studio Odyssey


H.S.G.F Milky's - 01:Self Control - A


「稲葉、稲葉 夏稀」
 誰か私のこと呼んでる。
 いつの間にチャイムが鳴ったのか、午前の授業すべてが終わって、ざわついている教室。
「稲葉 夏稀っ」
 誰かがその教室で私のことを呼んでいた。
 寝ぼけ眼を右手でこすり、誰が呼んでるんだろ──と、辺りを見回す私。
 眠たかった。
 寝ていない訳じゃ、ない。高校二年生になったばかりの私が、睡眠時間を削ってまで勉強しなくちゃいけない理由なんて、ないもの。眠たかったわけは、ホント単純。「春眠暁を覚えず」ってやつ。
 春のぽかぽか陽気。四月にクラス変えがあって、まだその時の出席番号順のままの席順。もちろん私の席は窓側の席で、これで寝るなって言う方が無理ってもんでしょ。
「稲葉 夏稀っ」
 その声は、今度ははっきり聞こえた。いや、今までだってはっきりと聞こえていなかったわけじゃないんだけど──訂正、半分寝てたから、やっぱりはっきりとは聞こえてなかったんだけど──今度の呼び声は、その本人と目が合っちゃってからかけられたものだったから、はっきりと聞こえちゃったってわけ。
「稲葉、ちょっと来い」
 と、私を呼ぶのは四時間目の授業を担当していた『ワリオ』。もちろん、あだ名。本当の名前は…あ。そう言えば知らない。ずんぐりむっくりとした体型と、そのひげがあの『スーパーマリオ』に出てくる『マリオ』に似ていて、だけど性格が──なので、『マリオ』そっくりの悪役キャラ、『ワリオ』ってみんなで呼んでいるんだ。ちなみに、本人はそう呼ばれていることを知らないらしい。
「稲葉」
 と、ワリオが呼ぶ。はいはい…と、ため息混じりに立ち上がる私。
 四時間目──ワリオ化学──ずっと、うとうとしてたからなぁ…きっと怒られるんだろうなぁ──と思いながら、教壇の方へと歩いていく。
 すれ違う友達が小声で、
「ご愁傷様」
 なんて言う。思わず苦笑い。
「なんですか?」
 一応怒られるとわかっていても、作り笑顔で言っちゃう自分が悲しい。
「稲葉。お前、授業時間中、ずっと眠っていたな」
 お前呼ばわりされるいわれはない──こともないか、本当のことだし。
「すみませんでした、今後気をつけます」
「ん。そうだな」
 まずは謝る。何かいいたきゃ、心の中か影で言えばいい。波風たてないですむもの。
 では──
 なにいってんのもう!大体、眠っちゃうのはあんたの授業がつまんないからでしょ!あんた、本当にプロ?プロ意識ってある?ないよねー。だって、公務員だから首とかないもんね。それだから、ダメなんだってわかってる?予備校の先生達の授業を私たちがちゃんと聞くのは、面白いからなんだよ。プロの授業って言うのかなぁ…──って、別に私は予備校なんて行ってないからわかんないけど──まぁそれはともかく、ワリオの授業はつまんない。一方的で、性格がそのまま現れてるって感じ。
 だから寝ちゃう。その方が時間の有意義な利用法だもん。
 ──なんて、言えるわけがない…
「罰として、この分子モデルを職員室まで運ぶのを手伝え」
 命令形。私が断れない立場にいるもんだから。ううぅ…私、今日はお弁当持ってきてないから購買でパンを買わなきゃいけないのに…これじゃあ売り切れちゃうよぉ。
 なんて泣いてもワリオにはきかない。それ以前にワリオの前でなんて泣くもんか。
 とにかくも、仕方なく私は三○センチ四方くらいの段ボール箱に入った分子モデルとやらを、よいしょと手に持ったのであった。
 一方、前を行くワリオ。女の子にこんなもの持たせて、やつは教科書と出席簿、それにチョーク入れしか持ってない。ワーリオぉ…
 大体、この分子モデルってやつ──丸い玉っころに棒が突き刺さってて、三角錐とか作ってるやつ──何の意味があるんだろ。ちゃんと見て、理解してる人なんているのかなぁ。
 そんなことを考えながらワリオの後ろを歩いていると、
「稲葉は、化学が嫌いか」
 なんて、ワリオが聞いてきた。
「…あんまり」
 軽く首を傾げながら、返す。化学ねぇ…テスト前になればそれなりに勉強するし、それでそれなりに点数とれるし、英語よりは好きかな。
「好きか嫌いかくらい、はっきり言った方がいいぞ」
 「はっはっはー」なんて、笑いながら言うワリオ。「じゃ、嫌い」なんて、言えるわけがないでしょ。化学の先生前にして。
 昼休みに入った廊下。生徒達の喜怒哀楽の声が響く。
 その中で、
「稲葉は、あんまり物事をはっきりと言わないタイプだな」
 と、ワリオが言う。
「そうですか?」
「ああ。一年の時も、確か俺が担当していたろ。質問をしても、大体抽象的な答えで逃げていた記憶がある」
「そうでしたか?」
 愛想笑いなんてしちゃいながら言う私。ああ、でも本当のことだなぁ。いつも思ってはいるけど、言わない。ある意味、一番たちの悪いタイプかも…でも、ちゃんと見てんだ。
 私がそんなことをちょっと考えていると、その思考を途切れさせるようなタイミングで、「稲葉、お前は何か自分から打ち込んでいこうと思うものとか、ないのか?そう言えば、部活もやっていなかったな」
 ワリオが言った。
「いえ…はい」
 別のことを考えていたからか、しどろもどろになっちゃう私。何言ってんだか。言ってて自分で首を傾げちゃう。
 結局なんだ?どっちがどっちの答えだったんだ?
