studio Odyssey



地平線の彼方へ


第二話 時の壁

「エンペラー…」
 その名を知るものは、彼のマシンに息を飲んだ。
「よくあったな」
 エンペラーの持ち主、村上 祐一の友人、小川 拓哉は小さく呟きを返す。彼もまた、幼い頃ミニ四駆に燃えた者である。
「近所の古い玩具屋で見付けたんだ」
 村上は、エンペラーのスイッチを入れた。きゅうううんと、懐かしいモーター音が鳴り響く。
 大学の講堂。休み時間ではあったけれど、そのモーター音には誰もが振り向いた。
「みんな見てる」
 嬉しそうに言う村上。彼は講堂の長机の端まで移動すると、にこにこと笑いながら、そこから拓哉の方に向かってエンペラーを走らせた。
「おおっ!」
 突然のことに少々驚きはしたものの、拓哉は慣れた手つきでミニ四駆を受けとめた。懐かしい衝撃が手に走る。思わず、口許がゆるむ。
「懐かしいなぁ」
「だろ」
「でも、今更こんなもの買ってきてどうするつもりなんだよ」
「どうするもなにも──」
 手渡されたエンペラーを受け取り、村上は言う。きっぱりと。
「もう一度、一番になれるかどうか試してみるんだよ」
「一番?何だそれ?」
「昔さ、ミニ四駆にはまってたりしてた頃、自分がいつも一番だったじゃん。もし、今の自分たちがミニ四駆を走らせても、あの頃みたいに一番になれるかな──って」
「ガキどもに勝てるかってこと?」
 拓哉は眉を寄せる。けれど、彼もまた村上の言うことに共感したようだった。
「たしかに今全盛のマシンを、昔のボディで抜き去ってくのは快感だろうなぁ。ガキども、驚くぜぇ、『なんだあのマシンはっ!?』って言って」
「やりたいだろ、それ!」
 と、村上は手を打った。頭の中のそのシーン、まるで漫画のワンシーンだ。
「なっ?」
「やりてーなぁー」
 笑う拓哉。そこに、彼らの友人大橋 剛輔が言葉を挟む。
「無理だろー」
「あっ、何を言う。知識も金も、今じゃオレ等の方が上なんだぜ。真面目にやれば負けないだろ」
「そうそう、こっちは一朝一夕の年期じゃないんだから。ブランク長いけど」
 拓哉と村上はそう言って笑いあった。
 きっとまだ勝てる。──二人はそう思っていた。
 だけれど、二人の言葉に大橋はため息を吐き出していた。
 二人はまだ、その長いブランクの間に生まれた時の壁の存在を、知る由もなかったのである。


 数日の時が流れ、いつのまにか村上のまわりにダッシュマシンが集まっていた。
 村上のDASH-1号、エンペラー。
 拓哉のDASH-5号、ダンシングドール。
 そして中谷(なかたに)広丈のDASH-2号、バーニングサン。
 村上と同じくして彼らの手によって集められたたマシンたちは、彼ら手により改造され、いっぱしのレースマシンに姿を変えていたのであった。
 そして、いつのまにか授業終了後の一時間ほどが、彼らの『部活動』の時間になっていた。何処から持ってきたのか、田宮純正レースコースを空き研究室に広げて──である。
 だが、
「前時代のマシンを走らせて、井のなかの蛙どもめ」
 と、その日、『部活動』に勤しむ彼らの元に、がらりとドアを開けて彼らが姿を現したのであった。
「あれから、どれだけの時間が経っていると思っているんだ。今時代に、タイプTシャーシで、勝負になると思っているのか!?」
「なっ!?」
 村上たちはマシンを手に、その声に振り向いた。
 ドアの向こうに立っていたのは大橋。そしてその手の中にはスーパーXシャーシを持つ今時代のマシン、『マックスブレイカー』があった。
「あ、おめー、何だかんだ言って、自分も買ってるじゃん」
 村上がエンペラー片手に軽くつっこむ。
「混ぜてほしかったんか?」
 と、ダンシングドールを持った拓哉。
「なーんだ。ほれほれ、こっちき。一緒に走らせようや」
 中谷はバーニングサンを手に手招きした。
「…たしかに走らせにきたわけなんだが…違うっ!」
 大橋は彼らの眼前にマックスブレイカーを突き付けながら言った。
「我々は、お前たちの敵なのだ!」
「なんだとっ!」
 さっそく拓哉が乗る。
「わかったぞ!つまり、今時代のマシン、『レツゴ系』マシンと、前時代のマシン『ダッシュ系』マシン、真に速いマシンはどちらか、決めようというわけだな!?」
 ノリのよさなら村上も負けない。彼はぐっとこぶしを握り締め、拓哉に続いた。
「我々が討ち倒そうとするガキどものマシンは、みなレツゴ系だ。ちょうどいい、ならば勝負だっ!!」
 眼を爛々と輝かせ、エンペラーを突きだす村上。それを見て、大橋は軽く笑った。
「望むところだ!!」


