studio Odyssey



地平線の彼方へ


第四話 目指すべき場所

 運命のレースの日が近づいていた。
 小川 拓哉はため息混じりに、窓の外を見つめていた。
 冬がすっぽりと街を包み込んでいる。木立はその葉をなくし、ひっそりとたたずんでいる。
「寒くなったな…」
「ああ…」
 呟いた彼の言葉に返したのは中谷(なかたに)広丈。空き研究室には、相変わらずにモーター音が響いていた。
 運命のレースに向かい、二人はマシンのチューンナップを続けていた。あの時よりも、二人のマシンは1秒以上も速くなった。
 けれど、スーパーXシャーシにはかなわない。
「村上は何やってんだ?」
 拓哉は中谷に向かって聞く。
「さぁ?」
 コースからバーニングサンを取り上げて返す中谷。この所、村上はこの空き研究室に姿を見せていなかった。ただ、限界まで作り上げたエンペラーを置いて、それっきり姿を見せなくなっていたのだった。
「今度のレース…」
 拓哉が言う。
「模型店からでかいコース借りてきてやるらしい」
 彼の視線の先には、村上のエンペラーがあった。


「諸君!」
 と、空き研究室に入ってきたのは、山崎 敏樹。静岡出身ということで次回のレースで もレフリーをすることになった、彼らの友人である。
「何か?」
 聞き返す拓哉に、山崎は勿体を付けるようにして少々うつむきながら返した。
「諸君は、シャーシの問題で悩んでいるらしいね。僕が、静岡出身ということで、君等のシャーシ問題を解決してあげよう」
「へぇ、そりゃ嬉しいや」
 と、中谷。
「嬉しくなさそうだね」
「そんなことないよ」
 ともかくも、今は中谷の言葉を信じることにして、山崎は鞄をあさって中からA4サイズほどの箱を取り出した。
 ただのボール箱のそっけない箱であったけれど、それが逆に拓哉と中谷に期待を持たせた。本当に何かすごいシャーシを──
 山崎は箱を開け、中からそのマシンを取り出しながら言う。
「これが最強シャーシ、ミニFシャーシだっ!!これを使えばスーパーXシャーシといえども──って」
 拓哉と中谷は山崎の言葉を無視し、自分のマシンのチューンナップに戻った。
「聞いてよー」
「聞いてるよ」
「大体、レギュレーション違反じゃないの?それ」
「えー、そんなことないよー」
 と、山崎は田宮模型のホームページよりダウンロードしたレギュレーションについての詳細を見ながらに言う。
「全長165mm、最大幅105mm以下、全装備重量90g以上、ちゃんと満たしてるよ」
「っていうかね」
 拓哉は山崎からその詳細を奪い取った。そしてそれをぺらぺらとめくり、
「ほれここ、見てみ」
 1ページ目のもっとも上の一文を指差す。
「1.競技車種の種類?」
「競技車種はレーサーミニ四駆、スーパーミニ四駆、フルカウルミニ四駆、エアロミニ四駆、マイティミニ四駆に限られます」
「ミニFは!?」
「いや、だからレギュレーション違反なんだって」
 夕闇が近づきつつある外の空気が、冷込みを増してきていた。


「ああ、いつだかの」
 模型店の店員は、彼のことを覚えていた。それもそうだろう。大学生にもなって「ミニ四駆ありませんか?」なんて聞いてきた奴のことは、さすがにすぐには忘れられようもない。
 気さくな店員は、子供に語りかけるくらいの調子で言った。
「どう?マシンは見つかった?」
 店員は笑う。
 村上 祐一は頭を掻きながら、苦笑いとともに返した。
「いや…見つかりはしたんですけどね」
 と、村上はちらりと視線を走らせる。模型店のワンスペースにあるコース。そこに、自分たちのマシンを誇らしげに走らせる子供たちに。
「連中のマシン、速いですね」
「ああ、まぁね。時代が変われば、技術も変わる」
 店員は笑った。彼も昔はミニ四駆をやったりもした。それ以外にもいろいろ手を出した。それだからこそ、模型店の店員なんてやっているのである。
「大分マシンも様変わりしたよ。空力やシャーシ重量、モーターパワー、パーツ数も豊富になった。今の子たちはお金も持ってるし、次から次へと新しいマシンが出ては、消えていく」
 言いながら、店員はプラモデルの箱が積み上げられた棚に視線を走らせた。以前にきたときにはなかったマシンが、そこには山と積まれている。ひとりの子供が、それを手にとっていた。
「これください」
 と、彼は箱をカウンターに置きながら言う。サイフの中から、千円札が一枚、無造作にひっぱりだされてきた。
 当たり前の風景に、村上は目を細めた。