 部活はやってない。んで、打ち込んでくもの──
 ある?
「どうだ稲葉」
 私が頭の中でいろいろと考えていると、
「生徒会の役員選挙がもうじきあるんだが、お前やってみないか?」
 そんな突拍子もないことを、ワリオが言った。
「はい?」
 私は尻上がりの返事を返すだけで精一杯だった。








 第一話 『Self Control』

       1

 なんで!?なんで!?どーして!?
 どーしてそうなっちゃうわけ!?ってゆーか、どうしてこんな事になっちゃったわけ!?
 放課後の学校。その廊下。私は少ない脳味噌をフルに使って考えていた。そういえばどうでもいい事なんだけど、ウルトラマンの脳は濃縮脳って言って、十グラムしかなくても知能指数は一万なんだって──って、そうじゃないでしょっ!
 一日の授業すべてを終わらせて帰る生徒達。いいなぁ…って、その昇降口から出ていくみんなを横目でうらやましそうに見ている、私。
 「生徒会の役員選挙がもうじきあるんだが、お前やってみないか?」
 というワリオの言葉が、思い出したくなんてないんだけど、頭の中によみがえってしまう。あーうー…なんでよぉ…
 いつの間にか決定してしまった、私の立候補。
 ああああぁっ!!何で私がこんなことしなくちゃならないわけ!?
 泣きたくなっちゃう…
 言い忘れてたけど、ワリオは生活指導と生徒会の運営補助みたいなこともやっている。前者の面では、大いに女子生徒に嫌われていることは言うまでもなく、後者の方でも、あまりいい話を聞いていない。結局、どっちもダメなんじゃん。
 そんなワリオだ。頼んだって、誰も立候補なんてしてくんないんだろう。そこで、私。ワリオにしてみれば、面倒な生徒会役員選挙を早々に終わらせるのにちょうどいいやつが見つかった──ってトコなのかも。
 んでもんでも!
 なんで!?なんで!?どうして!?──よ。
「はぁーあ…何でこんな事になっちゃったんだろう」
 ため息混じりに南棟一階の廊下、真ん中あたりで立ち止まる私。でもここで立ち止まったの、今日はもうこれで三回目。
 でも、もう戻れない。ワリオはもう私が立候補するという手続きをしちゃって、今更断っても何を言われるか…最悪の場合、次のテストあたりで赤点なんて取ったりしちゃったら──恐ろしい…考えるの、よそう。
 ふぃと顔を上げると、クラス表示なんかがかかっているあの黒い板っきれに、白い文字で『生徒会室』と書かれていたりする。
 つまり──生徒会室の前。「今日は新しく生徒会役員に立候補する事になった奴らの顔合わせがあるから、出席するように」と、ワリオ談。
 なんでよもー。
 今日だよ今日。今日のお昼休みに「生徒会役員をやれーっ」なんて言われて、そんでその放課後には「役員の顔合わせだーっ」だって。なんでよもぉっ!展開早すぎって感じ。それに、私は多忙な女子高生なわけさ。急にそんなこと言われたって、こっちの予定っていうもんが──別になかったんだけど…
 はぁーあ…
 と、再びため息。
 でも出席しないと、明日ワリオに何を言われちゃうか…ああ…やっぱりちゃんと断ればよかったんだ。これで生徒会会長とかやらされちゃったりしてごらんよ。悲劇だわ。薄命のヒロインって感じ。
「何してるの?」
 悲嘆にくれてるの──なんて返事を返すわけもなく、私は突然かけられた声にゆっくりと、ちょっと口をへの字に曲げて、振り返った。
 でも、すぐに曲げた口は元に戻した。
「あ…いえ」
 そこには、見たこともない男の人が一人立っていたんだ。見たこともないって、そりゃウチの学校の男子生徒は優に五、六百人はいるんだから、ほとんどの人は見たことがないわけだけど、その人はその五、六百人はいる生徒ではなくて──私服だった──それでいて、私の見たことがない人だった。
「あ…あの、生徒会の役員に立候補する人は集まれって言われてきたんですけど」
 と、私。一応対先生用の声で言う。
 ところでこの人、先生なのかな?一応スーツ着てるし、ネクタイも締めてる。年はまだ三十になってないって感じだけど…OBかな?
