studio Odyssey


第六話




 真っ暗闇の中、そこにだけぽっとスポットライトが当たる。
 その光の中に現れたのは、R‐0を作り出した科学者、平田教授だ。
「『新世機動戦記R‐0』をご覧の皆さん。毎度のご愛読、誠にありがとうございます。僭越ながら、今回の企画について、私の方から説明させていただきます」
 企画?
「この話、『新世機動戦記R‐0』にはたくさんの人物が登場します。ストーリーに絡む人物、絡まない人物、ちょい役、大役、エキストラ、エトセトラ。しかし、そのほとんどの登場人物に名が付いています。必要のないものにまで。です」
 たしかに…
「ですが、この称号を得られる人物は、物語の中でただ一人。その称号…もうお分かりですね」
 にやりと笑う平田教授。
「そう!ヒロイン。ヒロインの称号を得ることが出来るのは、物語の中でただ一人!美しく、時には強く、時には優しく。それがヒロイン。主人公を助け、名台詞から、お色気シーまでを一手に引き受ける存在」
 なるほど。なるほど。
「さて、ではこの『新世機動戦記R‐0』において、その称号を得るに値する人物は一体誰か?女の子キャラはたくさん登場していますね。まずは当研究室の大ボケ──失礼。可憐な研究生、吉田 香奈。R‐0専用輸送機『イーグル』パイロット、村上 遙。主人公の同級生、現役女子高生の松本 詩織。それから──」
「ちょっと!ちょっと!」
 暗闇の中から助教授西田 明美登場。
「私は!私はその中にエントリーされないの!」
「明美君、君ね…」
「ああっ!何よ。私が歳取ってるからとかって言う理由?女の魅力ってのはね、三十路近くから出てくんのよ!」
「おーい、シゲ」
 教授に呼ばれて暗闇の中から院生、中野 茂登場。
「あ!なによシゲ君!は・な・し・て・よッ!!」
「明美さん、止めましょうってば」
「もーっ!」
「明美さんに大人の魅力があるのは。よっくわかってますから…」
「はなしてー!」
 暗闇の中へ消えていく二人。こほんと教授は咳払いをして続ける。
「さて、ではまいりましょう。『新世機動戦記R‐0』。この話における──」








 第六話 ヒロインは誰だ!?

       1

 エントリーナンバー1番。
 吉田 香奈。
 彼女の一日。
「一也ぁ!起きないと、学校に遅刻するわよ」
「むぅ…」
 姉、香奈の声に一也はベッドの中で寝返りをうった。
「一也!」
「起きるよぉ…わかってるってば」
 東京国際空港近くのマンション。3DKのマンションの管理費は、もちろん防衛庁別室、特務機関Nec持ちだ。香奈とその弟、R‐0パイロット、吉田 一也はここに二人暮らしをしている。
「一也!」
 がちゃりとドアを開け、しびれを切らした香奈が姿を現す。
「ご飯出来たわよ。食べるでしょ!」
「食べるよ。食べるってば」
 食べなきゃ、「美味しくないの?お姉ちゃんの作ったご飯、美味しくない?」って、半泣きになるじゃないか…
「今起きるから」
 言葉とは裏腹に、もそもそと布団の中にもぐり込む。
「遅刻したって知らないから!」
「大丈夫だよ…」
 僕はお姉ちゃんとは違って何するにも早いんだから、大丈夫だってば。
「もぅ」
 ぷんと頬をふくらませる香奈。
 吉田 香奈の一日は、まず弟、一也の朝ご飯の支度から始まる。
 料理の腕には自信があるのだ。何をするにも人よりちょっぴり(注*1)遅いけれど、お料理だけは人より上手に出来るんだから。
 でも、早起きは苦手なのだけれど…
「ふぁあああ…」
 大欠伸をしながら、一也がダイニングキッチンへ登場。
「おはよ…」
「おはよう。今日は学校、何限まであるの?」
「今日って何曜日だっけ?」
 ダイニングテーブルの上のリモコンを手に取り、テレビのスイッチを入れる。
「水曜日か。みっちり、六時間目まであるよ」
「そう。じゃ、帰って来るのは五時くらいね」
「部活出てくるから、もっと遅くなるよ」
 テレビでは他愛のないニュース──逆立ちしてオシッコをする猫──を流してお茶を濁している。朝のニュースじゃないよな…と、一也はチャンネルを変えた。(注*2)
「部活どう?学校楽しい?いじめられたりしてない?お友達とか、お家に呼んでもいいのよ」
「一度にいくつも言わないでよ。質問は一度に一つ」
「うーんとそれじゃ…」
 いちいち考える必要などないのだが、そこで考えてしまうのが香奈なのである。
「毎日楽しい?」
「それなりに」
 そっけなく答えたのだが、
「そう。それじゃあ大丈夫ね」
 と、香奈はにこにこ微笑んで一也に笑いかけた。


