studio Odyssey


キャンパス - 第一章

writtenby : 室長

「あーぁ…俺、この仕事向いてないのかな」
 すっかり冷めてしまった眠気覚ましのためのコーヒーを口にしながら呟く。
「マズイ…」
 苦いだけ。顔をしかめる。
「何がまずいって?」
「え?あ、課長」
「おい、こないだ頼んだプログラム、出来たか?」
 言われて、目の前にあるパソコンのモニターを隠したく思う。画面には開発環境の画面。そしてその下にはコンパイルエラーの文字文字文字。
「いや、まだです」
 コーヒーを置いて言う。
「もう少しだけ、待ってください」
「お前、会社入ってもう二年になるんだろ?」
 その画面を見下すようにしながら言う、課長。
「新入社員じゃないんだから、これぐらいのプログラム三日で出来てもらわなくちゃこまるよ。次に入ってくる新人たちに、すぐに抜かれるよ?」
 言うくせに、自分はパソコンの環境でのプログラムは書けないのだから、腹の立つ。
「わかってます」
 返す。思わず、思い出す。研究室にいたころ。そう言えば、あの頃はプログラムがコンパイルエラーで通らなくなったときは、必ず誰か先輩を呼んでいたっけ。で、必ず言われていたっけ。俺も言ったけど。『プログラムは思ったように動くわけでは無い。作ったように動くものだ』なんて。
「なに、ニヤニヤしてるんだ」
「あ、いえ。なんでも」
 思い出し笑いを見られたか、課長が苦々しげに言い放った。
「とりあえず、先方からクレームが来る前に仕上げてくれよ」
 軽く鼻をならして離れていく課長。見えないところで、顔を思い切りにしかめてみせる。言う自分は、それが仕事か、年明けにネット関係のプログラム補佐として転属してきて課のアイドルとなった女の子に声をかけている。定時あとの食事にでも誘っているのか、
「下心がみえみえなんだよ」
 どっちにしても、悪態。
「誘いたいのは、こっちの方だ」
 確か歳はひとつ下で、家も近所って話を聞いたことが──けれど、目の前のパソコンが文句を言い続けて離してくれない。「お前にモテても、嬉しくねぇよ」
 
 
「あー…疲れた…」
 で、定時を過ぎて帰った上司の目を盗んで喫煙所。
 手狭な、役に立っているんだかいないんだかわからない空気清浄機が動いているフロアスペースの一角。スタンド灰皿とその向こうに小さな窓。都会の夜景が見える。赤、黄色、青の光。
「あの下で、デートでもしてるやつらが、ごまんといるんだろうな…」
 煙草をゆっくりと吐き出す。
「くそ…むかつく」
 禁煙に向けて本数を減らそうと思っていたが、やめることにする。二本吸おう…
 都会の夜景。眼下に見える光。
「そうか…」
 小さく呟く。
 卒業して、もうすぐ二年か…今頃どうしてるかな。
 アイツら。
 こうして、街の灯りを煙草を吸いながら見つめていた奴ら。つい二年前のことなのに、なつかしすぎる話。
 大学時代の友人はたちは皆、卒業後、一応就職したらしかった。もっとも、もう、やめた奴もいると言う話も聞いていた。本当のところは、知らない。忙しすぎて、知る機会もない。
 たまにメールで連絡は取りあってはいても、皆それぞれに忙しいらしく、卒業式以来直接は誰ともあっていなかった。会いたい…というほどの事もないけども。男同士だしな。
 笑う。相変わらずだろう。きっと。
 結婚なんて話も、誰からも聞こえない。そんなもんでもあれば、会う機会もあるだろうに…相変わらずなんだろう。相変わらず。
 眼下に見える夜景。
「…なつかしいな」
 煙に紛れて、小さく呟く。
 最寄駅からでも、バスで三○分は離れた小高い丘の上にあるキャンパス。
 そしてそのキャンパスの中で一番高い校舎の屋上。眼下に見える、街灯り。
 立入禁止の屋上の上。赤い煙草の火と煙とそして笑い声。
 いつの間にかの、いつもの面子。いつもの五人。
「そう言えばよ」
 誰かが言う。煙草を片手に。
「こないだここでお前が告白してフラれたあの娘。あの後、話したか?」
「それがよ〜。聞いてくれよ〜」
 返す。
「あんなセリフ言った後に、あれだろう。顔見るのも恥ずかしくて」
「そりゃそうだ。あんなくせぇセリフ、そうは出ないって」
「『僕の眼にはあなたしか映ってまいせん』──って。お前の顔で言うと犯罪だろう」
「で、『いつもあなたの事見てました』──って、ストーカーじゃん!!」
「あー…もし、俺が女でお前にそんなこと言われたら…やっぱり死ぬな」
「俺なら殺す!」
 しかも言ってる顔がマジだ。
「そこまで言わなくてもいいだろう」
 ため息混じりに返す。
「俺がまだ、失恋の痛みから立ち直ってないっていうのによ」
「いいじゃん別に」
 軽く、誰かが続いた。
「おかけで、俺らはお前におごらされたんだからな」
「トークのギャラだ」
「高けー!?」
「あと、からかった分の慰謝料だ」
「なんでお前に慰謝料払わなゃ、ならん!!」
「ひでぇ」
「払うなら、あの娘の方だな」
「しかもお前が、あの娘にな」
「ええっ!?そんなひどいことしたのー!?」
「サーイテー」
「フラれたんだ!!なんか出来ると思うか!?」
「…思う」
「それ、もっとサイテー」
 
