ShortCut Link:
俺は今、非常にピンチだ。
どれくらいピンチかというと、多分、世界中の誰よりきっとピンチだ。
そんな事はわかるわけがないと言うかも知れないが、確実に言える。世界中の誰よりピンチだ。世界中の誰もが体験した事のない状況に陥ってるから言える。
確実にピンチだ。
銃で狙いをさだめられたわけでもないし、時限爆弾が目の前にあるわけでもない。どちらかといえば、生命のピンチというようなピンチじゃない。
だがそれでも、ピンチだ。
俺は今、自分の部屋にいる。
六畳の、ごく一般の家庭の、ごく普通の息子の部屋だ。
だが、俺はそこで、世界中の誰もが体験したことのないような状況にいて、そして、世界中の誰よりも猛烈に危険な、すなわち、めっちゃピンチな状況に直面している。
玄関のチャイムが鳴っている。
ヤバイ。マジでヤバイ。
親が玄関のドアを開けた。
友人達の声が聞こえてくる。
階段を上がってくる。
大ピンチが、目前に迫ってきている…
事の起こりは、昨日のこと。
土曜の半日の授業を追えて、俺が帰ろうとしていた時の事。
同じクラスの秋山が、俺に話しかけてきたことから始まる。
「なぁ、春野」
ちなみに、春野というのは俺。
「ん?」
俺は喉を鳴らして返した。
「ちょっと話があるんだが…」
秋山は俺に一歩近づくと、声を潜めるようにして言った。この秋山、俺のクラスメイトだが、特別親しいという間柄でもない。もともと、何の部活にも属していない俺は、クラスに友達はいるが、親友と呼べるような奴はいない。だからこの時秋山が話しかけてきたときも、たいした用事ではないと思っていた。暇だから午後にみんなでカラオケでも行くんだけど、お前もいかね?とか、それくらいの。
だが、秋山が俺に向かって言ったのは、俺の予想だにしない台詞だった。
「お前、blogサイトもってんだって?」
その台詞は衝撃だった。
誰にも話したことはない。というより、サイトに本名も載せてないし、極力、リアルの話は書かないようにしていた。なのに…何故!?
はっとして秋山を見た俺は、その瞬間、奴の術中に陥っていたのだと、気づいた。
秋山はにやりと笑う。この男…カマをかけてきたのだ。
だが、俺は、
「な、なんの話だ?」
努めて表情を崩す事なく、言った。
「あれ?違うのか?」
秋山は言う。
「俺、別にパソコン詳しくねーし、Webサイトなんてもってねーよ」
「ああ、Webサイトだったな」
にやり、秋山は笑う。
「bolgサイトじゃなかったな、言葉を間違えた」
この男、カマをかけていたのだ。
「な、何を言ってんだよ」
「隠す事なんてないだろう」
ため息混じりに秋山。
「俺も持っている」
「へ?」
「Webサイトだ。何なら、リンク張ってやってもいいぞ」
「いや…えっと…」
俺は気さくに言う秋山を手で制した。そして、
「いや、だから俺はサイトなんて持ってないから。話、それだけなら、帰るぞ」
鞄を手に、その場を離れようとして、秋山にぶつかった。いや、ぶつかったと言っても、かすった程度だ。ホントに、ほんのすこし。
「おおっと」
なのに秋山の奴はふらりと体勢を崩して、あろう事か、教室の机や椅子を巻き込んで、転んだ。結構派手な音を立てて。
「お、おい!?」
思わず立ち止まる。見る。
秋山が手にしていたA4サイズの紙の何枚かが、はらりと散った。
「いてて…」
「大丈夫かよ」
しゃがみ込んで秋山の手から落ちた紙に手を伸ばす。クラスメイトの何人かが、「どうした?」「秋山くん、大丈夫?」と、俺たちの方へやってくる。
「あ、いや」
片手をあげて、秋山は笑った。
笑って、俺を見た。
俺は秋山の手から落ちたA4サイズのその何枚かの紙を手に──凍り付いていた。
* * *
「今のキス、やっぱりチョコの味がした」
小さく、私は呟いた。
一瞬の沈黙のあと、彼が言った。
嬉々として、笑うように。
「OK、そのまま、目、閉じてて」
「え…?何するの?」
開けようとした目は、彼の大きな手によって塞がれた。
「ちょっ…」
かくんと揺れる私の身体。彼がテーブルを回って近づいてくる気配。
「な…何するの?」
「変なことはしないって」
「いや、する。しようとしてる!」
彼は答えない。笑ってるだけ。
それはちっょとだけ恐かったのだけれど、
「な…何のするの…?」
私は眉を寄せ、呟くようにして聞いていた。暴れたりなんかはしないで。
彼もそれをわかってか、私の肩に手を回してきた。左手。右手は、まだ私の目を塞いだままになってる。
耳元でささやく声。彼は甘く、私の耳にささやきかけた。
「キスするだけだって」
「え…」
一瞬あって、彼の唇が私の唇に触れる感覚。そして、私の口腔の中に広がるカカオの香り。
「ん…ちょ…」
チョコレートのその香りが私の口腔を満たす。
彼が、少し口を広げるようにして、私の唇を包み込んだ。
何かが、私の唇を濡らす。
少しだけヌルッとしていて、だけれど、甘い、それ。彼の口の中でとろけたチョコレートが、私の唇を甘く濡らし始めていた。
* * *
俺は秋山を見た。
時間にして、一秒もなかっただろう。だが、俺と秋山の間では、そのわずかな時間の間に、恐ろしい程の目での会話があった。
秋山、貴様、これを何処で──!?