 上目遣いでちらちら見ていると──背が一八○センチくらいありそうなんだ──
「開いてない?」
 男の人は、生徒会室の扉を指さして聞いた。
「はい、閉まってます」
 だから廊下にいるんですけど。──とは心の声。
「おかしいな」
 その男の人は、ぽりぽりと頭を掻きながら言った。しかし…この人誰なんだろう。先生だったら、この年齢とルックスなら、女生徒ネットワークに情報が乗らないはずないんだけど…見たことも聞いたこともないや。
「えーと…」
 ちろちろとその人を見ていた私に向かって、
「稲葉 夏稀くんだよね?」
 なんて、少しだけ首を傾けて、その人は言った。
 な…何で知ってるの!?──と思ったけど、何だ。よく見ると手に名簿持ってる。じゃ、やっぱり先生なんだ。
「はい。えーと…」
 あなたは誰先生?
 という私の視線に気づいたのか、その男の人は軽く笑いながら私の視線に返す。
「あ。黒井先生から話聞いてない?生徒会の仕事をお手伝いするために来た、新しい先生の話」
 新しい先生!?この人が!?──聞いてないなぁ。けどそれ以前に、黒井先生って誰だ?
 そんな顔をしていたんだろう。その新しい先生というのは廊下をくるりと見回してから、背を丸め、私に耳打ちするようにして言った。
「ワリオだよ」
「あっ、ワリオの本名!」
 ぽん!なんて手を打っちゃう私。「あ…」っていう気まずい沈黙の時が流れる。ゆーっくりと顔を上げると、口許をゆるませて笑っているその若い先生がいる。
「…あ…あはは」
 ああっ!何を笑ってるの私!!


 で──
 それからたっぷり十五分もすると、その黒井先生──だからワリオ──もやってきて、生徒会室の鍵も開けられた。
「生徒会の役員と言っても、一年の時から役員をやっている人が補助をしてくれるから、それほど難しい仕事ではない」
 と、ワリオ──こっちのが言いやすい──が言う。
 ちなみに、何故生徒会室が開いていなかったのかという事に関しては、奴が私に「集合時間は四時」と言うことを、一言もいわなかったせいだった。
 むかか──って感じじゃない?さっきあの若い先生にも聞いてみたら、あの先生も知らなかったって言うしさ。
 ったくー…帰っちゃえばよかった。
 ──ともかくも、新生徒会役員の顔合わせ。
 生徒会室というのは、今回初めて入ったんだけど…普通の教室の半分くらいの大きさしかなくて、そこにコピー機やら大きなスチール机やら、冷蔵庫(!?)なんて物が置いてあって、なんとなく学校の首脳というより、そこら辺の部活って感じの空気が流れている場所だった。
 もっとお堅い──って感じのイメージがあったんだけど、案外とテキトーにできそーなもんなのかもしれないなぁ。
 なんてちらっと思ったりしたけれど、でもやっぱヤな物はヤダ。
 実は私、さっきからずっと考えていることがあった。
 それは、さっき生徒会室前であったあの先生──えーと…名前なんて言ったっけ?あ…聞いてないや。──いいか先生で。
 んで、私の考えていたことって言うのは、「あの先生を通して、ワリオに立候補の取り消しを頼もう」という素晴らしい作戦だった。
 直接ワリオ言ったら、何言われるかわかったもんじゃないけど、あの若い方の先生ならなんとかなりそうな気がする。だって、こっち先生の方がワリオより話がわかりそうだし。
 なんて考えながらちらっと先生に視線を走らせると、先生は名簿を見ながら私たちの顔をチェックしていた。
 つまりみんなの顔を次々と見ていく訳で、それっていつかはやっぱし──あ、目あっちゃった。──ってなるわけ。
 む…でも何で先生、私のこと見て笑うんだ。失礼だな。
「夏稀くん?」
 と、私の脇にやってきて、
「何ですか?」
 返す私に手の中の名簿を見せて言う。
「新規約員立候補者の中で、君が一番偏差値が低い」
 むか…っ。なにもそんなこと笑いながら言わなくたっていいじゃないかっ。
「あはは…そうですか?私、勉強苦手なんで」
 むかか…っとしながらも、笑って返しちゃう私。なんだかなぁ…
 ふーんだ。どうせ私は頭悪いですよ。偏差値低いもん。英語は三の下にあかーい線が引いてあるし。でもでも、そんな私を生徒会の役員にしよーって事自体が間違ってるんじゃないの?
