studio Odyssey


2nd Millennium END. 第4部




 夕暮れに、雷が空を駆け抜けた。
 やがて、再び雨が降り始めた。
 ふと顔をあげて、窓を打つ雨に、一也は初めて時の流れに気がついたような気がした。ノートの上に書かれたたくさんの英文。再びそれを見て、ため息。立ち上がり、窓に歩み寄る。手を、そっとその窓枠に押しつける。
 青かった空が無くなっていた。厚い、黒い雲が夏の空を覆っていた。雨が窓を打ち始めていた。
「夕立か──」
 再び、雷鳴がとどろいた。
 降り続ける雨の雨足が、少しずつ、強くなり始めていた。
 そしてその雨を割って、エネミーが再び姿を現した。


 横須賀。
 激しく降り出した雨に揺れる海面。そこを割って、亀の姿をした巨大な生物が立ち上がる。
 エネミー。
 そしてそれは、黒い雲の覆った夏の空に向けて、ひとつ、大きく吠えあげた。巨大な身体を揺さぶらせ、世界中を震撼させるようにして。
 それに応えを返す、横須賀港米海軍基地の緊急警報音。
 再びエネミーが現れた場所──横須賀の海に浮かぶコンクリートの島、メガフロート──に向かい、雨雲の空を裂いてF/A-18が迫る。横須賀港に配備された空母、キティーホークから、カタパルトの蒸気の音と共に発艦する先制攻撃手が、それに迫る。
 戦いが始まる。
 やがて、光の明滅が、雨降る空に輝き出す。


 降り出した雨にも気づかないほどの熱気が、そのマンションの前にはあった。集まった百に届こうかという数の報道陣たちは皆、そのニュースに自らを律することなど、出来なくなっていたのだった。
 誰かがそのマンションの中に入っていく。と、全ての者がその後ろに、遅れるものかとばかりに続いていく。
 行く先はひとつ。
 吉田 一也。彼のいる部屋だ。


 テレビがその映像を伝え始めたのは、そのすぐ後だった。
 横須賀に現れたエネミーの姿。
 真っ直ぐに陸をめざし、メガフロートにその足をかけ、咆哮をあげる姿。
 世界中に、同じ瞬間が駆け抜ける。
 映像の中、雨降る空には、無数のF/A-18が飛び交っていた。
 皆、対エネミー用弾頭を抱え、攻撃を続けている。エネミーの着上陸阻止──しかし、エネミーはその爆撃の中を、悠然と進んでいく。
「何故効かない!?」
 キティーホークから次々と上がっていく艦載機を双眼鏡の向こうに見つめ、第七艦隊司令官の男は舌を打つ。
「対エネミー用ミサイルを積んでいるはずじゃないのか!?」
 対エネミー用ミサイル。二年前の戦闘時に開発されたミサイルだ。
 単純に破壊力が強いだけではない。エネミーの体細胞を分析し、最も効率よくその細胞を破壊できるように調整され、人類の科学力の粋を集めたミサイルのはずなのに──
「艦載機による攻撃の有効性は認められていません」
 ゆっくりと言う、副司令官。司令官はその言葉に、再び舌を打つ。
「とすれば──超硬化薄膜か──」
「考えられないことはありませんが──最新型のミサイルならば、超硬化薄膜とて、これだけの攻撃に堪えられるはずがありません」
「とすれば今、目の前にいる奴は何なのだ!」
 司令官は苛立たしげに叫んで、双眼鏡を手にした手でコンソールパネルを思い切りに叩いた。衝撃に、音を立てて二つ三つのスイッチが弾け飛んだ。
「──とすれば?」
 F/A-18が夏の夕暮れに降り出した雨の中を駆け抜けていく。
 呟いた司令官の声は、エネミーの咆哮の中に、駆け抜けていくジェットエンジンの音の中に、掻き消された。
「──エネミーじゃない?」


「吉田さん!いるんでしょう?」「一言お願いしますよ!」「一也君!先ほどいらしていたのは、村上 遙さんですよね!?なんの話をしていらしたんですか!?」「エネミーが再び現れたんですよ!!」
「再び、世界は危機に直面しているんですよ!?」
 玄関のドアを、誰かが強く叩いていた。誰が叩いていたか、そんなことはもう、誰にもわからないくらいだった。
 響く音。
 マンションの廊下に、リビングに。
 一也の部屋に、その耳に。
 けたたましく、電話が鳴りはじめた。
 びくりとして、ダイニングキッチンの椅子に座っていた香奈は、身を震わせた。
 突然に鳴り出した音が、彼女を呼ぶ。呼び続ける。彼女はゆっくりと立ち上がって、それに手を伸ばそうとして、その手を止める。
 叩き続けられているドア。鳴り続けている電話。
 香奈は耳を塞いで強く目を閉じると、もうどうすることもできなくて、リビングの床にぺたりと座り込んでしまったのだった。嗚咽がもれそうになる。
 もう、どうしようもなくて──
 ウィッチが、小さく口を動かしていた。けれど、そこからの声は、誰の耳にも届かなかった。届く前に、他の音に掻き消されてしまって──その音が、突然止んだ。
 ドアの開く音に。
 一瞬の静寂に、雨音が滑り込んでくる。
「──一也?」




   新世機動戦記 R‐0 2nd Millennium END.
                         第4部




       1

 爆発がカメラに映った。
 エネミーの体表に炸裂する爆発。
 米海軍、第七艦隊旗艦ブルーリッジを中心に、ミサイル巡洋艦のモービルベイ、チャンセラーズ、ビルセンスをはじめとする、イージス艦五隻が放った艦隊攻撃によるものである。
 当然、米海軍だけではない。海上自衛隊では潜水艦隊旗艦、おやしお、そしてゆうしお型三隻、はるしお型四隻を出して、共同戦線を張っている。
 けれど、
「攻撃による有効性は認められません!」
 結局、どの艦に聞こえてくる報告も、変わりはしなかった。
 イラクへのミサイル攻撃をした駆逐艦、ヒューイットが最新型の対エネミー用ミサイルを放つ。過去の英雄の意地である。
 雨を、ミサイルの閃光が引き裂いていく。そして爆発。
 対潜哨戒機、P3‐Cがその上空を舞っていた。
 ぐらりと、エネミーの巨体が揺らいだ。──それだけで、エネミーは元の姿勢に戻ると、再び強く吠えあげた。
「攻撃の有効性、確認できず!」
 エネミーは、進み続ける。その映像が、切り替わった。
 瞬くフラッシュ。ピンスポットライトの光。何故その映像が突然に映し出されたか、ほとんどの者にはわからなかっただろう。
「今、吉田一也君がドアを開けて姿を現しました!」
 マイクに拾われる声。映し出されている報道陣たちの背中。揺れているフレーム。
 その映像の中に、彼の姿は見えなかった。ただ、騒然だけ。それだけが、そこに映し出されている。
「──どいてくれ」
 喧噪の中からの、声。そして──どこかの局のカメラが邪魔で、彼がそれを右手ではねのけた瞬間、彼の目が、そのカメラに映った。
 それは、初めて彼の姿がこの戦いの中で、全ての者たちの目に触れた瞬間だった。
 だけれど、別に彼にとってはそんなこと、どうでもよかった。
「どいてくれ」
 口を動かす。報道陣を掻き分けて、彼は進む。
「一也君!何か一言!」「再び現れたエネミーに、戦ってはくれないんですか?」「先ほど来られた方は、村上 遙さんですよね!?何のお話をなされていたんですか!?」「またNecが結成されるんですね!?」
 喧噪が映っていた。
 世界中のテレビには、その喧噪か──もしくはそのエネミーの姿が、映っていた。
 爆発する閃光。
 カメラのフラッシュの閃光。
 エネミーの咆哮が響く。
 一也の、声が響く。
「どけっていってんだろ!」


 雨が降り続けている。
 この街の全ての場所で。
 その雨は、この場所ではその戦いを洗うように、降り続けていた。
 キティーホークの甲板を濡らす雨。
 配備された兵士たちは、雨の向こうの現実すぎる映像を見て、言葉を無くす以外に出来ることはなかった。
 何十機と、この甲板からF/A-18が上がっていっただろう。そして、その姿は何機減っただろう。ここからではわからない。全弾を撃ちつくして、何機が戻ってきただろう。
 誰も覚えてはいない。
 現実すぎる映像が、網膜という一枚のレンズの向こうに、映し出されている。
 エネミーが横須賀の街に近づいていく。禍々しい巨体。亀のような姿。恐怖のかたち。
 やがて、また一機がこの甲板へと戻ってくる。
 兵士たちはそれを見て、皆、持ち場へと展開していった。
 しかし、その一機が、この空母キティーホークに降り立つ最後の一機となることを、まだ未来を知らない誰もが、知るよしもなかった。