 
「相変わらず…」
 思わず、笑う。目の前にあった煙が、ちょっとくるくると舞っていた。
「なつかしいな」
 あの頃は、何をやっても楽しくて、バカなことばかりやってたな。合い言葉みたいに、『面白いことと格好良いことは何よりも最優先!』とか言ってさ。
「面白いこと…」
 仕事…面白いかな。毎日毎日、プログラムばっかり書いて…納期に追われて…納品しても、クレームつけられて…たまに喜ばれて…でもだいたいは、そんなことなくて。
「格好いいこと」
 今の俺は…どうかな。あの時の俺と比べて、どうかな。彼女できてねーなぁ…あれ以来。年々、格好わるくなってるんじゃねーかな…
 煙草をゆっくりと吸って、吐く。…モテるために、やめるか。
 いや、きっと無理だ。
 あの頃に──だからってあの頃に戻りたいわけじゃないけど──忘れたくは──ないな。きっと覚えている限り、彼女なんか出来やしないような気もするけど…偶然知り合っただけなのに、何でも言いあえたバカなあいつらとのキャンパスを、覚えている限り、忘れたくないなんて言っている限り、彼女なんか出来ないような気もするけども。
 それでも──
「…なつかしいな」
 眼下の夜景を見つめながら、笑う風にして言った俺の言葉に、
「何がですか?」
 軽い声が応えた。
 ちょっとびっくりして振り返る。思わず呟いていた言葉だったからだ。まさかとは思うけど、俺、どこから呟いて──見ると、喫煙所の入口脇にある自販機の前に、課長にセクハラされていた女の子が立っていた。
「あ、あれ?まだ残ってるの?」
 思わず煙草を消して聞く。やべ…まだ長かったのに…
「四月から本格稼働なんだから、今は仕事なくなったら、帰っていいのに」
 言いながら、新しい煙草に火をつける。やっぱり二本目。
「まだ、ちょっとあります」
 などと、口に缶コーヒーを寄せながら、
「ってか、課長から、逃げ?」
 くりくりとした可愛い目で上目遣いに言う。目と仕草は可愛いが、言っている事は、かなり毒だ。思わず、思いだし笑いをする。そういやぁ…アイツらもこういう女の子、タイプだったかもな。
「何が、『…なつかしいな』なんですか?」
「真似はしなくて、いい」
「気になるじゃないですか。教えてくださいよ」
 と、言いながらこっちに向かって歩いてくる。狭い喫煙所に来るなとは思うものの、別に嫌ではなく…視線を外して、眼下の夜景に向かって煙を吐いた。
「教えてくださーい」
 と、俺の顔を覗き込む。こいつ…その眼に俺らが弱いとの知っての狼藉か…!?
「ちょっと…大学時代を思い出してさ」
 夜景に向かって言う。煙草を吸う。そして煙を吐く。今度は天井に向かって。
「へぇ」
 俺から少し離れて、両手で缶コーヒーを持ちながら彼女も壁に寄りかかった。そして、聞いた。
「先輩って、どんな学生だったんですか?きっと、先輩のことだから、大きなお子ちゃまって感じだったんでしょう?」