 そうだよ、そう。だから立候補辞退っ。
 ちゃーんすっ。
「あの…っ」
 って、切りだそうとした私の肩をぽーんと叩いて、
「同類同類」
 なんて先生は楽しそう。
 はぁ?
「やっぱ、庶民のことは庶民じゃなきゃわかんないわな」
「そ…そうですよねぇ」
 って首を傾げ──何言ってるの私っ。断るんだってばぁっ。
「引き継ぎの人がいてくれるから、今回新しく役員に入るのはこの三人だ。三人立って」
 と、ワリオの声。しまった、チャンスを逃したっ。
 うー…後でちゃんと言おう。
 なんて心にかたーく決めている私を含め、その新しく役員にされちゃう人って言うのが、渋々立ち上がる。
 渋々?
 それは訂正しなくちゃならない…渋々立ち上がったのは、私一人。他の二人は、意気揚々と立ち上がったのであった。
 世の中には物好きがいるモンだ──と、その二人の男子に視線を走らせる。言い方がよければ、ロン毛──あんまし似合ってない──の子と、スポーツ刈りだけれど、スポーツマンからは一歩はずれちゃったって感じの子の二人。
 へぇ、この二人、生徒会なんてもんを進んでやりたいと思ってんだぁ…なんて考えながら見ていたら、二人の校章の色が、私の目に飛び込んできた。
 目に止まった校章の色。
 一年生っ!?
 がぁああぁんっ!それって最悪っ。
「まぁ、事務的なことは入っていきなりは出来ないから、書記や会計は引き継ぎの人にやってもらう」
 ワリオが言う。あーうー!
「だから、三人には会長、副会長、それから来年のために、会計をやってもらいたいと思うんだが…」
 冗談じゃないっ!だって、だって!
 つまりつまりつまり!来年のためにっていう時点で、私が会計になることはなくなった。来年三年生の私は、受験やらなんやらがあるから、生徒会なんてやってられないからだ。
 ま、会計はやりたくないので全然オッケー。計算嫌いだし。
 でもでもでも!
 するってーと、残りは会長と副会長なわけでしょ。一年生二人で、二年生私一人って言ったら──
「で、会長は二年生の稲葉にやってもらおうと思うんだが…」
 って、ワリオ。やっぱし!?年功序列!?恐れていた最悪の事態!?
「いいな、稲葉」
「え…っ」
 ダメだっ、稲葉 夏稀。断るんだっ。最後のチャンスだぞ!
 大体会長になんてなったら、生徒総会のたびに体育館のステージに上って、うるさい私たち女子生徒連中に「しずかにしてください」なんて言わなくちゃならないわけで、んなことやってればやっぱし友達とかから「よっ、夏稀生徒会長♪」なんて野次られちゃったり、辱められちゃったり──あああっ!
「いいな、稲葉」
 ワリオがせかすように言う。断るんだっ。だって、ほら、元々断ろうとしてたんだしっ。
 んでも結局、
「はぁ…」
 なんて、私は答えてしまっていた。
 あぁぁああぁっ!何を答えてるの私っ!!


「ちょっと待ってください」
 てっ…天の助けっ!
