studio Odyssey


第七話




 スピーカーからFMが流れている。
「では、次のファックスいってみましょう」
 ころころと楽しそうに言う女性パーソナリティー。
「えーと、東京都にお住まいのラジオネームあ〜るさん。『聞いて下さい。僕は、どうも今年は女難の年らしいんです。』あら、大変ねぇ。『この春に姉に呼ばれてこっちに出てきて以来、いい事なんて何一つとしてなく、むしろ僕の周りでは嫌な事ばっかりおこるんです。バイト先の女友達は別の女友達と喧嘩して、僕を間に双方が勝手な文句ばっかり言って、「どっちの味方なのよ!」とかって言うんです。別に、どっちの味方ってわけでもないのに…学校では学校で、僕に告白してくれた女の子がいるんですけど、僕はどう思っているわけでもなくて…このままにしておくわけにもいかなくて。しかも、家に帰れば姉がいる…女難の年を何とかする、いい解決法はないですか?』ってことです」
「うらやましいけどねぇ」
 とは、もう一人の男のパーソナリティである。
「ねえ。こういう時、男はどういう解決法を取った方がいいのかなあ?」
「そんなの決まってるでしょう」
 男のパーソナリティーはけらけらと笑ってから、どシリアスに──
「くっちゃえ」
 それを聞いて、スピーカの前で一也はため息を吐いた。
「世の中にはそう言うふうに出来ない人も沢山いるんだよ」








 第七話 リアルな現実。


       1

「んー…」
 と、唸っているのはR‐0パイロット、吉田 一也である。椅子に深く腰をかけ、机に肘を突いた姿勢は、格好悪くはないが、机の上に置かれているのが教科書や参考書ならよかったのだが…
 机の上に置かれているのは、今月号の『Say Sei you』なのである。いわゆる、アイドル声優雑誌だ。
「ふぅん…」
 特集記事をぺらりとめくる。特集に取り上げられているのは言うまでもあるまい。『女子高生アイドル声優、柚木 園子』だ。
「シゲさんも好きだよなぁ…」
 本はシゲの物だ。借りた──と言うより、半ば強引に貸されたのである。
 対談形式で書かれている文を読んでみても、どうもしっくりこない。園子に、遙のイメージがダブってしまうからだろうか。
「一也?」
 こんこんとドアをノックする音。声の主は村上 遙だ。人の部屋に入る前にはノックをする。その辺は律儀なのである。
「ん?なに」
 ぱたんと本を閉じ、ドアに向かって振り返る。
「開けるよー。ご飯の支度できたって。何してたの?」
「いや、別に。今行くよ」
 今日も、遙は吉田家にて夕食を食べて行くつもりらしい。一也は椅子から立ち上がって、くるりと首を回した。
「ふぅん…」
 遙は一也の机の上の本を目に止めて、唇をつんと尖らす。背表紙が上になっているが、その背表紙の広告が、柚木 園子のCDの広告だったのである。
「どうしたの?」
「なんでもないよー」
 ぷいと顔を背けて、遙はダイニングへと歩いていく。その後ろ姿に、一也は首を傾げた。
 なによ。あんな女のどーこがいいのよっ。


「そりゃあさ。ちょっと顔は可愛いかもよ。それにさ、声も声優なんてやってるくらいだからさ。可愛いかも知れないんだけどさ」
「遙としては、面白くないわけだ」
「面白くないと言うより、合わないのよ。ベーシックな部分で」
 学校の昼休み。遙が文句をたれている相手は、親友の神辺 恭子だ。遙と一也の所属する美術部の部長で、人当たりのいいタイプの人間である。
「やきもちなんじゃないの?」
 と、にやにや笑いながら言うのは佐藤 睦美。彼女も同じクラスで、美術部の人間である。
「なんで私がそんなものやくのよ」
「『私の一也を盗らないでっ!』って」
「欲しければあげるわよ。あんなの」
 それを聞いて、神辺部長は苦笑いを浮かべる。
「あんなのなんて聞いたら、吉田君怒るよ」
「べつに、怖くないもん」
「でもパシリがいなくなるよ」
「それは問題かも…」
「睦美!遙!そうやって後輩をいじめないの」


「つまるところ、オレたち男には女の考えてることなんか理解できないってわけよ」
 哲学的なことを言っているのは、一也の後ろの席の親友、吉原 真一だ。
「思考回路が違うのかな。こう…なんというかね。基本的なところで違うのよ」
「ふぅん…」
 まあ、遙の思考回路は僕とは明らかに違うな。──と言うより、Necの人間は基本的に思考回路が一般の人とは違うんだ。(注*1)
「でもでも。そういう違っている部分っていうのを理解し合うために、男と女は付き合うんじゃないの?」
「お。松本さん、聞いてたの」
「だって、席となりじゃない。聞こえるよ」
 そう言って隣の列で笑ったのは松本 詩織。彼女も一也や吉原と同じく、美術部の1年生である。
「恋愛はゲームだよ」
「ゲーム?」
「吉原君の持論?」
「駆け引きがね、ゲーム。相手より先を読む頭脳。様々な状況の中から、もっとも適しているパターンを選び出す決断力。それに──」
「よく回る口か?」
 と、三人を見下ろす現代国語の先生、茨木。
 自習しろと言われていたものの、授業中だったのである。
「面白い話だな、吉原。どこかに発表でもするつもりなのか?」
「ええ。フロイト心理学会に…」
「うん。スケベなお前らしい(注*2)」
 そう言って、茨木は吉原の頭を教科書でぱこんと叩いた。