 キティーホークに着艦すべく軌道に乗ったF/A-18を見上げ、甲板上にいた兵士たちは皆、恐怖に目を見開いた。
 F/A-18は甲板に真っ直ぐに迫ってくる。それは、間違いなく着艦軌道上に乗っていた。世界屈指のパイロットたちが駆る戦闘機だ。そんな失敗はあり得ない──
 激しく左右にふらふらと揺れているF/A-18。理由は、誰にもわからなかった。
 わからなかったけれど、しかしその揺れはあまりにも激しく、金属である機体が、この戦いに、戦場で彼が見てきたもののために、恐怖にうち震えているようにも見てとれた。
「なんだ──?」
「馬鹿!下がれ、下がれ!!」
「落ちるぞ!?」
 誰かが声を上げる。その声に覆い被さるように、甲板に一機のF/A-18が着弾する。
 閃光と熱によって、雨に濡れた甲板に白い煙が巻き起こった。化学消化剤を手にした兵士が慌てて駆けてくる。続いて、何十という兵士たちが駆け寄ってくる。──その事実の前に。
「なん──!?」
 その事実──集まった兵士たちは、皆、一様に息をのんだ。
 甲板に落ちたF/A-18の一部が、ほとんど無傷の状態で残っていた。爆発にも、全くその姿を変えず、燃えさかる炎の中、金属の機体を焦がしもせず──無傷。
「どういうことだ?」
「F/A-18じゃ──ないのか?」
 そしてさらに、
「生きてる──?」
 さらにそれは、金属であるにも関わらず、胎動するようにして打ち震えていたのであった。生物の鼓動とまさに同じように、ひとつのかたまりとして、連続して繋がっている部品ですらも、まるで身体の一部のように、打ち震えていたのであった。
「生きてる──?」
 兵士たちは理解した。この甲板に着弾したF/A-18が、なぜ震えていたか。
 それは生きていたからだ。だけれど──
「これはどういうことだ!?」
 それに気づいたところで、それはもう誰にも、人の力で止められるものではなかった。
 誰かが叫んだ。悲鳴に混じって。
 その金属の胎動は、急激な速度で彼らの足下にまで及んだのである。航空甲板、その上にまで。
 胎動が、限りなく水平に近い甲板を駆け抜けていく。駆け抜けて、やがてそれはキティーホーク全てに広まっていった。
 感染するように。
「まさかこれが──!?」
 生き、猛り狂ったように激しく打ち震える航空甲板。やがて、艦橋もその胎動に支配され──艦橋の一部が爆発するようにして、肉が、中から弾け飛ぶようにして、宙に散った。
 言葉を無くす兵士たちの耳に、誰もが皆、始めて聞く警報音が届く。
「緊急待避!総員退艦!繰り返す──」
 海上で、激しく胎動する八万一千トンの金属の巨艦。
 鳴り響く警報音。
 その音に呼応するかのように、生物の心臓の鼓動と同じようなその胎動が、早鐘を打つように加速していく。誰も、その理由はわからなかった。けれど、誰しも、ひとつの事だけはわかっていた。
「緊急待避!総員退艦!繰り返す──」
 やがて、八万一千トンの金属は、雨の降り続ける海の上で弾け飛んだ。
 生物の肉と、まさに同じように。
 爆発が続く。何十、何百。海鳴りのような、重く太い音が辺りに響きはじめ──巨艦が海の藻屑と化すのに、それほどの時間はかからなかった。
 けれど──その映像を送るカメラは何処にもなかった。
 ただ、エネミーの咆哮だけが、雨の中に響いていた。


 雨が、降り続けていた。
 この街の全ての場所で。
 その雨は、この場所には静寂をもたらしていた。
 雨の中を、一也が歩いていく。マンションの前。報道陣たちが、彼を遠巻きにしている。
 彼は全てを拒絶するように声を張り上げたあと、全てを押しのけて、歩き出した。マンションの廊下を進み、長い階段をゆっくりと降りて、そして玄関。
 微かなざわめき。
 声をかけようとする者の姿も、あった。だけれど、彼の横顔は、誰にもそれをさせてはくれなかった。
 彼はただ無言で駐輪場にまで歩いていくと、ポケットからキーを取り出し、自分のバイクのそこにゆっくりと差し込んだ。
「わかっていますか!?」
 突然に駆けられた女性の声に、ふと手を止める一也。
 振り向くと、どこかの女性レポーターが、彼に向かってマイクを突き出していた。何処かで見たことのある顔。記憶の糸をたどる。
 そういえば──一度あの廃格納庫で彼に声をかけたことのある女性とよく似ているような気がして──でもそれだけ。
 一也は再び視線を戻す。
「わかっていますか?」
 彼女は言う。
「人類は再び、未曾有の危機に直面しているんですよ!?」


       2

「スパイダー砲撃タイプ、レールガン発射態勢!」
 迫り来るエネミーの前に、スパイダー大隊が立ちはだかった。矢面に立つのはあのスパイダー、先の戦いの英雄たる、スパイダー1型である。
 スパイダー1型砲撃タイプ。過去にエネミーをうち倒し続けてきた存在。
 超硬化薄膜とて、このレールガンの前にはゴッデスハイパーエレクトリックドリルと同様のプラズマ帯電法を用いて突破することが出来る。そこに、対エネミー用ミサイルを打ち込めば──それは、先の戦いで米軍が作り出した、地上戦の勝利の方程式であった。
 そして今、再びのために、横須賀の大地に立ったエネミーの前にスパイダー大隊が立ちはだかる。
 そして、
「全機、レールガン発射!!」
 巨大な鋼鉄の蜘蛛たちが、一斉に光の放火を放った。続いて、スパイダー大隊の主力、スパイダーUがその腹を持ち上げて、格納された対エネミー用ミサイルを打ち放つ。
 弧を描く軌跡の全てが、エネミーにあやまたずに炸裂した。
 けれど、結局、それはやはりそれだけだった。
 エネミーが吠えあげる。大地を揺るがす程に強く、強烈に。
「攻撃の有効性、認められ──!?」
 次の瞬間、雨が降り注いだ。
 と、誰もが思った。
 が、それは雨ではなくて──エネミーの胸から放たれた、槍のような肉の塊であった。何十、何百──その雨は大地の上に、そこにいるスパイダーの上に、一瞬にして降り注いだ。
 誰かの声が、誰かのインカムに届く。
「エネミーじゃない!?」
 炸裂する爆発の光。
 一瞬のうちに、スパイダー大隊のほとんど全てが、戦場から姿を消していた。
 エネミーが再び、身体の芯に眠っているはずの恐怖を呼び起こすように、強く吼えあげた。蜘蛛たちが、じりじりとそのラインを下げはじめていた。
 それでも、大隊は──後退しながらも──戦うしかなかった。辛い戦い。それでも、戦うしかなかない。
 雨の向こう、街灯りが少しずつ、灯りはじめている。
 雨の向こう、光が幾つも幾つも、明滅している。


 その、雨の降り注ぐ街の中で、
「わかってるよ」
 一也は小さく、返した。
 返して、駐輪場に止めてあった自分のバイクに跨った。差し込んだキーをまわす。スロットルを、まわす。
 エンジン音が、雨の中に強く響いた。
「じゃ、どうして再び、戦わないんですか?わかっているのに?」
 彼にマイクを向けた女性キャスターは、一歩として引かずに尋ねた。けれど、一也は前に踏み出さんばかりの彼女に、軽く口許を弛ませて返す。だけ。
「じゃあ、どうして、僕がまた戦わなきゃならないんですか?」
 返して、一也はもう一度アクセルをふかした。女性キャスターの彼女、そして彼女に続き、詰め寄ろうとしていた皆の足が、その爆音に躊躇して立ち止まった。
 それを視界の隅に入れて、一也は続けた。
「どうして、また、僕にそう言うんですか?その理由が、わからないですよ」
 二年前──僕たちは戦った。
 もしかしたら、死と向かい合わせになって、僕たちは戦った。けど──その戦いの中で、僕たちは何を手に入れただろう。
 手に入れた物──たしかにそれは、あったはずだけど──誰かのために、それを信じて闘う──手に入れたものも、あったはずだったけれど──
 結局、その手に入れた物も、二年という月日の中で、ゆっくりと消えていってしまったようで──
「あれから、二年も経ったんですよ?」
 一也は小さく、言った。
 二年の月日が流れて、何が変わっただろう。変わったものなんかなくて、結局、すべて、ただ傷が癒えるように、全てなくなってしまっただけのようで──
 ハンドルに両手をかけ、再びアクセルをまわし、エンジン音を雨の中に響かせる一也。胸に渦巻く、自分でもよくわからないような想いを、かき混ぜてうやむやにしてしまうためにも、その爆音を何度か小刻みに響かせて、一也は、再び小さく言った。
「なのに、どうしてまたエネミーが?どうしてまた、僕が?二年の間に、何かが変わったんじゃないんですか?二年の間、何をしてきたんですか?何もしてこなかったんですか?だからまた、僕が?」
 だったら──
「結局何をしても同じなら、誰が何をしても、同じでしょう?」
 言って、一也は大きく息を吸い込んだ。
 だったら──僕が戦う必要なんてない。ひとつ、小さくうなずく。
 爆音が再び響いて、それは動き出した。


