studio Odyssey



イヴの来客


「懺悔を聞きに参りました」
 と、銀の十字架を首からかけた少女は、私たちに向かって言った。
「は?」


 1998年が、もうじき終わる。
 12月。
 それも24日。クリスマスイヴの夜だった。
「懺悔を聞きに参りました」
 と、銀の十字架を首からかけた少女が、ベランダの向こうの夜空に、姿を現したのは。
「あ…あなた…誰?」


 クリスマスイヴの夜を一人で過ごすのは、はっきり言って、寂しい。
 とは言っても、一人暮らしの大学生だもの。一人で何か悪いか!
 って、街がクリスマスの色を濃くするのを見ながら、思っていたんだった。
 だけれど──
「今年のイヴはパーティだ!」
 なんて、奴らは言っていた。
「はぁ?」
 眉を寄せる私を無視して、大学が休みに入る直前に、私たちのグループの一人暮らし連中たちは、その話題で盛り上がっていたんだった。
「どーせ、みんなイヴは予定ないんでしょ?だったら、集まってパーティしよう!!」
「賛成、あたし乗った!」
「寂しい女、二名様ご案内〜」
「うるせぇ、寂しい男」
「うるせぇ、予定なし女」
「あるもん」
「何だよ」
「みんなでパーティ」
「…あ?」
「それは、ここで言う予定には入らないな」
「じゃ、『眠れる森』の最終回を見る──っていうのは予定にはいると思う?」
「それは一応予定」
「どうせ見るんならみんなで見ようよ〜」
 私は、そんな話が勝手に盛り上がっているのを見つめながら、ふと、聞いてみた。
「パーティって、誰んちでやるの?」
 すぐさま、答えが返ってくる。
「一番大きい部屋の人んち」
 その瞬間に、私のイヴの予定は決まったんだった。
「私の部屋じゃん」
「そうだよ」


 広いと言っても、間取り上は2K、という私の部屋。
 その南向きの窓の向こう、小さなバルコニーの向こうに広がる夜空に、彼女は浮いていたんだった。
「懺悔を聞きに参りました」
 と、首からかけた銀の十字架を揺らしながら、私たちに向かって微笑みかけて。
「ここ…何階だっけ?」
「…三階」
「サンタクロースって、懺悔聞いてくれるんだっけ?」
「お前、ビール飲み過ぎ」


 1998年12月24日、クリスマスイヴ。
 その夜に突然現れた、銀の十字架を首からかけたその少女に対し、私たちがとった行動というのは──
「ま、とりあえずあがってもらおう」
「窓、開けっぱだと寒いし」
「一名様ご案内〜」
 と、その少女もパーティに参加させる──という行動だった。
 少女は口許に笑みを浮かべながら、私の部屋の中へと入ってきた。ふわふわと宙に浮いたままで。
「お邪魔します」
 と。


「窓が開いていたので、覗いてみたんですよ。そうしたら、みなさんがこうして集まっていたので、ああ、じゃあ、私もここでお仕事をしよう──と」
 少女は微笑みながら言う。
 私は首を軽く傾げていたけれど、もう充分に酔っていた男連中二人は──いや、酔っていなくても彼らは十分にノリのいい奴らだから関係ないのかも知れないけれど──ビール片手に、彼女に向かって聞いていたんだった。
「懺悔聞いて回るのが仕事なの?あまさん?」
「サザエ取ったり?」
「字が違う。海女、尼」
「あわび?」
「それ、シモ入ってる?」
「え?なんでさ!?」
「…さいあく」
 男二人のやりとりを、少女は訳が分からない様子で見つめている。
「えぇと」
 それを見て、大学に入ってから友達になった、ちょっと控えめな感のある女の子が、話を逸らすようにして言った。
「懺悔聞いて回るのがお仕事って事は、私たちにも懺悔を聞きに来たの?」
「はい」
 と、女の子はこくり。
「お聞きいたします。今日は、クリスマスイヴですから。今日、一年の懺悔をし、明日、新しい自分に生まれ変わっていただこうと、そう言うわけです」
「キリスト同様?」
「はい。まぁ、そう言うことです」
 言う少女を半ば無視するようにして
「じゃ、明日の朝食はパンとワインだ」
「なんだそれ」
「知らないのか、クリスマスの朝は──」
 男連中は勝手に話す。
 ので、私たちも勝手に話す。
「あなたは、神様?」
「いえ、違います」
「じゃ、天使?」
「んー…それともまた違うんですけど…私はあくまで、聞くだけの者でして」
「懺悔を?」
「はい。それで、それが十分に深い悩みで、私や、天使さん達に手におえないようなものでしたら、神様に伝えると──そんな感じのお仕事してます」
「…はぁ」
「さて、ではどうぞ」
 と、少女は私が出したクッションの上に座り直した。
「は?」
「なにが?」
 私たちは目を丸くする。
「いえ…だから懺悔ですけど…」
 少女は眉を寄せて、小さな声で言った。


