ShortCut Link:
暮れなずむ街を、ベランダに置かれたエアコンの室外機に座って眺めながら、俺は煙草を吸っていた。
今日も今日とて、いつもと同じ休日だった。
朝は十時にのそのそと起きて、一食目という意味でなら、朝食、時間的に言えば昼食には、面倒なのでピザを頼んだ。もっとも、途中で飽きて、ラップにくるんで冷蔵庫に放り込んだわけだが、今日も今日とて、変わらぬ一人暮らしの俺の、いつもの休日だった。
夕焼けの空を眺めながら、メンソールを吸う。
ほんの数十分、煙草を吸うのに丁度の時間の、冬の夕暮れ。
俺は、俺の思う、最高の贅沢を楽しむ。
「そんなわけだから」
俺は言った。
「とりあえず、どいてくれ」
眼前。
ベランダに舞い降りた、その、翼をもった女に向かって。
「あ、これは失礼」
と、その女は俺の眼前からどいた。
俺はそれで満足だった。
メンソールをくゆらせながら、夕陽を眺める。そしてちょうど一本、煙草が吸い終わる頃、雲の向こうに消えた陽に軽くため息を吐いて、ベランダにおいてある灰皿に吸い殻を入れて、フタを閉めて、部屋に戻った。ぴしゃりと、窓を閉めて。
「夕飯、どうすっかなー」
独り言を呟きながら、キッチンへと向かおうとした俺の背中に、どんどんどんという、窓ガラスを今にもぶち破りそうな音が聞こえてきた。
「あーけーてー!」
女の声が聞こえる。
ああ、そうだ。
俺は思い出したようにベランダへと続く窓に戻る。
「忘れてた」
「ありがとう」
カーテンを閉めた。
「あーけーてー!!」
雨戸を閉めようとも思ったが、まだそんな時間でもない。とりあえずは暖房の効率を上げるためには、カーテンだ。灯油、高いしな。
「叫ぶよ!開けてくれないと叫ぶよ!」
何かが聞こえた気がしたが、気にしない事にした。先日、ふらふらとネットを巡回していた時に読んだWeb小説の中で、主人公が同じような事をしていた事を思い出した。そうだ、きっとこれは、普通の反応で間違いないんだ。
「開けてくれないと、叫ぶよ!ここの住人は、最低ですよって叫ぶよ!女の子をベランダに放置ですよ!最低ですよ!凍えて死にますよ!いたいけな女の子を──」
「うるさい、黙れ」
「ありがとう」
窓を開けると、そいつはてくてくと部屋の中に入ってきた。
部屋に入ってきたそれは、きょろきょろと物珍しげに俺の部屋を見回していた。俺は極力、それを視界に入れないように、コーヒーを煎れた。そしてそれを持って、テレビの前に座った。
リモコンでテレビの電源を入れた。かちかちとチャンネルを回す。特に面白そうな番組は何もなかった。そのままリモコンで画面をビデオモードにして、PS2の電源を入れて──
「あのー?」
「ワンダはもう、二周したしなぁ…」
と、独り言を呟く。
「ロープレでもやっかなぁ」
「あのー」
俺はコーヒーを啜り──
「てい」
「あっつぅぅぅぅぅぅぅううううう!?」
目の前に突然座り込んできたそれが、俺が口に近づけたコーヒーカップを、下からチョップした。無論、中に入っていた熱湯から生成された琥珀色の液体は、俺の鼻っ柱を直撃し、さらにはその突然の一撃にあわてふためいた自らの手により、俺の顔全体を覆った。熱湯である、それが。
「あづ!あづ!」
急いで、近くにあった布的なものに手を伸ばした。
「やぁだ!」
それが、逃げた。
「待て羽毛!」
「やめてよ!拭かないでよ!羽根が汚れる!」
「洗えばいいだろ!」
「やぁだ!」
俺は顔を羽毛に押しつけた。
「…」
なんか、あぶらっぽい…
「…イラネ」
「あっ、ひどい!」
たたんでない洗濯物の山の中からタオルを取り出して、それで顔を拭いた。
ふぅ、とため息。
「さて、ポルターガイストがあったような気がしたが、気にせずに」
「ポット、頭の上でひっくり返すよ?」
「死ぬのでやめてくれ」
大まじめに俺が言うと、それは笑っていた。ぱたぱたと、羽根を動かしながら。
「動かすな」
「なにが?」
「羽根」
「ああ、これ?」
「埃が舞う」
とりあえず、それだけは言っておこうと、思った。
そして俺はゲームパッドに手を──
「てい」
伸ばそうとしたところを、白い羽根に横からつつかれた。
「…」
「?」
「…ずいぶん、器用に動く羽根だな」
「生ものだからね」
「…なるほど、そうか」
ゲームパッドに──
「てい」
「…」
「?」
「意外と、器用に動くんだな、それ…両方とも、ちゃんと動くんだ」
「飛べるしね」
「そうか…」
ゲー──
「ポットは持てないから、両手使っていいかな?」
「わかった、そろそろ俺も死ぬかもしれないから、とりあえずそこにちゃんと座れ」