 戦場は、すぐ目の前にある。
 でも、その場所に行くことは出来なくて──
 死と向かい合って、再び、戦う事なんて出来なくて──
 一也は雨降るの街の中に、走り出した。


 何十ものレンズが、その後ろ姿を追う。車の、バイクのエンジンの動き出す音がそれに続く。コメントを述べる無数のレポーターがいる。何を言っても、一也の耳にその言葉たちが届くことはなかったけれど。
 雨の向こうに消えていく姿。
 やがて、何事もなかったかの様な静寂がもどってくるだろう。今は、騒然とした空気と、人の動きがそこにあるけれど。
 雨が、降り続けていた。
 アスファルトを濡らし、できた水たまりに無数の波紋を作りだしながら──雨が降り続けいた。
 その雨を窓の向こう見つめ、香奈は小さくため息をもらす。
 ため息に、力が抜けていって、立っていられなくなって、香奈はリビングの冷たい床に再びぺたりと座り込んだ。
 何もできなくて、うつむく。うつむいて、長いため息をはいて──もうこれ以上床に近づくことなんて、小さくまとまる事なんて、出来やしなかったのに、香奈は目をつむった。
 自分が小さくなってしまうような感覚。どこまでもどこもまで、落ちていってしまうような感覚。
 座り込んだまま、香奈は両手でそっと、自分の顔を覆った。
 小さく、歩み寄ってきた黒猫が鳴く。さらりと流れた髪に隠れた彼女の顔をぞき込むために、彼女の膝の前まで歩み寄ってきて。
 弱く、小さく、黒猫が鳴いた。
 取り戻された静寂の中で、その声がやけに強く、響いていた。


「彼は、戦うことを拒んだ…」
 声が、言った。


「それもまた、彼の選択だ」
 全ての電波を捕らえ、その声は言った。全ての局が映していた映像はすべて、当然違う。けれど、その声は全ての電波を捕らえ、そして全てのものに伝えられたのであった。
 誰もがはっとして、テレビ画面に視線を走らせた。
 声が続ける。
「その彼の選択を、我々は非難することこそ出来ても、とめることは出来ない。それは、彼の決めた、未来へ繋がる今のひとつだからだ。だが──」
 全ての電波を捕らえたその声は、その老人の声は、言った。力強く、そう──
「だが──それでも戦う者は、この世界に存在する!」
 言うなれば熱い、声で。
 老人の声に、今度は全ての映像が同じものに切り替えられる。
 エネミーの姿が一瞬映し出され、足下に燃える金属の塊の残骸が映し出され、そして、急激に画面がティルトされ、雨雲の空が映し出されて──その向こうで、何か、銀色の光がぎらりと輝いた。
「それでも戦う者は──」
 微かなメロディーが、耳に届いたような気がした。何かを予感させるようなピアノの旋律。それは、いつかどこかで聞いたことのあるような旋律──
「それでも戦う者は──この世界に存在する!!」
 老人の声に、メロディーは確かな力を持って、響いた。
 あの、ピアノの旋律。
 銀色の光が再び空に輝く。


「世紀末──俺たちはそれでも戦い抜いて、生き抜いてみせるぜッ!」
 輝いた銀色の光は、雨雲を割って姿を現した。
 音速を越えた、天空を駆け抜ける一機の鳥。ゴッデススカイ。超速の戦闘機がエネミーに向かって、真っ直ぐに突き進む。
「行くぜ!大地!海野!」
 そしてそのパイロット、大空 衛はモニターの向こうのエネミーを見据えて、熱い血潮の通った声で叫んだ。
 その歯を、きらりと白く輝かせて。
「おう!」
 応える声。ゴッデスアースパイロット、大地の声だ。続いて、ゴッデスアースが横須賀の街の向こうから姿を現す。
「二年前の借りは、全部返させてもらうぜ!!」
「さあ!人類の真価、今こそ見せてやる!」
 と、横須賀の海を割ってゴッデスマリンも姿を現した。
「オレ達の力、今、再び!」
 ふっと口許を弛ませ、長い髪をかき上げて言うのはゴッデスマリンパイロット、海野だ。
 そう──今、再び、三神がこの地に集ったのである。
「行くぜーッ!!」
 大空が熱血絶叫する。
「おうッ!!」
 大地、海野が続く。
 コックピット右脇にある、『G』というレバーに手をかけて。


 三体の飛行機が、爆音を響かせて天空へと舞い上がった。
 エネミーが、突然に現れた戦闘機に吠えあげ、腕を振るう。が、三機はその腕をかわしながら、垂直に、白い煙幕の軌跡と共に、上昇して行った。
 その映像を、世界中に届けながら。
「行くぜッ!」
 大空が叫ぶ。
「世界中の子ども達よ!今、再び──っ!!」
「これが、オレ達の力だ!」
「さぁ!準備はいいかッ!!」
「行くぜッ!」
 アニメ的に言うなら、画面に三人の顔が三分割で現れるといったところか。もちろん、普通に届けられるテレビの映像ではそこまではさすがに──今回は少々急であったこともあってか──なってはいなかったけれど。
 映し出された映像──垂直に上昇する三機が、お互いに絡み合う。白い軌跡が、美しい螺旋を描く。
 そして、
「ジャスト──!!」
 大空のその声にあわせ、三人は同時に、熱血絶叫しながらそのレバーを引いた。
「フュージョン!!」


 雨降る空をバックに、三つの巨大な飛行機が変形してゆく。
「ゴッデスマリン!フュージョン!!」
 一機が下半身に。
「ゴッデスアース!フュージョンッ!!」
 一機が腕と胴の一部に。
「ゴッデススカイッ!フュージョンッ!!」
 そして一機が頭と残りの胴を。
 各機がレーザー光に引き寄せられるように、大空で一直線に並ぶ。ストリングスを混ぜたピアノの旋律が、確かに響く。ゆったりとして、何かを予感させるような旋律。そして、ドラムの音が続いた。フィルインだ。
 徐々に近づいていく三機。
 クラッシュシンバルの音が響くと、その音に合わせるかのように、まずはゴッデスマリンの変形した足と、ゴッデスアースの変形した胴とが合体した。
 曇天の空に、雷にも似た空中放電が放たれる。
 そして、ゆっくりとゴッデススカイが近づいていく。再びのフィルイン。続くクラッシュシンバルの音。ゴッデススカイが合体する。
 そして三機の飛行機は、一体の巨大ロボットとなった。
 再び現れた正義の巨神、身長57メートルの巨大ロボットはくるりと宙で身をひるがえし──ついでだ──その瞬間に現れた顔、その目をぎらりと輝かせ、550トンの巨体で海面を叩き割って、着地した。
 海水が辺りに舞う。その中で光る、正義の巨神の力強い眼光。
 エネミーが舞い上がった海水に身を引く。
 その前に、真っ直ぐに巨神は立ちはだかると、
「三神合体、『ゴッデススリー』!!」
 三人そろって熱血絶叫。当然、決めポーズはバッチリだ。


