studio Odyssey


2nd Millennium END. 第12部




 スチール机の上に息を吹きかけると、砂とゴミとが混じりあったほこりが宙に舞った。
 その白い塊に顔をしかめさせ、平田教授はぼやく。
「さすがに二年以上も使ってないと、こうなるか」
「まずは、お掃除ですかね」
 汚いけれど、その懐かしい部屋を見回して、吉田 香奈。今にも腕まくりをしそうな勢いで言う。
「掃除用具は給湯室の奥にまだ置きっぱなしなのかな」
「どうだろう?」
 やる気満々の香奈に苦笑を返すのは中野 茂──通称、シゲ。
「あ、ハンガーの方、光が入ったみたいだ」
 その声に、吉田 一也は階下のハンガーに視線を送った。送って、その部屋から外に出る。廊下の向こうには柵があって、その向こうは階下まで見下ろせる、吹き抜けになっている。
 村上 遙がゆっくりとその隣へ歩み寄ってくる。
 眼下、ハンガーに、あの頃見ていたのと同じように整備員たちが控室から駆け出してくる。懐かしい顔ぶれの一番最後に、植木こと、おやっさんの姿がある。
 白髪の数が増えた風に見えるおやっさんは、控え室から出たところで、二階、作戦本部前の廊下から自分たちを見下ろす二人の姿を認めた。認めて、作業着の襟を正し、帽子を深くかぶり直して──誰からも見えないように少しだけ笑って──ハンガー中に響き渡る声で言った。
「さあ、おめぇら!今世紀最後の大仕事だ!!Nec復活を喜んでネェで、きっちり仕事しやがれよ!!」
 ハンガー中に散らばった、懐かしい整備員たちの口から、声が挙がる。
「うぃす!!」
 響き渡る声に、一也は隣の遙と目を合わせて──吹き出す。



   新世機動戦記 R‐0 2nd Millennium END.
                         第12部




       1

「さて、それじゃ、作戦の確認といこうか」
 ハンガー。
 整備員たちが巨大な万能輸送機イーグルと、そしてその後継機イーグル2。R‐IIの整備を続けているその奥。いつもの即席会議室──要するにホワイトボード前──で、教授はホワイトボードマーカーを持ったままの手を、薄汚れた白衣の中に突っ込んで言った。
「我々がしなければならないことは、簡単なことだ」
「簡単って…」
 一也は苦笑いに呟くが、後ろで話を聞いていただけのルポライター、小沢 直樹が苦笑いを返しただけで、他の誰も聞いてはいなかった。
 教授は続ける。
「宇宙にまだ一体だけ残っているエネミー甲殻卵体が、ボトンジャンプで加速しようとするカッシーニの軌道上にいる」
 と、ホワイトボードを見る。書かれているのは、球とその周りをくるりと囲む線ともう一つの楕円の線。交わる場所にバツ印。
「このふたつが、もしも衝突することがあれは──」
 白衣のポケットから手を出し、「どかーん。だ」などと言いながら、バツ印をぐりぐりと塗りつぶす。
「要は、我々はこれを阻止しなければならない。と言うわけだ。簡単な事だろう」
「話だけでいうと」
 一也。
「でも、宇宙ですよ?」
「怖じ気づいたか、一也くん!」
 びしりと教授は一也の鼻先に指を突きつける。
「いや…普通、宇宙飛行士っていうのは、何ヶ月も訓練するものでしょ?」
「一也くんは巨大ロボットに乗って何年だ?」
「え…?」
 質問の意味がわからなかったが、とりあえず、返す。
「二年…ちょっと?」
「じゃ、平気だ」
「何が?」
 うんうんと頷く教授とシゲに一也は目を丸くする。
「聞くだけ野暮だったね」
 小沢。
「でも、気になるのは地上にまだもう一体いるエネミーなんですけど?」
 肩の位置にまで手を挙げた遙が言う。
「宇宙のエネミーの方が重大だっていうのはわかるんですけど、地上のエネミーをほっておくわけにもいかないんじゃないですか?」
「それに付いては、Necの仕事ではない」
 軽く頷いて、教授。「村上さんに、その辺は頼んである」
「頼まれたからと、どうなるものでもないかも知れないがな」
 苦笑いに返すのは、元首相、村上 俊平。
 一歩前へと歩み出し、即席会議室を取り囲む皆に向かって、言う。
「明日一番の報道で、この宇宙に残る最後の一体のエネミーのことが世界中に報道される。R‐II、およびNecの面々は、この討伐に乗り出すとも、同時に報道される。地上に残るもう一体は、米軍に協力を要請するという形を取り──」
「取引ですか?」
 楽しそうに言うのは小沢。遙と同じく、ちょっと手を挙げてみて、言う。
「取引とは、人聞きが悪い」
「世論は我々の味方だ」
 ぽんっとホワイトボードマーカーのキャップを取り付けながら、教授。にやりと笑う。
「あの自信は、どこからくるんでしょうね?」
 耳打ちする遙に、
「根拠のないところから」
 返す一也。
「では、タイムスケジュールです」
 と、ホワイトボードの脇に控えていたT大学、脳内情報処理研究室の紅一点、桐島 かなたがA4レポートを皆に配り始める。そのさらに隣にいた研究生、大沢 一成がタイムスケジュールを説明していく。
「イーグル2、およびイーグルの二機を用いた大気圏離脱型システムは、明朝五時に完了予定で、問題ないですね?」
「問題なし」
 シゲ。
「あるとすれば、システムプログラム」
 ちらりとシゲが見る先にいるのは、研究生、植村 雄。
「問題、アリアリ」
「どんな?」
「睡眠時間がありません」
「そんなの知りません」
 大沢。きっぱり。
「R‐IIの0G装備への換装と、最終コーティングは、午前九時完了予定」
「つぅか、俺の話、無視ですかッ!?」
「合体は男のロマンだぞ」
 とは、教授。
 植村、たまらず、
「いや、意味わかんないです」
 言うけれど、
「で、R‐IIの0G装備に付いては、この時間で問題ないね?」
「はい、質問です」
「はい、植村くん」
「やっぱり、寝る時間がありません」
「そんなの知りません」
 ぱたんと大沢はレポートを閉じた。「あとは各自で目を通して、タイムスケジュールを把握しておいてください」
「以上、解散!」
「ちょっ…教授!問題は何も解決してないです!」
「はい解散、はい、かいさーん」
 ホワイトボード前にいた皆を、かなたが手で追い払うような仕草をしながら言う。「特にパイロットの二人は早めに寝て、明日に備えてね」
「俺の睡眠時間はどうするの!?」
「うるさいなぁ。これが終わったら、死ぬまでだって寝ていていいから」
「確かに」
「違うだろ!」
 かなたに背中を押されながら、聞こえてきた研究生たちの会話に、一也と遙は目を見合わせた。
 そして二人、また、なんとなく笑う。