「何か飲み物」
「わかりました。何になさいますか、天使様」
「天使ではないけど、なんでもいいよ」
「じゃあ、水道水でいいな」
「それはいや」
背中から羽根を生やした、一見すれば天使に見えなくもない『それ』は、俺にむかってあっさりと言った。
冷蔵庫の中から、昼の残りのピザを出した。
レンジで温めてくれとそれに渡したのだが、「レンジ」がなんなのかわからなかったらしいそれは、うろうろと部屋の中を歩き回っていた。面白いので成り行きを見守っていたが、俺が缶ビールを冷蔵庫から出してテーブルにおいて「よいしょ」と座ったところで、物言いたげな視線で俺の事をじっと見てきたので、仕方がなく、それが両手で持っていたピザを受け取った。
なぜだか、また羽根でつつかれたが、気にしないことにした。
「缶の開け方がわからないとかは、なしにしてくれ」
「それはわかる」
と言いながらも、それはプルタップに苦戦していた。
「てっ…くっ…あれ?このっ…」
「お前さ…」
「なに?」
「見ててイライラする」
それの手の中から缶ビールを奪い取ると、俺はそれを開けて突き返した。
開けてやったというのに、何故か羽根でまた頭をこづかれそうになったが、そろそろ慣れてきたので、軽くかわしておいた。
俺はとりあえずビールをぐいっと煽って、ピザに手を伸ばした。そしてそれを口にくわえながら、テレビのチャンネルを変えた。他愛のない娯楽番組が流れ出す。
「ちなみにそれは」
俺は言った。
「ピザと言う」
「知ってる」
「この赤いのを、たんまりとかけて食うんだ」
「それは嘘だ」
「チ──」
舌打ちをして、俺は頭をすぼめさせた。
羽根が、頭の上をスルーして行った。
それから、俺はそれとピザを食いながら、テレビをぼけーっと見続けた。
ビールは三本くらいあけた。
それは何かを言いたそうにしていたが、俺はあえて無視し続ける事にした。
それはたまに「あの」とか「えっと」とか、俺に向かって言っていたが、俺が振り向きもしないのでそのまま言葉を飲んで、ちびちびとビールを飲み続けていた。ちなみにそれがビールだと言うことには、飲むまで気がつかなかったようで、一口目で「うえ」という顔を一瞬したが、俺がそれにだけ反応したので、それは「なにか?」というように平静を装って微笑み返してきたんだった。
気も抜けて温くなったビールなんか、飲めたモンじゃねぇだろうとも思ったが、とりあえず放置することにした。
そんなこんなで、一時間ばかり経っただろうか。
さすがにそろそろ腹が減ってきた俺は、飯を作らねばならないと思い始めた。しかし──
「?」
問題は、コレだ。
「なに?」
と、俺に向かって微笑む。話すきっかけができたと思ったのだろう。
そして俺もさすがにそろそろ、それを無視し続けるのも辛くなってきた所だった。
「なぁ」
と、俺は言った。
「なに?」
満面の笑みで、それは返した。
しゃくに障ったが、聞いた。
「お前、何?」
「よくぞ聞いてくれました」
と、それは居住まいを正し、言った。
「下界のみなさんは天使だとか言ったりもしますが、有翼人という種族の者です」
「ん、わかった」
俺はビールの残りを煽って、
「帰れ」
「ええーっ!」
俺は開いた皿とビールの缶を持って立ち上がる。そしてキッチンへと向かう。
「ちょ、話聞いてくれるんじゃないの?」
それが不満げに言う。
「あー、はいはい。聞くだけ聞くから、話せ。で、終わったら、帰れ」
「えっと…いや…その…」
それはもじもじと、言った。
「すみません。話すので、ちょっと、ここに座ってもらえますか?」
それは自分が座っていた正面に手を伸ばし、言った。
俺はため息をひとつ吐くと、何よりもそれにさっさとおかえり願うために、そこに腰を降ろした。
「聞いてやるから、さっさと言え」
「はい」
それは小さくひとつ頷くと、俺をまっすぐに見て、言った。
「私と、一晩を共にしていただきたいのです」
「わかった」
「え?」
「立て」
「え?」
「ほら」
「あ、いや…あの…心の準備というものが…」
俺はそれの手を取って、立ち上がらせた。
「その…なんと言いましょうか…あれです…私…その」
と何事か言い続けるそれを、
「帰れ」
俺はベランダに出した。
「え?」
そしてがらがらぴしゃりと、窓を閉めた。鍵もかけた。カーテンも閉めた。
「あーけーてー!!」
しばらくそれが何かを叫んで窓を叩いていたが、無視して、食事の準備をすることにした。
今日も今日とて、変わらない休日だったと、夕食をすませた俺は思う。
あとはネットをちょっとやって、風呂に入って寝るだけだ。