 ミニ四駆をやらなくなったのは何時からだろう。
 要するに──飽きちゃったのは何時の頃だったろう。
 村上はひとり街を歩きながら考えてみた。
 コートから手を出すのもそろそろ嫌になってきた。冬の寒さが、頬をちくちくとさす。 冬──
 そうだ、冬だ。ジャパンカップは夏、オータムカップは秋。冬がなかったんだ。
 ダッシュ四駆郎は、そう言えばアニメもやっていた。アニメの放映も、漫画の連載も、そう言えばいつのまにか終わっていた。
 ミニ四駆から、僕たちは新しい遊びに手を出していた。
 それは何だった?覚えている?その、ミニ四駆よりもおもしろいと思えた遊びは、何だった?僕はそれを──覚えている?
 村上は大きく息を吸い込んだ。冬の空気が、ゆっくりと肺に染み入る。
 そう──きっと今度もそう──
 なのに、やっぱりあの時と同じで、負けたくない。
 ミニ四駆は──マシンは、僕たちに何を教えてくれた?夢を見ること?挫折をするということ?勝つこと、そしてその意味?
 見つからない答えは、何処にあるのだろうか。
 遥かに続く道。
 この道の向こうにあるのは──
 ああ、そうだ。
 村上は弾かれたように顔をあげた。


 あの頃の自分たちが目指していた場所。そこが、この先にある。
 僕は、もっと感覚的な部分でそれを覚えている。
 その先にあるもの。
 そしてそこへ行くためのマシン。
 そうだ、そんなマシンが確かあった。あれは──
 村上は口許をゆるませた。駆け出していた。その先に行くことのできるマシンを、追いかけて。


 運命の日が訪れた。
 日が、西の空に沈もうとしている。授業のすべてが終わり、閑散としたキャンパス。普段は軽音楽部やジャズ研究会などがイベントを行なうフリースペースである8号館前に、今日は巨大なミニ四駆のコースが設置されていた。
 わずかばかり学校に残っていた学生たちが足を止めていた。
 そこには、小さな人垣ができていた。
「遅かったな」
 と、マックスブレイカーを手にした大橋が言う。彼の脇には、ファイアースティンガーを手にした学の姿もあった。
「怖気づいたか」
 二人を見て言う大橋。二人──ダンシングドールを手にした拓哉と、バーニングサンを手にした中谷である。
「村上はどうしたの?」
 と、学。
「せっかく僕の改造したファイアースティンガーの餌食に──」
「餌食?」
「僕のファィアースティンガーはちゃんと火が出る!」
「レギュレーション違反だっつーの!!」
 拓哉と中谷の突っ込みに、学はことさら悔しそうに「せっかく作ったのに」と舌打ち。
 気を取り直すように大橋は、
「まあいいさ。どうせ、勝負はする前からついてるんだ。さっさと始めよう」
 言いながらマシンのスイッチをいれ、スターティンググリッドの前に立った。観客となっていた数十人の学生たちが息を飲む。彼らも、幼い頃はミニ四駆に情熱を傾けた者達なのであろうか。
「では、レーンは全部で五つ。なので、村上くんのエンペラーを含め、全五台でレースを行ないます」
 と、山崎。静岡県出身──ということでレフリーになった男である。
 四人は、マシンを持ってスターティンググリッドについた。インコースから大橋のマックスブレイカー、そしてエンペラーとダンシングドールを持った拓哉。続いて学のファイアースティンガー、最後が中谷のバーニングサンである。
「レディ…」
 ゆっくりと、山崎は息を吸い込み、手を挙げた。
 四人は感じていた。
 そう言えばあの頃もこんなふうに──?


「ゴーっ!!」
 振り降ろされた手に、四人はマシンをコースに置いた。


 歓声が聞こえている。
 自嘲混じりに、レースを見守る奴らがいる。
 馬鹿ばっかだ。
 子供の遊びに熱くなってる。
 子供に負けたくないなんて言ってる。
 勝ち負けの価値まで求めてる。
 一過性のものだとわかってる。
 なのに、また手を出してる。
 なんだろう…なんでだろうな。
 それでもそれが、なんか心に引っ掛かってる。
 おもしろいと思ってる。
 そんな自分に笑う。
 けど──
 いやじゃない。
 手のなかにあるマシン。
 僕らはいつまでも、幼い頃に描いたその場所を、心のどこかに秘めている。