「それでも戦う者は、この世界に存在する」
 マッドサイエンティスト、道徳寺 兼康の声が、再び全ての電波を支配した。


       3

「あとは、オレたちに任せてくれ!」
 陸に視線を送るゴッデススリー。スパイダー大隊のわずかとなった生き残りが、その大空の声に撤退を開始する。「さぁ──俺たちが相手になるぜ…」
 再びエネミーに向き直るゴッデススリー。
「さすがのスパイダーとはいえ、こいつは手に余るだろうよ」
 と、海野。
「だからこそ、オレたちは燃えるってもんだけどな」
 大地が続く。
 そして、
「それじゃ、オレたち人類の反撃──いくぜッ!!」
 マニュピレーションレバーを思い切りに突き出して、大空は叫んだ。
 エネミーに肉薄するゴッデススリー。海面を叩き割り、大地に立ったエネミーに向かい、
「ゴッデス・パーンチ!」
 巨体から、その顔面めがけて鉄拳を繰りだした。鉄拳とは言っても、当然、本質はパンチ。もっとも、550トンの巨体から繰り出されるパンチだ。その破壊力は相当にすさまじいが。
 さすがのエネミーも、これにはひるんだ。
 体勢を崩し、エネミーは咆哮とともに横須賀の街に倒れ込んだ。いくつかのビルが巨体の下敷きとなって、煙幕をまき散らしながら崩れ落ちていた。
 その映像を伝えるレンズの前で、
「ゴッデススリーです!」
 ヘリコプターから身を乗り出すようにして、佐伯 菜美は声を張り上げた。
「世界が危機に瀕し、未曾有の危機に太刀打ちできずに絶望している中、ついに、絶望を希望に変える正義の巨神、ゴッデススリーが姿を現しました!がんばれゴッデススリー!!」
 ゆっくりと立ち上がったエネミーが、雨の中を舞う煙幕の中、眼前のゴッデススリーを捉える。
「エネミーが動きます──あっ!?」
 突然、亀の姿からは想像もできないほどのスピードで、エネミーはゴッデススリーに向かって襲いかかった。体当たりだ。
「ちっ!!」
 舌を打つ大空。身をかわそうとするが、間に合わない。
「堪えろ、ゴッデススリー!!」
 エネミーの巨体とゴッデススリーの巨体とが、激しくぶつかり合う。響く鈍い音。さすがのゴッデススリーも、この一撃には身を引いた。身を引いて、横須賀の海の中に、再びその足を戻した。
「やるじゃないか!!」
 答えて返す大空。ゴッデススリーが再び足を入れた海面が、激しく波を打っている。
「二年前とは、こっちも違うぞと言うことか!」
 眼前、陸の上からゴッデススリーを見据えるエネミーを見返し、ゴッデススリーは構えを正す。そしてその眼を、ぎらりと強く輝かせた。
「ならばこっちも本気を出すぜ!」
「やってやるか!」
「おう!」
 答える皆の声に、海野はマニュピレーションレバー握り直した。
「見せてやるぜ、ゴッデススリーの真価!」
 そして、複雑な動作にレバーを動かす。と、ゴッデススリーもその巨体をしなやかに動かし──まるで太極拳のように──海に沈んだ両足を、しっかりと確かめ直した。
 確かめ直し、ぴたりと制止──
 次の瞬間、エネミーに向かい、海野は全力で熱血絶叫した。
「ゴッデス・水流!!」
 海中に没していた足を蹴り上げるゴッデススリー。軌跡を描き、光がそこを駆け抜ける。同時に、凄まじい勢いで槍の形を成した水の塊が、エネミーに向かって襲いかかった。
 エネミーは吠えた。その強烈な水圧の槍は、さすがのエネミーの巨体にも数本突き刺さったのである。
 断末魔に近い咆哮が、エネミーの口から響いた。
「いけるぞ!」
「よっしゃ!」
 続くのは大地だ。大地もまた、複雑にレバーを動かし、叫ぶ。
「ゴッデス・火砕流!」
 その熱血絶叫にジャンプするゴッデススリー。高く高くゴッデススリーは飛び上がり、一瞬前までいた海面から、エネミーの眼前の大地に降り立ち、光り輝く右手を力強くその大地に向かって叩きつけた。
 大地を撃ったゴッデススリーの衝撃に、エネミーの足下から立ち昇る光の柱。生まれ出た光の槍が、エネミーの身体を串刺した。
 再び響く、エネミーの咆哮。
「大空!!」
「これで決めてやれ!!」
「よし!──これで終わりだ、エネミー!!」
 熱血絶叫に、大空もまた、複雑にレバーを動かした。
 ゴッデススリーが身構え、その目をぎらりと強く輝かせる。


 雨。
 降り続ける雨。
 その向こうで、戦う巨大ロボットの姿。
 女性キャスターの声が聞こえる。何を言っているのかは、ちょっと、わからない。国道沿いの電気屋の前、列べられたテレビが、同じ映像を映している。
 立ち止まる人たちの姿がある。信号待ちに、一也も止まっていたはずだった。クラクションの音にはっとして、信号を見た。
 青。
 一也はウィンカーを出して、バイクを脇に寄せた。
 雨の向こう、モニターに、エネミーの姿が映っていた。
 自分もああして、モニターの向こうにエネミーを見ていたっけ。最も、自分の場合はたとえモニター越しにでも、そこに現実があったのだけれど。
 モニターの向こう、戦うゴッデススリーの姿。
 一也はそれを見つめていた。
 きっと、あそこには大空さん達がいて──正義を信じて戦っている。
 けど僕は──バイクから降りる──正義って、何だったっけ?
 そして一也はその並べられたモニターの前に立った。
 雨が、絶え間なく降り続けていた。
 傘ももたない一也の上に、絶え間なく、降り続けていた。
 ──命をかけて戦って、それで何が手にはいるっけ?富とか名誉とか名声とか?
 だけど、そんなもの、命に比べれば全然安っちくない?安っちくて、薄っぺらくて、命をかけてまで手に入れたいものなんかじゃ──ない。
 それでも、誰かの起こした、起こるはずのなかった馬鹿な戦いに身を投じて、それでどうなる?
 僕は、あの戦いで、何を手に入れただろうか。もしかしたら、失ったものの方が全然、大きかったような気がして──一也はこめかみにそっと触れてみた。
 金属の冷たい感触。BSS。その端末。
 こんなもの、なくったってよかったのに。
 あの戦いに、意味なんか、あったんだろうか。
 それでも、また、戦うべきなんだろうか。
 それでも──
 雨が、降り続けている。
 ──遙はまた、戦うって言うんだろうか。


「これで終わりだ!エネミー!!」
 ぎらりと目を輝かせたゴッデススリーが、その腕を振るう。
「ゴッデス──!」
 モニターの向こうを見据えた大空の目と、エネミーの黒く窪んだ目が合った。瞬間、はっとする。
「──!?」
 大空は素早くマニュピレーションレバーを動かし、叫んだ。
「ゴッデス・真風流!!」
 同時に、エネミーも吠えた。その胸部から肉の槍をスパイダーにむけて撃ったときよりも多く、何百という数を打ち出しながら。
 黒い槍がゴッデススリーの巨体を襲う。けれど、ゴッデススリーもまた大空の繰り出した真空の刃に包まれていた。肉の槍と風の刃が激しくぶつかり合う。雨が、嵐となり、肉片と血の塊を辺りに飛び散らせた。
 風の刃がエネミーを襲う。
 肉の槍がゴッデススリーを襲う。
 大空たちの声。
 そしてエネミーの咆哮。
 続いて二体の巨神が、黒く揺れる海の中に、大音響と共に、はじき飛ばされるようにして倒れ込んだ。
 立ち上る巨大な水柱。
 巻き起こった黒い雨が、戦場に降り注ぐ。
 生臭い、血の匂いと、頭に響く、オイルの匂い。
 静寂──


 先に立ち上がったのは──エネミーだった。
 エネミーは衝撃におかしくなった頭を激しく上下左右に揺らしながら、不機嫌そうに唸りをあげていた。
 ゆっくりと立ち上がり、その胸から赤黒い血を流しながら、生物のそれを流しながら、エネミーは揺れる海の奥に向かって唸りをあげた。
 続いて、ゆっくりとゴッデススリーも海の中から立ち上ってくる。アクチュエーターのモーター音が、灰色の雲が覆う空に吸い込まれていく。
「くっ──」
 大空は喉の奥で声を上げた。
「昔の奴とは、ひと味もふた味も違うってことか──」
「まずいな──」
 海野の声。
「今の奴の攻撃で、アクチュエーターのいくつかがやれた。これから先、格闘戦は苦戦を強いられるぞ」
「エネルギーも三大必殺技にかなりつかっちまった。原子炉がオーバーワークをはじめてる」
 続くのは大地。
 だけれど大空は、ふっと口許を弛ませて、返した。
「それでも戦うさ」
 唸るエネミーが、目の前にいる。
「それでも──オレたちに続く奴は、きっといてくれる」
 すぅと多きく息を吸い込み──ゴッデススリーはその目をぎらり強く輝かせた。
「ただちょっと、派手に遅刻しちまってるだけさ!!」
 ゴッデススリーは、エネミーに向かって駆け出した。
 絶え間なく、雨が降り続けていた。


