直ぐに見据えながら、その高鳴る音の中、彼は言った。
「──撃つのか?」


「よせ!!」
 めざましい勢いで上昇を続けるゲージから視線を外し、一也は叫んだ。「なんでだよ!」
「なんでなんだよ!?」
 チャージ完了を告げる長い電子音が、その耳に届いた。
「これが、お前の言う、正義なのかよ!?」
 再び生み出された光が、蒼い大地をに向けて迸る。


「レフトサイド・ツイン・テラ・ランチャー発射!!」
「チィ!!」
 クワントは舌を打った。意を決し、小さく頷く。
 その眼前、先に降り注いだ閃光に打ち抜かれたはずのエネミーが、海面からすさまじい勢いで飛びかかってきた。「なにっ!?」
 両手でツイン・テラ・ランチャーを握りしめていたR‐三は、その一撃に応じる事が出来なかった。エネミーがR‐三を押し倒す。発熱する巨体が、海に倒れ込む。白い蒸気が、一瞬にして辺りに立ちこめた。
「おのれ──!」
 勝ち誇ったように、エネミーが吼えあげる。「だが、この方が好都合だ!!」両手に握りしめたツイン・テラ・ランチャーの銃口は、真っ直ぐに天を向いたままだ。
 その天から、真っ直ぐに降り注いでくる、光。
「やらせはせんよ!!」
 R‐三はエネミーの巨体を、力の限りに蹴り上げた。光が巨体に隠れ、見えなくなる。クワントはその瞬間に合わせ、トリガーを引き絞った。
 ぶつかりあった二つの光が、空ではじけた。
 それは、地上に残った最後のエネミーの咆哮すらもかき消して、世界中を駆け抜けた。
 真昼にも、確かに人々の目に焼き付く流星となって、世界を駆け抜けた。
 生まれ出た光と風に、雲は全てかき消された。
 高周波の音が減衰していく。
「くっ──」
 クワントは浸水を告げる警告音を耳にしながら、雲の全てが消えた空の向こう──はるかな宇宙を見つめていた。


「この大地に、そもそも正義などというものは存在しない」
 声が言う。「そして、私もまた、自分のしている事が正しいとも、思ってはいない」
「私は、愚かなる人が産み落とした命。人類の英知、欲望の産物である私に、正義などない事はわかっている」
 声をインカムの向こうに聞きながら、クワントは口許を弛ませた。
「──言い切ったな」
 声はゆっくりと続けた。
「私は、人類を終焉へと導く。少なくとも、それは、この大地を護ることに他ならない」
 右手に握られたランチャーの銃口が、再び光を宿す。
「人に正義など、ない。その大地にしがみつき、蝕むだけの人類に。故に、人類は私と共に──」
「ム──!」
 補助モニターがはるか空の彼方に収束するエネルギーの存在を告げている。
 クワントはマニュピレーションレバーを握り直した。アクチュエーター音が高鳴る。再び、R‐三が海の上に立つ。
 握りしめたランチャーを、再び天に向けてかざす。
 金色の身体が輝く。その身体を、霧のヴェールが包み込む。
「無理だ!クワント!!」
 叫ぶ春日井の視界の中、R‐三の間接から、火花が飛び散っていた。
「撃つな!!もたんぞっ!!」
 高周波の音が、人の可聴域を突き抜けて高鳴る。
 見据えるはるか宇宙の彼方、収束したエネルギーが、大地に向けて再び打ち放たれる。
 それに向け、トリガーを引き絞りながら、クワントは叫んだ。
「これ以上、撃たせてなるものか!!」
 光が再びはじけ飛ぶ。
「く──っ!!」
 しかし、空から降り注いだ閃光の方が、R‐三の放った一撃を凌いでいた。クワントは片目を伏せた。はじけた光のいくつかが、大地を撃った。
 誰かの悲鳴が、巻き起こる爆音にかき消された。
 金色の装甲が宙に舞う。
 光の中、その足が大地を失う。
 光の中、その左手が、肩から先が、姿を消す。
 しかし、光の向こうから、声が届く。
「まだだ!まだ終わらんよ!」
 再び、その身体が金色に輝く。