       2

 夏の夜が過ぎていく。
 海からの風に乗る潮の香り。吹く風に揺れる髪を片手で押さえつけ、漆黒の海の向こうに光る街明かりを見つめている遙。
 不意に聞こえた、ハンガーの外、非常階段を上がってくる足音に、片手を欄干から離して振り向く。ゆっくりと階段を上がってくる、誰かの姿。
「何してんの?」
 軽い物言いに、笑う。
「あんたこそ、何してんの?さっさと寝ないでいいわけ?」
「そのまま返す」
 軽く笑って、一也は遙が立つ非常階段の踊り場に腰を下ろした。
「なんか、眠くない」
 先に言ったのは遙だ。
「同感」
 一也が続く。
「なんか、昔を思い出す──っても、たった二年前のことだけど」
「あの夏の時も、こんなんだったっけ?」
「違ったかも」
 二年前の夏。夏休み。
 ふたり、新宿に降下したエネミーと戦うため、一夜を市ヶ谷の駐屯地で明かした夜のことを何となく話す。そういえば、みんなで花火をやったっけ?
 そうそう、明かりの消えた新宿の街を、歌いながら歩いたじゃん。
 このまま、夜が続けばいいのにとかって──
 二年前のことだけど──
「なんとなく、今と似てる気がする」
 ぽつりと、遙。眼前には海の向こうの、横浜の街明かり。
「どうだろ」
 一也も見るとはなしに、夜景に視線を送る。
 ふたり、なんとなく、無言。
 潮騒の音が流れていく。その中に、遙のちいさな声。
「怖い?」
「…何が?」
「…一也、言ったじゃない。怖いって」
「言ったっけ?」
「言った」
「覚えてない」
「一也のお父さん、ホテルにきたときとか、それ以外でも、何度か、言ったことある気がする」
「…あんまり覚えてないな」
「そう」
 吹く風に揺れる髪をそっと遙は押さえつけて、
「今でも、怖い?」
 聞く。
「私は、ちょっと、怖い」
「へぇ」
 一也は少し笑った。気づいた遙が、むくれたように言う。「なによぅ」
「私だってね、か弱い乙女なワケよ」
「乙女って歳でもないでしょ」
「乙女よ」
 笑う。
「でも──なんだろ。義務感なんかじゃなくて──怖いけど、いやじゃない」
「ふぅん…」
 気のない風に答えて、一也は遙の横顔を見た。闇の向こうに輝く街明かりを映す瞳は、少しだけ細められてはいたけれど、つらい、苦しい、そんな風には見えなかった。
 遙はゆっくりと目を伏せて、呟く。「なんだろ──」
「今、こうしてここにいる自分が、イヤじゃない」
「…そう」
「一也は?」
「なにが?」
「怖くない?」
「…どうだろう」
 軽く一也は笑った。そして答えを返そうと顔を上げて──不意に、二人を呼ぶ声が聞こえた。
 階段のずっと下、ハンガーの資材搬入路の方から、誰かが非常階段の上の二人向かって、声をかけていた。大声で。「遙ぁーっ!一也くーん!」
 気づいた遙が視線を送る。送って、「おーっす」と片手で返す。一也も身体を動かして階段下を見た。
「何してんのー?」
 彼女が言う。
「こっちの台詞」
 遙は返す。
 彼女たちは笑った。そして手に持っていたコンビニ袋をちょいと、掲げて見せた。「花火」笑う佐藤 睦美。その隣には神部 恭子の姿。そして吉原 真一。松本 詩織の姿。
「やっぱし、夏は花火やらないと、おわんないじゃん」
 睦美が笑っていた。
 顔を見合わせて、遙と一也は笑う。
「だね」
 遙が先に駆け出した。
 一也は少しの苦笑いに頭を掻いて、遙の後ろを追った。遙が笑いながら友達の睦美と恭子の輪の中に入っていく。歩き出す輪に、吉原が付いていく。ちらっと、一也のことを見て。
 詩織がひとり、そこに残されていた。一也はそっと彼女に歩み寄る。「ごめんね」詩織が小さく言った。
「センパイたちに、話しちゃった」
「何を?」
 先に行くみんなの背中を追いながら話す。
「知ってると思ってたから。一也くんたち、宇宙に行くって話」
「あ…それ、本当は明日の朝イチの報道で流れるニュースなんだ。本当は、国家機密」
「ごめん。知ってると思っちゃって…」
「別にいいよ」
 よく見れば、睦美と恭子は片手に大きなコンビニ袋を持っていた。そしてその後ろに続く吉原は、両手に3袋もの大きなコンビニ袋を持っている。
「センパイたち、『なんでそういうこと、早く言わないのっ』って言って…」
「それで、アレね」
 苦笑い。「また、盛大にやってやろっうて感じか」
「二年前も、そうだったじゃない」
 詩織は小さく笑った。
「あの夏の新宿で」
 先を行く遙と睦美が、笑いあいながら、踊るような足取りで夏の夜を歩いてる。優しく吹く潮風に乗った潮の香りに、鼻歌を乗せて。
 ふたり、同じフレーズをユニゾンしていたかと思うと、ぴたりと同じところでその鼻歌をとめて、「私、ここから先知らない」「私も」なんて言って、けらけら。
 一也は笑う。
「あのね、一也…くん」
「ん?」
「センパイたちに、話しちゃったんだ」
「ああ、いいよ。どうせ何時かはわかることだし」
「うん。そうだけど、そうじゃなくて…今日、あったこと、全部ね」
 少しうつむいて、詩織は言う。横目でそのつむじを見ていた一也は、小さく、「…そっか」とだけ返した。
「うん」
 詩織が小さく頷く。「そしたら、睦美センパイ、『よっし。ヤッパ行くぞ』って」
「…らしいや」
 一也は小さく呟いて笑った。
「──本当は、ちょっと怖かったんだけど…」
 詩織はうつむきがちに小さく続けた。
「『お友達』にって言ったって、ね。そんなに簡単にうまくいくはずないって思うし、会って、またちゃんと話せて、『友達』としてちゃんと話すことが出来るかって、本当は怖かったんだ。けど──」
「…うん」
「睦美センパイがね、『そういうのは、たたみかけるようにやってけば、問題ないことなのだよ』とかって言って、ちょっと強引かなって、思ったんだけど──けど、やっぱりなんていうかね──」
「うん」
 息を軽く弾ませる風にして言って、一也は詩織の肩を軽く叩いた。
「怖いか、怖くないかって言えば、俺も怖い」
 詩織が顔を上げた。横顔があった。
「あの時も、ちょっと前の毎日も、今も。そしてたぶん、明日も」
 詩織のひとつの瞬きの間に、一也は息を大きく吸った。「遙!!」
 先を行っていた遙が立ち止まった。隣にいた睦美も立ち止まった。そして、振り返った。
 遙、睦美、恭子、吉原とそして見つめる詩織。細く、微笑む。
「さっきの話」
 一也は言う。ちらりと、詩織のことを一瞬だけ見て。「二年前のあの夏と、同じだよ」
「けど──」
 短く、一言だけ。
 照れ笑いをごまかすように、鼻の頭を掻く。
 ちょっとの沈黙。言葉の意味がよくわからなくて、遙の横顔を睦美は盗み見た。
「そ」
 潮騒の音がかすかに響く夜の中に、遙の声。
「ああ」
 まっすぐに返す一也を見つめて、詩織も弱く微笑む。
 遙は小さく頷いた。頷いて、風に踊る茶色の髪をかき上げて、言った。
 笑って。
「さぁ、花火大会の開始だっ!」
 夏の夜に、皆の返す声が響いた。


「暑い…」
 と呟いて、植村は顔を上げた。
「このハンガー、空調ねェのかよ…」
 膝の上にはノートパソコンが置かれている。当然、この夏の蒸し暑い夜のくせに、ちゃんとCPUもHDもたいそうな熱を放ってくれている。植村は恨めしそうにそいつを膝の上から持ち上げてみたが、結局その姿勢ではキーボードがたたけない。
「…くそぅ」
「文句があるなら、さくっとあげて、クーラーのきいた部屋で寝れば?」
 レポートで彼の頭を軽くはたいて言ったのはかなただ。「いてっ」と、痛くもないのに反射的に言う植村。
 ついでに、文句。
「つったって、このクソ暑いのに、ハンガーの中で液晶ずっと眺めてるんだぜ?文句くらい、言わせろよ」
「じゃ、ちょっとくらい外で涼んでくれば?」
 ひょいとかなたは資材搬入路の向こうを指さした。
「多分、今なら花火大会の真っ最中みたいよ」
「は?」
「大沢くんは、行ったみたいだしね」
「…あいつ、殺す」


 赤や黄色の光を取り巻く歓声は、初め六つしかなかった。
 しかし、十分もしないうちにそれは一つ、二つと増えていき、気がつけばいつの間にか、そこには人垣が出来ていた。
 香奈、シゲ、そしてベル。大沢の姿もあったし、植村とかなたの姿もあった。整備員の何人かも混じっていたし、「おい、休憩時間以外の奴らはさっさと戻れよ」なんて言うおやっさんの姿もあった。
 遠巻き、喫煙所の脇には小沢、村上、そして教授の姿。
 歓声と、極彩色に輝く光。
 それに照らし出された、楽しそうな笑顔。
 それを見ながら、
「なにをやり出したのかと思えば」
 煙草を吸いながら、小沢ははしゃぐ彼女たちの姿に笑っていた。
「花火なんか、見るのも久しぶりだな」
「二年前にも同じことを言いましたね、教授」
「じゃあ、二年ぶりだな」
「そうですか」
 吹き出す風にして笑って、小沢はゆっくりと煙草を飲んだ。
「…こうしてみる限りは、まだ子どもなんだがな」
 ぽつりと呟いたのは村上だ。教授が気づいて、聞き返す。
「遙くんですか?」
「ああ──世界を護る歴戦の勇士だのなんだのと言われても、こうしてみる限りは、やっぱりまだ子どもなんだな」
「今年で成人でしょう?」
 と、小沢。「二十歳越えたら、もうリッパなオトナですよ」
「どうだかな」
「でも、遙ちゃんもそうなら、一也くんもそうでしょう」
 赤や黄色、極彩色の光を後ろにはしゃぐ人影を見ながら言ったのは小沢だ。小沢はゆっくりと細く煙を吐きだしながら、
「あの時と同じで、本当は、心の中は不安でいっぱいなんですよ。きっと」
 はしゃぐ連中を顎でしゃくい、教授と村上に笑いかけた。
「それはな。だが──」
 一瞬の間をおいて、教授は言った。にやりと、何かを期待するように微笑みながら。
「あの時のことを、ちょっと思い出したぞ。小沢くんは、覚えているか?」
「──当然ですよ。だから、話を振ったんですから」
「そうか」
 教授は笑う。
 ひとり、二人の話の内容がわからなかった村上が、教授に向かって聞いた。
「なんの話を?」
「二年前、新宿にエネミーが降下したことがあったでしょう」
「──ああ、夜明けと共に増殖を開始する危険性があったあれか」
「あの時も、連中、同じ風にしていたんですよ」
「…そうか」
「精一杯の、強がりみたいなモンです」
 口許を弛ませて、小沢は言う。煙草を灰皿にもみ消して、「空元気でも、でも──その後に言葉を続けられるからって」
「…そうか」
 村上は極彩色の光を受けてはしゃく子どもたちを、目を細めて見つめていた。
「で、そのときに教授が僕に言ったんですよ」
 同じ景色を見つめながらの小沢の台詞に、教授は笑った。笑って、教授も同じ景色を眺めながら、続けた。「実は、今回の件で私がR‐IIを持って戦いに赴こうと決意させてくれたのが、あいつのその言葉だったんですがね」
「本人は、きっと忘れていたんですよ」
「失敬だな」
「それで、教授はなんと?」
 問いに、教授は目を細めた。それは花火の明滅する光が眩しかったからで、それ以外の理由は、別になかった。
 そっと、返した。
「不安は、誰にでもある。大きいかもしれんし、小さいかもしれん。一也くんにも、遙くんにも、そして私たちにも。だが──」
 光を見つめて、教授はにやりと口許を弛ませて、笑った。
「何もしないで悔いの残る破滅を待つよりは、何かをして悔いの残らない破滅に巻き込まれた方がいい──」
「破滅ですか」
 笑って返す小沢。わざと。
 仕方がなくて、村上も苦笑いで返した。
「いい妻だな」
「ええ、教授にはもったいないくらいです」
「失敬な奴らだ」
 明滅する光の中ではしゃぐ若者達に、微笑んだ。