 ぴぴぴぴぴぴ…
 と、この目覚まし時計の音も何年聞き続けてきたか。アメリカに留学したときからずっとこの目覚まし時計を使っているわけだから、もう…何年になるのだろう。
 だが、この目覚まし時計の持ち主村上 遙が、この音を聞いて一回で目覚めることなど、まずない。今日もこれで五度目だ。
 そして、彼女がやっとベッドの中からその時計の針を見るときは、決まって、
「やばい!」
 と言う声が次に聞こえてくるのである。
 R‐0専用輸送機『EVR‐ZERO』通称イーグルのパイロット、村上 遙。17歳。高校3年生の彼女の一日は、大体いつもこうして始まる。
「ちょっとちょっとちょっと!やばいんじゃないのぉ」
 急いで制服に着替え、洗面所へ向かう。とにかく顔を洗って歯を磨いて髪の毛を梳かして…身だしなみだけはしっかりしないと!
 別に誰が見るわけでもないし、誰に見せるわけでもないのだが…
 1K。一人暮らしをするのには、これだけの広さがあれば十分だ。ニューヨークに留学していたときは、ルームメイトと一緒に暮らしていたのでもっと広いところにすんでいたが、遙の家具は断然ルームメイトのものよりも少なかった。
 「日本の学校は、制服があるから楽でいいわよね」と、遙は友達に言ったことがある。みんな息巻いて反論してきたが、遙にしてみれば「どうして?」である。学校に着ていく服に悩まなくていいじゃないの。
「ご飯は食べてる暇、ないなぁ」
 髪をブローしながら呟く。
「今日もあれにするかなあ…」
 あれとは、冷蔵庫の中に買いだめしてあるカロリーメイトだ。ま、ダイエットもかねられるし──父親、村上 俊平総理が彼女のそんな食生活のことを聞いたら、「一人暮らしなんて止めなさい!」と、怒鳴るところだろう。
 だからといって、一緒に暮らしたってたいして生活に違いは出ないだろう。これが遙の生活のリズムとして、定着してしまってるのだから。
 それに今更、パパたちと一緒に暮らすってのもね──
「夕飯は香奈さんに御馳走してもらうとして…昼は購買ですますか」
 最近、夕飯は吉田家で御馳走してもらうというのが遙の習慣になりつつあった。時期、これも生活のリズムとして彼女の生活に組み込まれていくことだろう。
「戸締まりよし、コンセントよし。わっ!本格的にやばい!!」
 いつもと同じ台詞を吐いて、遙は部屋を駆け出した。


 いつも通り、駅の改札で待ち伏せをする。
 あ、来た。今日もいつもと同じ電車。
「おはよう」
 と、改札から出てきた男の子に、いつもと同じように声をかける。
「あ、おはよ」
 と、いつもと同じ返事が返ってくる。
 ここから学校までの五分間、二人は並んで歩く。吉田 一也と松本 詩織。同級生で、同じ部活の友達だ。
 今はまだ友達。詩織に言わせれば、そう言うことになる。
 詩織はちょっと微笑みながら、隣を歩く一也のことを見る。「ん?」と、視線を返す一也。
「なんでも」
 にっこりと、詩織はただ、笑っていた。
 二人の間の関係は、ちょっと、前までとは違っていた。詩織が一也に告白したことも大いに関係するのだけれど、一也のそれに対する返事も、大いに関係していた。
「私、吉田君にフラレたんだと思ってた」
 詩織は笑いながら言う。
「ん?んー…」
 照れくさそうに、一也はぽりぽりと頬を掻く。
「そんなつもりじゃ…」
「ふふふ。いいのいいの。あはは」
 詩織はただ、一也の答えに嬉しそう。
 告白のあと、ちょっとぎくしゃくしたりもしたけれど、教室でも部室でも、相変わらずに二人は話せた。恋人同士じゃないけれど、友達でもない。冗談混じりにでも「私のこと嫌い?」と聞けば、「そんなことないよ」と、顔を赤くしながら一也は返す。
 そんな関係も悪くないな、と、詩織は思っていた。
 吉田君も、私のことを避けるような素振りは見せないし、好きじゃなくても、嫌いじゃ、ないみたい。
 それはそれで、いいかも。
「ねぇ、もうすぐゴールデンウィークだね」
 詩織は微笑みながら、言った。
「あ。そうか。そう言えばそんな行事もあったなぁ」
 返す一也。だけれど、ゴールデンウィークは行事ではない。(注*3)
「吉田君、ゴールデンウィークにどこか行くの?京都に里帰りとか」
「どうかな…」
 エネミーの襲来はいつくるかわからないし、休みなんて、あってないようなものだからなあ。と、一也は頬を掻いた。
「松本さんは──」
「詩織」
 間髪入れずに詩織が言う。
「私、自分の名前好きなの。だから、吉田君も私のこと詩織って呼んで」
「え。えーと…」
 かなりの抵抗があるが、一也は何とか、
「と…しお…り…ちゃんは?」
 彼女に向かって聞き返した。
「へへ」
 と、詩織は嬉しそうに笑う。
 詩織が、一也に自分を名前で呼ばせようとしている理由は単純だ。自分の名前が好きだから──なんていうのは半分本当で半分嘘。単純に恋敵、村上 遙先輩を一也が呼び捨てにするのに、嫉妬しているのである。
 私も呼び捨てにしてよぅ。
 とも思うが、「異性として意識されてるから、私のことは呼び捨てに出来ないのかしら」と、プラス方向に考えることもできる。
「私は、特に何の予定もないの。ね。吉田君」
「ん?」
「吉田君も暇?」
「多分ね」
「じゃ、デートしよっか?」


 吉田 香奈の午前中。
 Nec本部。東京国際空港の片隅にある、いまは使われていない格納庫の中で、
「教授、お手紙がまた、山のように来ました」
 事務仕事に励む。
「むぅ…」
 平田教授は眉間にしわを寄せた。どうしてこう、毎日毎日ダンボール一箱分も手紙が来るのだ?
「目を通すべきものは?」
「はあ…多分教授が絶対に読まなきゃならないっていう物はないと思いますけど…」
「そうか」
 ダンボールの中に手を突っ込んで、二、三枚手に取ってみる。防衛庁からの抗議文。建設省からの抗議文兼請求書。それに、電話料金の請求書。(?)
 うむ…
「教授…どうしますか?」
「破棄」
 間髪入れずに教授は言った。