「一也!?」
 爆発に巻き込まれ、はじき飛ばされた皆の耳に、彼女の声が届いた。
 教授は頭を振りながら、ゆっくりと身体を起こす。その視界の向こう「一也!?聞こえないの!?」植村がしていたインカムを手に、叫ぶ香奈の姿があった。
「一也!?」
 声が言う。
「まだ、あらがうか──力無く、正義を求めながらも、力を得れば、正義を見失う、人が」
「…やめろよ」
 R‐IIのコックピット。
 今となっては、ただの飾りとなっただけのその場所で、一也は声に向かって、小さく呟いた。右手が握るグリップの感覚と、左手が握るグリップの感覚に、一也は小さく呟いた。
「お前なんかが、知った風に、正義を語るなよ…」
 ヘルメットシールドの向こう──霞んだ蒼い惑星が見える。
「一也!聞こえる!?」
 香奈はインカムに向かって叫び続けていた。
 しかし、その声は、彼の耳に届かない。
「この世界は、護るべき価値があるか──」
 声が言う。
 その台詞に、一也ははっと目を見開いた。
「この戦いは、これで終わる──」
 R‐IIの、二枚の翼が広げられた。
「一也!!聞こえたら返事して!!」
 R‐IIが両手で、二本のツイン・テラ・ランチャーを構えていた。
 二枚の翼が、漆黒の闇の中にその羽根を伸ばす。赤く揺れる光に、力が二つの銃口に収束していく。「君の求める答えは、君自身も気づいている。すべての人もまた、気づいている──だが──」
「認めたくないだけだ」
「撃たないで!!」
 届かない、香奈の声。
「これで終わりだ──」
「そんな決定権が、お前にあるのか!」
 R‐三は最後の一撃に向け、ツイン・テラ・ランチャーを天にかざす。


「一也っ!!」
 彼女の声が届いた。
 耳に届いた声に、彼は彼女を見た。


 ね。
 私たち、なんで戦うんだろうね?傷ついて、傷つけられて、それでも戦う。なんでだろうね。

 なんでって──

 命を賭けて戦って、それで何が手にはいるわけでもないかも知れないのに──正義を信じて戦う──
 正義って──

 なんだったっけ?


 彼は、強く奥歯をかみしめた。そしてそれよりも強く、強く、手を握りしめた。
 動いてくれ──動いてくれ!!
 今、俺たちは見せてやらなきゃならないんだ!
「お前なんかが──!」
 伝えてくれればいい。BSS──今、この瞬間だけでいい。たとえそれがこの先の未来に希望を生むことが無くてもいい。今、この瞬間の俺を、一秒先の俺が見つめる過去の俺を、胸を張って誇れるように──俺が正しいと思うことを──「お前なんかが──正義なんかないなんて言うような、お前なんかに──」
 銃口に、光が収束する。
 ──もう、誰も…
 同じ思いはさせない。
「この世界、終わらせる権利なんかないっ!!」
 R‐IIの目が、ぎらりと光った。
 彼の意志に応えるように、それが動いた。


 星の終わりを告げるほどの輝きと共に、閃光が迸った。
 蒼い惑星に向けて落ちる、一条の閃光。
 そしてその大地からは、その光にあらがう光。

 二つは、空ではじけた。
 光が駆け抜けていく。
 蒼い惑星の、その青い空を、光が駆け抜けていく。
 そして響いた音は──惑星の嘆きのように、世界を打ち震るわせた。


 金色の巨神の身体が、ゆっくりと海に崩れ落ちた。
 輝くように発熱するその金属の身体を打つ波が、瞬時に蒸発し、けたたましい音を立てている。立ち上る蒸気と熱気。
「大空!?」
 教授が叫んだ。
「クワントだ!」
 声が返ってくる。
 コックピットの中、割れたサングラスの奥で、彼ははるかな宇宙を見上げたまま言った。「R‐IIの撃ったツイン・テラは、不完全だった!」
「R‐三の光が、押し返していた!!」
「一也!?」
 香奈がインカムに向かって叫んでいた。
「返事をして!!」


「──何故だ」
 ぼやけた思考の中に、声が聞こえた。
「答えなんか、ない」
 一也は弱く返す。
 補助モニターが警告を発している。ばちりと、何かがショートするような音が、聞こえたような気がした。
「何故──」
 エネミーはゆっくりと、振り返りながら言った。
「身を挺してまで、戦う?」
 R‐IIの身体の至る所から、火花のようなものが散っていた。既に、R‐IIの足は吹き飛ばされていた。腕も、片腕をなくしている。そして、もう方の手が握るランチャー、その高周波の音が、ゆっくりと減衰していく。
 銃口の向こう、蒼い惑星とR‐IIとの間には、いびつにゆがみ、ところどころにひびの入った光の壁があった。
「理由なんて、ない」
 一也は弱く言う。
 その光の壁を生み出していたのは、エネミーとR‐IIとを繋げるプログテールの先端だった。それは、人を越えたエネミーの力──超硬化薄膜。
「ただ──」
 光がゆっくりと消えていく。
「俺はこれが、正しいと思った」
 R‐IIがツイン・テラ・ランチャーを放つ瞬間、一也はエネルギーの全てを使い、超硬化薄膜を張っていた。打ち放たれた光は、その壁を前に減衰し、威力を無くしていたのだった。
 無論、一也にも、それはそのまま自分に返ってくることはわかっていた。R‐三が宇宙に向けて放った光と、その双方が、自分を打ち抜くことはわかっていた。
「死をも、いとわないと言うのか」
 声が聞く。
「死ぬことは、怖い」
 一也は光の消えたコックピットで、そっと目を伏せると、呟くようにして言った。「命を賭けて戦うなんてことは、嫌だ。死ぬのは、嫌だ」
 それは、本当だ。
「正義なんか、僕にもわからない──この世界に護るべき価値があるかなんて、わからない」
 それも、本当だ。「でも──」
「でも──」
 一也はその後に言葉を続けた。
「あの瞬間の俺を、僕は今、誇りに思う」
 そして目を開き小さく頷くと、光の消えたコックピットで、彼は強くフットレバーを踏み込んだ。
「それだけで、十分だ!」
 補助モニターが、その位置を教えてくれている。
 R‐IIのバーニヤが光る。一也の意志に応えたR‐IIが、宇宙を駆け抜ける。
 何を──!?
 頭に響く声をかき消すように、一也はインカムに向かって叫んだ。
「遙っ!」
 加速するR‐II。その装甲が、バーニヤの力に引き剥がされていく。
 満身創痍のその身体で、いくつかのバーニヤが爆発していることを、補助モニターが告げていた。鳴り響く電子音が耳に届く。
 しかし、それを振り切るように、一也はフットレバーを深く深く、踏み込んだ。
 補助モニターが告げる位置がぐらついている。真っ直ぐに飛んでいるはずなのに、真っ直ぐに飛べていない。すぐにたどり着けるはずの距離が、縮まらない。
 重力にかかる──!?
 聞こえた声。
 次の瞬間、その身体を襲った衝撃に、一也は片目を伏せた。何処かのパーツが飛んだ。バーニヤのいくつかが、はじけ飛ぶ音がした。
 それでも──
「遙っ!!」
 決して閉じることをしなかったもう片の目で、彼は引力に引かれていく彼女に向かって手を伸ばした。
 その手が──彼女の翼を掴んだ。