「最近の若いモンは、何を考えてるのかわからんね」
 と、オヤジ臭いことを言う。しかしそれも仕方ない。平田教授は、実際にオヤジなのだから。
「何がですか?」
 R‐0のハードウェア設計者、中野 茂──通称シゲ──が読んでいた漫画から顔を上げる。(注*3)
 ここは東京国際空港の片隅にあるNec本部。使われていなかったジャンボジェット機の格納庫の修繕も終わり、今は快適な──教授の言うところの秘密基地──となっている。もちろん、この作戦本部を快適に場所にしたのは、ほとんど一也の姉、吉田 香奈がお掃除したからなのだが。
「ハンガーの方を覗いてみたんだがな」
「何かありました?」
 嬉々としてハンガーの方を覗いてみるシゲ。
「好きねぇ…」
 とか言っている助教授、西田 明美も本当のところは気になるのである。ただ、今ちょっとプログラムをいじっていて手が放せないのだ。
「何かあったんですか?」
「お。すまんね」
 教授にお茶をいれて、香奈が聞いた。
「まさか…仕事がきついって言って、みんな辞めちゃったとか…」
「世間の風当たりはきついかもしれんが、ここより仕事が楽なところはないぞ」
 ずずーっとお茶をすする教授。このところ出撃することがないので、整備も朝にやる始業点検だけで十分なのである。(注*4)
「じゃあ何があったんですか?」
「喧嘩…というか、仲違い…というかだな」
「誰と誰がです?」
「そんなの決まってるじゃない」
 シゲがハンガーを覗きに行って帰ってきた。火事と喧嘩は江戸の花──ではないが、その顔は実に楽しそうに笑っている。
「仲が悪い人なんていましたっけ?」
「いるじゃない。いっつも、言い合ってる二人」
 明美助教授はもう興味が失せたようだ。いつものことだと、そう認識したからだろう。
「いつも?誰でしょう…」
「香奈ちゃん、ちゃんと弟と会話してるの?」
「してますよ。えっ?一也なんですか?もしかして遙ちゃんと!?」
「他に誰かいたっけなぁ」
 と、お茶を手に教授は空を見つめる。うむ。いないな。
「もぉ、一也ったら。ちゃんと遙ちゃんに謝るように言わなくっちゃ!」
 香奈はぷっと頬を膨らませる。
「香奈ちゃん、一也君が悪いって決めつけてる…」
「思いこみの激しい子なのよ。言動には気を付けるのね」
「もぅ、一也ったら。おウチに帰ったら…」
 ぷんぷんしている香奈に向かって、明美助教授がため息混じりに言う。
「香奈ちゃん。人はね、喧嘩するほど仲がいいって言うのよ」
 そうでも言っておかないと、香奈のことだから一也にたいして思いっきり怒りかねない。
 あぁ…でも──
 明美助教授は大きくため息を吐き出した。
 いいなぁ。喧嘩できるような異性がいて…


 そんなわけで──
「なに聞いてんのあんた、バカじゃないの!」
「何だよ、うるさいなぁ」
 こちらはハンガー。
 言い合っているのは、言うまでもなく遙と一也である。
「別に僕がなに聞いてたっていいじゃないか。自分だっていつもイーグルの中で点検しながら、CD聞いてるじゃないか」
「私はちゃんとした曲しか聴いてない」
「この前、アニメのサントラ…」
「うるさいっ!」
「元気だねぇ、二人」
「ねぇ…」
 整備員たちもあきれて笑っている。
 イーグルの点検を終わらせた遙が、ハンガーの床に座りこんで、R‐0のマニュアルを見ていた一也に声をかけたのが、事の起こりであった。
「一也」
「ん?」
 と、一也は耳に入れていたコンパクトCDプレイヤーのイヤホンを、片方だけ抜いて顔を上げる。
「なに?」
「なに聞いてんの?」
 興味津々といった感じで笑いながら、遙は一也のイヤホンの片方をとって、耳に入れて、先の台詞となるわけである。
「あんたやっぱり柚木 園子のファンなんじゃないっ!CDまで買って──」
 一也が聞いていたのはその、柚木 園子のファーストアルバム『Because of…』だったのである。
「もらったんだよ!柚木さんに。聞かなきゃ悪いじゃないか」
「私なら封あけて、ソッコー投げる」
「だから貰わなかっただろ」
 そうなるとわかっていてあげる奴もいまい。
「一也、浮気だっ!もう、詩織ちゃんにチクってやるっ!」
「何でそうなっちゃうんだよ!」
「元気だなぁ…」
「若いから」
 整備員たちはただ、笑っていた。


「はいはいはいはいはい!」
 何も、シゲだって気が狂ってそんな風に口走っているわけではない。電話が鳴っているのだ。それに早く出ようとして、先のように口走ったのである。
「はいもしもし、こちらNec本部作戦会議室」
 夜の帳が、Nec本部をすっぽりと包み込んでいた。
 少しずつ暖かくなってくる、五月の夜。
 今日の当直はシゲだった。とは言っても、教授とシゲはここで暮らしているようなものなので、ただの電話番と言った方が近いだろう。
 Necは、基本的には二十四時間体制である。夜9時以降は、作業員の数が必要最低限の数にまで減るが、エネミー襲来の際には10分足らずで発進することが出来るようにはなっている。
「あ。先日はどうも」
 電話に出たシゲの顔がぱあっと明るくなる。そういう相手からの電話だったのである。
「一也君の家の電話番号?調べればわかりますけど…それが何か?──ああ、それなら大丈夫でしょう。なんなら僕の方から話をつけても──はい。──いえ平気ですよ」
 シゲは浮かれ気味にしゃべっていた。いや、確実に浮かれていた。相手が相手だったのである。
『じゃあ、5日の11時に──大丈夫ですかね?』
 電話の声に、シゲは無責任に返した。
「駄目でも大丈夫にさせます。園子さん(あなた)のためなら」
 電話の相手は女子高生アイドル声優、柚木 園子だったのである。