 勝負はついた。
 スーパーXシャーシは速かった。
 新しい子供たちの想いを乗せたそのマシンに、勝つことはできなかった。
 レースの終わったコース。それを取り囲む人垣の中から、
「ちょっと、遅かったかな」
 村上はレースの終わったコースに姿を現し、呟くようにして言った。
 拓哉が目を丸くする。
「お前…何処行ってたんだよ!もうレースは終わっちゃったぞ!」
「うん。結果は?」
「結果も何も──」
 中谷は村上に向かってエンペラーを差し出しながら返した。
「勝てなかったよ。奴らのマシンは、もう別の次元にあるようなものだもの」
「そう」
 そっけなく言い、村上は大橋の方を見た。
 大橋は返すように不敵に笑う。
「勝負しよう」
 村上は言った。
「奥の手?」
 大橋は言う。
 村上は大きく息を吸って、言った。
「まあね、スーパーXシャーシが別次元だなんて、僕は思わない。みんな、同じミニ四駆だ。みんな、同じ想いをもって走らせてる。きっと、僕も、みんなも。言うまでもなく、子供たちも。じゃ、その想いってなんだろう。その想いをつなぐものって、なんだろう?僕たちみたいに、今の子供たちも、何時か僕たちと同じような想いにとらわれるんだろうか。僕たちと同じように、幼い頃に想い描いたものを、追い求めるんだろうか。答えは、今、ここにあると思う」
 コースのまわりには、人垣があった。
 村上は口許をゆるませながら、そのマシンを出した。
「勝負しよう」
 そのマシン──ダッシュ0号──
「僕達の目指す、遥かなる地平線──ホライゾンという名のマシンで」


 ダッシュ0号──地平線(ホライゾン)。
 そのマシンのシャーシは、タイプTでも、Uでも、Vでもなかった。そのマシンのシャーシはタイプZERO。のちに現われるニューシャーシたちの雛型となった、彼らの世代のミニ四駆レーサー達の、最高峰のシャーシだった。
 スーパーXシャーシと同じ車高。同じギアシステム。サイドローラーを着ける場所はないけれど、初期状態から十分に軽量化されたシャーシ、リアローラーのネジ止め部。
 地平線の向こう──そこが別次元であったとしても、そのマシンは、そこへも行くことのできるマシンであった。
 そしてそのマシンが、今、彼らの目の前にあった。
 山崎がゆっくりと手を挙げながら言う。
「レディ…」
 村上は、ゆっくりとスターティンググリッドについた。手のなかのホライゾンは、眼前のコースに自らが駆ける姿を想像してか、最高のエキゾーストノートを響かせ続けていた。
「負けないぜ」
 隣のグリッドに着いた大橋に向かって、村上は笑いかける。
「おもしろい」
 大橋もマックスブレイカーを手に返す。マックスブレイカーの生むエキゾーストノートも最高潮に達していた。
 だれもが唾を飲んだ。
 馬鹿ばっかだ。──そう、自嘲しながらも。
 山崎がゆっくりと息を吸い込む。
 そして──
「ゴーっ!!」
 その手は振り降ろされた。


「いけぇ、マックスブレイカー!」
「いけぇ、ホライゾン!」
 二つのエキゾーストノートが、時を越えて音(ノート)を響かせ始める。



 十年も前。
 この、小さな小学校の体育館裏で、僕たちは遊んでいた。
 体育館裏には、下水を流す溝があって、それは普段一滴の水も流れてはいない場所だった。
 真っすぐ、あの頃はすごく長く感じたけれど、実際は一五メートルほどの下水溝。
 だけれどその下水溝が、僕たちの地平線へと続く、レースコースだった。
「まだ…走れるか?」
 僕はタイプTシャーシの電源スイッチを入れた。今のシャーシなんかとは違い、横にちょっと動かすだけのスイッチだ。そういえば、クラッシュするとすぐにスイッチが切れて、止まってしまっていたりしたっけ。
 FA-130モーター──要するにノーマルモーターだ──が、ゆっくりと回転を始める。
 そっと、僕は下水溝にマシンを置いた。
 切れかかったマンガン電池を積んだ僕のマシンは、ゆっくりと、最後の力を振り絞って、走り始めた。
 僕は、それを早歩きに追う。
 ブーメランJr。
 それは僕の初めて手にしたマシンだった。
 下水溝を進むマシン。
 マシンは姿を変えていく。
 エンペラー。
 そして──
 僕たちの地平線をめざす僕たちの夢のマシン──
 ホライゾンへと。


「また、いつか」
 僕は呟いていた。
 またいつか、その時がくるまで。
 地平線の見えない場所──そして時代──だけれど、僕らはそこを追い求めている。
 この下水溝の向こうに。
 ずうっと昔から変わらない。
 振り返ると、そこに仲間たちがいる。
「馬鹿ばっか、よくもこんなに集まったもんだ」
 僕は同じ想いをどこかに持つ仲間たちのところへと、歩み寄っていった。
 馬鹿みたいに笑いながら、僕らはまた、歩きだしていた。