studio Odyssey



地平線の彼方へ


第三話 勝ち負けの価値まで

 スーパーXシャーシを前に、村上 祐一はため息を吐き出していた。
 自宅の机。パソコン関係のものと、ミニ四駆関係のものが散乱している机。
 その机の上に置かれた愛車、DASH-1号エンペラーのボディは、もう、タイプTシャー シから外されていた。村上はじっとそれを見つめていたかと思うと──そっと、スーパーXシャーシの上へそれを持っていった。
 それが何度目になるか、彼にはもうわからなくなっていた。
 結局は、乗せないのである。
 乗せられないことはない。多少はボディ形状をいじる必要は出てくるが、彼にとってそれはそれほど難しいことではない。その気になればミニ四駆のボディくらい、フルスクラッチで作り出す事もできなくはないのだ。
 だけれど結局は──乗せない。
 乗せた時点で、エンペラーが、エンペラーでなくなってしまうような気がしたから。
「教えてくれエンペラー…」
 村上はエンペラーのプラスチックボディを叩きながら呟いた。
「僕たちは、奴らに勝てるのか?」


「スーパーXシャーシには、勝てるわけないよ」
 なんて、村上は笑いながら言った。
 授業終了後の、いつもの空き研究室。モーター音が響いている。
 レースコースには、スーパーXシャーシのマシンがボディも乗せずに走っていた。
「そう言うなよ」
 と、小川 拓哉は嘆息。
「オレたち世代のマシンで、今時代のマシンを抜き去ろうって言うんじゃなかったのかよ」
「そうは言うけどさぁ」
「あれを見せられちゃうとなぁ」
 村上のため息混じりの言葉に続いたのは中谷(なかたに)広丈。
「直進性能、コーナーリング性能、ウェイト、どれを取っても、奴らレツゴ系マシンはダッシュ系マシンよりも上だ」
「勝てるわけない──と思う」
 村上は言った。けれど少し、自嘲気味に笑いながら。
 勝つ手はある。なくはないのだ。
 そして彼は、それを口にしてしまった。
「勝つ手はある。まず、シャーシを同じものにするという手」
「けど、それじゃ意味がない」
 すぐさま、拓哉が返した。
「シャーシを変えたら、もうレツゴ系マシンみたいなもんだ」
「なら、モーターを変えるという手。たとえばウルトラダッシュを乗せる」
「レギュレーション違反じゃないか」
 そんなことは、村上も百も承知だ。
「入れ替えればいい。見た目じゃわからないようにすることもできる。今の僕らになら」
「そうまでして勝って、嬉しいか?」
 眉を寄せる拓哉の言葉に、村上はただ笑っていた。


 ハイパーミニモーターと、ハイパーダッシュモーターという二種類のモーターしか、当時は存在しなかった。
 レブチューンだとか、トルクチューンだとか、そんなものはなかった。ただ速いか、遅いか、それだけだった。
 そしてハイパーダッシュモーターはハイパーミニモーターよりも速かった。
 彼らにとってそれは、それ以外の意味がなかった。
 銀色のボディに、黒いお尻のハイパーミニモーター。レギュレーションに納まる、銀色の騎士。
 そして、黒色のボディに赤いお尻のハイパーダッシュモーター。荒れ狂う、力のかぎりを求めた黒色の騎士。
 二つが公式の場で争い合うことはまずなかった。
 黒騎士の参加が認められたのはオータムカップにおけるストレートレースのみであったし、当時、そして今でももっとも権威ある大会、ジャパンカップには彼らの参加は認められておらず、銀色の騎士以外の参加は、はっきり言ってなかったのであった。
 けれど、それは陽のあたる場所での戦いだけだった。
 黒騎士たちは、銀色の鎧をまとい、さまざまな小さなレースを荒らしていたのだった。


「勝ちゃあいいんだ」
 彼はそう言った。
 ファイアードラゴンのクリアボディマシンを持つ彼は、仲間内で最速のマシンを持っていた。けれど、だれも彼のマシンを最速とは認めていなかった。
 彼のマシンは、銀色の鎧をまとった黒騎士だったのである。
 そしてそれは彼が作ったものではなく、彼の兄が作り上げたマシンでもあった。
「勝ちゃあいいんだ」
 だから、悔しかった。
 そのマシンには勝てなかった。どんなにがんばっても、そのマシンの速さは桁違いだった。
 直進性能、コーナーリング性能、スタートダッシュ、最高速度、どれもまったくかないはしなかった。それもそうだ。彼のマシンは当時最新のパーツで固められ、偽りの力を獲てコースを駆けていたのだから。


 ミニ四駆に使われているFA-130という大きさのモーターは、ネジなどで止められているわけではない。封印と言って、金属自体をまげて留める方法を取っている。
 つまり、そこを開けば簡単に分解することができるのである。
 モーターは、磁石とコイルの巻き数、巻き方によってその強さが変わる。それは小学生が理科の授業でならう程度のことだ。
 ミニ四駆のモーターを分解し、コイルの巻き数や巻き方を変えるのにはハンダゴテが必要になるが、僕はそれを持っていたし、そうでなくても、ハイパーミニモーターの中身とハイパーダッシュモーターの中身を入れ替えるくらいのことは、簡単にできた。
 実際、その銀色の鎧をまとった黒騎士を、僕も作ってしまっていた。
 自信があった。
 このモーターを使えば、彼に勝つこともできると。彼はお金に任せて最新のパーツを次々と買っていたし、マシンと同じ値段もするボールベアリングも持っていた。けれど、絶対に勝てる自信があった。
 僕のブーメランJrは、彼のファイヤードラゴンよりも、僕自身が時間をかけて作り上げていったマシンだったから。
 結局、僕はその後のレースでも彼に勝つことは、一度としてなかった。