『駄目とは言わせない』
「そっ!そんな…僕抜きでそんな約束しないで下さいよ」
 一也は受話器を手にしたままで、眉間にしわを寄せた。電話の相手はお分かりのことであろうが、シゲである。
「どうして僕に一言言ってくれないんですか。僕の予定も聞かないで…」
『聞いたって答えは同じになるじゃない。どうせ何にもすることないでしょ。それが君、園子ちゃんとのデートに変わるんだよ。これを逃す手はない!』
「だからっ…」
『ことわる?コトワル?断るの!?まさか、マサカ!そんな事はしないよねぇ一也君。彼女だってたまの休み。それをフイにさせてしまうようなこと、まさかしないよ。ねぇ!?』
 「ねえ」って同意を求める言葉のはずなのに、強要に使われてるんですけど…
 一也がシゲや教授と言い争ったところで、勝てるはずがないのである。
『そう言うことだから、OKだよね。と言うより、OKにしちゃったんだけど』
 しちゃったと言っているが、シゲに悪びれている様子は全くない。彼だって、一也のことを思ってそうしたのである。とは言っても、多少であり、ほとんどは園子の事を思ってであることは言うまでもない。
 一也は軽くため息を吐きだした。断ろうにも、断れないんでしょ。
「わかりましたよ…シゲさんの言うとおりにしますよ」
『さっすが一也君!よっ、色男。かっこいいね。にくいやね』
 シゲさんに言われても全然嬉しくないや…
『んじゃ、そう言うことで』
 切れた電話を戻しながら、一也は大きくため息を吐き出した。
「電話、誰から?」
 ダイニングキッチンのテーブルで、デザートまで御馳走になっている遙が聞く。
「シゲさん」
「あら。珍しいじゃない。で、何だって?」
「遙には関係ない」
 む…そりゃそうでしょうけど…
 むくれっ面になった遙を見て、香奈が一也に向かって犬でも叱りつけるかのように言う。
「一也。そんな言い方しちゃ駄目でしょう!もし本当に関係ないとしても、もっと優しく、オブラートに包んだ言い方をしなくっちゃ」
「どうやって?」
「どうやってって…そうねぇ…」
 考え込む香奈。
「『遙ちゃんには関係のない話よ』とか…」
「香奈さん、それ…全然変わってないです」
「そお?やっぱり」
 一也は大きくため息を吐き出した。
 5日かぁ…松本さんに何て言って謝ろう…
 「ごめん。急に用事が出来ちゃって」かなぁ…やっぱり…


「柚木 園子とデートですって!」
 ばあんと遙が机を叩く。
 ぎょっとして、シゲは目を見開いた。
「そっ…そう…その…昨日電話があって…それでその…昨晩電話いたしまして…」
 遙の剣幕に、なぜか後ろの方が敬語になってしまうシゲ。
 昨日のシゲさんの電話と、そのあとの一也の態度が、なんとなーく気になって聞いてみたら、これだ!柚木 園子めぇ…一也をたぶらかそうったって、そーはいかないんだから!!
「ありがとうシゲさん」
 くるりときびすを返して歩き出す遙に向かって、シゲ。
「あ…あのー…遙ちゃん」
「何ですか?」
「できればそのー…あんまり妙なことは…」
「そうですね」
 と、にっこり笑い返す。
「その辺については、前向きに善処しますわ」
 それはつまり何かするって事っスかぁ!
 シゲは、すたすたと歩いていく遙の後ろ姿を見て白くなった。


「村上先輩、村上 遙先輩!」
 と、呼ばれてふと振り向く。
「あっ!愛しの詩織ちゃん」
 とことこ走ってくるのは美術部の後輩、松本 詩織だ。詩織は遙の前まで来ると、
「先輩、今学校に来たんですか?」
 と、遙の手の中の鞄を見て言った。もう、二時間目の授業が始まっている時間なのである。
「ん?んーまぁね、寝坊しちゃって…」
 それは半分本当で半分嘘だ。ここまで遅くなったのは、寝坊ついでに本部に寄って、シゲを問いつめていた先のシーンがあったせい。
「詩織ちゃん、今、授業体育?」
 体操服姿の詩織に聞き返す遙。
「そうですよ。だから授業中にこんな所にいるんです」
 と、詩織はおどけてみせる。
 こんな所、というのは学校の昇降口である。校門から入ってきた遙を見つけた詩織は、トイレに行くふりをして、グラウンドから彼女の後を追いかけてきたのだ。
「詩織ちゃん、体操服もイケてますなぁ♪」
 遙が、目だけで笑って、詩織を舐めるように見た。女の子同士だから許されるが、異性間だったら、確実に体育教師あたりに殴られる視線である。
「もぉ、止めて下さいよぅ(注*5)」
「ふふふ。詩織ちゃん、男どもの視線に気をつけなきゃ駄目よ」
 と、その視線を遙が実践したのかどうかは知らないけれど、彼女は元の表情に戻ると、笑いながら、上履きに履き替えて歩きだした。けれど──
「あ!センパイ」
 詩織が呼び止めたので、「ん?」とその歩みを止めた。
「なーに?」
 振り向いて、首を傾げる遙。
「あっ…あの…あのですね…」
 遙の視線に、何かを言おうとしてどもる詩織。うつむき加減に、もじもじと手を洗うように揉んでいるところからも、彼女が何かを言おうとして戸惑っているところが、遙にも見て取れた。
「あの…せんぱい…私…」
 言わなきゃ、言わなきゃ──心の中にあるわだかまりを吐き出そうと、詩織は口を小さく動かす。
 眉を寄せる遙。詩織が何か言いにくいことを言おうとしているのはわかったけれど、それが何か思い当たらない。
 んー…何だろ。もじもじして──告白するわけでも──告白!?
 えっ…と…ちょっ…ちょっと、あのー…
「せっ…センパイ。私──」
 はっと顔を上げた詩織の目がちょっと憂いを帯びていて、遙はどきりとしてしまった。
 うそでしょ詩織ちゃん!?
「ちょっ…詩織ちゃん、ごめん。私、本当はそういう趣味なくて…」
「は?」
「いや。だからその…抱きついたり、耳に息かけたり、胸さわったりって言うのは…つまりそーゆーふうに接してたのは、あの…なんていうか…その」
 なんだ。つまりは、そういうことなんだってば。
 恥ずかしそうに、ぽりぽりと頭を掻く遙。詩織は「何の事やら」と目をしばたかせていたが、やがてやっと遙の勘違いに気づくと、
「そっ…そんなんじゃありません!」
 逆に照れて耳まで真っ赤にした。(注*6)
「私は女の子より男の子の方が好きです」
「ああ、そう。よかった。びっくりしたぁ。お姉さん、心が揺らいじゃったよ(注*7)」
 ふぅ、なんて遙はため息で苦笑い。
「も…もぉ」
 と、詩織は遙から顔を背けた。ああ、なんか顔があっつくなっちきちゃった。
「でも詩織ちゃんもダイタンよね」
「なにがですか?」
 遙はにやりと笑って、冷やかしっぽく言う。
「女の子より男の子の方が好きだなんて、きっぱり言っちゃうんだもん」
 笑う遙。そしてそれを、じっと見つめているだけの詩織。
 真剣な表情の詩織を見て、遙は「ちょっと悪いこと言ったかしら」と、肩をすくめて縮こまった。
「ごめん。気にさわったんなら謝る」
「違います」
 びしっと返す詩織。一度覚悟を決めたら、自分の意見をしっかりと言う、最近のタイプの子だ。遙としては嫌いじゃない。
「センパイ、いい機会だからはっきり言います」
「はっ、はい」
 まっすぐに自分を見つめる詩織に、遙もなぜかしゃんとしてしまう。
 詩織ははっきり言うと言っておきながら、ごくりと唾を飲み込んで、気持ちを落ち着けてから、言った。
「私、吉田君のこと好きなんです。だから、絶対にセンパイには負けませんから」
 言って、うつむいて、くるりと振り向き、駆け出そうとする詩織。しかし、その腕を、
「待って!」
 と、遙がしっかりと握りしめた。
 振り返る詩織。驚きに目を丸くする。
 その彼女に、遙は悪戯っぽく笑いかけた。
「だとしたら、敵は私じゃないわ」
 にやり──と、遙。
 遙も頭の切れる人間である。(注*8)