 それでも戦う。
 意味なんか、ないかもしれないのに。
 どうして、それでも戦うんだろう。それが熱血だから?それが、信じている正義だから?
 正義って、なんだっけ?
 自分の心の中で決めた、正義っていうものがあって、それを、信じ続けることだっけ?
 だったら、今の僕に、正義なんかない。
 からっぽになっちゃったかも知れない心があって、信じるものなんかなくて、結局、じゃ、正義なんてなくなっちゃって。
 今、目の前にある現実は、現実だけど、その現実に立ち向かう気なんかさらさらなくて、きっとそう。
 明日になれば、今のことなんか半分以上忘れてる。
 結局、誰かが傷ついてまで戦っても、なんにも変わらない。
 雨が降ってる。
 明日になれば、きっとこの雨も、止んでる。
 今は、雨が降っているけれど、明日になればきっと、この雨も止んでる。


 雨に濡れながら、一也はテレビを見続けていた。
 行き交う人が、立ちつくす彼を不思議そうに眺めて、すぎていく。結局──気づく人なんかいない。
 少し、身体が震えた。夏の雨が、身体を濡らして、体温を奪っていってるせいだと思った。すこし、寒いんだと思った。強く腕を押さえつけて、震えを止める。
 モニターの向こう、戦うゴッデススリーがいる。アクチュエーターの音を響かせながら、苦戦──それを、ただ見つめてる。
 女性キャスターの声が微かに耳に届いた。「エネミーに、勇気と、闘志を持って立ち向かった巨大ロボ、ゴッデススリーが──」
「もはや我々に、未来はないのでしょうか!?」
 それでも、戦う。
 そして手に入れるべき未来って、結局、なんだっけ?


 エネミーが力強く吠えあげ、再びその巨体でゴッデススリーに襲いかかった。
 身構えるゴッデススリー。しかし──やはり間に合わない。激しい一撃に、ゴッデススリーは体勢を崩した。
 刹那、エネミーはその胸から再び肉の槍を繰り出した。
 体勢を崩して隙を見せていたゴッデススリーの巨体に目掛けて、真っ直ぐに、凄まじい速さで空間を裂いて肉の槍が迫る。
「──!!」
 体勢を立て直そうと、大空は強く歯を食いしばったままマニュピレーションレバーを動かした。が、それは間に合うタイミングではなかった。どんなに素早く反応したとしても、そのタイミングは、ゴッデススリーの反応速度を、明らかに超える速度だった。
 やられる──!?
 初めて、大空はモニターから視線を外した。
 固く、目を閉じた。
 その瞬間から眼を逸らすために。


 空から、閃光がひとつ、大地を刺した。
 凄まじい速さでその閃光はゴッデススリーの眼前を走り抜け、エネミーの立つ直前の大地を、エネミーの繰り出した肉の槍を、一瞬にして蒸発させた。
 遅れて、エネミーが激しく巨体をうち振るわせながら絶叫した。光にかき消された肉の槍の先端から、血の塊が迸っていた。
「なんだ!?」
「何の光──!?」
 大地と海野は、はっとして顔を上げた。
 そして、その光の放たれた先を見て──息を呑んだ。
「──遅かったな」
 目を開けた大空は、ゆっくりとマニュピレーションレバーを動かす。
 それに合わせ、ゆっくりと立ち上がるゴッデススリー。光を打ち出した巨神を迎えるように、ゴッデススリーは、再び大地に立ち上がった。
「待ってたぜ」
 雨に煙る空の向こう、人のかたちをなした影が飛んでいる。大きな二枚の翼と、二枚の羽根。白い、その姿。
 響くアクチュエーター音とジェットエンジンの音。
 手にしたライフルからは、高周波の音が聞こえていた。
 右手には光を打ち出した、その巨大ロボットの武器、H・G・Bライフル。左手には、シールドのシルエット。
 歴戦の勇士──巨神は、大地に舞い降りた。
 R‐1。
 その目に再び、光が輝く。


       4

「ご覧いただけますか!!」
 戦場を飛ぶヘリコプターの中、菜美はマイクを強く握り直した。
「人類の危機、希望の光が今まさに消えようとしていた刹那、我々人類のために、再び正義の巨人が、立ち上がりました!」
 カメラがその姿を追う。白い巨神の姿。
 響くアクチュエーター音。
「R‐1です!」
 世界中の人々は、その再び現れた歴戦の勇士の姿に、最後の希望の光を見た。巨神は正義の象徴で、戦いの勝利を意味して、人類の未来を信じさせてくれる存在で──
「今、再びR‐1が人類のためにエネミーと対峙します!!」


 先に、エネミーが仕掛けた。
 その胸から、黒い槍を打ち放つ。
 身構えるR‐1。シールドに身を隠す。
「無茶だ!」
 モニターの向こうを見て、一也は叫んだ。
 行き交う人が、彼に振り返っていた。雨の街。TV画面の中。R‐1に槍の雨が降り注ぐ。誰が乗ってる?誰?
 一也はガラスの窓に、強く手を押しつけた。
 R‐1が、エネミーの攻撃に飲み込まれていた。
 誰が戦ってる?僕以外に、BSSの端末を持つ人?
 教授以外に、BSSを持つ人?
 そして、エネミーに立ち向かえる人?
 誰──!?
 エネミーの攻撃に、シールドは一撃で粉々に砕け散った。それは、一也の予想通りの結果だった。
 R‐1が手にしていたシールドは、通常シールドではなく、簡易シールドだったのである。空から現れたR‐1は、背中に飛行ユニットを背負っていて──一也はそのオプション装備を使ったことはなかったけれど──その状態で持てるシールドは、重量と装甲を押さえた、簡易シールドでしかない。一也はその事を十分に知っていた。
 結局──映し出された映像は、一也の予想通りの結果となっていた。
「──きっと」
 呟く。
 R‐1のアクチュエーター音が聞こえている。微かに、雨音に混じって。
 R‐1は、光の壁の中で何とかその身を守っていた。ビームシールドだ。実体シールドよりも、遥かに頑強なその盾。
 たぶん──自分ならシールドを身構えると同時にあれを使っていたはずだ。そうすればシールドはまだ守りきれていて、シールドを守りきれていれば、あの中にある対エネミー用ミサイルが──威嚇くらいには──まだ使えて、エネミーに切り込みに行く方法があったはずなのに──
 TVの中のR‐1の手には、すでにシールドの影はなかった。
「──きっと」
 一也は小さく呟いた。


 R‐1が仕掛ける。
 両足のミサイルポッドから、無数のミサイルを撃ち放つ。と同時に、R‐1は飛行ユニットの利点を生かし、低空を飛び、エネミーに迫るミサイルの後ろを追って肉薄した。
 ビームシールドの光を解き放ち、R‐1は腕を振るう。
 エネミーに炸裂するミサイル。巻きあがる爆煙。エネミーの吠える声。
 腕を振るうR‐1の左腕プロテクター先端がふたつに割れ、そこから高周波の音と共に光の剣が生みだされた。
 対薄膜用兵器、プログハング。腕を振るうR‐1の動きにあわせて、それが腕部から解き放たれる。煙の中から現れたエネミーに向かって、あやまたずに光の剣は突き進んだ。
 エネミーが目を見開く。その目に、光の剣が突き刺さった。
 飛び散った肉片と同じくして、エネミーの叫びが雨の中に散った。
「援護に入るぞ!」
 叫び、マニュピレーションレバーを動かす、ゴッデススリーの大空。
「おう!」
「決めてやろうぜッ!」
 大地、海野も続く。
 エネミーに向かって肉薄するゴッデススリー。痛みに暴れるエネミーの脇へと回り込み、
「ゴッデス・キーック!!」
 その足に、強烈な後ろ廻し蹴りを喰らわせた。
 ぐらりと、エネミーの体勢が崩れる。そこにR‐1が切り込んでくる。身を翻し、エネミーから離れるゴッデススリー。
「今だ!!行け!!」
「決めてくれ!R‐1!!」
「──後は任せたぜ」
 R‐1が切り込んでくる。
 右手に持っていたH・G・Bライフルを左手に持ち替え、その空いた右手を左肩パッドの中に伸ばし、そこにある光の剣──H・G・Bサーベル──を引き抜いて、R‐1が切り込んでくる。
 光が、雨の中を流れた。
 エネミーに向かって、R‐1が袈裟懸けに振り下ろす光の閃光が、雨の中を流れた。