 その人の言葉に、生徒会室にいた全員の視線が彼に集まった。
 彼──私と同じ、新規役員の一年生。スポーツ刈りの方の子。
 彼はちょっと息を荒げて、言った。
「確かに我々はまだ一年ですから、この学校のことをよくは知りません。ですが、それだからこそ、この学校の良い部分、悪い部分がよく見えてくると思うんです。我々二人は、この学校をより良いものにしたい。そう思って、役員になるんです。それなのに、会計と副会長では、この学校を変えていくことは出来ませんよ」
 おおっ!なんか凄いぞ。やっぱり私なんかより、こういう人が生徒会を動かして行くべきだ。そうだ。その通りだ。うん。
「あの…」
 って、私が何かを言おうとしたのを遮るように、そのスポーツ刈りの子は続けた。私たちに喋る隙を与えさせないぞ、とばかりに。
「今の生徒達には、学校を良くしようという気力が見えない。それでは学校が良くならない。良くしようとしても、時間がかかってしまうでしょう。だからこそ、我々が一年の時からしっかりとセン──いや、地盤を固めていこうと思っているのです」
 セン──?
 何を言いかけてやめたんだろ。まぁいいや。私が会長やらなくてすむんならなんでも。
「しかし…来年のことも考えておくと、会計をどちらかの一年生にやってもらわんと」
 スポーツ刈りの子の気力に負けたワリオが、気後れ気味に言う。
「でしたら、私が会計をやります。それで彼に会長をやってもらえばいい」
 と、スポーツ刈りの子。ロン毛の子を指さして言う。ロン毛の子は一言も喋らなかったけれど、とても自信ありげに笑っていた表情が、やけに私の印象に深く残った。
「そこまで言うのなら…」
 ワリオが唸るように言う。おおっ!危機脱出!!私、副会長になれる。聞いたところによると、一番楽な役職というものに!
「じゃ、稲葉──」
 ワリオが私に意見を求めようと、私のことを見た。はいいぃぃ!いいですぅっ!
 って、答えを用意して待っていたのに、
「夏稀くんは、それでいいの?」
 と言う質問は、ワリオの口から発せられることはなかった。
「え…?」
 みんなの視線が、一斉に集まる。難しそうな顔をして、シャーペンで頭を掻いていた先生に。私の背後、窓の縁に寄りかかっていた先生に。
「いいの?それで?」
 振り返る私。──ダメなの?
 そんて今度は、答えにつまっていた私に視線が集まった。
 私は、そのみんなの視線を受けて、
「あ…──いえ…はい…」
 自分でも何を言っているのかよくわからなかったけれど、取りあえず、呟くようにだけれど、言っていた。
「…はい。いいです」
 と。









       2

 なんだかよくわかんないって感じ。
 あの後、ぽんぽんとワリオが言っていたいろんな「決めなきゃならないこと」が決まっていって、しかもそれを仕切っていたのはあの一年の会計候補の子で、私なんて、椅子に座って何も喋らないでいた。
 だからつまり──
 なんか──よくわかんないって感じ。
 やっぱり私なんて必要ないんじゃないの?役に立たない副会長──いるだけってヤツ?まぁ大体、生徒会なんて物自体が飾りだってことはわかってるんだけど…あんまり必要ないけどある──なんか、盲腸みたいなものってトコかな。
 変なたとえ。ま、偏差値低いから。
「日が沈む…」
 ぽつりと、私は小さく呟いた。やっと帰れる。今いるところは、学校の昇降口。
 ふぅ、とため息。
 なんか、新会長と新会計はまだワリオと旧役員達の間で決めなきゃならないことがあるとかで、まだ生徒会室に残ってる。私は、「門限があるので」って生徒会室を出てきたんだけど──だって、盲腸なんだもん。いてもいなくても関係ないって感じ。
 帰ろう──と、この春に買い換えたローファーを履く。
 ふいに、
「稲葉 夏稀さんですね?」
 と声をかけられ、私は上半身をかがめたままの姿勢で、頭だけで振り向いた。


「稲葉 夏稀さん?」
「はぁ…」
 曖昧に答える私。
 誰だろ…見たこともない女の子。んでも、今日はフルネームで名前を呼ばれることが多いなぁ…
「稲葉 夏稀さんですよね?」
 その女の子は同じ質問を繰り返す。
 ちょっと変わった髪型。しかも夕日のせいか、その髪がやけに赤い。でもぱっと見てまず目を引くのはそんなトコじゃない。
 抜群にいいプロポーション!同じ制服を着てるっていうのに、この差はなんなんだっ!?
 ううぅぅ…んでも背は勝った。でも、嬉しくない。
「そうですけど?」
 かがめた上半身を戻し、半身になって返す私。その女の子は私の返事ににっこりと微笑んで、「なんで!?」って事を聞いてきた。
「稲葉 夏稀さん、今度生徒会の役員選挙に立候補するんですよね?」
「へえっ!?」
 思わずすっとんきょうな声を上げてしまう。何で知ってるの!?