 松本さんにはホント悪い事したなぁ…
 5月5日。よく晴れて、海の碧が眩しいくらいだ。
 一也はぐんぐんと下がっていく景気を眺めながら、ふうと小さくため息を吐いた。
 ここはお台場のランドマーク的存在、フジテレビ本社ビルの中にあるシースルーエレベーターの中である。一也は園子との約束の場所──25階にある球体展望室──へと上がるところだった。
 11時までラジオの録りがあるそうで、その後、ここで会う約束となったのだ。(注*9)時計を見ると、まだ11時までは5分ほどの時間がある。
 ちょうどいいか。
 一也はぐんぐんと上がっていくエレベーターの中で、ひょいと上を見上げてみた。


「ゆるせない…」
 と、呟いているのは誰であろう…少々彼女のイメージとは違う台詞なのだが、恋は盲目というわけで(ちょっと意味が違うか…)こう呟いたのも許していただきたい。
 詩織はぎゅうと右手のこぶしを握りしめた。
 詩織ちゃん…その右手は?と、隣で苦笑いをしているのは遙。
 フジテレビプラザへと上る大階段──台場駅とウエストプロムナードを結ぶ道からフジテレビ本社ビルへと向かう階段──を、ずんずんと上がりながら詩織が言う。
「ゆるさないんだから…」
「詩織ちゃん…ぼ、暴力は止めようね?」
 遙はちょっと後悔していた。こりゃ、話すんじゃなかったわ…
 聞こえているのかいないのか、詩織は上がっていくシースルーエレベーターを睨み付けて、
「どうしてくれよう…」
 と、両手のこぶしをぎゅうと握りしめた。
 しまったわ…やっぱり、話すんじゃなかった…








       2

 お台場というのは、教授くらいの歳の人間にしてみれば「埋め立て地」というイメージしかない。つまり、台場だ。だが、今は台場とは呼べない。お台場である。
 全然違うのである。
「おしゃれでしょ?」
 と、少々舌っ足らずな声で園子が言う。一也の方は女の子と二人、並んで──しかもこんなデートスポットで──歩いているので、恥ずかしい限りだ。
「ね。一也君?」
「な…何ですか?」
「敬語やめてよ。今日はデートなんだから♪」
 園子が笑って、一也の腕にしがみつく。
「ちょっ…」
「いいじゃんいいじゃん」
 周りもみんなそうなのである。むしろ、その方がごく自然なのだ。
 ここはウエストプロムナード。プロムナードとは、散歩道という意味である。その名の通り、ここはタイル張りの散歩道で、昼食を済ませた恋人たちが午後の散歩を楽しんでいた。
 もちろん、一也と園子もその「恋人たち」の中に紛れていたのである。
「腕なんか組んじゃってぇ」
 詩織が泣きそうな声で言う。彼女に悪いので、一也たちはその「恋人たち」の中から外すことにしよう。
「一也からやるはずないわよ。柚木 園子がやったのよ」
 と、遙が一也をかばうのは、そうしないと詩織が何をしでかすかわからないからである。
 しかしまぁ…この暑いのによくやるわ。昼をまわって、気温はどんどん上がってきているようだ。その辺を歩いている恋人たちにとってみれば、「絶好のデート日よりだね」となるわけだが、遙にとったみれば「ぁあーっ!もう。あつっ苦しいわねぇ」となる。
「センパイ、どうしましょうか。どこでヤります?」
 なにをよ?詩織ちゃん。
「詩織ちゃん、落ち着いて。そうだ。どこか入って何か食べよう!うん、おごるから」
「えー…でも、さっきお昼食べたばっかりですよ」
「この道の先に見えるあのビルの中に、何かいいお店あるかなぁ?」
「そうですね。冷たいものなんていいですね」
 遙は苦笑いを浮かべながら先を歩いた。なんで私が、柚木 園子をかばってやらなきゃならないのよ。もぅ…後で一也にお金返してもらわなきゃ。
 しかし、もとはと言えば詩織にこの話をしたのは彼女である。
 「でも約束を破ったのは一也よ!」と、遙は反論するだろうが…