「──きっと」
 一也は小さく呟いた。
 僕が、戦えばよかったのか?僕が戦えば、こんな事にはならなくて──
 きっと──
「R‐1は負ける」


 エネミーが力強く、今までで一番力強く、雨雲の空を突き落とさんとするほどに強烈な咆哮をあげた。
 ビームサーベルを振り下ろすR‐1の目に、エネミーの身体から伸びた肉の槍が映る。
 振り下ろされた剣は、エネミーを捉えた。確かに、捉えた。だが、同時にエネミーの肉の槍も、R‐1の身体を捉えていたのであった。
 ぐらりと、白い巨体が揺れた。
 TVのスピーカーから、驚愕するアナウンサーの声が世界中に届けられる。続いて、画面に横須賀の海が映った。巻き起こった、二本の巨大な水柱の映像が映った。
 赤黒い液体が辺りに飛び散る中、巻き起こる二本の水柱の映像。
 エネミーは、R‐1の一撃にその海へと逃げ出したのであった。
 R‐1を捉えたままで、その横須賀の海へと、世界中の皆が見る目の前で、逃げ込んだのであった。
 二本の水柱が、やがてゆっくりと雨の中にかき消えるようにして消えていく。
 黒く揺れる海面に、赤黒い何かが広まっていく。ゆっくりと。
 静かに。
「R‐1が──」
 女性キャスターが、映像の中で口にした。
「R‐1が、エネミーと共に雨に揺れる海の中に消えてしまいました!」
 言葉の合間に滑り込んでくる、ヘリコプターのローター音。
 映る、静かに揺れる海面。
「地球の未来もまた──海の藻屑と消えてしまうのでしょうか!?」


「R‐1が!?」
「追うぞ!!」
 ゴッデススリーの目が光る。と、一体の巨大ロボットは再び三機の戦闘機に分裂した。ゴッデススカイ、ゴッデスアース、ゴッデスマリン。三機は一斉に空へとあがっていく。
「まずいぞ!」
 天空へと上昇しながら、大空は叫ぶ。
「R‐1もまた、水中戦闘を前提には作られていない!海の中では、エネミーには勝てないぞ!!」
「ちくしょう!どうするんだ!」
 強く舌を打つ大地。怒りのやり場を失って、右手で自分の左手を殴りつける。
「俺に任せろ!」
 と、ゴッデスマリンパイロット、海野が叫んだ。躊躇なく、ゴッデスマリンは天空から海中へと、一直線に飛び込んで行った。
 マリンはその名の通り、海中でもその能力を遺憾なく発揮できるよう設計されている。R‐1を海中から助け出すつもりに間違いない。「たのむぞ海野!」「R‐1を助けてくれ!」大空と大地の声が、その後を追いかけた。
 海面には、黒い流れがあった。オイルの跡か、それとも生命体の体から流れ出たものの跡か、誰にも区別はできなかった。だが、ゴッデスマリンはそれを追いかけいく。
 しばらくあって──海面を割って、マリンが天空へと再び姿を現した。その機体から、アンカーケーブルが海中に向かって伸びている。
「やったか!?」
 大空の声に、アンカーに引かれた黒い金属の手が、海上に浮かぶ巨大な人口の島、メガフロートを力強く掴んだ。
 R‐1が姿を現す。ぎりぎりという嫌な音を関節から響かせながら、海面を割って、R‐1がメガフロートの上に姿を現す。
「やったぞ!」
 だが、R‐1のその白い巨体の周囲には、赤い火花が散っていた。黒い肉が、まだまとわりついたままの白い巨体の周囲で、電気の火花が散ってしまっていた。
 ゴッデススリーが再び合体し、メガフロートに舞い降りる。
「大丈夫か!」
 大空は尋ねた。が、R‐1に答える余裕はなかった。
 ゴッデススリーの眼前で、R‐1の巨体がぐらりと揺れた。
「なに!?」
 R‐1を追うようにして海を割り、再びエネミーがその姿をメガフロートの上へと現す。そして、力強く吠えあげる。
 眼前の二体の巨大ロボットに向かって、最後の。
 刹那、エネミーの胸から伸びていたその肉の槍が、勢いよく吸収されはじめた。R‐1の身体を捉えた肉の槍が、元あった場所へと戻っていく。悲鳴をあげるR‐1のアクチュエーター。エネミーがそれに、勝ち誇ったように唸りを返した。
 肉をむさぼり食うような不快な音に、きしむ金属の間接の音。
 ゴッデススリーは手を伸ばす。海に引きずり込まれたあとのR‐1に、それにあがらうだけの力があるはずもなかった。
「掴まれ!!」
 大空は叫んだ。
 だが、その手をすり抜けて、R‐1はエネミーの方へと引き寄せられていった。
 エネミーが牙をむく。勝利を確信して、牙をむく。
 笑うように。
 しかし──その瞬間に、R‐1はあがらうことをやめた。
 意を決して、駆け出す。メガフロートへと登ってきたエネミーに向かい、アクチュエーター音を響かせて、自らの意志に、R‐1はエネミーへと肉薄した。
 エネミーが、驚愕にも似たように鋭く吠えあげた。
 それを途切れさせるように、エネミーに体当たりを喰らわせるR‐1。鈍い音が響く。肉の塊がはじけて、どす黒い液体が宙に飛び散った。
 もつれ合って、エネミーとR‐1が倒れ込む。
 激しい衝撃に揺れたメガフロートの周りで、白波が舞った。
 先に立ち上がったのは、エネミー。R‐1が続く。
 そして、怒りに満ちた目で吠えあげようとしたエネミーのその身体を、R‐1は二本の腕でしっかりと押さえ込んだ。
 力強く、二度と離すものかとばかりに。
 白い機体に、赤黒い液体が流れていた。
 真意を悟ったエネミーが暴れ、R‐1の腕を振り切ろうとする。けれど、R‐1はさせるものかとばかりに腰パッドからビームを発生させ、その動きを封じ込む。
 離すわけにはいかなかった。最後の勝機──その声が、大空たちの耳に届いた。
「撃て──だと?」
 聞こえた声を、思わず大空は口にした。
 エネミーが吠える。激しく身もがき、自分を縛り付ける巨神から逃れようとして、力の限りに吠える。


「撃て──だと?」
 大空は再び呟いた。その言葉の意味するところは、すぐに理解できた。
 R‐1はエネミーを押さえ込んで、ゴッデススリーに向かって真っ直ぐに立っている。
 今なら──撃ち抜くチャンスだ。
 動きを封じたエネミーならば、確実に打ち抜ける。そしてまた、ゴッデススリーにはそれをするための武器、新たな武器、ゴッデスガンをさらにパワーアップさせた、ゴッデスライフルがある。
「しかし──!」
 続いたのは海野だ。
「ゴッデスライフルで撃ち抜けば、確実にR‐1もただでは──!?」
「しかし、それ以外には手がないのも事実だ!」
 と、大地。大地はすでにゴッデススリーとエネミーとの位置を計測し終えていた。撃てる。そして、今ならば、確実にエネミーを倒すことができる。
「どうする大空!?」
「あとは、お前の決断に任せる!」
 モニターに、情報が示された。撃てる──撃てば、確実に勝利できる。チャンスだ。勝機に間違いはない。
 だが──
 大空は、再び小さく呟いた。
「撃て──だと?」
 R‐1は、もうもたない──
 それは、大空にもなんとなくわかった。動きがおかしい。海水につかったからか、それともエネミーにとらわれているからか。さすがにそこまではわからなかった。わからなかったけれど、それでも、確実に言えることは──
 このままでは勝てない──それだけ。
 だけれど──撃つ?
 エネミーは、ついにR‐1の手から抜け出ようとする事をやめた。急に落ち着いたように静かになり、そして、小さく唸っていた。
 躊躇する大空の前、エネミーのその目が、ぎらりと強く光りを放った。
 同時に、R‐1の身体を縛り付けていた肉の槍が、激しく胎動をし始めた。
 激しく胎動を始めて、その胎動は、R‐1の金属の身体にまで波を伝え始めた。
「──!?」
 目を見開く大空。信じられない事が、その見開いた目に映り込む。
 生物であるはずのエネミーの身体が、金属であるばすのR‐1の身体と、同化を始めていた。エネミーの身体から伸びた肉の槍が、R‐1の身体の全てを覆うように胎動しながら広がっていき、金属の身体を、激しく打ち震えさせ始めていたのであった。
「何だあいつは!?」
 大地。そして海野が続く。
「エネミーじゃない!?」
 答えを見つける余裕はない。
 R‐1の背中の、二枚の放熱板の羽根が、激しく打ち震えながら天を刺した。
 雨が、メガフロートという人工の大地の上に、届かなくなった。その翼から放たれる熱に雨はかき消され、蒸気となって辺りに立ちこめはじめたのである。
 エネミーの黒く窪んだ目が、ゴッデススリーを見据えて細められた。
 その見据える先と全く同じ所に、R‐1の右手に握られたライフルの銃口が向けられる。
 高周波の音が一気に加速して、人の可聴域を越えていった。
「H・G・Bライフルを、フルパワーで打つつもりか!?」
「まずいぞ大空!考えている時間は、ないッ!!」
 ゴッデススリーが動いた。その背中から、ゴッデスガンの二倍以上の長さの新兵器、ゴッデスライフルを手に取って──身構える。
「目標──」
 腰だめになって身構えるゴッデススリー。
 銃口と銃口が──そのふたつの照門と照星が結ぶ線が、交錯する。
 巨神たちの目が、それぞれの意味に、光った。
「──補足!!」
「大空!」
「撃て──だと?」
 銃口の奥に、光が生まれようとしていた。
 時間は、なかった。