何?私にはさっぱりだな。
貴様、わざとかッ!?
フ──何のことかな。そんなことより春野君、私をこのままにしておくと、いろいろと不味いんじゃないかね?
なんだと?
クラスメイトが、助けに来ようとしているぞ?いいのかね?
秋山、貴様、謀ったな!?
委員長の田中さんがまず来るな…彼女は、職務に忠実だからね…
く…だが、これを俺が書いたなどと、誰が思う?これは貴様が手にしていたものだ。疑いをかけられるのは貴様──
覚悟の上さ…
な…ッ!?
私は──君の才能が欲しいのだ。
「大丈夫か、秋山」
俺はすべての紙を回収し、秋山に手を伸ばした。
「ああ、大丈夫だ」
伸ばされた手を取り、秋山が立ち上がる。
そして、
「すまんな、どうやら私の勘違いだったようだ」
と、クラスメイト皆に聞こえるようにして言った。
「もう少し、詳しく話を聞いてからでよかったな」
そして、歩き出す。
「部室に行くところなんだ。部室でコーヒーでも飲みながら、話さないか?」
そして俺は──秋山の後ろに続いた。
秋山が部活に入っているという話は、聞いたことがなかった。
まぁ、もとよりクラスメイトの誰が何部に入っているなんて、運動部の奴らならまだしも、文化部なんかになったら、誰がどの部なのかなんて事細かに知ってる奴がどれだけいるんだろう。とは言っても、多分、秋山が入っている部活というものは、クラスの誰もが知らないだろう。
そう──俺もこの時まで、その部活の存在すら、知らなかったのだ。
「ここだ」
と、秋山は振り向いた。
理科準備室。
「科学部か何かか?それと、俺に何の関係が?」
「正確には、この奥だ」
と、理科準備室をノックして、秋山は室内に入った。ノックに応える声はなかったが、鍵は開いていた。すでに部員の誰かが先に来ているのだろうと思ったが、室内はからっぽだった。
「誰もいないぞ?」
呟く俺を無視して、秋山はその部屋の隅へと一直線に歩いていく。
「奥って…まさか…」
その先には、大きな鉄の扉があった。まるで防火用シャッターの脇にあるような、頑丈な奴だ。
「この奥だ」
秋山は言う。
その鉄の扉の上にはネームプレートが貼られ、『第二暗室』と書かれていた。
秋山はそのドアの向こうに消えていく。
俺も、続いた。
そしてそこには、三人の男達が──いた。
「ようこそ、『第二暗室』へ」
部屋の中は、思ったよりも広かった。
四畳半…いや、もう少し大きいかも知れない。少なくとも男五人が長机について会議出来るくらいの広さは、あった。
「君が、春野君か…」
ようこそと俺に向かって言った、上座に座っていた男が言った。「田中さんだ」と、秋山は言った。「この部の部長だ」
「こ、この子が、昨日、秋山くんが持ってきた奴、か、書いたの?」
右手に座っていた神経質そうな男が、サイズの合っていない感じがする眼鏡を、しきりに動かしながら続いた。「鈴木さんだ」と秋山。
「ほら、一般人外見だったじゃないですか」
眼鏡の鈴木さんの前に座っていた男が言った。「伊藤くん」と秋山。「同じ学年の奴」
「まぁ、座ってくれ」
田中さんは軽く顎をしゃくって言った。空いた椅子が二組ある。俺と秋山はその椅子に腰を降ろした。
「コーヒー飲む?」
と、伊藤くん。
「あ、カップないから、紙コップになるけど」
「な、なっちゃんでよければ、冷蔵庫にあるよ」
言い、鈴木さんは立ち上がろうとして机に脚をしたたかに打ち付けた。テーブルの上にあったカップのいくつかが盛大に跳ねて、その中身をこぼしたけれど、その音に「びくり」として身体を震わせたのは、俺だけだった。
「落ち着け、鈴木」
と、上座に座る田中部長がゆっくりと言った。
「君は…秋山に、我々の事を何処まで聞いた?」
「いえ、何も…」
言葉を濁す俺から視線を外し、田中部長は秋山を見た。秋山は小さく頷きを返したようだった。「そうか…」呟きが聞こえてくる。
「ならば、語ろう…」
田中部長はテーブルに両肘をついた。