「一也君がR‐0に乗ることになったのって、OVAと同じ状況だったの?」
「僕はOVAを見てないから、何とも言えないよ」
 潮風公園。その名に相応しく、臨海副都心でもっとも大きなこの公園には、潮風が優しく吹いていた。
 一也と園子は、噴水広場の階段にちょこんと腰を下ろして、水の音に紛れるように会話をしている。時計はもう3時をまわり、お互い、何気なく会話ができるようになっていた。
「OVAではね、一也君はみんなを助けるためにって、R‐0に乗るの」
「あ。じゃあ、全然違うよ」
 一也は笑った。誰が作ったのか知らないけど、そこまで僕をヒーローにしてくれるなんて。
「じゃあ、一也君がR‐0に乗った状況って、どんなだったの?」
「もっとたいしたことのない理由だよ。ただ、巨大ロボットっていうのに乗ってみたかった。それだけのこと」
 園子はぱちくりと瞬きをした。そんな…そんなたいしたことのない理由だったの?
「へ…へぇ…そうなんだぁ」
 園子がぎこちなく笑ったのを見て、一也もため息混じりに笑って言う。
「幻滅したでしょ。遙もそうだった。僕は別に、ロボットに乗るのに理由なんて要らないと思うんだけど…みんなはその理由を求めるみたいなんだ」
「そんなことないよ。うん、そんなことない」
 何がそんなことないのかと聞かれると、園子も答えられなかっただろう。ただ、遙と同じ反応をとった自分が嫌だったのである。
「基本的に、物事を深く考えない家庭に育ったからなのかなぁ」
 一也は伸びをするようにして、頭の後ろで手を組んだ。


「吉田君、すっごくリラックスしてるみたい。私の前じゃあんな事滅多にしないのに…」
「あ…そお…」
 遙は感心なさそうである。と言うより、もう疲れたのだ。もう帰りたいよぉ…一也の事なんてどうでもいいや。
 とろんとまぶたが下がってくる。疲れも手伝って、眠くなってきた。
 が、
「ああっ!」
 と言う詩織の声に、遙は体を震わせた。
「なっ…どうしたの!」
 顔を上げると、園子が一也の体にもたれかかるように寄り添っていた。
「なにしてんのよあいつぅ!!」


「なっ…何ですか?」
 一也も野暮な奴である。
 園子は一也のことを上目遣いに見て、
「キス…したことある?」
 くすっと、悪戯っぽく微笑んだ。
「え…いや…ない。いや、えと…その」
「キスしよっか?(注*10)」
「え…」
 一也の頭の中を活字で表現しようとするのは、ページの問題からも不可能であるので止める事にする。もっとも適していると思われる一也の頭の中の表現が、この後に白紙のページを三枚くらい入れることなのだから。
「それとも…一也君、私のこと嫌い?」
「いえ!そんなことはないですよ。でも…いや…その」
「本物の村上 遙の方が好きなの?」
「遙は関係ないですよ」
「じゃ、他に好きな子でもいるの?」
「え…いえ…それは…」
 少しの間があって──
「えと…その…」
 結局答えられずに、一也は頭を掻いた。
 園子は微笑む。
「じゃ、私のこと好きになって」
 そっと、園子は一也の頬に手をかけた。
 一也はただ、身動きもしなかった。


「いやっ!ダメ!!」
 詩織。
「あいつッ!!」
 遙。
 先に動いたのはどちらだったか。わかった人間は、陸上選手のフライングをコンマ何秒で当てることができるだろう。


 唇の距離は後3センチ。
 遙と詩織の距離は後3メートル。
 ──と言うところで、一也のポケットの中のポケベルが震えた。
 そして、地震並みの振動が大地を走ったのだった。(注*11)


「なに!?」
 海の方からした振動に、園子がはっと顔を向ける。一也にはもう何かわかっていた。読者の方ももうお分かりのことであろう。
 ポケットをまさぐってベルを止めると、一也はそのメッセージを確認した。
 間違いない!
「立って!逃げるんだ」
 と、園子の手を取って立たせ、勢いよく振り向いたとき、
「なっ…」
 一也は少し息を弾ませて、怒っている詩織を見たのだった。
「どういう事よ」
「ちょっ…あ…いや。その…」
 しどろもどろ…
「吉田君がそんな人だなんて思わなかった。ゆるせない…」
「違うんだっば!これにはふかーい理由があって…」
「いいわけでしょ、そんなの。やっぱり私の事嫌いなんだ」
「そうじゃなくて…だから…」
「痴話喧嘩は後よ!今は逃げないと!!」
「なっ!なんで遙もここにいるんだよ!」
「だから、痴話喧嘩は後って言ってるでしょ!」
 携帯電話を耳に当てて怒鳴る遙。受話器の向こうで、シゲは顔をしかめた。
『大変なことになってるみたいだね…』
「他人事みたいに言わないで!全部シゲさんの責任でしょ!」
「シゲさん?電話、シゲさんが出てるの!?シゲさん松本さんにちゃんと説明を…」
「いや!言い訳なんて聞きたくない」
「ちょっとなによ!あんた達、もしかして私たちをつけてたわけ?悪趣味もここまで来ればたいしたもんだわ!!」
「なによ!アイドル声優だかなんだか知らないけど、私の彼氏とらないでよ!!(注*12)」
「盗られるのはあんたに魅力がないからでしょ!」
「なによぅ!」
「ちょっと!聞こえないでしょ!!」
「遙、ちょっと電話を代わってよ!シゲさん!!」
 周りも逃げまどう人々で十分にうるさいので、ついついみんな大声になってしまうのだ。
「よく聞こえないの!もっと大きな声で言って!」
 と、遙が携帯に向かって大声で言ったとき、大波が四人の体を容赦なく包み込んだ。
「きゃあっ!」
「いやぁ!」
「なっ何だ!?」
「もぉー!ふざけんじゃないわよ!!」
 全身ずぶ濡れで遙が叫ぶ。海の方を睨み付けると、着水によって巻き上げられた海水が、ベールを開くように晴れていっている所だった。
「シゲさん。聞こえてる?」
 多少ノイズは乗っているが、電波は途絶えていない。
 晴れていくベールの向こうの物体を見て、
「なっ…なにあれ…」
 詩織が息を飲む。
「あれが…本物?」
 顔についた海水を拭って園子。
「エネミー、肉眼で確認。大至急、出撃の準備を」
 遙はそいつを睨み付けたままで、言った。
 一也はごくりと、唾を飲んだ。