「なんかある?」
 私が聞くと、
「…夕方──」
 ビール片手に、奴らはシリアス顔に言った。
「はい!」
「丸いケーキと、初めから切れてるケーキ。どっちを買うかでもめた」
「…はぁ…」
「んなこといったら、シャンパンとワイン。どっちを買うかでももめた」
「…はぁ…」
「困ってるじゃないの!」
「眠れる森の最終回が待ちきれずに、シナリオを読んでしまった私をお許しください…野沢尚さん。あーんど、神様」
「しかも、それを友達の私に喋りたくてしょうがなくて、会う度に自分で勝手に葛藤してた彼女を罰してあげてください」
「…はぁ…」
「ごめんなさい…みんな、大した懺悔ないみたい」
 私は眉を寄せながら言った。
「まぁ、飲みねぇ、嬢ちゃん」
「そうそ。しらふじゃ話せん話題もあるじゃろう」
 と、男連中はどう見ても未成年である少女の手に紙コップを握らせ、そこにどぼどぼとビールをついでいったのであった。
「え…いえ…あの…私はいちおう禁欲の──」
「なにぃ!!オレらの酒が飲めねぇってのか!!」
「このアマっ!」
 腕まくりで絡む男二人。
「今のギャグかな?」
「んー…きっとそうだろうけど、無視することにしよう」
 と、ワインを口に運ぶ友達の女の子二人。
 眉を寄せる私。その行動を懺悔しろって──
「とにかく飲みねぇ!」
「…はっ…はいっ」
 少女は強く言われて目を丸くしながらも、手にしたビールを口許へと運んだ。
 じぃっと、五人の視線が集まる。
 少女はきゅっと目をつぶると、それを、ぐいと一気に飲み干した。
「おお〜っ」
 感嘆の声があがる。
「嬢ちゃん、いける口だねぇ」
「…けふ」
「さささ。ど〜ぞど〜ぞ」
 早くも二杯目がつがれていく。


「その感じだと、お仕事うまくいってないだろ」
「ダメだって、そんなんじゃ」
 男連中はそう言って笑った。
「もぅ!変な飲ませかたさせるんじゃないわよ」
 私は言う。
「大丈夫?」
「う〜ん…ダメです…」
 ベッドの上には、あの少女が横になっていた。
「頭がくらくらします…」
「でも、駆けつけ三杯は基本だから」
「…そうなんですか?」
「変な飲ませ方を教えない!」
「ビールにバファリン入れるんだよこいつ。この前見たもん」
「鬼ですな、あんた」
「んなことせん!」
「…なんでビールにバファリン入れるとどうなるかわかってる答え、返して来るんだよ」
「──おやぁ?」
「ごめんね、あんな奴らばっかりで」
「いえ…すみません…こちらこそ、ご迷惑をおかけして…」
 少女は横になったまま、うめくようにして言っていた。