       3

「どこ行くの?」
 はしゃぐ皆からすっとはずれて、本部入り口脇にある駐車場。
 姿を消した一也に、遙が声をかけた。
「また、姿眩ませちゃうつもり?」
「そんなんじゃないよ」
 笑って、一也はジーンズのポケットに手を突っ込んだ。そこから、キーを取り出す。そして自分のバイクにまたがった。「ちょっと出かけるところがあるだけ」
「みんな、心配するよ?」
 ハンガーの資材搬入路の方からは、皆のはしゃぐ声が聞こえている。一也もそれを耳にしならがら、小さくため息。
「わかってるけど、明日には宇宙だろ。その前に確認しておかないと、最悪、死んでも成仏できない事があるんだよ」
 言って、跨ったバイクのアクセルをまわす。
 エンジン音が、夏の夜に響いた。
 じっと、遙はそれを見つめている。一也はエンジンを二、三度ふかす。ふかして、メットを手にとって、それをかぶらずに、
「──なに?」
「──なんでも」
 ふいと、遙は視線を外した。


「乗せたことなかったな」
「ないね」
「遙の運転には、何度も乗ったことあるけど。いつも恐怖のオマケ付きで」
「余計なお世話」
「乗る?」
「メットあるの?」
「ない」
「じゃあ、ダメじゃん」
「だな」
 そして一也は手にしていたメットを投げ渡した。


 どこに行くの?
 え!?なんか言った!?
 どこに行くの!?
 ああ、病院に行くんだ。
 病院?──明美さんのところ?
 なに!?よく聞こえない!!
 明美さんのところ!?
 ああ、違う。
 誰のとこ?
 いや、俺も知らない人のところ。
 なにそれ?
 なんだろね。
 何しに行くの?
 確認しに。
 何を?
 ──なんだろね。
 風の中でした短い会話の後、一也がバイクを止めたのは、深夜になって静まりかえった病院の駐輪場だった。メットを脱いで、遙はしんとしたコンクリの病棟を見上げて呟く。「自衛隊病院?」
 ひらりと一也はバイクから降りると、従業員のための夜間出入り口の方へと歩いていく。慌てて遙も後を追う。
「こんなところに、誰がいるの?」
 聞く遙には答えず、自動ドアを抜けて一也は院内へと進む。入り口脇にあった警備員の詰め所の中から怪訝そうに二人を見た警備員に、慣れた風に軽く会釈をして。「──前にも来たの?」「前はちゃんと表から入ったけどね」「会釈してたけど…?」「いや、怪訝そうにこっち見てたから」「あんた、小沢さんか教授の影響出てきたわね…」「そう?」
 薄暗い廊下を、一也は足音をなるべく立てないように歩いていた。隣の遙は、はじめての病院に、少し不安そうに辺りを見回していた。
「…もしかして、怖かったりする?」
「んなわけ、ないでしょ」
「じゃあいいや」
 すたすたと一也は先を急ぐ。「あ、待ってっ」咄嗟、シャツの裾を掴んだ遙が後ろに続く。
 蛍光灯の青い光に包まれた、薄暗くしんとした長い廊下。
 角を折れるとき、遙は壁に貼られたプラスチックの案内板に、一也の向かう先にあるであろう部屋の名前を知った。「ICU?」
 ふと、一也が立ち止まった。
 大きな窓ガラスがはめ込まれた、その部屋の前で。
 室内には、弱い蛍光灯の光があるだけで、誰の姿も、なかったけれど。
 窓ガラスの向こうを、一也が無言で見つめている。
 遙は、小さく聞いた。
「ここに、誰かいたの?」
「──うん」
 視線を外して、その部屋の入り口脇を一也は見た。当たり前だけれど、そこには何もなかった。
 それだけを確認して、
「行こう」
 ふいと一也は振り向いた。その顔を見る遙。何か声をかけるべきなのかと思って言葉を探したけれど、何もわからなくて、何も思い浮かばなかった。
 一也は振り向いて、遙の背中の向こうを見ていた。そして、小さく呟いた。
「大空さん──」
 はっとして遙も振り返る。自分たちが歩いてきた廊下の向こう、大空の姿があった。
「こんな夜中に、どうしたんだい?」
 笑い、大空 護は言った。一也と同じ、この地球を護るべく作り出された巨大ロボット、ゴッデススリーのパイロット。ゴッデスチームのリーダーだ。
「見舞いにでも来てくれたのか?」
「…そんなんじゃ、ないです」
 近づく大空に、一也は言葉を濁す。
 大空は遙に軽く会釈をして二人を追い越すと、一也がつい先ほどまで見つめていた窓ガラスの前に立った。そして一也の背中に向かって、言った。「ここのやつな…」
「今日、一般病棟に移ったよ」
 はっとして、思わず「えっ?」と一也は聞き返すために振り向いた。大空は笑っていた。窓に手を添え、遙に向かって、大空は言う。
「ゴッデススリーと一緒に、R‐1がエネミーにやられたろ?あの時、あのR‐1を動かしていたヤツが、ここにいたんだ。俺の同僚だ」
「そうだったんですか」
 やっとわかって、遙は一也の横顔を見た。一也はふぃと目をそらしてしまったけれど。
「それで、その人は?」
 遙は一也の変わりに聞いた。大空が返す。視線を外した一也に向かって。「大丈夫だ」
「何しろ、俺の同僚だからな。怪我はさすがにひどいが、命に別状はない」
「そうですか」
 少しほっとしたように遙。一也に向かって、「だって」言う。一也は無言で小さく頷いた。
「でもな、一也君。──笑っちゃうんだ」
 自嘲するように口許をまげながら、大空は窓に添えた手に少し力を入れた。眼前には弱い蛍光灯に照らし出された病室がある。今は静かにいくつかの機械が光を放っているだけで、そこに誰の姿もなかったけれど、あの時、確かに自分たちの前には、その姿があった。
 今は見えない、過去のその景色に向かって言うように、大空は呟いた。
「あいつ、目を覚まして、すぐに俺を呼んだんだ。なんのためだと思う?」
 問いに、一也は答えられずに──答えがあってもなくても──大空が見つめているのと同じものを見た。
 大空が弱く続ける。笑いながら。
「野郎、駆けつけた俺にすぐに聞いたんだ。『それで、エネミーはどうなった』って」
 何も言えない。誰も何も。
 しんとした病院の廊下。蛍光灯の弱い光。沈黙に大空の声。「だから、俺は言ったぜ」
 横顔に視線を走らせる一也。その、まっすぐな瞳が言う。
「俺たちに聞く台詞かよ」
 小さかったけれど、そのまっすぐな言葉はしんとした病院の空気を強く揺らした。
 薄暗い廊下の隅々にまで、誰の耳にも、ちゃんと届く強さを持って、その言葉は響いた。
 一也は病室を見た。
 ただ、そこには何もなかった。
「俺は、戦う」
 大空が言う。
「君は、どうだ?」
 その言葉に、一也はそっと息を吸い込んだ。
「難しいです」
 答えに、遙ははっとして一也を見た。「かず…」言葉を遮ろうと口を動かしたけれど、一也は大空の横顔に向かって続けていた。
 聞く大空は、少し、笑っていた。
「すごく、難しいです。そして辛いです。自分の中にある、正義っていうのを、貫くことは」
 誰かの足音。
 気づいた遙が振り返る。
 気づいた一也は、だから続ける。
 大空は細く笑う。
「すごく、難しいです。大空さんの同僚っていうその人は、やっぱり、強いですよ。大空さんも同じ。傷ついて、命、危なくなって、でも、それでも自分の中にある正義っていうもの、まげなくて、それでもそれをすることが出来るって言うのは、すごいです。僕には、難しい。そして辛い。だけど」
 そっと、一也は振り向いた。
 足音の主がそこにいた。
 老人は、小さく彼の言葉に頷いた。
「僕も、自分の中にある正義をもう一度、確かめてみたくてここに来たんです」