「え…なん…え?」
 訳の分からないことを呟く私に、その子はにこにこと微笑みながら、
「いろいろともめたようですけど、結局副会長ということになったんですよね?」
 ど…どうして知ってるんだろう、この子。生徒会の関係の人──ううん、違う。こんな子いなかった。
「あの…どうして?」
「稲葉さん、自分から進んで立候補したんですか?」
 私の言葉がちっちゃかったからっていうのもあったんだけど、その子の声は、私の声を丁度かき消すようにして発せられた。
「凄いですよね。みんなやりたがらないのに」
 なんて言って、軽く笑う。
 いや…別に──すごいって…
「いや…別に、成り行きというか、断りきれなかったというか…」
 頭を掻きながら、愛想笑いなんかで言う私。なんだかなぁ…もう。
「結局、そうなっちゃった──って感じなんだけど…」
 その私の答えに、女の子は一瞬だけ笑ったような気がした。ちょっとむっとしたけど、見間違いかもと思えるほどの瞬間だったので、そう思うことにした。でもこの子、一体誰なんだろ。何で知ってるのかなぁ。
 思い切って、
「えっと…私のこと、よく知ってるみたいだけど…」
 私は彼女に向かって、聞いてみた。
 彼女はにっこりと微笑んで──ちょっと小首を傾げちゃったりしながら──言う。
「はい。よく知ってます。稲葉 夏稀さん。この学校の二年生。誕生日は七月十四日ですから、蟹座ですね。つまりまだ十六歳。身長は一六一センチで、体重は──」
「ストップストップ!」
「なんですか?」
「誰かに聞かれたらイヤ」
 って言うか、何処まで知ってるのかも気になるけど…今までのが全部あってるから怖い。
「誰も聞いてませんよ」
 と、その女の子は笑う。
「壁に耳あり、障子に目あり、小説の前に読者あり」
「はぁ?」
「とにかく、あなたが私のことをよっく知っている事はわかりました」
 なんでってトコまで、しっかりと。
「でも、ごめんなさい。私あなたのこと全然思い出せなくて──」
「初対面ですから」
 ──だと思った。いくら私が偏差値低くたって、これだけインパクトのある子なら覚えてる。しかし、じゃあ何でこの子こんなに私のこと知ってるの!?
 まさかストーカーっ!?しかも同姓っ!?嬉しくないっ──って言うか、異性でも別に嬉しくはないけど。
「えーと…それで、今日はいったい何の用ですか?」
 一応平静を装って、聞く。けど、あんまり関わり合いにはなりたくないから、足元では履いたローファーのつま先を床で蹴って、いつでも帰れる準備。
「はい」
 その子は笑って、言う。
「今日は、忠告に来ました」
「忠告?」
 ──ストーカーの忠告?怖すぎる…
 逃げの体制に入りつつあった私に向かって、その子はにこにこと笑いながら、凄いことを言った。
「生徒会のことですけど、何のビジョンも持っていないのでしたら、夏稀さんはあまり出しゃばらないでください」
 はぃいー?──何それ?
 出しゃばる?私が?何に?どうして?
 私、そんなに自己顕示欲強くないもん。
 そう思って私が口を曲げていると、
「夏稀さんは、何も見えていないのでしたら、今日のようにしていてくださっていれば結構です」
「は…?」
「会長、ならなくて正解だと言うことです」
 ああ、なるほどそう言うことか。と、私は納得して小さく頷いた。
 まぁなに。どうせやりたくなかったし、それはそれで丁度よかったんだけど、
「別に、出しゃばるとか…そう言うつもりじゃ…」
 なんて、言葉を濁していつの間にか言っている私。
「一つだけ、約束してください」
「はい?」
 首を傾げながら彼女を見ると、彼女はきりりと顔を引き締まらせて、私に諭すようにして言ったのであった。
「あの男が推薦した夏稀さんの登場は、私たちにとって計算外でした。ですから、私たちがこれからやろうとすることを理解していただき、夏稀さんには止めないでいてもらいたいんです」
 は…?
 なにが?何をするって?私たち?それにあの男が推薦したって?
 なんだかよくわからなかった。
 けど、
「いいですね?」
 答えを強要するようにそう言われて直視されてしまった私は、彼女に向かって、答えずにはいられなかった。
「…はい」
 と。
 満足そうに彼女は笑い、
「それから、あの若い先生ですけど──」
 続ける。
「そもそも先生という物は、人生の師と見せかけて、生徒を騙すために生きているようなものです。信じてはいけません。言うまでもなく、あの若い先生の言うことも、すべて間違っています」
「…はぁ」
 若い先生って、あの先生のことでしょ?──そうなの?あの先生も、私のこと騙してるの?