「私、毎年ダメなんです…」
「なにが?」
「懺悔です。懺悔聞いて回るのです。毎年やってるんです。これでいい成績おさめないと、天使になれないんで…でも、私毎年やってるんですけど…毎年、うまくできなくて…」
「へぇ。天使になるのにも、実習なんかあるんだ」
 と、男連中も彼女の話には興味を持ったよう。新しいビールの缶を開けながら、言う。
「実習は大変だよなぁ…俺も博物館実習、成績危なかったもの」
「教育実習とか、絶対やばいと思うもんなぁ」
「そうね。女子高生に手ェ出すんじゃないかってね」
「お前、殴られたいか?」
「女殴る奴は男なんかじゃない!ばーい、すみれさん」
「黙ればか」
「こりゃ失敬」
「で?」
「えと…何でしたっけ?」
 突然に振られながらも、少女は微かに笑って返していた。笑えてるってことは、少しは楽になったんだろうか…ま、この連中の話を聞いていて気が紛れるんなら、それはいいことだと思うけど。
「毎年うまくいかなくて?」
「…はい。毎年うまくいかなくて…」
 少女は小さな声のままで続けた。
「今年も、怒られちゃったんですよ。このままじゃ、また今年も天使になれないぞって。でも、一生懸命やってるんですよ。なのに…うまくいかないんです。もぅ、神様に申し訳なくて…」
「まず第一に言えること」
 ビール片手に奴は言う。
「人選が悪い」
「お前、すっげぇヤな奴になったぞ今」
「…そうなんですか?」
「その性格もちょっと問題かもしんないよ?」
「もうちょっと、積極的でもいいかも知れないけどね」
「…そうでしょうか?」
「積極すぎるのも困りもんだけどな。こいつ、積極的すぎて、今年だけで五人の男に振られたんだから」
「黙れバカ。彼女いない歴+1年が」
「てめぇ…」
「なんだよー」
「つまり、こういう奴らは選んじゃダメって事」
「そっそ」
「コラ──」
「──そこの二人」
「何も言ってません」
「きっと空耳です」
 四人のやりとりに、くすりと少女は笑った。
 そして、そっと目を閉じて、言った。
「私、ダメなんですかねぇ…やっぱり」


「ひとつだけ言えることは──」
 奴は缶の中に残っていたのであろう、最後のビールをぐいいっとあおってから、言った。
「君同様、悩みのない奴はいないってこと」
「そっそ。まぁ、飲みねぇ大将」
 どんと出される酒は、いつの間に買ったのか、日本酒──それも一升瓶。
「おおっ、すまないねぇ。んじゃ、とうとう、あけますか?」
「あけられますか?」
「しらふじゃ話せんかね?」
 ひょいと肩をすくめて、彼女は言う。
「でも、悩みなんてそんなモンでしょ。ねぇ?」
「うん。でも、どうしても心にわだかまりとしてたまってしまって、どうしようもなくなっちゃったとき、吐き出せればいいのよ。その時、近くに、聞いてくれる人──あなたがいてくれればいいんじゃないの?」
「…そうなんですか?」
「うん。そういうものじゃない?」
 私は、言った。
「そういうものだと思うよ」