「大空!」
「今を逃せば、もう、勝機はないぞ!!」
 コックピットの大地と海野。
「エネミーにとらわれたR‐1に、ゴッデススリーが今!?」
「──撃つの?」
 聞こえるアナウンサーの声と、映る映像を見て、呟く一也。


 撃てるの?
 戦うって、そういうこと?正義って、そういうこと?
 大空さんは撃つの?
 R‐1に乗っているのは、誰?
 教授が持ってるはずのBSS。僕が持ってるはずの、その端末。
 R‐1に乗っているのは、誰?
 それでも、戦うっていうのは誰?
 戦うって、死ぬことと、=?
 撃てるの?
 それでも、撃つ。
 正義ってそういうこと。


 モニターから溢れ出た閃光に、固く、皆、目を閉じた。
 交錯したふたつの閃光が刺したふたりの巨神は、光に飲まれて、その姿をモニターの中から消した。
 爆発があって、白が、すべてを包み込んだ。

























 真っ白な空間がなくなって、やがて、再び映像がそのモニターに映った。
 メガフロートに、ゆっくりと鋼鉄の巨神が倒れ込んだ。
 ゴッデススリーだ。
 ゴッデススリーは右足を失っていた。光の奔流に飲み込まれて、それを消滅させてしまって、550トンの巨体を支えきれずに、メガフロートという人工の、コンクリートの島の上に倒れ込んだのだった。
 ごうんという、重たくむなしい音が響く。
「右足、消滅。原子炉エネルギー、完全停止。──終わりだ」
 倒れ込んだゴッデススリーのコックピットの中、呟く大地。
 海野が続く。
「しかし、もう一瞬遅ければ、R‐1のH・G・Bライフルの直撃を喰らっていたところだ。これで、よかったんだ」
「ああ、あのタイミングだったからこそ、誘爆だけですんだんだからな」
「だけで?」
 言い、大空はマニュピレーションレバーから手を離した。
「だけで──?」
 モニターの向こうの映像が途切れた。全てのエネルギーを使い果たし、ゴッデススリーは、その瞬間に、完全に沈黙した。
 消えていったモニターの向こうには、何者の姿もなかった。
 大空は再び固く目を閉じた。
 倒れる寸前のゴッデススリー、自分、その目に映った光景から目をそらすように、固く、目を閉じた。
 エネミーを撃ち抜いた光、同じその光に撃ち抜かれたそれは、誘爆を繰り返しながら、倒れた。
 メガフロートから、海底に向かって。
 断末魔の悲鳴もあげずに、ただ、ふたつがひとつになって、ひとつの水柱になって、海の中に消えていった。
 大空は、強く奥歯をかみしめた。
 撃て──トリガーを引き絞ったその指の感覚に、大空は、右手を左手で握りつぶした。グローブの奥の指に残る、生々しい感覚。握りつぶす。出来ることなら──
 戦いの終わり。
 静かな海の、打ち寄せる波の音が、聞こえはじめていた。
 降り続ける雨の空を、F/A-18の編隊が駆け抜けていく。無線から、英語での会話が聞こえてくる。
 戦いの終わり。
 雨──それでも雨は、絶え間なく降り続けていた。
 沈黙の兵士の上に。


 沈黙の、一也の上に。


       5

「進化──か?」
 雨が降り続けている街。
 それを窓の向こうに見つめながら、男はゆっくりと煙草に火をつけた。
 横須賀の街を遠くに見るビルの一室。その部屋の中で、男はゆっくりと煙草を飲むと、
「予想外に、早かったというのが、率直な感想だ」
 雨降る街が見える窓から視線をはずし、背後に立った男に向かって言った。
 煙草を吸う男の視線の先、もう一人の男は軽く笑って、返す。
「進化に、遅いも早いもありませんよ。進化は、必然。起こるべき時に、起こるべくして、起こる」
「今が、まさにそのときだと──」
「コードネームG3──ゴッデススリーですか。それと、R‐1。これを相手に進化をせずに、何を相手に進化を?」
「人間だろう」
 男は笑って、再び窓の向こうに視線を走らせた。F/A-18らしき影が見える。煙草を、もう一度深く吸い込む。
 赤い光が、ほの暗い部屋の中で鮮やかに輝きを増した。
「計算より、ずいぶんと早かったことは事実だ。もっとも、それでも計算通りの結果となった訳だが」
 男の言葉に軽く笑うと、後ろにいた男は厚い眼鏡をゆっくりとあげて、返した。
「二年前の英雄など、今再び現れたところで、時代遅れですよ。人間は、この二年で、驚くべきほどに進化した」
 窓の外に、雨の降る横須賀の街。
「あなたの言ったように、あの時に立ち止まったままの者たちに、この世界を守る力など、ありはしないのですよ」
「同感だ」
 おかしそうに笑って、煙草を吸っていた男は煙草の火を灰皿に押しつけてもみ消した。白い煙がすうと立ちのぼって、やがて消えていく。
 男は歩き出す。控えていた男の脇を抜け、部屋から出ていく──前に、軽く言った。
「これで、明らかになったわけだな」
「なにがでしょう?」
「お前がともすれば、ひとつだけ気にしていることだ」
 言いながら、新しい煙草を男は胸ポケットの奥から取り出した。再び、それに火をつけ、
「もはや、躊躇する事などない」
 そして、言う。
「この世界を守れるのは、我々をおいて他にいない。それが、今、まさに証明された訳だ」


 部屋から男が出ていったあと、男──スティーブン・ハング──は窓の向こうの街を眺めていた。
 横須賀の街。
 戦場のあと。
「この世界を守れるのは、もはや、我々以外にはない」
 ゆっくりと、スティーブは言う。反芻するように。
 そしてその言葉に、彼はかすかに口許をゆるませた。
「我々以外には、いない。我々以外に──神々の作った設計図を、もしかしたら手に入れた、我々以外に」
 そして、彼はそっと目を細めた。
「あの時に立ち止まったままの──悲しむ人は、もう、現れない──」
 早まっていく雨足に、窓が小さく音を立てていた。


 マンションの前に立って、松本 詩織は小さくため息を吐き出した。
 薄い水色の傘。それは、一也とデートした六月の頃、買った傘だった。けれど──この雨には、その傘も役にはたってくれない──降り続ける雨に、濡れてしまっている制服のブラウス。
 学校帰り。
 詩織は家と逆方向の電車に乗って、マンションの前にまで来ていた。
 マンションの前には、取り巻く報道陣たちがいる。詩織も、彼が出ていった事は知っていた。そして、今はどこにいるか、誰も知らない事も、知っていた。
 今日は、学校、来るっていってたのに──
 叶わなかった約束を思って、詩織はうつむく。足下の水たまり。薄茶のローファーが、雨に濡れてその色を濃くしていた。
 詩織はうつむいて、ただ、それを見つめていた。
 一也、結局学校に来なくって、それで、ついさっきまではここにいたけど──いなくなって、それで──R‐1が現れて──消えた。
 マンションの玄関に近づこうとしてして、じっと見つめる先のつま先を、一歩前に進ませようとして──できずに、右手で傘を握りしめたまま、詩織はその場所に立ちつくしていた。
「一也…」
 呟く。
 呟いて、傘を傾ける。
 流れた雨垂れが、アスファルトの地面に音を立てて、ぽたぽたと落ちた。
 その彼女の脇を、黒塗りの車がゆっくりと抜けて行く。
 その車は、報道陣たちを掻き分けて、玄関の前で止まった。高級そうな、大きな外国産車。上物のスーツに身を包んだ男たちが、何人かその中から降りてきた。
 詩織は、ただ、それを見つめていた。
 しばらくして、男たちが彼女を連れてエレベーターから降りてくる。彼女を真ん中にして、彼女を護るようにして、玄関に横付けした車の方へと進んでいく。
 はっとして、詩織は一歩を前へと踏み出した。
 長い髪の女性。香奈だ。
 香奈はうつむいたまま、男たちにまわりを囲まれて、歩いていた。そこに報道陣たちが群がっていく。詩織の視界から、その瞬間に、彼女が消えた。
 消える直前、合った視線。香奈は、細く、微笑んでくれたような気がして──詩織は足を動かした。
 玄関と、逆の方向に。
 背中の向こうから、低いエンジン音が聞こえはじめた。そして続く、車の走り出す音。喧騒が、それに連れて移動していく。
 詩織は傘を手にしたまま、歩き出していた。それと、逆の方向に。
 降り続ける雨が、傘をうち続けている。足下まで濡れてしまって、もう、これ以上、この降り続ける雨に打たれても、自分は何も変わらないようで──
「雨──いつまで、降り続けるの?」
 雨降る空を、詩織はゆっくりと見上げてみた。
「全てを洗い流す、その時まで?」