「松本さんと園子さんは急いで逃げるんだ。大きな建物の中は逆に危ない。むしろ広い場所に──」
「吉田君は?一緒に逃げよう!」
「僕は逃げるわけにはいかないよ。奴と戦わなきゃ」
「どうやっ──」
 詩織の言葉に、遙の声が重なる。
「奴がこっちへ来るわ!いったん避難しましょう」
「避難って、どこに避難するのよ!」
 声を荒げて園子。遙はそんなもの無視で、携帯でしゃべっている。
「え?イーグルのパイロット?そんなの知りませんよ!私がいないんだからそっちで何とかして下さい!いない?じゃあおやっさんに乗ってもらって下さい!!あの人はあれでもエアロスミスなんですから(注*13)」
「ちょっとあんた人の話聞きなさいよ!」
「二人とも!こっちだ」
 一也が詩織と園子の手を取って走り出す。その後ろに、少し遅れて遙。
「ちょっと!なんで一也、私の事はほおっておくのよ」
「腕は二本しかないんだよ」
「なによもう…イーグルの降りられるスペースの事を考えると、落ち合う場所はお台場海浜公園辺りがいいだろうって!」
「目立って?」
「そう──かもね」
「お台場海浜公園って、園子さん、どうやっていくかわかる?」
「結構あるわよ。このまま、公園の中を行っても出られるけど…」
「あっ見て!もうあんなに近くに来てる!!」
 詩織がちらりと後ろを見やって叫んだ。エネミーの巨体が、しっかりと細部まで確認できる近さにまで接近している。
「足が六本…姿形はアメンボって言ったとこ」
 遙が携帯に向かって状況を話す。
「え?テレビ?もう映ってるの!?」
「フジテレビならとっくよ。すぐそこが新社屋じゃない」
「え?なによく聞こえない?」
 要するに園子の事を無視したかっただけだ。
「いいわよブス」
「何だってクソアイドル?」
「なによォーっ!」
「やるってーのォ!」
「仲間内で争ってどうするんだよ!敵はあっちだろ!!」
「こいつも敵!」
「仲間になった覚えなんてないわよ!!」
「喧嘩するなよ!」
「イーグルはまだ出てないの!そっからならすぐでしょ。今出た?うさん臭いラーメン屋の今出ましたじゃないでしょうね!!」
「園子さん。海浜公園はまだ?」
「まだよ。一也君、私もう疲れた。もう、走れない」
「じゃあ潰されちゃいなさい」
「なによぅ!」
「まだ元気じゃないですか」
「うるさいわねぇ!!」
「来たっ!」
 遙が喚起の声を上げて紺碧の青空を見上げる。イーグルのジェットエンジンの爆音が、少しずつ近づいていた。


「急げと言ったくせに、そっち方がのが後から来るとはどういうことだ?」
 イーグルのコックピットの下で文句を言うのは、R‐0整備班長、植木ことおやっさん。
「これでも…走って…来たの…よ」
 ハアハアとあえぎながら、遙も負けちゃいない。
「準…備は?」
「一也君が乗り込めば、いつでも動かせる。あいにく、教授や助教授はまだ来てねぇから、ここから簡単な管制をするこったな」
「わかった。おやっさんインカムくれる?一也、乗って」
 やっとまともに喋れるようになったが、休んでいるヒマはない。エネミーはもう、青梅南埠頭にさしかかっていのだ。
「わかった。じゃあ、松本さんと園子さんを頼む」
「詩織ちゃんは預かるわ。そっちはオマケね」
「なによぅ!」
「なんだよぅ!」
「吉田君…これ…このロボット…」
 詩織は声を震わせていた。目の前にある巨大ロボット。まさかこれ…これに吉田君が!?
「今は時間がないから。戻ってきたときにゆっくり話すよ」
 と、一也は笑う。そして、R‐0のコックピットの中へ身を踊らせた。
「吉田君!」
「あっ!詩織ちゃん!ダメだって」
 一也の消えたコックピットを、詩織が駆け寄って覗き込む。
「吉田君…」
「大丈夫。死にはしないから」
 ヘッドギアをつけ、シート右下にある起動コックをACTIVEに入れる。眼前の五つのモニターが光を帯び、一也の顔を照らし出す。
「隠すつもりはなかったんだ。結果的にそういう風にとられてもしょうがないかも知れないけど、余計な心配はかけたくなかったし…」
 言いながら、補助モニターの下につく簡易キーボードの上を走る一也の指。モニターに文字が映る。BSS system released──LINKed──R‐0 system LINK──COMPLETED。
 点滅する起動可能のコマンド文。
「吉田君…」
「下がって。危ないよ」
「私…」
 詩織は何かを言おうとしたが、彼女の肩を遙が軽く叩いた。
「詩織ちゃん、話はあとでもゆっくり出来るから」
 コックピットの一也を覗き込み、
「いけるわね?」
 微笑みながら確認をする遙。
「やらなきゃ、こっちがやられるんだろ」
「その台詞を待ってたの」
 と、彼女はウィンクしてみせた。