 村上 遙。彼女の午前中。
 言うまでもなく、高校で授業。
 だが──
 つまんない授業…眠い。
 欠伸を何とかかみ殺し、黒板に書いてあることをそのままノートに写し取る遙。目で見て、そのままに手を動かす。脳には入っていない。
 何が悲しくて、今更英語の文型を習わなきゃならないのよ。しゃべれればいいじゃない。もぉー。
 と、ジャーペンをかちかちノックしながら、今度は本当に欠伸。
 彼女、アメリカからの帰国子女なのだ。英語は喋れて当たり前である。
 眠い…
 ──と、そういうときに限って、
「じゃ、村上さん」
 なんて、英語教師、落合女史に指されたりするのである。
「は?」
「次の文を訳してください」
「は…はい」
 そんなことは簡単である。英語など、古文を読むより遙にとっては簡単なことなのだ。ただ──聞いちゃいなかったので問題がわからない。これはさすがに、どうしようもない。
「睦美っ」
 と、小声に前の先の友人、佐藤 睦美に助けをこう。同じ美術部の、気の合う友達であるが──
 寝てるッ!?
 気が合うだけあって、行動も実によく似ているのであった。
「聞いていなければ、わかるものもわかりませんよ」
 皮肉たっぷりに言う落合女史。以前の授業で、遙に「日本の受験では当たり前のように出るけれど、今はほとんど使われていない文法」について指摘されたことを、未だに根に持っているようである。
「57ページの上から五段目です」
 勝ち誇ったように言う落合女史。
「Well…」
 思わずつぶやいた遙の言葉に、むっとしたようだった。


 松本 詩織の午前中も似たようなものなので、可愛そうだが飛ばさせていただき、先ほどからご機嫌斜めである助教授、西田 明美の午前中をリポートする。
 Nec本部。R‐0のハンガー内で、パソコンのモニターを覗き込んでいる明美助教授。そのモニターには、BSSシステムの一端が表示されている。
「どうです?」
 と、声をかけたのはシゲ。手にしていた缶コーヒーを差し出して、
「R‐0の頭の中身は?」
 明美助教授のご機嫌をうかがう。
 明美助教授はご機嫌斜めのご様子。肘を突いて、じっとモニターを見つめたままだ。
「明美…さん?」
「我ながら天晴れだわ」
 と、ため息。
「どうかしたんですか?」
「シゲ君。BSS、開けてみたくない?」
「BSSですか…」
 BSS。R‐0の中枢システムであり、パイロットとR‐0の各部アクチュエーターを直結させるシステム。パスワードロックされていて、誰にも開けることの出来ないブラックボックス。
「でも、パスワードがわからないんでしょ」
「そう。わからないの。だから別の方法で開けようと思ったんだけど──」
 かちゃかちゃとキーボードを叩き、ため息を吐き出す。
「そこで、我ながら天晴れってわけ」
「と、いうと?」
「山のようにトラップがあるんだもの。もしかしたら、軍事基地よりハッキングが難しいかも知れないわ」
「自画自賛ですか…」
「あら、じゃシゲ君やってみる?」
「遠慮しますよ。僕はベーシックしか知らないですから(注*4)」
「一年でC言教わったでしょ。っていうか、私教えたわよ」
「パスワードの方はどうです?」
 話を変えるシゲ。覚えちゃいないわけではないが、さすがに明美助教授ほどプログラミング言語に精通しているわけではないのである。
「パスワードね」
 言いながら、明美助教授はキーボードを打った。
「無理でしょ。それこそ」
 そう言って肩をすくめる。キーボードから手を離すと、モニターの脇にあったメモ用紙を一枚ぴっと切り取り、
「いい、パスワードは英数字のみしか使用していないから、全部で26プラス10で、36文字」
 すらすらとボールペンを走らせる。
「パスワードは8文字で、36の8乗。いくつ?」
「無理ですって、そんな計算…」
 眉間にしわを寄せるシゲを無視して、パソコン側で計算する明美助教授。はなっからシゲに計算できるとは思っていない。(注*5)
「えーと、2.821109907×10の12乗ね。約3兆通り」
「無謀もいいところですね」
「さらにパスワードは3回しか間違えられないから、これ分の3で1兆分の一の確率」
「ナインナインすら、越えましたね」
「12乗だもの。フィフティーンナインだわ(注*6)」
 明美助教授は肩をすくめて笑う。
「まあでも、いつかはこれも開かれるんでしょうけどね」
 呟いて、明美助教授は立ち上がった。ハンガーの入り口に、トラックが止まったのに気がついたのだ。
「R‐0の部品が届いたわ。シゲ君、検品やるわよ」
「あ、はーい」
 と、ハンガーの入り口へ小走りに駆けていく。


