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強くなりたいと願ったのは嘘ではない。
叶える夢があるというのも虚言ではない。
ただ純粋に強くなりたかった。誰よりも何よりも。
それだけ求めて自分を鍛えて、鍛えて、鍛えて――
強くなったかもしれないと、そんな自信がついたある日、知人に問われた事を思い出した。
「結局、強くなって何がしたいんだお前は」
「――――あぁ」
強くなる事が目的だった。
そういえば、その先の事なんて考えたことがない。
辺りは血塗り化粧で染まっている。赤い惨状。竜の死骸を喰らいながらそんな事を思った。
「出番だ、傭兵」
その言葉に青年はゆっくりと目を開ける。視界に映ったのは無骨な男の顔だ。大体三十台後半といったところか。鍛えられてるであろうその体は大きく、普通の人ならば見るだけで萎縮してしまうだろう。
ただ無表情でいても子供が泣きそうな厳つい顔を更に強張らせている。
「そうか」
それに対して無感動な声をあげた青年は、ぼんやりとした表情のままゆっくりと立ち上がった。
細身に見えるが随分と”作りこまれた”体である。不揃いの黒い髪は目までかかっていた酷く不健康そうに見える、かなり暗そうな青年だ。
ガチャリと青年の腰にかかった一振りの剣が音を立てる。
強張った顔を顰めて、厳つい男は顎をついと扉へ向ける。出ろ、という意味であろう。
答えず頷いて扉へと向かった。手をかけて、ゆっくりと力を込めて押し開く。
瞬間。何もなかった暗い部屋に一陣の風が吹いた。
鉄カビの臭い。剣戟の音。大地を踏鳴らす大音量。そして断末魔の叫び、雄叫び――
砂煙の舞う世界をじっと見詰めて青年は小さく口元を歪めた。それはどこか喜びを秘めた、狂喜を孕んだ笑みだった。
「戦場だ」
呟いた言葉は砂塵に埋もれる。眼前には――そう、戦場が広がっていた。
なんの名前もなく、ただ”傭兵”と呼ばれる男がいるという噂があった。
命を顧みず戦場へ赴き、例え敗戦だろうと生還し、そして何よりも人間を殺す”傭兵”。
血塗れた騎士(ブラッディナイト)などという字もつきまわっているが、厳つい男、バムシェル=グローランスはそれが気に食わず、ただ”傭兵”とだけ呼んでいた。
(あのような男が”騎士”などとふざけている!)
彼は自国の中でも最強を自負する騎士団の団長である。風格も実力も兼ね備えたバムシェルにしてみれば、たかが傭兵で騎士の字を受けるなどもってのほかである。
国王の勅命にて雇われた、と聞いたときは憤慨したが、それでも国王の命令ならばを飲み込んだ。
そうして実際に会ってみれば、それは異形ともいえる男だった。
初めて相対したとき、バムシェルの背を走ったのは――戦慄。
化け物がいると、実感した。
あれは人ではない、それ以上の化け物だ。
実力では勝ててはいない、というのも含めて彼は”傭兵”を気に入ってはいなかった。だがこの戦場には確かに不可欠だというのも実感していた。
バムシェルの所属する国は”アイゼル”という、木々に覆われた緑の国である。領土は豊富で気候も乱れは少ない。至極平和な国であった。
だが豊かであるが故に他国からの風当たりは強く、領土を奪おうといくつのも国がアイゼルへと押しかけてきた――が、実際アイゼルを奪うまで至った国は、ない。
なぜならばアイゼルの傍には神話の時代より語れる”世界樹”が存在する。これも狙われる理由の一つだが、防衛に関してはかなり有能といえた。自らを保護するための結界が近郊を覆い、他国の侵入を許さないのだ。
更に世界三大巨山に数えられる”ベヘモス山脈”があるのも大きい。この山を越えるだけで数ヶ月はかかる、その隙にこちらは軍勢を整えられるし、あちらの兵は疲弊する。
唯一の進入経路といわれる”アーシェム高原”が存在するが、そこを防衛していれば他国の侵入を許さないという意味合いになる。地の利を生かした戦いもできるので、アイゼルは負けなしの国となっていた。
だが軍事大国”フォーナリス”がそれを良しとしなかった。数十万の軍勢を揃え、アイゼルへと進行してきたのだ。
これにはアイゼルも恐怖に慄いた。軍勢は十五万。数で押し切られれば負けは見えている。
故に傭兵団などを雇い戦力を増強していたのだが――そこにふらりと現れたのが、”傭兵”だ。
「ふん……単騎で挑むつもりか、おい」
一応今は自軍の兵である。バムシェルはぼぅ、と戦場を眺める”傭兵”に声をかけた。
自分の騎士団の先頭に立たせるか、それとも傭兵団に混ぜるか。
どうすれば効率がよくなるか、と考えていたが、
「馬が一頭いればいい」
と、風にのってそんな小さな呟きがバムシェルの耳を打った。
正気か、とも疑った。聞き間違えかとも思った。だが目の前に背を見せて立つ”傭兵”はそれ以上何も語らない。
そう、今からつれてこられるであろう馬を、ただ待っている。
「正気か……っ!」
バムシェルが呻く様に話しかける。”傭兵”はただ、無感動な瞳を彼に向けた。そうしてから独り言のように呟く。
「所詮は一人の兵だ。足並みもクソもないだろう? 殺せれば吉、死んだとしても害はなし」
そういってから再び戦場を見据える”傭兵”。バムシェルは狂人を見る目で青年を睨み付けた。
勝手な行動をとるな、といっても取り合わないだろう。彼は単騎で突撃し、そして死地を見る。
とめる理由はない、ただ傭兵が一人死ぬだけ。
バムシェルはそういい聞かして一頭の馬を手配した。それは用意できるだけで最高の駿馬だ。死地に向かう傭兵にくれてやるものではないが、それでも逃げ切れるようにとバムシェルは思ってしまった。
負けがほぼ確定しているアイゼルについた傭兵団は少ない。忌々しいと思っていても多少の感謝の念はあった。ちょっとした情のつもりだった。
”傭兵”は駿馬に跨る。そうして馬の様子を確かめてからバムシェルに一礼し、ただ一人で戦場へと駆けていった。
バムシェル率いる騎士団と傭兵団の突撃はまだ先だ。今は先遣隊が戦っている最中である。
逃げたのか、とも思ったがそうは思えなかった。”傭兵”の目は確かに戦場へと向いていたのだ。
まるで死地を探すハイエナのようだとバムシェルは思った。
――だが実際はハイエナではなく獅子でもなく、それは正しく化け物だった
フォーナリスの軍勢は前へ前へと進んでいた。
先遣隊などという甘い連中を切り裂いて、我先にと前へと向かう。彼らはフォーナリスの騎士団の中でも最も荒々しく、最も疎まれる者達だった。
曰く戦い方に品がない。曰く騎士道を外れた外道。曰く獣のような連中。
それがどうしたと彼らは荒々しく笑う。その品がない戦いで道を切り開き、外道の戦法で敵を切り裂き、獣のように食いちぎってきたのだ。
故に此度の戦争も彼らはある種の誇りを持って戦場へと挑み、敵を斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って―――
そうして未知の恐怖に震えた。
最初に見えたのはヒュルヒュルと魔法のように飛ぶ仲間の頭だった。
次に見えたのは鮮血。
そして最後に見えたのは――
「――ヒッ」
化け物がいた。