「えー、では今回のルールは、田宮公式ミニ四駆レースのルールにのっとって行ないます。両チーム、意義はないですね?」
 と、静岡県出身だからと審判にされた彼らの友人、山崎 敏樹が言う。──ちなみに、 田宮の本社は静岡なのだ。
「純正ルールってやつね」
 村上は言う。言いながら、ボディを開けて中から白いタミヤのニカド電池を取り出す。
「オイッ!!」
 大橋の突っ込み。
「レギュレーション違反じゃないか!!」
「だから外してるだろー」
 白いタミヤのニカド電池は2.2Vなのである。村上は口を尖らせながら1.5Vのアルカリ乾電池に入れ替えた。
「競技用のコースじゃないから、3コースしかない。村上くんのエンペラーと、大橋くんのマックスブレイカーの一騎打ちでいいね?」
 と、山崎。意義なしとばかりにうなずく拓哉と中谷。現状、一番速いのは村上のエンペラーなのである。
「タイプTシャーシだって、軽量化処理を施して、パーツを変えれば負けるもんか」
「時代の差を見せてやる」
 火花を散らす村上、大橋。
「レディ…」
 山崎はゆっくりと手を挙げた。
 いつのまにか集まった観客──といっても大学の友人たちだけれど──十数人が、ごくりと唾を飲んだ。
「ゴーっ!!」
 山崎が腕を振り降ろす。
 白いレースコースを、疾風が駆け抜けた。
「行けぇっ!エンペラー!!」
「行けぇっ!マッスブレイカー!!」


 モーター音。
 ローラーがコースの壁に擦れる音。
 その差は、歴然だった。
 ふたつのカーブ。ひとつのシケイン。ひとつのコースチェンジだけ、たったそれだけのコースでありながら、その差は歴然であったのだった。
「なっ!?」
 眼を見開き、言葉をのむ村上。
 エンペラーとマックスブレイカーの速さの差は、歴然であった。
 たしかにエンペラーは速かった。八○年代のジャパンカップでなら、上手くすれば地区トップになれるほど。
 だけれど、時の流れのなかに生まれた壁は、その程度の速さでは越えることができなかったのであった。
「行けぇっ!マックスブレイカーっ!!」
 大橋が拳を握り、叫ぶ。
 コースにぴったりと張りついて、地を走るような安定した走りで、マックスブレイカーはゴールを切った。
 無論、エンペラーよりも早く。


「…勝てるわけがない」
 村上はぽつりと呟いた。
 そのシャーシを前に。
「これは──卑怯的だよな」
 拓哉もそのシャーシを前に呟く。
 スーパーXシャーシ。現在もっとも新しいミニ四駆のシャーシである。
 中谷は無言で、そのシャーシの隣にタイプTシャーシを置いた。
「なんてこった」
 その差は、そこに現れていたのであった。
 大学生にでもなれば、イヤでもその差による速さの違いを、一目で理解できた。
 ホイールベースの長さはたいして変わらない。だが、シャフトの位置が明らかに違う。Xシャーシの方が高いのである。つまり、車高が数ミリも低いのだ。
「安定感が高そうだ」
 拓哉は呟く。あの地を這うような走りはここから生まれるのであろう。
「シャフト長もこっちの方が長い。全体的に安定感を上げてるんでしょ」
 と、中谷。
「ドライブシャフトの位置が左右入れ替わってる。モーターの回転方向を考えると、こっちの方が直進性能もあがる」
 村上はため息混じりに呟いた。
「これじゃ…勝てるわけない…」
 机のうえのエンペラーは、ただ静かに沈黙していた。
 白い息が闇夜に踊る。
 村上は夜空を見上げ、途方に暮れていた。
 踏み切りの音が響いている。停まる車と、人の流れ。彼も、その流れのなかに立ち止まっていたのであった。
「前時代…か」
 線路が街灯とヘッドライトの光に輝いていた。駅のない遮断機。そこへ、少しずつ列車の音が近づいてくる。
 そしてそれは、彼の目の前を駆け抜けていった。
 一瞬のうちに。


 勝てない。
 もう、時代は自分たちが生きていた時のものではなくなっていた。
 新しい波。
 新しい風。
 そして、もしかしたら新しい想い──?
 世代は、明らかに入れ替わっていたのだった。


 時が動きだす。
 ざわめきが戻る。
 村上は小さく呟いて、歩きだした。
「時の壁──か」
 白い息が闇夜に踊る。
「僕らは、この壁を越えられる?」