そして口の前でその両手を組み、わずかにうつむくようにして、言った。「我々は…」
その『第二暗室』を拠点とする、恐るべき部活の名を。
「西学エロゲー開発部だ」
「ちょっと待って下さい」
俺は手を挙げて田中部長を制した。
「どこから突っ込んでいいんですか?」
「ここには男しかいないぞ、春野君」
「え?春野君、そういう趣味!?」
伊藤君が目を丸くして俺を見た。
「秋山…」
田中部長は腕を組んだままで、秋山に向かって言った。
「帰ってもらえ」
「き、危機なのか…それとも、か、開眼?」
いや、俺は突っ込んでいいのか?いいのか?いいんだよな?先輩だけど!
「いえ、でも部長。コイツは、昨日のエロノベル書いた奴ですよ」
笑いながら秋山は言う。
「待て秋山」
ので、止めた。
「エロノベルとか、ストレートに言うな」
「エロは悪くない。というより、なかなか良かったと思うぞ」
秋山はさらりと言って、テーブルの上にあったファイルを取り、開いた。
そして、読んだ。
* * *
やがて、私のシャツが左右にぱっと開かれた。彼の目の前に、私の胸がさらされている。始めてでもないのに、私の胸はどきどきと高鳴ってしまっていた。それを悟られるのが嫌で、私は横を向く。
彼はそれをわかってか、言った。
「俺、今、じっとお前の胸を凝視してるんだぜ。じっとな。 あれ?お前、今日はフロントホックなのか?なんだよ、初めっから、そのつもりだったんだ。ははぁ、なるほど」
「ちっ…ちがっ…!」
私の言葉は、その途中で吐息に変わった。
「はぁっ…」
彼の舌が、私のお腹をはい上がっていく。見えないだけに、感覚が鋭くなっているのか、それはじんじんとしびれるくらいに、強烈な刺激だった。
* * *
「やめてくれぇぇッ!?」
俺はそのファイルをひったくった。
「読むな」
「ここからが面白いんじゃないか」
「これは何か、新たなイジメか?」
俺と秋山のやりとりを無視して、
「春野君、SM好きなの?」
と、伊藤君。
「いいよね、SM」
「え?」
「もうちょっとハードな方が、今のニーズには合ってると思うよ」
「萌えがたりんがな」
と、田中部長は言った。
そして、続けた。
* * *
私はごくりとつばを飲み込むと、ビデオデッキの中にそのテープを入れた。しんとした暗いリビング。家族はもう二階にあがって、寝静まっている。だから、別にこの部屋の電気をつけたって、きっと誰も気づかないだろう。けれど、何故か私はその暗闇と、これから自分が見ようしている物への背徳心から、高鳴る胸の鼓動を誰にも気づかれないように、その部屋の灯りをつけずにいた。
テープが勝手に再生される。
慌てて、テレビのボリュームを絞る私。
ふぅと息をついて、私はリビングのソファの上に腰を降ろした。なんとなく、近くにあったクッションを、両手で抱きかかえるようにして。
足下には、プラスティックのビデオケースが転がっていた。口に出して言うのも恥ずかしいようなタイトル。いわゆる、アダルトビデオというやつだ。
今日、見つけた。兄の部屋で。
別に、探していたのかって言われると、すごく困ってしまう。探していなかったという訳じゃない。けど、本当に、見つけてしまったのはたまたまだった。
今日は、兄は大学の友人の家に泊まると言っていた。
帰ってはこない。
黒い画面が、ゆっくりと白んで、発売元らしき会社のロゴが、ブラウン管に浮かび上がっていた。
* * *
「のぉうぅぅぅぅぅうううおううお!?」
俺は叫んで立ち上がった
「さすが、田中部長。その暗記力、恐るべし…」
伊藤君が目を丸くする。
「私としては、こちらの方が好みだ。妹が兄のアダルトビデオを見、そしてオ──」
「だああぁぁぁぁぁぁぁあ!?」
「うるさいぞ、春野君」
「いえ、つーかですね、言っていいですか。っていうか、言いますよ。言わせてもらいますよ」
「何かな?」
「俺ら、未成年ですよね?」
沈黙があった。
長い長い、沈黙だった。
そして、
「些細なことだ」