 午後。
 まずは吉田 香奈の午後から。
 Nec本部。完成したばかりの小綺麗な会議室にて、Necのトップクラスの人物のみの会議に出席。
 とは言っても、Necのトップクラスの人間というのは、例の『脳神経機械工学研究室』の研究生2人と、教授、助教授の4人だ。(注*7)
 当然、机の上にはいつものようにペットボトルとポテトチップスの袋。
「まず、最近のエネミーの動向を報告をしよう」
 と、教授がスクリーンに映像を投影する。
「これまで太平洋に落下したエネミーは計6体。うち、日本にやってきたのは4体」
 かしゃんという音と共に、スクリーンの映像が変わる。日本に襲来した、4体のエネミーの写真だ。
「基本的に、どれも人型ですね」
 と、シゲが写真を見て言う。
「そうねぇ。言われてみれば」
 明美助教授はぱりぱりとポテチをほおばる。香奈は、あんまりよくわからないのでにこにこしながら聞いている。
「ところが、そうとも言えんのだ。最近のエネミーについてはな。ま、そのことは追々話すとして…エネミーによる主要都市の被害状況を見てもらおう」
 かしゃんかしゃんと、教授の台詞に乗せてどんどん写真が変わっていく。
「まず、二体目のエネミーによるニューヨークの被害は甚大だった。有効な攻撃手段もなかったしな。アメリカはホノルルもやられてるな。それからー…フィリピンの首都、マニラ。ポルトガルの首都、リスボン。カーボベルデの首都、プライア」
「どこですそこ?」
「私も知らん」
 著者も知らん。(注*8)
 ポテチを手に明美助教授。
「この前のインドに来たやつは凄かったって聞いたけど?」
「さすが事情通の明美君だ。情報が早い。見たまえ」
 かしゃんと切り替わった写真。そこにでかでかと映し出されていたのは──
「こっこれは…」
 シゲが息を飲む。
「これは…インドじゃ被害が大きくなるわ」
 明美助教授はため息。
 香奈はにこにこ笑って、
「ウシですね」
 と、言った。
 写真に映し出されているエネミーは四本の足で、しっかりと角もある牛型のエネミーだったのだ。もちろん、スケールは実在の牛の比ではないが。
「インド政府はかなり焦ったらしい」
 っていうか、エネミーが来たと言うだけで普通焦るだろう。喜ぶのは、ここの連中くらいのものだ。
「このエネミーの襲来によって、一部ではエネミーは誇大した人を滅ぼすために来た、神の使いだと言う奴らも出てきたらしい」
「使徒だ使徒」
「なんとか教団という奴らは、奴に踏みつぶされて集団自殺したそうだしな」
「カルトですねぇ(注*9)」
「難しいことはパス。香奈ちゃんだってわからないもんね」
 と、微笑む明美助教授に微笑み返す香奈。
「そうですね」
 非を認めなくても。
「それから。先日、エネミーは北シベリア低地に着陸した」
「着陸?」
「そうだ。そしてこれがその写真だ」
 切り替わった写真に写っているのは、蜘蛛のような型のエネミー。それを見て、香奈が眉間にしわを寄せた。足のいっぱいある生き物は、基本的に嫌いなのである。
「妙ですね。こいつ、羽でもあるんですか?」
「なにをシゲ君、真面目腐って言ってるの?」
「僕はいつでも真面目です」
「うそ!」
「明美さん…そりゃぁないでしょう…」
「飛行は確認されていないな。その前に叩きつぶされたのかもしれんし、ロシアが情報を公開しとらんのかもしれん」
「どうして飛べるって言うんですか?」
 香奈が首を傾げて聞いた。シゲが写真を指さして返す。
「地面だよ。地面が全くえぐれてないし、周りの木も、強風にあおられた形跡はあっても倒れてはいない。これはこの場所に、ゆっくりと着陸した証拠だ」
「うーん、さすがはシゲ。読みが深いぞ」
「これらを見た限りでは、エネミーは着々と進化していると言うことですかね」
「さあな。しかし人型じゃないのだから、退化してるのかもしれん」
「でも、それだと万物の霊長の長は、人間だと言うことになってしまいますよ」
「人が一番進化した生物か──と言うことだな」
「そうですね」
「もぉー」
 と、明美助教授はため息を吐く。
「難しいことはいいじゃないの。ねえ、香奈ちゃん」
「そうですね」
 香奈はただ、にこにこと笑っているだけなのであった。









       2

 遙と詩織には悪いのだが、二人の午後は午前とたいして変わらないので、少しばかり時間を早送りさせてもらう。
 徐々に延びていく一日。ゆっくりと沈む夕日を、ぼおっと眺めながら一也はいつもの遠回りの道を歩いていた。
 駅へは遠回りだが、川沿いの遊歩道はいつも綺麗な夕焼けが見れた。
「まってよ!」
 と、遊歩道を散歩していた犬と戯れていた詩織が、先に行ってしまう一也に駆け寄る。羨ましさすら覚える光景だが、一也の方はあまり嬉しそうと言うわけでもない。
 先ほど、ベルが入ったのだ。姉の香奈からであり、内容は「三人分の買い物よろしく」ということだった。今日も遙は家でご飯食べるつもりなんだな…
「綺麗ね」
「ん?」
 一也の脇に来た詩織が、川向こうに沈む夕日を見て漏らす。今日も、部活を終わらせて二人、帰るところ。
「ねえ、朝の話の続きなんだけど?」
「なんだっけ?」
「ゴールデンウィークの話」
「ああ、そう言えば。そんな話してたっけ」
 二人の脇を、スーツに身を包んだ男女が通り過ぎていく。抱き合うようにして歩いて行く二人も、「ねぇ。ゴールデンウィーク、どっか連れてってくれるんでしょぉ?」と話している。
 それを小耳にはなんだ詩織が、
「ねぇ。どっかつれてってぇ?」
 と、遙の真似のような猫なで声を出した。
「そんなこと僕に言われたって。それと、そう言うしゃべり方は止めた方がいいよ」
「あ。吉田君、こういうしゃべり方の女の子が好きなんだと思ってた」
「違うよ」
「じゃ、普通にしゃべろう。ね、予定ないんでしょ。どこか行こうよ」
「ゴールデンウィークどころか、明日のことだってわからないのに、予定なんてたてられないよ」
 そう。もしかしたら今夜エネミーがやってきて、僕は死んじゃうかも知れないんだから。
と、自分に言い訳をして、一也は詩織と距離を置いていた。
 それが、彼の言う「今は答えられない」理由。
 だけれど、詩織はその距離を縮めて、
「明日のことがわからないのは予定をたててないから。ね」
 彼女はにこりと微笑んだ。(注*10)


 電車の中で、一也はシートに座って手帳を開き、ふうと小さくため息を吐いた。だが、そのため息は、遙に面倒なことを言われた時などに吐くため息とは明らかに違い、仕方なさそうに、けれど少し微笑んで吐き出されたのだった。
 手の中の手帳。5月のスケジュール。5日。少し癖のある女の子の文字で、『私とデートをする』と書かれている。
 もちろん、詩織の文字だ。
 一也はシートに座ったまま上を向き──
 ごん。
 と、頭を電車の窓ガラスにぶつけてため息を吐きだした。(注*11)
「あ…買い物して帰らなきゃ」
 電車はゆっくりとホームに滑り込んで行く。