「そうか」
 老人は軽く返した。
「はい」
 一也は、まっすぐにその老人に向かって返した。
 そっと、遙は一歩身を引いた。その老人を自分は知らない。知らないけれど、一也は知っている人のようで──大空がそっと教えてくれた。「石野さんという人だ。知っているだろう?」
「え?」
 聞いたことのある名前。そう、確か二年前のあの時に。
「BSSを…」
「作った人だ」
「石野さん…」
 まっすぐに老人を見つめて、一也。
「僕は…またこうして石野さんと向き合えるかどうか、本当は、不安だったんです。あの時手に入れたはずの物が、今も自分の中にあるかどうか、不安だったんです。だから、確かめたくて、ここに来たんです」
「そうか」
「はい」
 老人は少年の言葉に小さく頷き、そして、聞いた。
 彼に聞きたくて、そして今まで、聞けずにいた事を。
「辛いな──」
 青い、薄暗い光の包む世界の向こうに向かって、老人は小さく言う。
「辛いな、一也君。戦うことは。正義を、行おうとすることは」
 ちいさな老人の言葉が、しんとした廊下に響いて、耳に届いた。
 だから、一也は返した。
「はい」
 まっすぐに、一也は返した。


「遙」
「あ、な、何?」
「行こう」
「え?」
 「いいの?」と聞き返しそうになって、言葉を飲んだ。
「じゃ、失礼します」
 一也が歩き出す。小さな足音が響く。
 遙は彼の背中に続いた。老人と、そして大空に、ちょっとだけ頭を下げて。
「最後に──」
 老人の声が響く。
「ひとつだけ聞きたいことがあるんだけれど、いいかなァ?」
 老人は、一也の背中に向かって聞いた。続く、薄暗い廊下の先で、一也は立ち止まった。
「この国は、護るべき価値があると思うかい?」
 立ち止まった一也が振り返る。そして、一也はその言葉にすぐに返した。
「わかりません」
 一言。だけれど、しっかりとした声で、老人に向かって言った。
「わかりません」
 老人は、一也の言葉に笑う。
「じゃあ、どうする?」
「わかりません」
 同じ事を、いつかよりも少し大きな声で、一也は言った。そして、続けた。
「けど、行きます。俺たちは、行かなきゃならない。今はただ、それだけです」
 老人は笑っていた。
 一也も、軽く笑って見せた。
「そうか」
「はい」
 短く言って、一也は再び振り向いて歩き出した。
「ならば、やはり我々も行かねばならんな」
 呟き、老人もまた歩き出した。
 一也とは逆方向に。
 立ち止まっていた遙は、その背中を見た。大空が軽く会釈をして、その老人の後に続く。「じゃあな、歴戦の勇士たち」
「今度は、昔みたく、ハデに遅刻するんじゃねぇぞ?」
 ふたりとふたりが歩き出す。
 廊下の向こうとこちら。
 進む先は違えど、同じ未来に向かって。


       4

「どこ行ってたのっ!」
 怒られた。
「みんな、心配したのよっ!一言くらい、言って行かなきゃ、ダメでしょ!!」
 腰に手を当て、大まじめにしかりつけるのは香奈だ。
「いや、ちょっと用事があったから…」
 言葉を濁して返すのは一也。
 Nec本部前、盛大な花火大会の後かたづけをしていた皆の前で、香奈は帰ってきたふたりをしかりつけていた。
「いい?花火はちゃんと、最後まで責任もってやらなきゃダメなの。火の後始末だってそうだし、ゴミの後始末だってそうなの。途中でほったらかしてどこかに行っちゃうなんて、お姉ちゃんは許しません!」
「なんか香奈さん、怒る論点ずれてます…」
「いつもの事だよ…」
 バイクの鍵をジーンズのポケットの中に押し込んで、「吉原、ゴミ捨て手伝うよ」「お?おお」さっさと一也はその場から逃げ出した。
「あ、一也!?」
「いい、遙ちゃん──」
 目を閉じて右手人差し指を立ててお説教モードの香奈に、「あ、睦美ーっ、ごめんごめん。バケツいっこ持つよー!」
「遙ちゃん!一也っ!!」
 香奈は走って逃げ出した二人に向かって、両手を振り上げた。
 ちょっと離れたところで、煙草片手にそれを見ていた小沢が笑っていた。
「ごめん」
 遙。睦美のところに駆け寄って言う。「一也にラチられた」「そうなのぉ?」疑いのまなざし。
「あたしゃあ、フリーになった一也くんを、早速遙が食いに行ったのかと思ったよ」
「なんじゃそりゃ」
 睦美が持っていた、花火のくずが入ったバケツを、遙も左手で持った。そして小さく、聞く。
「一也、詩織ちゃんと別れたんだって?」
「らしいね」
「私、直接聞いた訳じゃないけど…なんか、それっぽい事言ってたから」
「こっちも、ちらっと聞いたくらいだけから詳しくは知らないけどね」
「──そっか」
「気になるなら、自分で聞きな」
「ならないよ」
「さいですか」
「当然です」
「ね。全部終わったら、遙、またイギリスに帰るの?」
「ん。学校あるしね」
「そっか」
「なんで?」
「いや、遙いないと私、さびしぃわって」
「なんでよ」
「代返」
「誰の」
「誰かの」
「なにそれ」
「言ってみただけ」
「変なの」
「ねぇ?」
「んー?」
「花火、実はまだちょっと残ってんだけど?」


「盛り上がらない物を…」
 あらかた片づけ終わった後、「じゃ、恒例の花火大会の締めくくりするよー!」と睦美に呼びつけられて、一也は車座に座る皆のところにきて、苦笑いに言った。
「じゃあ一也、私にちょうだい。もったいないもん」
「やだ」
「相変わらずけちねっ!」
 べぇっと、遙は子供みたいに一也に向かって舌を出した。
 車座に座る皆の中心。ゆらゆらの夏の夜風に揺れるろうそく。
 そしてたくさんの線香花火。
「これやんなきゃ、花火大会は終わんないでしょ?」
 睦美が笑う。笑いながら、早速と一本に火を付けた。
 橙色の光が、ゆっくりと輝き出す。なんとなく黙り込んで、みんなそれをじっと見つめていた。
 ぽつりと、
「…綺麗ですね」
 詩織。
「はい」
 その手に一也が線香花火を渡す。「ありがと」
 頷きだけを返して、一也は自分も、持っていたそれに火を付けた。「あ、一也、私にも取ってよ」「ほらよ」「あぁっ、扱い、邪険!?」「はい、遙先輩、どーぞ」「うあぁぁ、吉原くんありがとー。どっかの誰かとは大違いだ」
「なんかさぁ」
 睦美がしゃがみ込んだ姿勢で、ぱちぱちと弾ける線香花火を見つめながら言った。
「昔、こうして線香花火してたとき、私、言った気がすんだよね?」
「何を?」
 遙、手にしていた線香花火に火を付けながら返す。
「『線香花火って、やってると無口になっちゃわない?』って」
「言ったっけ?」
「ああ、言ってた気がする」
 返したのは恭子だ。
「それで、早い男がどうとか──」
「きょっ、恭子、そんな事言ったっけ!?」
「遙の台詞でしょっ!!」
「なんだろ。今日は逆だねぇ?」
「だねぇ?」
「吉原、勝負しようぜ?」
「お、俺のテクにかなうと思ってんのかよ?」
「線香花火にテクなんてあるの?」
「ある」
「でも、ジミーな勝負」
「確かに」
 遙は笑った。
「そういや、あん時、私なんか言ったな」
 ぱちぱちとはじける光を見つめながらの遙に、睦美。
「なんか言ったっけ?」
「ん。言った気がする。何言ったか、忘れたけど」
「『もっと、ゆっくり時が動けばいいのに』って」
 そっと詩織が言った。「あっ」彼女の瞳の中で揺れていた光がふっと消え、砂の地面にぽとりと落ちた。
 砂に溶け入る水滴のように、その光を失っていく赤い珠。
「落ちちゃった」
「ほれ」
「ありがと」
「そっか」
 睦美はそれだけを返して、軽く微笑んだ。
「そういや、そんなこと言ってたっけ?」
 ふいと遙の方を向く。
「あ」
 拍子、手にしていた線香花火の珠が落ちた。
「あー、おちちゃった。遙のせいだっ。えい」
「あっ!」
 ぱしっと遙の手首を睦美が叩いた。当然、手の先にあった遙の線香花火の赤い珠も、砂の地面にぽとりと落ちた。
「睦美っ!?」
「怒るなよぉー」
 とか言いながらも、自分は早くも次に火を付けようとしている。
「まだ一杯あるから」
 苦笑いに、一也は線香花火を遙に差し出した。
「サンキュ」
 軽く言って、遙はそれを受けとった。