 コックピットのハッチが閉まる。詩織は遙に手を引っ張られて、そのハッチをずっと見つめていたが、高鳴るモーター音と共ににまきあがった砂に、思わずぎゅっと目をつぶった。
 遙が言う。
「R‐0、起動」
 system ALL Green。一也の乗るR‐0は、ゆっくりと立ち上がった。


「いい一也?お台場はまだ出来たばっかりなのよ。あんまり派手に壊さないでね」
 インカムを耳に当てて遙が言う。詩織と園子も、遙にくっつくようにして、何とか一也の声を聞こうとしていた。
「前向きに善処するよ」
 と、一也の声。モニターの中で、一也とエネミーの視線があう。
「いくぞ!」
 R‐0が走り出す。海浜公園から海側を回り込んで、潮風公園にさしかかろうとしていたエネミーへと肉薄する。
 ビームライフルを左手に握り直すR‐0。次の瞬間には、PROTECTOR OKと補助モニターが光る。そして一也は思いきり、その右手でエネミーを殴りつけた。確かな衝撃。ぐらりと揺らぐエネミー。
 その時に、
「歴史的遺産、南極観測船・宗谷、小破」
 ぽつりと遙。
 エネミーは六本の足で、R‐0の攻撃をなんとか堪えた。そして、右前足で反撃に出る。
「くっ…」
 左腕でそれを防御するが、衝撃に、握られていたビームライフルが飛ぶ。
 で──
「潮風公園、南コーストデッキ大破」
「くそっ!」
 右足で、エネミーの体を蹴り上げるR‐0。よろけたエネミーの後ろ足で、
「歴史的遺産、青函連絡船・羊蹄丸、大破」
「わざとじゃないんだから!」
「被害を大きくしないの。Necだって予算ていうものがあるのよ」
「わかってるよ!」
 エネミーの振り下ろした両前足を受け止めて、R‐0とエネミーは力比べを始めていた。R‐0のアクチュエーターが、悲鳴を上げる。
「力は互角…」


「あれだ!センちゃん、映せ映せ!」
「撮ってるって」
 砂浜に着陸しているイーグルを、ボードウォークに姿を現した報道陣が映し始めた。
「皆さんご覧下さい。あれが巨大ロボットR‐0の輸送専用機、イーグルでしょうか?コックピットの辺りに人影が見えます。パイロットでしょうか!いってみましょう」
「ちょっとヤバイのに見つかっちゃったわね」
 と、遙が呟く。自分や園子が映されるのは一向にかまわないが、無関係の詩織を映されるのは何とか避けたい。
「話をつけてきてやろうか?」
 と、帽子を深くかぶり直し、おやっさんが歩き出す。
「頼りになるぅ」
「よせやい。オレはただの整備班長だ。なにもしらんと言って、切り抜けてやるよ」
「お願いします。何なら、こいつ生け贄にします。それで許してもらって」
「何よ!叩かないでよ」
「軽くでしょ!」
 もちろん生け贄にされるのは園子だ。


 警告音のアラームがコックピットの空気を震わせた。
「何だ!?」
 補助モニターに点滅する文字。ACTUATOR OVERWORK。
「遙!何か警告がでてる!」
「アクチュエーターに付加がかかりすぎてるのよ!いったんそいつから離れて!」
「離れるって言ったって…」
 この力で押さえ込まれてたら…
「くっそおっ!」
 後ろに飛び退くR‐0。足に引っかけて、船の科学館を半壊させる。
 勢いよく振り下ろされたエネミーの前足が、海水を飛び散らせた。一也は南コーストデッキに落としたビームライフルを拾い上げると、その水のカーテンに向けて照準を合わせ、
「一也!ダメ!!」
 遙の叫び声に一瞬の躊躇。
「しまっ──!!」
 水のカーテンを引き裂いて、エネミーの前足が横殴りにR‐0の巨体をはじき飛ばした。
「吉田君!」
 詩織が悲鳴じみた声を上げる。
 そしてそれを、けたたましい音が掻き消した。R‐0の巨体を支えた首都高湾岸線の崩れる音である。
「どうして撃たせなかったのよ!」
 園子が遙に掴みかかった。
「一也?聞こえる?大丈夫?」
 と、インカムに向かって言いながら、掴んできた園子の手をぱしりと叩く。
「なっ…なによあんた!お高くとまってるんじゃないわよ!」
 園子は両手で、遙の襟をもう一度掴んで捲し立てた。
「なんで撃たせなかったのよ!あそこで撃ってれば、一也君がやられることだってなかったでしょ!あんた命令してばっかりで、何様のつもりなのよ!?」
「その言葉、そっくりそのままあんたに返すわ」
 遙はなんということもなく、園子の目を見て言った。
「あんたこそ何様のつもりよ。あそこで撃ってたら、どうなってたかあんたにわかる?タイム24、青梅フロンティアビル、テレコムセンター、全部に風穴が開くことになるのよ」
 遙は園子の手を力一杯掴んで、自分の襟から引き離した。園子が痛みに顔をしかめる。
「いい?あんたの考えてるほど、私たちのすることは楽じゃないのよ。被害がでれば、謝罪しなきゃならない。死人がでれば、会ったこともない人だからって無視するわけにはいかない。それが現実なのよ」
 R‐0のアクチュエーターが再び動き出す。迫り来るエネミーを確認して、ゆっくりとR‐0が立ち上がる。
「あんたはスクリーンの中で、何度も危険な目に遭ってるでしょうよ。何度も、死ぬような怪我をしているでしょうよ。けど、あんた自身は痛くも痒くもないでしょ。だけどね、私たちは違うの。それが現実で、痛いのよ」
「な…なによ…あんた…」
 呟いて、下を向く園子。遙の言葉に、悔しそうに顔をゆがめる。
 遙は言う。
「私たちだって、現実に怪我をすれば血は出るし、痛いし、死ぬときは死ぬのよ」
 R‐0は手首から打ち出したビームサーベルのグリップを、しっかりと握りしめた。
「それが現実なの」