 でも、そんな風に彼女に言われて、生徒会室で先生に言われた言葉を思い出してみた。
 「夏稀くんは、それでいいの?」
 「は」「で」って、それじゃまるでダメみたいに聞こえる。だから私は答えにつまったんだ。それに、もしあれが先生じゃなくて、誰か別の人に言われた言葉だったとしたら?
 うん。きっと間違いなく、躊躇せずに「はい」って言えていたはずなのに。
 答えにつまったあの一瞬──
「わかりましたか?」
 あの女の子が、微笑みながら言う。私は、顔を上げることもしなかった。
 そうなのかも…
 先生は、本当は私に会長をさせようとしていたのかも知れない。どうしてなのかはわからないけど…違う!どうしてって、あの先生が私のこと推薦して──あの男が推薦したって彼女も──だから私のことを会長に…自分のために。
 じゃ、私、もうちょっとで先生にはめられちゃう所だったのかも知れない!
 そうか。そうなんだ。あの先生、私のこと騙して──私がやりたくないのわかってて、会長にさせようと──!!
 私は、大きく頷いて、答えていた。
「うん。わかった」
 けど、私が顔を上げた時には、もう彼女の姿は消えていた。


 正門から学校を出ようとしていた私の背中に向かって、
「夏稀くん!稲葉 夏稀くん」
 その声はかけられた。
 けど、私は振り返らない。声の主がわかっていたから。
「ちょ…待ってって。何も無視しなくても」
 と、私の脇に駆け寄ってくるスーツ姿の男。言うまでもなく、あの先生。
「帰るんだろ。電車?僕も電車なんだ。駅まで一緒に──ちょっと待ってって」
 足を早めて歩き始める私に、先生は苦笑いでついてくる。
「なに?どうしたの?何か怒ってない?」
 目を伏せて、私は早足をゆるめない。しかし、そう思ってるのならついてこなけりゃいいのに。
 だけど、やっぱり先生の方が背が高いのでコンパスがあるわけで、五、六歩の内にワンステップを入れてくるだけで、私の早足に追いついてきてしまうところがくやしい。
「何を怒ってるの」
 と、苦笑いの先生。
「…別に。なにも」
 投げやりに答える私。だから、話したくないんだって。
「あー…と…生徒会のことなんだけど、ちょっといいかな?」
 と、先生。
「駅に着くまでには終わるし」
 駅に着くまで──って、学校から駅までは、どんなに急いでも十分はかかる。つまりこの十分間、私はこの先生と喋らなくちゃならない状況になってしまったらしい。
 ああぁ…なんてこと。この人の言う事なんて、もうわかってるのに。
「えーと、まぁ…会長と会計候補の一年生の話なんだけど──」
 ほら。先生と私の共通の話題って言ったら、そんな事しかないもの。それでその後にはこう続くんだ。
「僕にはあの子が会長に適任だとは、思えないんだ。考え直してくれないかな。今ならまだ黒井先生に言えば──」
 やっぱりそう。でも、私は会長なんてやりたくないんだってば!
「あの二人でいいじゃないですか。、やる気あるし。私なんかより適任だと思います」
 そっぽを向いたまま、言う私。
 そうよ。大体、やる気のない私がが生徒会長なんてやったって、意味ないじゃない。他にやる気のある人がいなくて──ならしょうがないのかも知れないけど、ある人がいるんだから、ある人にやってもらえばいいじゃない。
 うん。そうよ。
「やりたい人に、やらせておけばいいじゃないですか」
 私は言った。
 結局の所、私の行き着いた答えを。


「そうなのかな?」
 不意に立ち止まり、眉を寄せて、思案顔に呟く先生。
「…え?」
 半身になって──勢いのせいで二、三歩先行してしまったけれど──何でか、同じように立ち止まって聞き返している私。
 ほんの一瞬の沈黙の後、先生は私の目をまっすぐに見て、言った。
「夏稀くんは、それでいいの?」
 私は、また答えにつまってしまっていた。
「いいの?それで?」
 先生は再び聞き返す。
 私は──つまった答えを吐き出すのよりも先に、先生に向かって言葉を投げつけていた。
「どうしてそう言うことを言うんですか!?それじゃまるで、私が悪いことをしているみたいじゃないですか!先生は、そこまでして私に会長をやらせたいんですか!?」
「そ…そう言う訳じゃ…ただ…」