「ただいま」
 と、玄関のドアを開けて言うと、
「おかえりぃー」
 と、家の人間ではないモノの声が聞こえてくる。
 一也がダイニングに行くと、家の者ではないモノがくつろいでいる。コーヒーカップまでだして──だ。
「遅かったねぇ」
 と、テレビを見つめたままで言う村上 遙。
「お姉ちゃんは?」
「まだ向こうにいるわ」
 テレビではニュースをやっている。ニューヨーク市場が今日から再開したと、女性アナウンサーが伝えているようだ。
「本部によってきたんだ」
「うん」
 遙は一也の方に視線を走らせるでもなく、コーヒーをすすりながら返す。
「シゲさんに化学の宿題聞きに」
「ふーん…」
 喉で答えながら、一也は自分の部屋に入ろうとして、ふと、気になったことを聞いてみた。
「遙、どうやってここに入ったの?」
「ん?そこらへんに鍵をおいといたと思うけどー…ない?」
 テレビから視線を逸らさずに、『そこらへん』を指さす遙。
 どうして鍵を持ってるんだよ。とも思ったが、あの姉のことだ。きっと遙になんの疑問も持たずに貸したのだろう。
「でも、随分遅かったじゃない。何してたの?」
「かっ、関係ないだろ」
 一也は鞄を隠すように後ずさった。手帳は絶対に、遙に見せられない。
 しかし遙は感心なさそうに、
「うん。そうね」
 と、テレビから視線を逸らさない。
 気まずい沈黙の後──
「服、着替えたら?」
 遙が初めて一也の方を振り向いて言った。
 ニュースがCMに入ったのである。


「一也、今週日曜日ヒマ?」
「どうして」
「ヒマ?」
 遙はずうっとテレビを見たままだ。今はバラエティー番組を、眉一つ動かさずに見ている。
「どうして?」
 一也は、明美助教授に譲ってもらったノートパソコンの液晶を見つめている。写っているのは、ロボットアニメファンの一人が作ったらしいホームページだ。R‐0についての情報がアップされている。しかも、なぜかやけに正確だ。
「ヒマ?」
 と、遙。
「だからどうして?」
 と、トラックボールを動かしながら一也。
「ヒマなら、お出かけに付き合わない?」
「やだ」
「ああ。そう」
 それでも遙はテレビから視線を逸らさない。
 そして沈黙。
 一也はちょっとすまなそうに、上目遣いで彼女のことを見た。
 んー…と…
「その…何処に行くの?」
 遙は、一也からは見えないところで、にやりと笑っていた。扱いやすい男っていいわぁ。
「シゲさんと教授がね。『A』計画っていうので外出するらしいんだけど、それにくっついていこうと思ってるのよ。ね?一緒に行ってくれるでしょ?」
 要するに、あの二人とだと、かまってくれる相手がいないからだろ。だったら行かなきゃいいのに…
「大体、A計画ってなに?」
 一也もノートパソコンの液晶から目を離さずに返す。
「あれ?知らないの」
「知らないよ」
 言いながら、一也はノートパソコンのトラックボールを動かした。画面の中のカーソルが、『R‐0最新情報』と点滅するGifアニメーションの上で止まる。
 そしてそれをクリック。
「R‐0のアニメ化の話よ」


 東京都下、世田谷区某所。
「わぁ!スタジオって言ってたから、もっと汚いところだと思ってた!」
 車から降りた遙が嬉しそうな声を上げる。
「あ、ついたんですか?」
 目を擦りながらのそりと出てくるのは一也。寝ていたのである。
「へえー、一階は喫茶店になってるんだ。じゃあここでお茶とかしてたら、有名人とか来るのかしら?」
「そぉかもねぇ…」
「なによ一也。つまらなそうじゃない」
「とっても──たのしい──です」
 欠伸混じりに言って、遙が「はっ」と顔をしかめる。
「ふぁああぁ」
 と、また大欠伸。日曜くらい、ゆっくり家で寝てたいのに…
「では行こうか。シゲ、車は車庫へ」
「地下っすね。入れときます」
「先に行っているぞ」
 そう言って、教授はまるで知っている場所なのだとでも言わんばかりに、先に立って歩き出した。もちろん、始めてきたところである。
「へえ、結構綺麗なところなんだね」
「一也、それさっき私が言った」
 三階建てのビルくらいの高さのあるスタジオ。一階は先ほど遙が言ったように喫茶店になっており、道路側の壁は全面ガラス張りで清潔そうなイメージだ。二階へ上がるのには、外に着けられたら旋階段を使うらしい。教授はその階段を、こつこつと靴音をたてて上がっていった。
「青銅じゃないわね。これ」
 階段の手すりに手をかけて遙が言う。
「さぁ?」
 青銅色のら旋階段を上がる遙につづいて一也。
「まあでも綺麗だよね」
「あ、そーだ。ね、一也」
「ん?」
 踊り場で立ち止まり、遙は一也の方を振り向く。
「どぉ?このワンピース。おニューなんだから」
 おどけてみせる遙に、
「いいんじゃない?」
 と、答えて一也は欠伸をした。