 外部電源残量6パーセント…内部電源と合わせて…五分持つか…
 組み合ってる時間はない。ここで決めなきゃ…
 警告音はずっと鳴り続けている。補助モニターに並ぶ文字。BACKPACK BATTERY is DEAD.ACTUATOR TROUBLE──arm's A B。
「保ってくれよ」
 ぽつりと呟いて、一也はマニュピレーションレバーを握り直した。
 エネミーがゆっくりと、R‐0の様子をうかがうかのように動く。
 そして──
 飛びかかるエネミー。R‐0の頭部めがけて、右前足を振るう。
「一也君!」
 詩織の絶叫。
 ガシャンという音と共に、R‐0の頭が飛ぶ。
「モニターが!一也!!」
 インカムに向かって叫ぶ遙。
 コックピット内の光が落ちる。唯一の光源が、補助モニターの灯りだけになる。
 高鳴るモーター音。ビームサーベルが大光量の光を発して、サーベル状に安定する。R‐0は体を屈めると、エネミーの腹部に体を滑り込ませ、
「食らええぇええっ!!」
 それを両手で握りしめて、エネミーを貫いた。


 人垣、警官の笛の音、赤いパトライト。
 日の沈んだお台場海浜公園。その砂浜に設けられたボードウォークには、たくさんの人が溢れていた。
 砂浜に、R‐0のシルエット。その向こうに、輝く光の橋、レインボーブリッジ。
「ごめん。さっきは、ちょっと頭に血が上ってたのかも知れない」
 その景色を眺めていた園子は、まさか彼女がそんな台詞を言うとは思わなかったので、その声に目を丸くして振り向いた。
「あたるつもりはなかったんだ。それに…」
「いいよ。私も、なにも知らないでちょっと言い過ぎたんだ」
「うん…」
「日本人には危機感が足りないのね」
 海の向こうに、幻のように輝く高層ビル群が見える。恋人達が愛を語らうのを、静かに見守るオブジェのような、幻想的な夜景。
「リアルって言うものを、日本人は勘違いしてるのかもね」
「リアル?」
「リアルって、現実って意味なんでしょ。日本人は、その意味を履き違えてるのかも知れないね」
「リアルは、現実じゃない?」
「現実に肉薄した、架空のものを日本人はリアルというのかもね」
 笑う園子。苦笑いを返す遙。
 そして、遙の頭を軽くこづいて、園子は歩き出した。
「死なない程度にがんばってよね。私の出番がなくなっちゃうから」
「前向きに善処するわ」
 去っていこうとする園子の背中にお返しのパンチ。
「一也君に言っといて、いい役作りの勉強になったって」
「わかった」


「吉田君?」
 コックピットから出てきた一也は、情けない顔をして立っていた彼女に笑いかけ、
「大丈夫って言ったでしょ。大丈夫だよ」
 ひょいと砂浜の上に飛び降りた。
「壊れちゃったなぁR‐0」
「このロボット、R‐0って言うの?」
「そう。R‐0」
 弱い光に照らされて、R‐0の装甲版が輝いている。戦いを終えた巨大な兵士は、静かに、守るべき街の夜景を見つめていた。
「僕は、これに乗って戦う正義のパイロットなんだ」
 と、一也は胸を張った。詩織が思わず吹き出す。
「笑わないでよ」
「ごめん。だって、笑わすような事言うんだもん」
「笑わせようと思ったんだよ」
「じゃあ、そんなこと言わないでよ」
「綺麗な夜景だねぇ」
「そうやって、話を逸らす」
 輝くレインボーブリッジ。そしてそこを走る車のヘッドライトが、輝きに彩りを添える。一也と詩織は、しばしそれを見つめていた。
 詩織は、弱く笑った。自分の頭の中に、ぽっと浮かんだ台詞にだ。
 恋人同士みたい…
 ふと、一也の方を見る。
「あ…」
「ん?」
「血…唇切れてる。待って、今ハンカチだすから」
「大丈夫だよ。唇切ったくらい」
 指先で唇をなでる一也。少し乾いた血が、指先を湿らす。
「遠慮しないで」
 と、詩織は取り出したハンカチを手に、一也の頬に手をかけた。
 どきりとする一也。詩織も、自分がした行動に気づいて、顔が熱くなった。
 少し、震える手で、一也の唇に触れる。
「だ…大丈夫ね…血、そんなに出てないみたいだから」
 ハンカチでぎこちなく、一也の唇の血を拭き取る詩織。
「う…うん」
 ぎこちなく、一也も返す。
 ふと、詩織は手を止めた。一也は、ぱちりと瞬きをした。
「吉田…君?」
「うん?」
 詩織は、途中まで言って、恥ずかしそうにうつむいた。
 一也はただ、それに聞き返しただけだった。
 恋人達を見守る夜景。お台場の夜景は、まだ二人には早すぎたようである。
「キス…」
「え?」
「ううん。なんでもない」


つづく








   次回予告

(CV 吉田 香奈)
 エネミーはなにも日本に襲来するだけではない。
 同時襲来はないものの、世界中の至る所にランダムに現れる。
 アメリカ、イギリス、フランス、ロシア。
 しかし、どんな大国であっても、エネミーに伴う犠牲は尋常なものではなかった。
 経済都市の打撃。
 軍事費用の増大。
 税金。借金。保険金。
 その中で、被害を最小限にとどめ、エネミーの襲来数の割に打撃を受けていない国が一つ。
 特務機関、Necのある国、日本。
 巨大ロボット、R‐0。それを持つ国。
 そして、ついにそのR‐0に魔の手が伸びる。
 次回『新世機動戦記R‐0』
 『逆襲のジョン(・マッキントリック)』
 お見逃しなく!


[End of File]