「ただ、何なんですか!どうせ先生は、私が会長になれば自分の仕事が楽だろうとでも思ってるんでしょ!私なら別段何もしないから。だから私を会長にさせようとして──そういう風に言うんでしょ!?」
 私にしちゃ、凄いと思った。次から次へと言葉が口から出てきた。堰を切った──のとはちょっと違うかも知れない。私、考えるよりも先に、言っていた。
「失礼します!」
 はっきりと言って、きびすを返す私。その勢いに、何も言えなくなった先生を残して。
 さっき先生を振り切ろうとしたときなんかよりも、何倍も速いスピードの早足で歩き始める私。よくわからないけど、なんか、ぎゅっと唇をかみしめていた私。
 どうしてだろ…言いたいこと、言えたはずなのに…
 どうしてだろ…一生懸命歩いているのに、おなかの辺りに黒い大きな重りみたいなものが生まれて、私の足を鈍らせてる。
 ちゃんと、自分の考えたとおりのこと、言えたはずなのに。
 私は唇をかみしめて、その重たいものに足をゆるめられないよう、賢明になって前に向かって進んでいたのだった。
 立ちつくしていた先生は、私の背中に向かって、小さく呟いた。もちろんその言葉は、私の耳になんて、届きはしなかったのだけれど。
「ただ──僕は君が誰かに強要された答えじゃなくて、望まれた答えじゃなくて、君自身が、君自身で出した、その答えが聞きたかっただけなんだ」
 ため息を吐き出して、先生は最後に言う。
「あの二人、今は黒井先生と新しい校則についての話をしている。きっとその校則は明日の職員会議を通って、午後の生徒総会で、生徒の意見を無視して施行されることになるだろう」
 このときの私が、まさかそんなこと、知るよしもなかった。
「夏稀くん、もしそうなったとしても──それが、誰の目から見ても間違っているとしても、君はそれでいいのか?」


「丁度よかった。夏稀、お電話」
 家に帰り着いた私を出迎えたお母さんの第一声は、それだった。
「誰?」
 力無く聞く私。よくわからないけど、なんとなく今日は疲れ切っていた。友達だったら、「ごめん。ちょっと今手が放せないんだ」とか言って、切ろうと思っていた。
 お母さんはコードレスホンを玄関の私に手渡しながら、言う。
「先生。ほら、お兄ちゃんの担任してた、黒井っていう先生」
 ワリオ?
「わかった」
 なんだろうと思いながら、玄関に座り込んで保留ボタンを押す私。けど、ワリオが家に電話?いくら生徒会の役員をやらされることになったからって、あのワリオが電話してくるなんて。
「もしもし?」
 と、私が小さく言うと、
「おお。稲葉か、すまんな急に電話して」
 いつものあのワリオの声が、受話器から聞こえてきた。
「いえ…あの、どうかしたんですか?」
 どうかしなきゃ電話なんてかけてこないんだろうけど、早く電話を切りたかった私は、ワリオにさっさと用件を言わせようとしていたのであった。
 ワリオは言う。
「いや、今あの一年の会長候補達と話をしていて、新しい校則の話になったんだがな。これがなかなかいい校則なんだ。明日の生徒総会、つまり役員選挙の演説会の席で、この校則の施行を発表しようと思うんだ。そこでだな、今生徒会の連中の是非を取っている所なんだが、後は稲葉、お前だけなんだ」
「はぁ…」
 それで電話…そんなの、私の確認なんて取らなくてもいいのに…あ、でも私一応副会長になるのか。やっぱりそういうのは確認取らないとダメなのかな、副会長の。
「はぁ…あの…皆さん、賛成してらっしゃるんですか?」
「ああ、ここでお前も賛成してくれるのなら、満場一致で可決ということになる。新生徒会の議決の切り出しとしては、最高のものになるな」
 はぁ…そうですか。じゃあ──
「私は、まだ生徒会のこととかよくわからないですから、皆さんが賛成するって言うんなら、私も賛成します」
「おおおっ!そうか。話が分かるな稲葉」
 別に、そんなことでワリオに誉められても嬉しくないや。
「じゃ、明日の総会の時にこの校則の発表をするからな。生徒会は、満場一致で可決と言うことで、よろしく頼むぞ」
「はい、わかりまし──」
 って言う私の台詞が終わるのよりも早く、ワリオの電話は切られていた。
 なんか、よくわかんないけどため息。
 不意に、先生の顔が頭をよぎった。
 手の中の受話器。断続的に鳴る電子音が、なんか、私のおなかの辺りにあったあの黒い重たいヤツを、ちくちくと刺していたような気がした。