「やーややややややややや。どーもどーもどーもどーもどーも」
 読む方も面倒だろうが書く方も面倒なので勘弁して欲しい。
 何が悪いって、業界人間というのが悪いのだ。やたらと景気良さそうに、自分の存在をアピールするかのごとく大声で言うのだから、始末におえない。(注*12)
「私、今回のプロデューサー。藤村と申します。あ、これ、名詞です」
 と、まるまるころころした感のあるプロデューサー、藤村が名詞を出す。
「あ、これはどうも。えーと…ちょっと私の名刺は切らしてまして…平田です」
 教授はもともと名詞なんか持っちゃいない。もともと名詞を持っていない人間が、相手の名刺攻撃をプロテクトする究極の必殺技、「ちょっと名詞を切らしてまして」を使うとは、教授もなかなか侮れない人間である。
「えーと、じゃ。こっちのスタッフから紹介しましょう」
 スタジオの外にある休憩室。シックな落ち着いた雰囲気のあるテーブルに、アニメ版『新世機動戦記R‐0』の制作スタッフが腰を落ち着けている。
「えー、右から順にちゃっちゃと説明しましょうか」
「そうですな。ページがもったいないですし」
「教授、またそんなこと言って…」
「えー…右から監督の有野、キャラデザの辻本…」
「ちょっと、どっかで聞いたようなないような名前ばっかじゃない?」
 遙が一也に耳打ち。一也はわからないので首を傾げるだけだが、その隣のシゲは苦笑いを浮かべている。(注*13)
「そっちが副監督の鶴見、奥が撮影監督の城田、それからスタジオの方に音監の田宮というのがいます」
「ここまで来ると、さすがにキてるわね」
「だからなにが?」
 一也は知らないのでわからない。
「お二人。ちょっと写真よろしいですか?」
 と、遙と一也の前に一眼レフを下げた男が現れた。
「あ。私、アニメイクの編集部のモンです。これ、名詞ね」
「はぁ…」
 曖昧に答えて名刺を受け取る一也をパシャリ。バウンスさせるべく天井に向けられたSB‐26が、大光量の光を放つ。(注*14)
「はい、じゃあ今度はそっちの子」
「私ですかぁ?」
 さすが遙。カメラを向けられたらにこりと微笑むのを忘れない。(注*15)
「今回のこの対談については、今月発売のアニメイクに乗せることになりますが、よろしいでしょうか…?」
「かまいませんよ。そろそろ、R‐0についての情報を、小出しにしていこうと思ってましたんでね」
「『A』計画のすべてはリンクしています。プラモ化、アニメ化、CD化。順調ですよ」
 ふ。と、プロデューサー藤村は笑う。この企画でオレは名をあげてやるぞ。百億単位の経済効果を上げてやるんだ。ふっふっふっふっ…
 しかし、藤村には悪いがR‐0はすでに横浜の街を破壊した初陣の時点で、マイナスで、百億以上の経済効果を上げている。(注*16)
「では、企画の詳細について話しましょう」
 藤村は野心のこもった目で笑う。だが、彼の稼ぎはこの後Necにどんどん吸い上げられて──正確には教授と総理に──下降の一途をたどるのだが、この時点で彼がそんなことを知る由もない。


「ここで声を当てるわけです」
 と、アニメイク編集者──浅沼と言う──は、二人に向かって説明した。
防音ガラスの向こうでは、何人かの声優たちがスクリーンに映し出された画にあわせて声を当てている。
「あの…いいですか?」
 一也がそのスクリーンの映像を見て言った。
「あの…この段階では色は付いてないんですか?」
「あ。それはちがいます」
 スクリーンに映っているのは、ペンで書かれたような、色の付いていない画面だったのだ。一也につづいて、遙も訪ねるように言う。
「演出なんですか?」
「いえ、そうでもないんですよ」
 浅沼はそう言って、頬を掻きながら笑った。
「これは『原撮』というんです」
「原撮?」
「完成画面が間に合わなかったりしたときに、原画をそのまま撮影したフィルムをアフレコで使うんですよ。これを原撮って言うんです」
「あ、そうなんですか」
「完成画面が間に合ってなくても、こうやって録っちゃうんですか?」
「物にもよりますが、声優さんのスケジュールがあわないときとか、週でやってるアニメなんかじゃ、セルが間に合わなくてやったりもするようですね。特に、バンクが少ない作品なんかはそうです」
「バンク…ってなんですか?」
「えーと…いわゆるセル画の使い回しっていう奴ですね。わかりますよね?」
「変身シーンとか、発進シーンとか、いつも同じ映像の奴ですね」
「そう。それです。R‐0にはあれが少ないんですよ。だからどうしても…ね。OVAとは言え、簡単に発売日を延期するわけにもいきませんから」
「春夏で二編に分けたり…」
「村上さんも結構アニメ好きですね」
「いえ、それほどでも…(注*17)」
 教授たちはまだ外でプロデューサーたちと企画会議を続けている。より正確にいわせてもらえば、教授が自分のロボットに対する情熱を、熱く、語っている。
 遙と一也はそんなもの聞いていても何も面白くないので──知りたくなくても自然と洗脳されていってしまうから──こうして浅沼を引き連れてスタジオ見学となったわけである。
 もともと、遙の目的はアニメのアフレコスタジオの見学だったのだ。
「あ。一話の発進シーンのアフレコが始まりますよ」
 浅沼が多少興奮気味に言う。彼もアニメ──特にロボット物──が好きなので、R‐0には期待を寄せているのである。
「SFって、難しいんスよ」
 ミキサー卓の前で禁煙パイポをくわえて、音響監督の田宮が言った。卓の上に取り付けられたモニター用スピーカーの中から、声優たちの声が聞こえてくる。
「難しいって…どういうところがですか?」
「君が一也君?R‐0のパイロットの。僕、音監の田宮」
「あ、初めまして」
「ちょっとまってね…小川さーん。今のところ、『アクチュエーターとマニュピレーターのシンクロ正常』ですよ。マニュニュレーターなんて言わないでくださーい」
 田宮がミキサー卓につけられたマイクに向かって笑いながら言うと、モニタースピーカーからも笑い声が漏れた。「ああっ、すみません。バレてましたか」と言ったのが、そのNGを出した小川だろう。(注*18)
「取り直しまーす。──と、言うようにね。SFは専門用語が続出するわけっスよ。普段そんなにの慣れ親しんでない人間からすると、凄く難しいわけなんスね」
「なるほど」
 ぽんと手を叩く遙。
「確かにシゲさんとか、何気なく専門用語使うものね」
 あれはわざとやってるんだろうけど…一也はガラスの向こう、スクリーンに映る映像をひょいと見た。
 いつも見慣れている五つのモニターが、いつも見慣れているシステム起動画面を映して、スクリーンいっぱいに広がっている。あ、あれR‐0のコックピットだ。凄くリアルに書いてある。
 スピーカーから漏れる声。いつも明美助教授が言う台詞。『システム解放。BSS、全機体システムをオペレートしました』けれど、それはいつもとは違う声。『各部アクチュエーターとマニュピレーターのシンクロ正常。起動可能』シゲの台詞も、いつも聞き慣れている声とは違う。『一也君。前座は場を大いに盛り上げてくれた。あとは君がエネミーを片づければ、英雄──そして揺らぐことのない主役の座を得ることが出来る!』この台詞を言ったのは教授だ。これはもう…シゲさんじゃないけど、やっぱり燃えるかも…
 僕が答える。
『英雄とか主役とか…どっちにしたって、やらなきゃこっちがやられるんでしょ』
 僕の声。これが僕の声?いや、僕の声じゃないんだけど…僕の声なんだ。
「どう?一也。自分が主人公のアニメを見たご感想は?」
 遙が悪戯っぽく微笑んで一也の顔を覗き込む。一也はちょっと戸惑って、
「なんだか…変な気分だよ」
 恥ずかしそうに笑って答えた。
 それを見て遙も笑う。
「一也らしい答えだわ」
 防音ガラスの向こうでは、一話のアフレコが終わったようだ。田宮がマイク越しに何かの指示を出して、ガラスの向こうとスピーカー越しのやりとりをしている。
「録音終わったのかしら?」
「確認をやって終わりですね。どうします?最後まで見ていきますか?」
 と、浅沼が言う。「そう言えば浅沼、あまりしゃべってなかったなぁ」とお思いの方。ご心配なく。著者が存在を忘れていたわけではなく、彼は一也と遙の写真を熱心に撮っていたのである。(注*19)
「一也、どうする?」
「僕はどっちでも…」
「教授たちの話は終わってるのかしら?」
「戻ってみる?」
 一也が同意を求めるように聞いたが、当の遙はそんなもの耳に届いているのかいないのか、スタジオのドアを引き開けようとして──
「いたっ!」
 がちゃりと自分に向かって開いたドアのノブに、右手をしたたかに打ち付けたのだった。
「いったぁあい!」
 遙の声に、
「あ、すいませぇん!」
 同じような猫なで声の声が重なった。
 さて皆さんお待ちかね、最後のヒロイン候補者。柚木 園子の登場である。


