Act-1
「ふぅ〜」
溜息と一緒に煙草の煙を吹き出す。目の前には幾つかの星。
星といっても下にはネオンやらでそうたくさんは見ることが出来ない。
ここはビルの屋上。一応高い所だがここでもネオンのご威光はあるもので、せっかく寝そべっているのに青白い空に星が幾つか見えるだけ。だが今日はまだ良いほうで悪いときだと星の一個さえ見ることが出来なくなる。
ぎぃぃぃ。
聞きなれた無気味な音が聞こえてきた。この音を聞くたびにどうしてここの扉はこんなに立て付けが悪いのか不思議になってしまう。まぁ、こうなっても誰も気付かないほど、ここには誰も来ていないのであろう。が、勝手に油などをさすわけにはいかない。ここに不法侵入してるのがばれてしまうかもしれないから。
ぎぃぃぃ。バタン。
扉が閉まったようだ。とりあえず煙草の火を消してボケッと空を見ていると、いきなり現われた白いパンツが、
「おっはよ」
と声をかけてきた。
体を起こしてみると何の事はない、いつもの彼女がスカートをはいているだけのことであった。
そこでようやく彼女に「おはよう」と返事をする。
何故『彼女』か。理由は簡単、名前を知らないからである。ここで会うようになってからもう数ヶ月になるが、名前を聞いたこともないし名乗ったこともない。ただ、ここにいたら彼女が来て、ただしゃべって帰っていく。ただそれだけの関係。
「なにぼけっとしてるの?」
「ん、別に。それにしてもこんな夜に、『おはよう』はないだろ」
「今そっちも言ったじゃない」
「ん、そうだっけ」
わかっていることを訊き返す。
「言った」
彼女はちょっとふくれて言い返す。
「ま、あいさつだし」
「そ、あいさつだからいいの」
と、長ったらしいいつもの挨拶を交わすと、彼女はいつもの様に隣に座って空を見上げた。
「珍しいね、スカートなんてはいてくるの」
今度はこっちから話し掛ける。
「うん、今日は動かないことわかってたし、たまにはこうゆう格好もいいかなって思って」
彼女は演劇をやっているらしく、動きやすいようにと大抵ズボンを履いている。大抵といっても週に2,3回、ここで合うだけだが。
「だからここに来ようかどうか迷っちゃった」
と彼女はにこやかに笑いながら続けた。事実ここは強い風が吹いたりするのでスカートが適するとは言いがたい。今も彼女の──セミロングになった──髪が風になびいている。
「髪切ったんだ」
風になびいていようがいまいが、長かった髪がセミロングにまでなればさすがにわかる。
彼女は笑いながら風になびく髪をゆらし、
「うん、よくこれでわかったね」
と言う。
「明日オーディションがあるから気合入れるためにもね」
「あ、明日オーディションなんだ」
つい思ったことを口に出してしまう
「だったら、今こんな所にいていいの?」
彼女は目を丸くし、少し考えたようにしてから立ちあがると、お尻を付いているであろう汚れをはたいて、
「それじゃ、そんなわけで帰るね」
と、歩き出した。言わなきゃまだ居てくれたかなぁと思いつつ彼女の背中に声をかける。
「あ、ねぇ。名…」
いつも言おうとしている言葉をいつもの様に途中でのみこむ。
「え、なぁに?」
「あぁっと、べつに」
「そぉ?」
「ん、じゃぁね」
と言うと彼女は扉に向かい歩いていく。
寝転がって、しばらくすると、
ぎぃぃぃ。
不気味な音が聞こえる。
ふっと体を起こし、彼女の背中に向かって言う。
「オーディション」
彼女がびっくりしたようにして振り向く。
「えっ、なぁに?」というような顔をしている彼女に向かって、笑いながら、
「頑張れよ」
と続ける。
彼女は笑いながら手を振った。
ぎぃぃぃ。バタン。
扉が閉まる。
ポケットの中から今日買ったばかりのマイルドセブンのメンソールを一本出して、寝そべりながら火をつける。カブもくなのを確認し、最初の願いを取り消して”彼女のオーディションがうまくいきますように”とお願いしなおす。
煙草を吸いながら、ちょっとしたことを考える。もし、星が流れたらどっちを願えば良いのだろう。彼女のオーディションの事を願うか、それとも、彼女の名前が聞けますように…か。
「ふぅ〜」
溜息と一緒に煙草の煙を吹き出す。
目の前には幾つかの星。