 乗せなかったのだった。
 乗せた時点で、僕のブーメランJrが、ブーメランJrでなくなってしまうような気がしたから。
 勝ち負けの価値まで捨てて、レースに勝とうとは、思えなかった。


「やってるか?」
 と、ドアを開けて大橋 剛輔が姿を現した。手にはスーパーXシャーシのレツゴ系マシ ン、マックスブレイカーがあった。
「敵が!倒さねばならない敵が、何のようだっ!?」
 拓哉が言う。大橋は彼らにマックスブレイカーを突き付けながら、返した。
「今日は、宣戦布告にきたのだ」
「なにっ!?」
 大橋の後には、彼らの友達である者がひとり、控えていた。
「まさか…」
 中谷が息を飲む。
「そのまさかだ!」
 大橋の後に控えていた山岡 学は鞄の中からそのマシンを取り出しながら言った。
「オレもこっちにつくぜっ」
 彼の手のなかのマシン。マシンはファイヤースティンガー。レツゴ系マシンである。
「TZシャーシできたか」
 歯を噛み締める村上。ファイヤースティンガーはXシャーシの前、TZシャーシなのである。
「どうやら、前回の敗戦で多少は勉強してきたようだな。その通り。さぁ、これでもまだ我々レツゴ系マシンに勝てるかな?」
「くっ…」
 言葉を飲み込む拓哉。拳を握り締める中谷。
 二人の後ろで、村上は小さくため息を吐き出して、言った。
 はっきりと、強く。
「それでも勝てるさ」


「たいした自信じゃないか、村上」
「そう言うと思ってきたんだろ?宣戦布告に」
「もちろん」
「ダッシュマシンは、レツゴマシンに負けない」
「あくまで、そう言い張るつもりなのか?レギュレーション内で、ダッシュマシンはダッシュマシンのシャーシを使ってだぞ?それでも──」
「勝てる」
 村上はきっぱり、はっきりと言った。エンペラーを見つめながら。
「なぜ?」
 大橋は返す。村上に向かい。
「負けると思ってしまったら、もうそこで負けてる」
 村上は言った。
「勝ち負けの価値は、そんなんじゃない」


「いいだろう。ならば、決着をつけよう」
 大橋は言う。マックスブレイカーを手に。
「一週間後の今日、真に速いマシンは誰のどのマシンか、決着をつけようじゃないか」
「速さのみを求め──ミニ四駆の本当の楽しみ方はそんなんじゃない!」
 と、拓哉。手のなかのダンシングドールを握りしめる。
「それは遅い者のひがみ?」
 学はファイヤースティンガーのスイッチを入れながら言った。TZシャーシの音も、ダッシュマシンのシャーシのモーター音とは明らかに違ってた。
「俺たちには熱い想いがあるっ!」
 バーニングサンを突き付ける中谷、
「それで勝てるんなら、前の勝負の時に勝ってるはずじゃ?」
 大橋の冷静な突っ込みに言葉を飲んで咳払い。
「一週間後だな」
「む…村上!?」
 村上は腕を組んだまま、返した。不適に微笑みながら。
「受けるつもりか!?」
 拓哉が眼を丸くする。このマシンじゃ、奴らに勝てるはずがない。分かり切っていることなのに。
「受けてたとう」
 村上は微笑みながら、返した。
 大橋も口許をゆるませる。
「たいした自信だ。言うまでもないことだが、レギュレーションは守ってもらうぜ。レツゴマシンとダッシュマシン、世代を越えたミニ四駆、真に熱い、速いマシンはどちらか。決着をつけようじゃないか!」
「いいぜ、俺たちは負けない」
「言い切ったな…」
「俺たちには、あの頃から変わらずに目指している場所がある。だから、負けない」
 腕を組んだまま不敵に笑う村上に、大橋は眉を寄せた。
 何を企んでいる?レギュレーションを破る気か?しかし、こいつに限ってそんなことはしないはずだ。何か策があるのか?いや、しかし何をしてこようと前時代のマシン。我々のマシンに基本性能でも勝てるはずがない。
 しかし──
 この自信は何処から…
「…いいだろう」
 大橋はドアに振り返りながら、最後に言った。
「一週間後、すべては明らかになる。すべての決着を、付けてやる」


「勝算はあるのか?」
「奴らのマシンは、速いぞ。同じパーツを乗せたって、レギュレーションにきっちりあわせた同じ重量にしたって、かなわないぞ?」
 二人の言うことはもっともだった。
 だけれど、戦わないわけにはいかない。
 勝ち負け。
 その二つだけで言えば、今は負ける。
 その負けに、価値はあるか?
 自分たちが幼い頃に思い描いていた、最速のマシン。その夢を、今実現可能な状況になって、実際実現して、あの頃作りきれなかったマシンを作り上げて、だけれど、きっと負ける。
 その負けに、価値はあるのか?
 夢は砕かれるもの。わかってはいるけれど──
 この勝負に、価値はあるのか?
 エンペラーは、彼に答えをくれなかった。