 何度目か、遙が新しい線香花火に火をつける。
 それを追う、みんなの視線。
 微かに吹く、夏の夜風に揺れるろうそくの炎。
 線香花火の先端の紙を燃やしつくし、炎は、一瞬だけその姿を隠した。
 ためらいの瞬間があって──
 ほんの少し、ほんの少しだけど、ものすごく長いような、そうでないような、ためらいの時間があって──そして、それでもそれは輝きだした。
「…綺麗」
 ぽつりと、遙が呟いた。
「らしくない台詞」
 咄嗟、一也が返す。
 思わず皆、その言葉に吹き出した。
 夏の夜風が優しく吹き抜けていく。ちょっと崩れた車座に座った皆の間を、そっと、潮の香りを乗せた風が抜けていく。
 空には夏の星座。
 海の向こうには、街の明かり。
 笑う輪の中、弾ける線香花火の光。
 遙の手にしていた小さな光。
 それはいつの間にかの、最後の線香花火だった。


       5

 七月二七日。
 すがすがしい夏の朝の空気の中に、植村は身体を伸ばした。
 首が、ごきりと大きな音を立てた。
「をっ!?」
 思わず鳴った大きな音に、首筋を押さえつける。一晩中ノートパソコンと向き合っていたせいだろう。軽く首筋をもみながら、潮の香りが薄くするハンガー前で呟く。
「やっぱ、俺って天才」
 自画自賛である。
 もっとも、深夜遅くまで最終整備をしていた整備員も作業員も、今は仮眠を取って出撃前のチェックのために眠っている。植村以外の誰も、彼の言葉を耳にするものはなかった。
 はずだった。
「おつかれさま」
 突然にかけられた声に、潮のせいですこしがさつく髪を掻いて眠気を紛らわせていた植村は、びくりと身体を振るわせた。
「あ、ごめんなさいっ」
 突然に自分が声をかけたせいで驚いた植村に、香奈は自分も驚いた風にして返した。拍子、手の中にあった紙コップが揺れて、中に入っていた麦茶が少しだけこぼれた。
「あっ」
「あ、すみません。かからなかったですか?」
「私は大丈夫だけど…ちょっとこぼれちゃったわね。はい」
 と、香奈は両手に持っていたうちの片方──ぱっと見て、量が多く残っていた方──を植村に差し出した。差し出して、もう一度言う。「おつかれさま」
「いただきます。実は喉、乾いてたんスよ」
 麦茶を受けとり、
「香奈さん、早いっスね」
 それを口に運びながら、植村。
「そう?」
 小首を傾げて香奈。左手にはめた時計に視線を送ってから返す。
「いつも起きるのはこれくらいなんだけど…」
 言われて植村も自分の腕の時計を見た。確かに、打ち上げまであと3時間に迫ろうかという頃だ。思っていたよりも早いという時間でもない。植村はちっと小さく舌を打った。
「あ、なんだ。もうこんな時間か。思ったよりかかったな」
「植村くんは、寝てないの?」
「寝てません。まー、普段その分寝てますから、問題ないです」
 と、麦茶をすする。
「これが全部終わったら、ドロのように寝ます」
 軽い物言いに、香奈はくすりと小さく笑った。笑って、
「セカンドって言ったっけ?」
 麦茶を両手でもって、ゆっくりとハンガーの中に振り向いた。
 口に紙コップをくわえながら、植村も視線を追う。
「植村くんが作ったんだよね?」
「正確には、大沢と俺ですね。機体を設計したのは大沢で、俺は人が乗って動くようにしたってトコです」
 誇らしげに、紙コップを口にくわえたまま言う植村。
「今回の大気圏外仕様も、もともと設計時に考えられていた仕様ではあったんで、それほど難しくはなかったですね」
「植村くんがシステムを作ったってことは──」
 香奈はハンガーの中の機体、R‐IIを見上げながら呟いた。
「BSSを組み込んだのも、植村くん?」
「──ぶっちゃけ?」
「ぶっちゃけ」
「そうです」
「そうなんだ」
「香奈さんの話は、教授から聞きました」
 くわえた紙コップをぺこぺこと揺らしながら植村は言う。「二年前の時のこと、その前の事故のこと。それから、これを元々作り出そうとしていた教授の教授のこと。いろいろ、教えてもらいました」
「そうなんだ」
 ふぅんという風に、R‐IIを見上げて香奈。
 植村は言葉を続ける。
「でも、教授はこいつを動かす直前まで、BSSの本体を俺らに貸してくれはしなかったんですよ」
「──そうなの?」
「ええ。まぁ、借りたところでテストも出来やしなかったんですけどね。だからぶっちゃけ、こいつとBSSとのシステム側のリンクって、基本IOのフルレンジに対応しちゃってるんです。R‐0やR‐1なんかとは違う。まさにBSSの性能の全てをひっぱり出せるよう、設計されているんです」
「すべて…」
 ぼつりと、呟くようにして香奈は言った。
「そっス」
 植村は飲み干した麦茶のコップをぎゅっと握りつぶす。そして、誇らしげに言う。
「今は切ってありますけど、感覚系の部分、センシングフィードバックもちゃんとサポートされてます。だから、コイツは香奈さんが心配するようなヤツじゃないです」
「──私が心配するような…って?」
 うつむいて、香奈は少し微笑んだ。植村が言う言葉がわかっていたからだ。そして自分が確認しておきたかったことも、それだったからだ。
「R‐IIは、俺も大沢も認めます。コイツは、兵器なんかじゃない。血の通った人間と同じに動いて、同じに感じることだって出来るんです。ちょっとサイズがでかいですが…」
「ちょっとって大きさじゃないわよ」
「技術が進化すれば、小型化なんかあっという間です。R‐IIは、実際R‐0より十八メートルくらい小さくなってますし」
「武器も付いてるよ?」
「オマケです。男の子的な」
「オマケって大きさでもないような…」
「子どものお菓子はオマケがメイン」
「なにそれ」
「そういうモンなんです」
 きっぱりと言い切った植村に、思わず香奈は吹き出した。それに植村も軽く笑って大きく息を吸い込むと、腕を組んでハンガーの中、朝の陽射しに輝く機体を見上げながら呟いた。「それに、コイツに乗れるのは世界中でただひとり。一也くん、弟さんだけです」
「だから、大丈夫っスよ」
「そうね」
 香奈は笑いながら、小さく言った。
 植村が誇らしげに返す。
「それに自分ら、正義の味方っスから」
「そうね」
 香奈は笑いながら、言った。
「あと、少しね」
「そうですね」
 そしてちらりと植村は腕の時計をもう一度見た。
 針が、六時を指したところだった。


 爆音が響く。
 振り返る。
 ハンガーへと続く未整備の道に、砂塵を舞い上がらせながら大型トレーラーが滑り込んでくる。振り向いた植村は、その光景に、手にしていた紙コップを落とした。
「なん──?」
 迫る大型トレーラーの荷台が動く。何か、巨大なものがその上で立ち上がった。八本の足。蜘蛛のような姿。顎に当たる部分が左右に割れ、中からレールガンが覗く。と同時に、その頭部にあるセンサーアイが赤く光った。
「スパイダーII!?」
 迫る大型トレーラーの数は三台。香奈の腕を取る植村。振り返り、ハンガー内へと駆け出す。
「あっ」
 転びそうになった香奈に立ち止まり、再び外へと視線を戻す。
 本部を囲う草むらの中から、カーキ色の服に身を包んだ男たちが駆け寄ってきていた。手にはコルトM16。何かを言っている。その言葉が英語だというのは、すぐにわかった。
 そして眼前、ハンガー入り口前に、数人の男たちが辿り着いた。
 銃声。
「きゃあっ!!」
「頭を下げてください!」
 言うが早いか香奈の頭を押さえつけて、彼女を身体の中に包むようにして植村は走る。どこかの扉をうち破る音が聞こえた。背後から、銃を放った男たちの誰かが、何かを叫んでいる。
「なんだ?」
 整備員の控え室のドアが開いた。
「出て来ちゃダメ!」
 香奈。
「っていうか、中入れて!」
 植村。
 二人はドアの中に飛び込む。銃声。ドアの縁を何発かの銃弾が跳ねて火花を散らした。
 ハンガーの中へと、蜘蛛の形をした巨大なものが、顎を付き入れていた。