 なんだそれは…俺のイメージはそんなか。
「う…ん…」
 唸って、言う。そう言えば、大学の頃、よく言っていた言葉。
「びみょー」
「あっ、微妙なんですか」
 言ってみただけだ。
「教えない」
 そしてまた煙草を吸う。
「教えてくださいよぉ」
「いやだ」
「なんでですかぁー」
 それは悪事の数々が露呈するからだ。とは、言えるわけがなく…「過去の事さ」なんて言って笑う。
「ケチ!」
 返して、だけど彼女もまた、いたずらっぽい眼で笑っていた。
 だから俺は煙草を消した。まだまだ、だいぶんそれは長かったけれど。
「さぁて、仕事しなくちゃな。課長にクビ切られる前に、あげないと」
 と、伸びをしながら喫煙所から離れていく。この様子、もしあいつらが見ていたら…なんて想像して、ひとり軽く笑いながら。
「頑張ってくださいね」
 笑って彼女。ポケットから電話を取り出しながら返す。俺は軽く息を吐く。なるほどね。
 喫煙所は、フロアの端にある。ちょうどどこの課からも死角になって、見えない。なるほどね。俺は軽く息を吐きながら、メールを打つ彼女から視線を外していた。
 この仕事が終わって──休みが取れたら。
 久しぶりにあの場所にでも行ってみようかな。
 奴らのことだから、俺が居ないのをいいことに、好き勝手なこと言ってるんだろう。
「そうはさせるかってんだ」
 俺はデスクに勢いよく、ついた。
 そして、目を丸くした。
 机の上。プログラムを打つときは手首が痛くなるから、いつも腕時計を外している。そして外した腕時計を忘れないように、そこに煙草とあのライターとそして携帯電話を置いておく。だから煙草を吸って戻ってきて、所定の場所に煙草とライターを──そこで俺は目を丸くした。
 メールが一件、入っていた。まさかと思って、ちょっと期待しながら──彼女にも、携帯番号は教えたっけ?──そのメールを見た。
 差出人の電話番号は、あの時の五つ目の電話番号で──そんなこと、あるはずないのに──『いつものコースで、飲みに行こう。日付はそうだな。約束の日ってことで』
 たちの悪い、いたずら?
 だとしても、どうしてこの番号で?アイツがまさか、携帯なんて、もう買うわけないし…いや、でもアイツ以外に…
 俺は笑った。
「相変わらずだな」
 とりあえずは、メールを返す。『あの場所で』
「何してるんですか?」
 椅子をくるくると回転させながらメールを打つ俺に向かって、戻ってきた彼女が聞く。
 俺は軽く、画面から目を離さずに返す。
「デートの約束」
「マジですか!?」
「いいじゃん、別に」
「ちょっと狙ってたのにー」
「えっ!?いや、嘘。マジ、嘘」
「嘘つくひとは嫌いです」
「じゃ、本当」
「どっちですか!?」
「…どっちでしょう?」
 男との約束は、普通、デートとはいわないわな。
 小さく電子音がなって、画面のアニメーションがメールの送信が終わっていたことを告げていた。