 科学的な話をする。
 クローニングと言う作業がある。要するにクローンを作る作業のことだ。クローンとは、説明するまでもないかも知れないが、要するに遺伝子的に同じ生物、コピー生物だと思ってくれればいいだろう。
 この作業の方法にはいくつかあるが、現時点でその作業の内容について触れている時間はないので、飛ばさせてもらう。(注*20)
 これから話そうと思っているのは、そのクローニングによって生まれた生物のなれの果てである。
 生物は──と言うより基本的に遺伝子というものは──弱肉強食の世界である。強いものだけが生き残り、弱いものはその戦いの中で破れ、消えていく。
 ところが、クローン──全く同じ遺伝子を持っている生物が二体いたとしたら、それはどういうことになるだろうか。
 本来、強いものだけが生き残るはずの遺伝子。自然界の中ではそうなるはずものが、同時に二つも存在することになるのである。
 行く末は二つに一つ。どちらかが消えるか、双方が消えることになるかである。
 これをふまえて、著者は一つの仮説を立てた。
 生物は同じ遺伝子の存在を認めない。
 ならば、かなり似ている遺伝子の存在も、認めないのではないだろうか。
 これが著者の作り出した仮説。『性格の似ている人間は基本的に好きになれない』の仮説である。
 なぜこんな話をしているのか──察しのいい方はもうお気づきの事だろう。そう。
 つまり村上 遙と柚木 園子は、性格的にかなり似ていたのである。