と、田中部長は口許を曲げた。
「些細なことじゃないっすスよ!?ダメでしょ!?エロゲーって!!18禁でしょう!?」
「大丈夫だ、春野。年齢、ここまでで一度も書いてない」
「何をメタ的な事を言ってんだ、秋山ッ!?」
「が、学校も、年齢わかるような名前、だ、だしてないし」
「そうじゃないっしょ!?」
「些細なことだ」
「どこが!?」
「まぁ、落ち着け。春野」
言いながら、秋山は俺に別のファイルを手渡した。
「これでも見て」
「ブ!?」
と、吹いた。
「エロCGかよ!?」
「秋山作だ」
「お前かよ!?」
「リンクしないか?」
「しかも、なんだその笑顔!?」
「秋山と春野君が組めば、我がエロ開も、新たな次元へと進むことが出来るだろう」
「ホモは嫌ですよ?」
「秋山…」
「はい?」
「春野君は、ホモではないな?」
「違いますよ!!」
「そうか、安心した。ならば、ノープロブレムだな」
「サムプロブレム、問題山積み、突っ込み所満載でしょ!?」
「突っ込み所が満載なのは、君の手にしているそのCGファイルだけにしてくれ」
「つーか、秋山!お前、これモザイクとか入れろよ!」
「れ、レイヤーで、あとで、ピ、PGで処理するんだよ」
「回収されるでしょ!?」
「君も、マニアックなネタをよく知っているな…合格だ」
「合格しなくていいし!?」
「僕は、再び唇で彼女の指を軽く噛んだ。喉の奥から伸ばしてきた舌で、その先を軽く舐めあげるようにして──」
「読むな!って言うか、どこから出した!?」
「歓迎しよう。春野君」
そして、田中部長は言った。
「君は、我々の新たな同士だ」
俺は──
何かを言う気力も失い、椅子に腰を落とした。
そしてそのあと、俺は彼らの企画会議に参加させられた。
次回作──というより、処女作となるその作品は、俺がシナリオを、秋山と伊藤君がCGを、そして鈴木さんがプログラムを書くと言うことに決まったのだった。
そして俺は、企画会議と言う名の、彼らの妄想全開萌え話を聞かされたのだった。
「とりあえず、ネタは多ければ多いほどいいだろう」
という田中部長のありがたくない言葉により、様々な萌えを語られた。むしろ、語り尽くされた。
ツンデレから始まり、デレクールだとか素直クールだとか、フラットなタイプはヒロイン向きだろうとか、ロボっ娘だとかツインテールだとかニーソックスだとか、眼鏡、チャイナ、制服etcetc...
それは、ある種の洗脳だと思った。
彼らの知識は半端なく、そして恐ろしいものだった。
次から次へと様々なゲームのキャラクターを例に挙げ、カテゴライズし、そしてその台詞のすべてを列挙すらし、それを俺にメモらせて──それがえんえんと、休みなく続いたのだった。
「では、以上の事をふまえて」
田中部長が言った。
「明日、春野君の家に伺う。その時までに、春野君はキャラクターを作ってくるように」
陽の差し込まない暗室では、時間がわからなかったが──その部屋を出て、俺は知った。
六時間経っていた。
そして、俺は今、非常にピンチだ。
どれくらいピンチかというと、多分、世界中の誰よりきっとピンチだ。
そんな事はわかるわけがないと言うかも知れないが、確実に言える。世界中の誰よりピンチだ。世界中の誰もが体験した事のない状況に陥ってるから言える。
確実にピンチだ。
銃で狙いをさだめられたわけでもないし、時限爆弾が目の前にあるわけでもない。どちらかといえば、生命のピンチというようなピンチじゃない。
だがそれでも、ピンチだ。
俺は今、自分の部屋にいる。
六畳の、ごく一般の家庭の、ごく普通の息子の部屋だ。
だが、俺はそこで、世界中の誰もが体験したことのないような状況にいて、そして、世界中の誰よりも猛烈に危険な、すなわち、めっちゃピンチな状況に直面している。
玄関のチャイムが鳴っている。
ヤバイ。マジでヤバイ。
親が玄関のドアを開けた。
友人達の声が聞こえてくる。
階段を上がってくる。
大ピンチが、目前に迫ってきている…