「スパイダーIIだ」
 整備員控え室のドアの中。植村が言う。銃声に目を覚ました整備員と作業員たちが言う。
「の、ようだな」
「まったく、この後に及んでどうするつもりなんだか」
 すでに皆、手にはスパナなりレンチなりドライバーなりを持って武装している。
「慣れたモンで…」
 植村は投げ渡されたスパナを受けとりながら、苦笑いに答えた。
 ハンガーの中を駆けていく足音。響くスパイダー2のアクチュエーター音。「R‐IIに傷だけはつけんなよ…」植村はドアの向こうの気配に呟いた。
 作戦本部へと続く階段を固い靴音が上っていく。
「Freeze!!」
 登り切ったところで、男は銃を構えて叫んだ。
 作戦本部室のドアの中から飛び出してきたふたりに、銃口を向けて。
 だが、ふたり、ぴたりと立ち止まったかと思うと、
「Fuck!!」
 と、男たちに向かって中指を立てた。ふたり、女性らしからぬ言葉と共に。
「You son of a bitch!!」
 ふたり、遙と睦美。
 男がひるむ。が、銃をはっとして構え直す──よりも早く、背後に二人が迫っていた。
「そりゃ、誰でもひるむよな」
 言って、男の首を羽交い締めにするのは吉原。くいっと軽く彼が手首を動かすと、男は短いうめきを最後に、意識を失っていた。
「別の言い方だってあるだろうに」
 言いながら、本部前へと迫ってきた別の男の足を払うのは一也だ。男が手にしていた銃の銃身を握り、階段の方へと男の身体を転ばせる。激しい音と共に男は階段を転がり落ち、昇ってこようとしていた何人かを道連れにして落ちていった。
 男たちの悲鳴と罵声がハンガー内に響く。
「うるさいな」
「だな。人の安眠を妨害しやがって」
 言って、吉原は腕の中でうなだれていた男も、ぽいと階下へと繋がる階段に投げ捨てた。
 いっそう大きくなる男たちの悲鳴と罵声。
「遙」
 短く言って、一也は男から奪い取っていた短銃を通路の向こうにいた遙に向かって投げ渡す。
「なっ、なんでこんなモン渡すのよ!」
「自分の身は、自分で守る」
「って、俺もホンモンの銃を持つのなんかはじめてだけどな」
 返したのは吉原だ。彼の手にも、一也と同じく男から奪い取ったサブマシンガンがある。
「俺は何回かあるよ」
 軽く、一也は笑った。
 銃声が響いて、ハンガーを見下ろす作戦本部前の手すりに跳弾の火花が散った。一也は舌を打つ。「奥へ!」頭を低くして駆け出す。
 瞬間、ハンガーの入り口脇に、その男の姿を認めていた。
 ジッポの赤い炎。
 照らされる不敵な笑み。
 吐きだされる白い煙に、一也は吐き捨てた。
「Smoker…」


      6

 首相官邸入り口に、派手な爆音を立てて一台の車が停車した。
 不審に感じた警備員が、腰の警棒に手を当てて運転席へと回り込む。「こちらは公用車の駐車専用に──」と、その車──Mitubishi GTOのドアが勢いよく開いた。
 長身の男がぱっと運転席から降りてくる。
「公用だ」
 軽く言って。
 助手席のドアが開き、中からもうひとりの男が姿を現す。警備員ははっとして背筋を正した。「これは」と小さく言う。自分が仕事を始めたばかりの頃、この官邸にいたその人の姿に警備員は言う。「朝早くから、お疲れさまです!」
「ご苦労」
 短く言って、元首相、村上は官邸へと続く階段を上がっていく。「あ、これよろしく」と、GTOのキーを男に押しつけ、小沢もその後ろに続いた。手には、一冊のファイルがあった。
 勝手知ったるなんとやらで、村上は官邸内の目的の場所に向かってまっすぐに進む。りんと背筋を伸ばし、正面玄関を入って目の前にある階段を上がる。あがって左に曲がってすぐのところにあるのは、首相執務室だ。ちらりと腕の時計に目をやる。時間は早いが、きっといるだろう。
 後ろに続く小沢は、ファイルで頭を掻いた。
 執務室のドアに手をかける村上。
 そしてそのドアを、思い切りに引き開けた。
 南向きの大きな窓。夏の朝の陽射しが差し込んできている。
 落ち着いた洋風の部屋。厚い絨毯。中央から少し窓に寄ったところに、大きな木の机。
「どういうおつもりですか?」
 その陽射しに照らされた大きな机に付く男に向かって、村上は言葉を投げつけた。
 現首相、小渕沢が弱く返す。
「この国のためです」
 小渕沢はゆっくりと立ち上がり、呟くようにして言葉を続けた。
「こちらにいらっしゃると思っていましたよ。どうぞ、おかけください。歴戦の勇士、村上元総理」
 言いながら、小渕沢は自分が付いていた大きな木の机の前にある来客用のソファへと二人を促し、「お茶か何かを、三人分持ってきてくれ」と、内線で告げていた。
「長居をするつもりはありません。二、三、ご質問させていただくだけです」
 すっと差し出された村上の手に、小沢はファイルを手渡した。「単刀直入に聞きましょう」
 ソファにひとり腰を下ろした小渕沢の前、テーブルの上へとそのファイルを投げ渡す。
「今朝の報道で、この全てが公表されるはずではなかったのですか?」
「この国のための判断です」
 小渕沢が返す。
「この国も、世界に無数とある国のひとつなのです。そして今、目の前にある危機は我が国だけの問題ではありません。世界が一丸となって、この危機に対処しなければなりません。あの時、あの時代の中にいたあなたなら、おわかりでしょう?」
「世界が一丸となってこの危機に対処すべきだとは、同感です。ですが、そのためにはこの危機の真実を知るべきでしょう。全ての人民には、等しく、知る権利があるのです」
「知るべきではありません。国民をいたずらに不安にさせるだけです」
 まっすぐに視線をぶつける村上に、小渕沢は視線を逸らした。
 ふぅと、小沢はわざとらしくため息を吐いた。「僕は、一介のジャーナリストなんですがね…」
「報道の自由って権利を振りかざしても、別に問題はないんですが──」
 小沢の言葉を遮って、小渕沢。
「報道、しないでいただきたい」
「何故?」
 聞き返す小沢に返す。
「なんでもです」
「つまり、圧力かなんかがかかったと理解してよろしいですね?僕らジャーナリストに対して、おたくらがそうするのと同じように」
「圧力はかかっていません。私の判断です」
「そんなの誰も信じちゃ──」
「ならば、ひとつだけ聞かせてもらってもよろしいですか?総理」
 何かを続けようとした小沢を制し、村上。
「あなたはたしか、あの時、あの委員会室にいましたね?と、すると、この質問は二度目になりますが」
 小渕沢が顔を上げた。その視線が、村上のそれと合う。
 まっすぐに、村上は言った。
 夏の陽光の差し込む首相執務室の中、その声が強く響く。
「正義とは、なんですか?」
 村上の声が響く。「私はあの時、確かに問いかけたはずです。ひとつだけ、忘れないでもらいたいと」
 小渕沢が視線を外した。
 そっと目を伏せ、村上は続ける。
「あなたは、自分が初めて議員になった時に踏んだ、国会議事堂の絨毯の感触を覚えていますか?はじめて、この官邸の、その机に腰を落ち着けた時の事を、覚えていますか?」
 問いに、小渕沢はそっとうつむいて目を伏せた。
 答えは、ゆっくりと、静かに返ってきた。
「──ええ。あの時の村上さんの言葉は、よく、覚えていますよ」
「そらなら、もう一つだけ、言わせていただきたい」
 そっと顔を上げた小渕沢に向かい、村上は言った。
「その気持ちを忘れないまま、あなたにもその椅子から立ち上がって欲しい」
 首相執務室の大きな机を、夏の陽射しが照らしていた。
 肩越し、小渕沢はその机を見つめて、小さく息を吐いた。