 遙が二人──
 一也は大きくため息を吐いた。遙が二人というのは、つまりモデルである本人と、アニメの中での声を当てている二人である。
 どっちも本物。
「なんで私の声があんな奴なのよぅ」
 …似てるけど。
「うそぉ、本物なの?」
 本物なんです。
 一階にある喫茶店で、一也は二人の声をサラウンドで聞きながら冷や汗を流していた。右に柚木 園子。左に村上 遙。人によっては両手に花と言うところだが、彼にとってみれば、その花は毒花かラフレシアだ。
 シゲは柚木 園子を前にして萌え萌えである。
 「柚木 園子ってそんなに有名なんですか?」と、ここに来る前にシゲに耳打ちしたところ、「なにィ!一也君、柚木 園子ちゃんを知らないだと!!ーんっなってないぞ!!」と、怒鳴られたのである。
 シゲは声を荒げて説明する。「柚木 園子ちゃんは現役女子高生アイドル声優だ。ラジオのパーソナリティ二本。テレビのレギュラー一本。もちろんCDデビューだってしてるし、今月には写真集も出る予定がある。まだ第一線の声優陣には届かないが、必ず今年中にはトップに上り詰めるであろうボイスアクトレスだ!!」
 はぁ…と、萌え萌えモードのシゲに、一也は頷くだけで精一杯である。
 さて、場面をもとの喫茶店に戻す。
 なぜ、一也を挟んで火花をちらすような二人が同席なんてしてるのかというと、
「えーと…遙さんと園子さんは二人とも同い年なんですね」
 と、浅沼がテープレコーダーを前にして訪ねているからである。要するに、「モデルと役者の対談」という物をやっているのだ。
「そうらしいですね」
 と、左の遙。
「ええ。私も驚きました」
 と、右の園子。
 活字に直されてしまえばこの通りであるが、その言葉の節々には「こんなのと同い年なんて」という感情がありありと込められている。
「え…えーと。一也君、君に質問していいかな?」
 苦笑いの浅沼。
「はぁ…」
 同じく苦笑いの一也。「お互い大変ですね」という言葉がその表情の裏に見え隠れしている。
「一也君はこの春に高校生になったばかりだって言うけど?」
「そうです。前は京都に住んでたんですけど、こっちに引っ越すことになって」
 それを聞いて右の園子がぽんと手を叩く。
「あ。出身京都なんだ。私ね、昔あっちの方に住んでたことあるのよ」
「あ。園子ちゃんも京都に住んでたことあるって言ってたっけ」
 よし、ここから話を広げて…と、浅沼の言葉に気合いが入る。
「どこら辺だったのかな?もしかして、二人はちっちゃい頃に会ってたりして?」
「僕は東山の方なんですけど…」
「あー、私は桂とかあっちの方なんだぁ」
「じゃ、全然反対じゃない。桂川の向こうでしょ」
 そっぽ向きながら、言うことだけは言う遙。しかもそれで、にやぁと笑う。
 妙な知識があるんだなぁ…遙。一也はもう笑うしかない。
「でっ…でも、同じ京都市ですしね。もしかしたら」
 なんとか取り繕う一也。ありがとう一也君。これが男同士の友情って奴だね──と、浅沼も大変である。
「ね。吉田君は今は東京に住んでるんでしょ?どの辺なの」
「えーとですね…」
 右の園子の方を向いて説明しようとする一也の後ろから、遙の声が飛び越えていく。
「そう言うのは秘密にしておかないとね、ダメでしょ。こっちは芸能人とは違って、国家機密並みのものを扱ってるわけだしねぇ」
「そうだったのか」
 そんなことを言って目を丸くするシゲ。自覚ナシ。
「自覚しろ、シゲ」
 そういう教授にも、自覚があるか問いたいものではある。
「あら。芸能人だって大変なのよ」
 園子は人差し指を頬に当てながら、言った。
「最近はストーカーとかだって怖いし」
「ストーカーねぇ。でもあれ、一個人じゃない。こっちは国の存亡をかけてるわけだし…スケールが違うのよねぇ」
 と、遙。
「そうかしらぁ。狙われてるのが本人か、その秘密情報かって、違いもあるわねぇ」
 と、園子。
 一也と浅沼は、苦笑いを浮かべて顔を見合わせた。我の強い二人。もう…誰にも止められない。他の声優陣は「あ、次の仕事入ってるから…」とか、「そう言えばさっきのシーンで気になることが…」などと言って、次々と席を立っていく。
「面白い展開になってきたではないか」
「ですねぇ」
 ふだんと変わらず、満足そうなのはたった二人。言うまでもないだろう、教授とシゲである。
 所詮は他人事──である。
「ま、危険の度合いって言ったら、私の方が高いかしら?」
「んでも、それって自分のステイタスがって事で、自分自身がって事じゃないモンね」
「私は命かけてるのよ」
「私だって体張ってるわ」
「あ、あの…二人とも…ね。初対面なわけだし…あの、あんまり…」
 間に挟まれた一也は、なんとか取り繕おうとするが、もともとそういうことの上手い奴ではない。
「初対面が何よ。こういうことはしっかり言っておかなきゃダメなのよ。自分の感情を隠すって、日本人の悪いところだわ」
「吉田君は京都の生まれよ。純日本人だもの。それが日本人の心配りって奴なの。帰国子女らしいけどね、貴方だってもとは日本人でしょ」
「私の事なんてどうでもいいでしょ。私は日本人の新しくあるべき姿を言ってるのよ。それになに?なんであんた、一也のことかばうわけ?あ♪もしかして一也に惚れちゃったとかぁ?」
「なによ!仮にそうだとしても、別にあんたになんて関係ないでしょ」
「おおあり。私、一也のパートナーだもの。パートナーたるもの、相手のことをいろいろと知っておかないといけないでしょ。たとえば、一也の寝起きの悪さとか」
「ちょっ…遙!」
「なるほど、そのことについては本部でゆっくり聞かせてもらうとしよう」
「教授の意見に同意します」
「何考えてるんですかッ!本気にしないで下さい!」
「やだわぁ。不潔な女ね…自由の国とかって言って、留学先じゃあ、そうやって自分のすること、なんでもかんでも正当化しちゃってたんでしょう」
「なっ…私はそんな女じゃないわよ!」
「その辺についても本部でゆっくり聞くことにしよう」
「教授の意見に同意します」
「うるさいわよ二人!あんたさ、なんだかんだ言って妬いてるんじゃないの?私に」
「あら、どうして?」
「私が、あんたの持ってないものをたーくさんもってるから」
「まさか。それはむしろ逆でしょ。妬いてるのはあなたの方じゃない?」
「なんで私が?」
「私の方が人気あるもん。本物のあなたより」
「面白いこと言うわね…」
「事実よ」
「でも、あなたは私を演じて人気を得ることになるのよ」
「面白い事言うのね…」
「本当の事よ」
 二人の視線が火花を散らす。ま、もちろん実際に火花を散らしていたら、間にいる一也はたまったもんじゃないのだが──今でも十分たまったもんじゃない!
 一也、どうやら女難の相が出ているらしい。
 もぉー…来るんじゃなかったよぅ…何とかしてくれよぉ…
「ねぇ、一也」
「ねぇ、吉田君」
「は…はい…」
 二人の遙が同時に言う。
「一体どっちの味方に付くのよ」


  つづく








   次回予告

(CV 吉田 香奈)
 恋と愛の違い。
 誰かがその違いについてこう言っていた。
 「恋は下に心がつくが、愛は心を内に包む」
 ならば一也が望むのは、恋か、愛か。
 それともただの平穏な毎日なのか。
 心に描く景色。
 モニターの中の景色。
 そして現実。
 すべては一つに繋がって、しかしすべては違うもの。
 彼が最後に守ろうとするモノは───?
 次回、『新世機動戦記R‐0』
 『リアルな現実。』
 お見逃しなく!


[End of File]