「…ねぇ」
 インカムに、声が聞こえてきた。
 重力に引かれるその翼を掴んだまま、R‐IIはイーグル2の下へと回り込んだ。そして、なんとか形を残す片方の手で、コックピットをまもるように、胸に抱く。
「ね、正直、言っていい?」
 遙の声が、一也の耳に届いていた。
「──なんだよ」
 鳴り続ける警告音がうるさくて、一也は補助モニターに繋がっていたケーブルを引き抜いた。ふっと、補助モニターから光が消えた。しんとした真っ暗なコックピットの中、騒音のような何かの音に紛れて、遙の声が聞こえてくる。
「ちょっと──」
「ちょっと、なに?」
「泣きそうなカンジに、うれしいかも…」
「──ああ、バカか」
 聞こえた声に、遙は曖昧に微笑んだ。曖昧にしか、微笑むことが出来なかった。
 警告音が鳴り響いている。映し出されたディスプレイは、イーグル2の損傷状況、そして現在の状況を告げている。「あ、尾翼、折れた…」「R‐IIは、とっくの昔に足がない」「進入角度がありすぎるってさ。軌道を修正してくださいだって」「どうやって?」
 真っ暗なコックピットの中、いつものやりとりに軽く微笑んで、一也はそっと目を伏せた。
 アクチュエーターが、弱く動く。
 腕の中に彼女を引き寄せるように、弱く動く。
「なぁ…エネミー」
 瞳を閉じたまま、彼は言った。
「さすがに、この角度で大気圏に入ったら、お前ももたないだろ?」
 声は、聞こえてはこなかった。
 変わりに、遙の声が返してきた。
「エネミーと心中…それは、嫌ね…」
「それは…嫌だなぁ」
 笑うようにして言った一也の声に、遙も細く笑う。
 そして──
 沈黙。
 引力に引かれて、落ちていくその速度が、少しずつ加速して行くのがわかる。
「ねぇ…」
 遙が、沈黙を破るようにして言った。
「あと、九○秒で大気圏に入っちゃうから──大気圏入ったら、通信途切れちゃうから──今、聞いとく」
「なにを?」
「──後悔してない?」
「なんで?」
 いつもと同じ調子で聞き返した一也に、遙は何も言えなくなって──ぎゅっと目を閉じた。次の言葉を続けようと、軽口で続けようとするけれど、その震える淡紅色の唇から、言葉が紡ぎ出せない。
「なら──いい」
 なんとか、小さく呟く。
 その身体が、小さく揺れた。
「遙は──」
 引き寄せる腕。
「何いってんのよ、あんた…」
「なら、いいや」
 軽く笑うように、一也は返した。
「この先の未来を選んださっきの俺も、その言葉聞いて、安心してる」
「バカ…」
 そっと、遙もまた瞳を閉じて笑って──「でも、一也…それはこの状況だからかもしれないけど──」
「とっても素敵な、口説き文句ね…」
 その言葉は、駆け抜けた衝撃と共に巻き起こったノイズに、かき消された。


 1999年、7月。
 真っ青な空が広がっていた。

 夏の到来を感じさせる青い空。まるで、青一色で塗り尽くしたキャンバスのように澄み渡った空。
 見渡す限りに延々と広がっていたその夏空をわって、わずかな雲を突き抜けて、流星が流れて行く。
 大地に向かって真っ直ぐに落ちる白い流星の軌跡。

 強く駆け抜けていく風の中──

 流星が流れていく。


                                   つづく


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