 胸ポケットの中の携帯が震えたのに気づいて、小沢は右手をスーツの中に入れた。
 二つ折りの携帯を広げて、その液晶に映っていた番号を確認する。「どうした?」第一声に聞く。
「今、Nec本部前にいるんだが──」
 電話の向こう、新士の声が返す。
「何か動きが?教授たちがこんなに朝早くから動き出すとは思えないけど…」
「米軍です」
 机を見つめたまま、小渕沢が呟いた。
 電話から新士の声が聞こえている。「スパイダーIIが本部に入っていったんだ。どこかの兵士たちも本部を取り囲んで──こりゃ、やばい…おい!小沢!聞いてんのか?」
「そりゃ、どういう事で──」
 電話から耳を離し、小沢。
「あんた、じゃあもしかして、報道をさせないってだけじゃなく、俺たちまで売ったのか?」
「──村上さん」
 小沢の質問には答えず、小渕沢は椅子を見つめたままでぽつりと呟いた。「難しいですな、正義を行うということは」
 村上はその言葉に目を細めた。
「私のような弱い人間には、出来ませんよ」
 小渕沢はそっと立ち上がると、机の上に手を伸ばし、その上にあった一枚の紙切れを掴んで村上に向かって差し出した。
「あなたの言葉は、今も、鮮明に覚えています。そしてあの過去があるからこそ、今、私はここにいられるのかも、知れません」
 手渡されたそれを、そっと村上は受けとった。
 受けとって、その書類に目を細め、言う。「小沢君」「はい?」
「火を貸してくれるか?」
 その理由はすぐにわかった。
「私には、これが精一杯です」
 小渕沢は弱く言うと、執務室のその大きな机に戻った。ゆっくりと腰を下ろし、大きな上質の革張りの椅子に身体を落ち着かせ、ため息を吐く。
 内ポケットからバンジョー1927を取り出し、小沢は慣れた手つきでそれに火をともした。軽いフリントのこすれる音の後、手の中に柔らかな炎。村上は右手の先をその炎の上にかざした。
 右手の先には、手渡された書類があった。
「新士さん、聞こえますか?」
 小沢が携帯に向かって言う。「すぐにそっちに向かいます。新士さん達も、それぞれの判断で動いてくれてかまいません」
 村上はしばらく炎の燃え移ったその紙切れを手にしていたが、やがてテーブルの上に置かれていた灰皿の中に、それを置いた。
「Necと政府は、そう言えば、何も関係ないんでしたね」
 灰皿の中の灰に、村上は口許を弛ませて言う。
 椅子に腰を落ち着けた小渕沢は何も言わない。
「行こう、小沢君」
 執務室のドアに手をかけ、「ご迷惑をおかけするかも知れませんが──」村上は小さく、頭を下げた。
「…村上さん」
 退室しようとした二人に、弱い声が聞く。椅子を回転させ、その大きな机に夏の陽射しを降り注がせる窓の向こうを見つめている男の、弱い声が聞く。
「私は、この椅子を立ち上がるときも、あなたと同じ気持ちでいられるでしょうか?」
 そっと目を細め、村上は返した。
 軽く、口許を弛ませて。
「それは、あなたの心が決めることです」


       7

「いてぇっ!?」
 押し倒されて、植村は大げさに声を上げた。
「人質は優しく扱え、馬鹿たれ!」
「日本語、通じないって」
 ハンガーの資材搬入路脇、背中の後ろに腕をまわされ、その両の親指をコンベックスで固定されたかなたが、ため息混じりに言う。
「寝起きからこれは、ツレーなぁ」
 あくび混じりに続いたのは大沢だ。「緊迫感、ないねぇ」と、その隣で同じく捕まりながらもあまり緊迫感のない苦笑で返すのはシゲ。もっと緊迫感がないのは眠たそうに目を閉じている教授だ。
「他の奴らはどうした?」
 整備員、作業員を含め、捕らえられたNec本部の面々をちらりと視界の隅に認めて、男は煙草の煙を吐きだしながら言う。最後に、その皆の中に香奈を座らせた男が返した。
「残りの者はどこかに隠れたようです。本部の周りはネズミ一匹出ることはできません。必ず、内部にいるかと思われます」
「そうか」
 男は軽く口許を弛ませる。その弛ませた口許から、煙が流れた。
「この後に及んで、何をするつもり?」
 男に向かい、金色の髪の大使、ベルが言った。きっと強く男を見据え、「あなた達のやろうとしたことは、全て失敗に終わったはずよ?エネミーをコントロールしようとした事も、そもそも、エネミーを生み出したことすらも。それなのに、こんな事をして、どういうつもり?」
「我々にも、面子というものがあってね」
 男はゆっくりと煙草を飲みながら返した。
「君らに好き勝手に動かれては、困るのだよ。宇宙にいる最後の一体をうち倒し、この全てを君らは世界に知らしめるもつもりらしいが、そんな事をされては──」
「この全てを生み出したのは、あなた達のような愚かな人たちのせいでしょう?」
 まっすぐに言うベル。男は口許を苦笑のようにして弛ませる。そしてそっと、彼女の前に座り込んだ。
 ベルは男を見据えたままで続ける。
「力にのみ正義を求め、そして招いた結果でしょう。神でもない、人が、ひとつの生命体を操ろうとして、自らの力のために操ろうとして、招いた結果でしょう」
「我々は、神ではないかもしれん」
 男はそうではないという風に笑って、ベルに向かって言った。言葉と共に、その口から白い煙が流れ出た。顔をしかめるベル。男は続ける。「だが、奴らにとっては我々は、創造主だ」
「生き死にも、奴らをこの世界に生み出してやった、我々にこそあると思わないかね?」
 そっと、
「──もしも、もしもそうだとしたら」
 ベルは、静かに返す。
「私たちの生き死にすらも、もっと大きな創造主に委ねられているということになるわね」
 男はベルの言葉に笑った。笑っただけで、答えを返しはしなかった。
「他の奴らを捜せ。それと、誰か、ここの放送設備を使って私の声を流せるようにしろ」
 立ち上がり、男。ゆっくりとまた煙草を飲む。


 トヨタエスティマのサイドドアを勢いよく閉めて、新士は言った。
 ぼろい格納庫、Nec本部を遠巻きに見る、未整備の道の途中。エスティマから降りてきた皆に向かって、
「小沢たちも、すぐにこっちに来るそうだ」
 言う。
「こっちはこっちで、適当に動いてくれと言っていた」
「適当と言われてもですね…」
 力無く返すのは助手席から降りてきた篠塚。
「まさか新士さんたち、連中を助けに行こうとか、言い出すつもりじゃないでしょうね?」
「なんだ、コエーのか?」
 軽く言ってのけたのは泉田だ。
「そんなんだから、いつまで経っても、カメアシから卒業できねーんだよ」
 言いながら、泉田はウェストポーチからデジタルビデオカメラを取り出している。「ジャーナリストは国家よりも強しってな」「泉田さんは無謀すぎるんですよっ!」
「本部の構造が昔のままなら、隅から隅まで記憶している」
 運転席から降りてきて言ったのは片桐だ。
「奴らの知らない抜け道だって、頭に入ってる」
 と、自分の頭を指さして笑う。
「もしも同じ構造図をあちらも手に入れていたら?」
 篠塚が言うが、
「その時はその時だ」
 軽く新士。
 未整備の道を歩き出す。
「ちょっ…新士さん!?」
 歩き出す新士、片桐、泉田を、慌て篠塚も追う。
「本気ですかっ!?」
「ジャーナリストとして、光栄に思わないか?」
 夏の朝の空を向こうに映す格納庫へ向かって歩きながら、新士は言った。
「俺たちは今、歴史の中にいるんだぜ。新しい世紀へと、人類が進もうとする歴史の中に」


「聞こえるかね?」
 男の声がハンガーに響いた。
 各所に設けられたスピーカーから、本部全体にその声が響いた。
「見えているかね?カズヤ。君の仲間達は今、我々の手中にある」
 男の声。
 一也はそっと目を伏せると、小さくため息を吐いた。
「こんな手荒な真似はしたくなかったんだが、君の力が我々にも必要でね」
 聞こえる声に、そっと遙が一也の顔をのぞき込む。
 Nec本部、作戦管理室の隣、シゲの制作室の奥にある、秘密の部屋の中。過去は彼の秘密のガレージキットやフィギュアが飾られていた部屋である。
 狭いと言うことはない部屋の中に六人、一也、遙、睦美、恭子、そして吉原と詩織。
 聞こえる館内放送に、耳を傾けている。
「君も、誰かが傷つくことは望むまい。我々もそうだ」
「言ってることとやってることが、全然違うけど」
 ぽつりと言ったのは睦美だ。恭子が軽くたしなめる。
 男の声は続いている。
「君らの作り出したこの巨大ロボット──R‐IIと言ったか──此奴の装備を、我々に渡して欲しいのだよ」
「R‐IIって、ハンガーの新型だろ?」
 吉原はサブマシンガンを抱え直して、隣にいた詩織にそっと聞いた。詩織が小さく、曖昧に頷く。
「あれを持っていったところで、一也じゃないと、動かせないんじゃないのか?」
 と、今度は吉原、一也に向かって聞く。
「あれに限らず、BSSは他の誰にも動かせない」
 一也もまた、手にしていたサブマシンガンを抱え直して返した。「だけど、あの装備を使うことは不可能じゃない。そう言うことだと思うよ」
「ミサイルとか?」
 と、睦美。
「そんなの、向こうだって持ってるでしょ?」
 恭子が返す。
「じゃあ、なに?」
「私にはわかんないけど…」
「見当は付いてる」
 聞こえる館内放送に、一也は耳を傾けている。