 メガフロートの上を行く鋼鉄の蜘蛛の身体を打つ、同じ雨。
 横須賀の海の上に浮く巨大なコンクリートの島の上で、スパイダーが何機か動いていた。メガフロートに倒れ込んだ鋼鉄の戦士、ゴッデススリーの分解作業を行っているのである。
 ウィンチの音。分解された部品を運ぶ、ヘリコプターのローター音。それを見上げるようにして、マッドサイエンティスト、道徳寺 兼康はぽつりと呟いた。
「ゴッデススリーは、だいぶん派手にやられたな…」
 呟いて、向こうから歩いてくるパイロットたちに気がついた。さすがの大空たちも、この敵には苦戦を強いられ、疲れ果てている風に見えた。
「それでも──よくやった方か」
「R‐1は絶望的ですよ」
 と、春日井 秀樹は呟きを返す。
 メガフロートの上、ゴッデススリーを回収する以外に、飛び散ったエネミーの肉片を回収するスパイダー、もう一体のロボットの部品を回収するスパイダーの姿も見える。
 自分の作った最高傑作品が、いとも簡単に──春日井は視線を海上へと送った。
 海上には捜索艇の姿もある。横須賀の黒く深い海に消えてしまったR‐1と、そしてエネミーの行方を探しているのである。
 二人は、ほとんど同時に、雨の降る天を仰いだ。
 爆音を立てて、自衛隊のヘリコプターが、そこを抜けていった。
「単刀直入に聞こう」
 脇に部下を従えた男が、その二人に向かって声をかけた。
 自衛隊の制服に身を包んだ男。その胸にはいくつもの勲章が付いている。統幕議長──彼らに作戦行動を指示する男である。
「R‐1は絶望的として、ゴッデススリーは、まだ戦えるのかね?」
 言われて、道徳寺は歩き出した。近づいてくる大空たちの方に向かってである。
「聞いているのか!?」
 道徳寺の背中に向かい、統幕議長は言う。道徳寺はめんどくさそうに、肩越しに軽く振り向いて返した。
「修理すれば、ゴッデススリーは何度でも蘇る」
「どれだけかかる?」
「一週間を見れば、右足くらいは直るな。他の部位には、責任は持てん。大空、海野、大地、よくやったぞ」
 と、道徳寺。三人の前に立って言う。
「不甲斐なくて──すみません」
「いや、二年ぶりの実戦だ。それに、エネミーはちゃんと倒した」
「ですが──」
「その通りだ」
 と、続いたのは統幕議長。その男は道徳寺と大空たちの間に入って、
「君らはエネミーこそ倒したかもしれんが、ゴッデススリーを大破させたのだぞ。事の重大さを、わかっているかのか!?」
 胸をはった姿勢で、威厳たっぷりに言う。
「エネミーは奴、一体ではない!もう一体いる。もしももう一体がゴッデススリーの直らぬうちに現れたら、どうするつもりだ!?」
「それはその時になればわかる」
 返したのは道徳寺だ。ふっと口許を弛ませ、道徳寺は統幕議長の背中に向かい、軽く言ってのけた。
「この国が滅びるか、生き残るか、それはまた別の話となるがな」
 振り向いた先、男の背中があった。男──というよりは老人だが──は、小さなR‐1の部品を拾いあげ、それを子細に眺めていた。
 そして、それを手にしたまま、再び捜索艇の浮かぶ海の方に視線を走らせていた。
「何だその物言いは!?」
 その男の方を眺めていた道徳寺に食ってかかったのは、統幕議長だ。
「貴様、一体、今回のために、どれだけの予算を与えたと思っている!その結果が、これか!?」
「これ──とは、失敬だな」
 ふんと、道徳寺は鼻を鳴らす。それに、大空が続く。食ってかかるように。
「オレたちだって、懸命にやったんだ!」
「懸命にやって、これか!?ゴッデススリーは大破。R‐1も絶望的。これで、この先、この国をどうやって護っていく!?」
「オレ達だって、懸命にやったんだ!」
 言って、大空は統幕議長の制服の胸ぐらをぐっと掴みあげた。
「それに──R‐1に乗っていた奴は──奴は、死んだかも知れないんだぞ!」
 オレが──撃ったから──?
 統幕議長は躊躇なく返す。
「この国を護るために闘ったのだ。多少の犠牲はやむを得まい。それに、お前たちはそれで本望なのだろう?」
「貴様、知った風な口を!」
 堪えきれず、大空は右手を振り上げた。その手を、大地が掴んだ。海野が、統幕議長を掴む大空の左手を押さえつける。
「止せ、大空!」
 だけれど、大空はそれだけでは止まらなかった。大地が押さえつけた右手が、震えていた。大空は叫ぶようにして、
「お前に、死を覚悟するだけの度胸が、あるのか!?」
 強く、言った。
「止せ、大空!!」
 言い、思い切りに海野は大空の腕を弾いた。統幕議長の制服のボタンや勲章が、いくつかその勢いに雨の中を飛んだ。
 腕を弾かれ、大空は小さく舌打ちをすると、一気に全身の力を抜いた。いや、全身の力が抜けてしまったと入った方が正しいか。
「──ちくしょう」
 小さく弱く呟くと、大空は脱力しきって、その身体の大地に預けた。
「しっかりしろ、大空」
 大空を支えた大地がつぶやくのを見、
「わかってください。統幕議長」
 海野がゆっくりと言う。
「オレたちは、確かに死を覚悟して闘ってる。しかし、だからと言って、死ぬために闘っているんじゃない。それなのに──その戦場で、オレたちの仲間が死んだかも知れないんです。まだ──R‐1のコックピットコアは見つかっていない。まだわからない──しかし、撃ったのはオレたちなんです。それでも、トリガーを引かなければならなかったオレたちの気持ちを、わかって下さい」
 沈黙があった。
 そして、その沈黙を破って、
「彼には──特進と勲章を約束しよう」
「そういう問題じゃねぇ!!」
 大空が叫んだ。叫んで、大空は大地にもたれかかっていた身体を、再び立ち上がらせた。大地が手を伸ばす。しかし間に合わない。大空はその身を立ち上がらせて、再び大きく一歩を前に踏み出して──
「ああ、その通りだ!!」
 統幕議長が言う。
「その通りだとも!奴が死んだ所で、この危機が消えてなくなる訳ではない!お前らにも、それくらいの事ならわかるか!?」


「議長──」
 瞬間、一触即発の瞬間に、男の少し間延びした声が滑り込んできた。
「議長、あなたは、戦争を知らないんでしょうなぁ」
 道徳寺と春日井が、ゆっくりとその男──老人だが──の方へと身体ごと振り向いた。男は軽く笑う。そして、手にしていたR‐1の部品を子細に眺めながら、小さく言った。
「あなたくらいの歳だと、仕方のないことでしょうかなァ」
「何が言いたいのだ?」
「いや、別に」
 老人はひょいと、軽く肩をすくめて見せた。
 そこへ、声が響いた。
「R‐1のコックピットコアが発見されたぞ!!」
 動き出すスパイダーがあった。そのウィンチが、急速に巻き上げられていく。皆の視線が、一箇所に集まる。駆け出す者たちの姿もある。
 降り続ける雨。
 それに揺れる海。
 男──老人はそっと、目を細めた。
 やがて、音を立ててその海を割って、R‐1のコックピットコアが引き上げられた。シールドチューブが無惨に切れ、微かに変形している、球形のそれ。
 R‐1のコックピットコア。
 ウィンチの巻きあがる音が、無言のメガフロートの上に、早まり続ける雨足の音の中に、響いていた。


                                   つづく


[End of File]