そう考えながら、食後の一服をと、煙草を手に、ベランダに出た。
「寒…」
ぶるっと身体を奮わせながら、俺は小さく呟いた。
コートでも着てくればよかったかと一瞬思う。しかしどうせ十分程度の事だと開き直り、ライターで煙草に火をつけた。そして、
「どけ」
と、エアコンの室外機の上に座っていたそれに向かって言った。
「いや」
短い返答と共に、白い羽根が俺の頭めがけて伸ばされる。
が、俺はそれを軽くかわす。それの羽根はどうやら自由に動かせるらしいが、あまり複雑な動きはできないのだと、俺はすでに知っていた。
「当たらなければ、どうという事はない」
俺は勝ち誇って言う。
「じゃあ、手で叩く」
と、それは手を振り上げたが、おそらくそれもかわせるだろうと俺は思った。そしてそれを相手にするのも大人げないと思い、無視して町並みを見ながら、煙草を吹かした。
「あ、そこに灰皿あんだろ。取ってくれ」
「これ?」
「それ」
それがそれを手にとって、俺に差し出した。
「さんきゅ」
と、脊椎反射的に言った俺の言葉に、それは目を丸くした。
「え?」
「…なんだよ」
聞き返されて、気持ちが悪いと思った。だから俺は無言のまま、煙草を吸うことにした。ばつが悪いというのは、こう言うときに使う言葉なのだろうか。
「…寒くないの?」
と、それがぽそりと言った。
「寒いな」
ぽそりと、俺は返した。
「お前、寒くないのかよ?」
「ないよ」
「マジで?」
正直に驚いた俺が振り向こうとしたとき、俺の視界を真っ白なそれが覆った。複雑な動きはできないらしいが、力はあるのだと、その時に気づいた。ぐいっと俺はその羽根に引き寄せられて、エアコンの室外機の上に座らされていた。それの隣に。
「こりゃあ…」
俺は正直な感想を言った。
「あったけーな」
「羽毛だしね」
「だが、問題がひとつある」
「なに?」
「灰皿に手がとどかねぇ」
口にくわえていた煙草の灰が、落ちそうだ。
「これ、落ちたらあちーの?」
「熱くないけど、やめてよ!焦げる!」
「灰皿取ってくれ」
「羽根じゃ取れない」
「あー、この中いると、外でたくねーな。このまま落としていい?」
「やめて!いや!焦げる!」
仕方がないので、一瞬寒いのを我慢して、俺は灰皿を手元に取ってきた。
そしてそれの羽根の中で、夜の町を見ながら、メンソールを吹かしていた。
「…あの」
と、それがぽつりと言う。
「さっきの話だけど…」
「ああ…」
俺は気のない風に返した。
「羽根、オープン。灰、落ちる」
「あ、うん」
ぱさりと、それは羽根を開いた。俺は灰を灰皿に落として──
「クローズ」
ぱさり。
「あったけー」
「えっと…さっきの話だけど…」
それはぽそぽそと、続けた。
「あの…私たち有翼人は、その…子孫を残すために、その…人間の男性と交わらなければいけないわけで…」
「同族でなんとかしろよ」
「有翼人、女の子しか生まれないから…」
「なんだ、それ」
「遺伝子的に」
「へぇ。よくわからんが、そうか」
「で、その…成人した有翼人は、その…下界に降りてきて、人間の男性と…なんだけど…」
「お前、成人してんの!?」
「してるよ!」
「アレか、日本の法律で言うところの成人と、お前等のそれとは違うんだな。なるほど」
「なにそれ?」
「…羽根、オープン。灰、落ちる」
「あ、はい」
「寒っ!クローズ!」
「はい。あ…で…えっと…あの…」
「あんさぁ…」
俺は煙草を吹かしながら、言った。
「別にそれ、俺でなくてもいいんだろ?だったら、渋谷辺り言って、適当な奴らに声かけてこいよ。すぐだぞ、すぐ」
「えっ…いや」
「なんで?」
「う…だって…」
何事か、それはもごもごと口の中で言っていたが、よくは聞き取れなかった。
「羽根、オープン」
「あ、はい」
俺は短くなった煙草を灰皿でもみ消して、フタを閉めた。
「寒っ」
そして部屋に戻った。
からからからと、静かに窓が開く。
ひょこりと顔をだしたそれが、部屋の様子をうかがう。
俺はヤカンを火にかけるついでに、その火に手をかざす。いつものお決まりの行動だが、別に今日は必要ない気がしていた。
かじかんでもいない手を、形だけこすりあわせ、火にかざす。
「あの…」
「あ?」
小さく声をかけてきたそれに、俺は返した。
「…ダメでしょうか?」
「据え膳食わぬは男の恥と言う言葉があるんだが、お前はしらなそうだな」
「なにそれ?」
「一生わからんでいい」
俺は返した。
そして言った。
「まぁ、一晩くらいは、泊めてやらんこともない」
「えっ?」
目を丸くしたそいつに向かって、俺は言った。
「羽毛布団として」