「俺のR‐IIを、どうするつもりだ?」
 ハンガー。
 館内の放送室へとそのまま繋がるワイヤレスマイクを手にした男に向かって、そう言ってのけたのは大沢だ。
「俺のって、どういう事だ!?」
 即座に植村が返す。「お前のじゃ、ねー!」
「私のだ」
「いえ、教授、そう言う事じゃないと思います」
 きっぱりとシゲ。
「そうか?」
 教授は驚いたようにして、目を丸くしていた。
「誰のでもいいけど」
 かなた。緊迫感のない男どもに言ってから視線を外し、胸ポケットから煙草を取り出した男に向かって聞いた。
「R‐IIを持っていったところで、それを動かせるのは一也君しかいないわ。それくらい、わかってるんでしょ?」
「当然だ」
「じゃあ、なんでR‐IIを──」
 男はゆっくりと煙草を飲んで返した。
「新型の戦闘記録は、我々も十分にシミュレーションした。その結果、彼が戦ったところで、彼が勝つ確率は1.26%と出た。つまり、98.74%の確率で、彼は死ぬ。そしてその時、君らのあの巨大ロボットも、破壊されてしまうだろう。君らの言う、エネミーを倒すことができるかも知れない、唯一の兵器がね」
「R‐IIは兵器じゃありません!」
 きっぱりと香奈。
「BSSを積んでいるんですから!」
「そう。BSSがある以上、あなた達にはR‐IIは操れない」
「我々が欲しいのは、あの機体でも、BSSでもない」
 煙草の煙の中、男は笑った。
「彼が勝つことのできる確率、1.26%。それは、彼があれを撃つことができるかどうか。その確率だ」
「あれ?」
 眉を寄せ、かなた。その指示代名詞が何を差すのか、彼女にはわからなかった。
 気づいた植村が口をまげて大沢を見た。視線に気づいた大沢がため息を吐く。
 そっと、教授が言った。
「ツイン・テラ・ランチャーか」
 男は答えはしなかったが、軽く口許を弛ませていた。
「彼には撃てまい」


「そんなのあるの?」
 驚きを隠せずに睦美が言う。
「じゃあ、さっさとそれ使って、倒しちゃえばいいじゃん」
「できれば、とっくにやってますよ」
 苦笑するようにして笑い、一也は睦美の事を見た。
「でも、そんなことすれば、この辺りもどうなるかわからないですしね。だいたい、R‐IIのそれは僕もまだ使った事がないですし」
 ため息と共に、言う。
「少なくとも、R‐1の時のそれは、山をひとつ消し飛ばすだけの力がありましたから。R‐IIには、それが二つ付いてるんです」
「破壊力は未知数…」
 ため息を吐いたのは吉原だ。
「あの教授の作りそうなモンだ」
「奴らが欲しいのは、きっとそれだよ」
 館内に男の声が響く。
「十五分だけ待とう。君の判断次第で、君らの仲間だけではない。世界中の運命が決まると思って、よく考えるといい」
 無機質なスピーカーからの声が響く。


 Nec本部の外。
 ハンガーの中から聞こえるその声を聞いて、新士は目を細めた。
「ダッシュな展開になってるみたいだな」
「の、ようだな」
 返すのは片桐。
「だから言ったじゃないですか。俺たちにどうにかできる事じゃないですよ」
「なんだ、篠塚。もう怖じ気づいたのか?」
「そんなんじゃないですよ」
「初めからだものな」
「片桐さんっ!」
「静かにしろよ」
 篠塚を睨みつけ、新士は言った。「そいつらが目ェさましたら、また面倒だろうが」「そうですけど…」
 そいつら──篠塚の視線の先には、気絶している兵士がいた。
「しばらくは起きんよ」
 壁を探りながら口許を弛ませるのは片桐。「手加減はしなかったからね」
「死んでないだろうな?」
「運がよければ大丈夫だろう」
「運の問題なんですか?」
 篠塚が聞き返したが、片桐は聞いていない。
「ここだ」
 と、壁の一カ所だけ微妙に色の違う部分を見つけると、手にしていたナイフをその境目に差し込んだ。そして手首を起こす。と、中から赤いコックが覗いた。
 新士にそれが見えるよう、片桐は身体をずらす。
「こういうのは、シゲさんの仕業だな」
「だろうな」
「よし、行くぞ」
「マジですか!?」
「じゃあ篠塚、お前ここに残るか?」
「もっと嫌ですよ!」
「じゃあ、行くしかないな」
 笑って、新士はそのコックをひねった。少しはずれたところの壁が、エアジャッキの空気が解放される音ともに、ゆっくりと開いた。
「ここから入れば、ハンガー内のパーツ倉庫に行けるんだな?」
「ああ」
 と、片桐が返す。
 少し、上の空と言うように。
「…どうした?」
 気づいた泉田が聞く。すぐさまに片桐は返した。
「速く行け。誰か来る」
「本当ですかっ!?」
「大声を出すなっ!」
 大声に篠塚の頭を殴る泉田。
「アホか、お前ら」
 新士は目を細めてぼやいた。
「速く入れ」
 言われて、あたふたと篠塚はその隠し扉の中へと飛び込んだ。追って、泉田が中へと飛び込む。
「片桐」
「いや、俺は残ろう。その扉を閉めにゃならんし、その兵士を見つけられたらやっかいだ」
 その言葉の後ろに、誰かの近づく足音が、確かに新士の耳にも届いた。
「…そうか」
「ああ」
「ヘマをするなよ」
「お前もだ」
 そう言って、片桐は笑った。


「待て」
 通路の中を進もうとした新士は、片桐の声に足を止めた。
「…どうした?」
 立ち止まった新士に、奥にいた泉田が聞く。「どうした?」鸚鵡替えしに、新士は片桐に言葉を渡す。
「知ってる顔だ」
 その言い方は、少し吐き捨てるような雰囲気だった。
「面識は、ないがな」
 足音が近づいてくる。
 新士はごくりと唾を飲んだ。
「そこで、何をしている?」
 声。東海岸特有の、早口な英語。
「その台詞は、そのままこちらがあんたに聞きたいことだ」
 片桐が返す。
 その男はかすかに笑うと、静かに厚い眼鏡をあげて、言った。
「実は、君たちと同じように私もここにずっといて、見ていたんだよ。また、奴らがおかしな事をはじめたようだね」
「質問の答えになっていないな、ミスター」
 片桐の声に、新士は通路の中から表へと出た。
 そこには、初老というにはまだ早い、ひとりの男の姿があった。
「──あなたは…」
 すぐにわかった。
 片桐と篠塚が集めてきた情報の中にあった写真で、何度か見たことがあった顔だった。
「彼が君らのリーダーだね?」
 男が片桐に向かって言う。「彼に言ってくれないか?」
「すまないが、同行させてくれないかね?奴らに、どうしても伝えておきたいことがあるんだ」
 厚い眼鏡をあげて、男は再び口許を弛ませた。


「奴らは、R‐IIを起動させたいんだ」
 皆を見回し、一也はそっと言った。
「R‐IIには僕の間脳電流を元にしたパーソナルコードが登録されていて、僕以外の人間には起動させることもできない」
「そのツインなんとだけを持って行かれるってことは?」
 吉原が聞く。
「持っていったところで、撃てないわ」
 遙が返す。
「ツイン・テラ・ランチャーを撃つだけのエネルギーを供給できるものがないし、撃った後の反動で生まれる熱を、効率よく放熱させる術もないしね」
「背中の羽みたいの?」
「そ」
「じゃ、もしも──」
 小さく、詩織。
「もしも、一也くんが巨大ロボットを動かして、それで、その、ツインなんとかをあの人たちが、撃ったとしたら?」
「…R‐IIのツイン・テラ・システムがどれだけの破壊力を持っているか知らないけど」
 そう前置きをして、一也はゆっくりと立ち上がった。
「大沢さんの話によれば、もともとあれは地球上で撃つことを前提に作ったんじゃないらしい」
「なんだよ、それ」
「宇宙には気温がないから、放熱量の計算なんか、してないって話だよ。つまり、リミッターなんかは初めから付いてないってわけ」
「どこに行くの?」
 立ち上がった一也に向かって、睦美が聞いた。
「トイレ」
 一也は軽く言う。
「こんな時に、そんなワケないでしょう」
「ツイン・テラ・ランチャーを撃たせるわけにはいかない。撃てば、辺り一面の地形を変えてしまうのは確実だし」
「だからって、出ていってどうにかなることでもないでしょ?」
 遙。
「そうだけど」
 一也は軽く笑ったままで、軽く、言った。
「でも──って、さ」
 静かに、ドアを開けて。


                                   つづく


[END of FILE]