「よーしっ!」
 奴はつがれた日本酒を手に立ち上がると、言った。
「懺悔しよう。君のために!」
「おお〜っ!」
「…酔ってる?」
「何でもいいよ。面白そうだから」
「…いい…かな?」
「神様、懺悔します。実は、俺の部屋の隣に可愛い女の子が住んでるんですけど、ある夜、さて寝ようと布団に入って目を閉じたところ、彼女の部屋から彼女の──」
「たーいむっ!!」
 私は止めた。
「んだよー」
 奴は不機嫌そうに言う。けれど、実は口許が弛んでたりする。私は奴の確信犯的な笑みに、ため息混じりに言った。
「彼女の情緒教育上よくない発言の様相を呈してきたので、却下します」
「懺悔だよ」
「お前は、自分自身が生きてることを神に懺悔しろ」
「あんだとー!?」
「はい、次っ!」
 と、私は話を逸らさせる。なんか、私、いつの間にか司会進行になってる。
「俺はねぇ…ああ、あるある」
「なになに?」
「お前、なに目を爛々と輝かせてんだよ…」
「面白そうじゃんか」
「俺はね、まず、バイト先の女の子に手ェ出してそのバイトやめさせられたでしょ。それから、別のバイト無断欠勤連発して首にさせられたでしょ。それから、極めつけは家庭教師のバイトで──」
「たーいむッ!!」
「んだよー」
「そろいもそろってあんたらは…」
「面白そうな話だったのに…」
「『先生っ』──ですか!?」
「いや、あのね──」
「はい、次っ!」
「えー、私ぃ?んー…五月につきあってた彼氏に、『ゴールデンウィークどっかつれてって』ってねだったんだけど、『家族サービスしなきゃダメ』ってんで『じゃあ変わりに何かプレゼントちょうだい』って──」
「──コラ。なんじゃその『家族〜』ってくだりは」
「細かいことは気にしない。でも、そのもらったプレゼント、質屋に入れました。ごめんなさい」
「ってゆうか、お前はその『細かいこと』の部分を懺悔しろ」
「──私はあんた達みたいな友達を持って嬉しいよ…」
 思わずため息を吐き出す私。ほんと、シアワセだわ。彼女も笑ってるわよ…
「あ、まだあるよ」
「なに?」
「26日提出のレポートが出来てないの。こんな不計画な私を懺悔します」
「あれ必修単位だろ。どうすんだよ」
「大丈夫だよ。教授と仲いいもん」
「──補講ですか?」
「違うよ。お泊まり保育」
「お前、自分の脳の中身、まとめで懺悔しろ!」
「なんだよー」
「はい次っ!」
「私はー…そうだなぁ…今年の初詣の時に引いた大凶のおみくじ──」
「あっ!あの大凶。懐かしい」
「で?その大凶のおみくじが?」
「うん。そのおみくじに、『慎みを忘れています。注意しましょう』って書いてあったんだけど、今の今まで、そんなことが書いてあったことすら、忘れてました。神様違うから、懺悔してもこれはダメ?」
「いいんじゃないの。こいつらに比べりゃ、全然いい懺悔だ」
「こぅら!」
「お前に言われたくないぞー!『先生っ(ぴー)』!!」
「五月蠅い、黙れ、喋るな、却下だ!」
「慎みを忘れてますって?何か心あたりとか、あったの?」
「ん?別に。ただ、ゴミ捨ての日忘れたり、PHSの通話料払い忘れたり、友達との約束完全に忘れてて、別の友達と遊んでたり──」
「…だんだん、でかくなってる」
「あんた達の影響が出てるのよ。彼女にも」
「お前のだろ」
「あ!?」
「極めつけは夏休み最後の週、朝起きたらベッドに知らない人がいた」
「おいいぃ!」
「懺悔懺悔っ!」
「それはジョークだよー」
「ほんと…いい友達持ったわ…私」


 少女は、私たちの話にくすくすと笑っていた。
 その少女を見つめながら、奴は、笑って、言った。
「結局の所、俺達は懺悔なんかしない。許しなんか請わない。一年の自分を、振り返ったりしない。新しく生まれ変わろうなんて思わない」
「過去が自分を作る?」
「過去と、8秒の今」
「インクルード、『眠れる森』?」
「キムタクのがあんたより百倍はかっこいいけどね」
「あ!?」
「でも、懺悔って、したってしょうがないモンなんじゃないの?もう終わっちゃったことなんだしさ」
「懺悔と後悔は違うんじゃないの?」
「そうなの?」
「懺悔は、神に許しを請うこと。後悔とは違う」
「懺悔しないとどうなるの?」
「罪を背負って生きることになる」
「じゃ、私、懺悔することないじゃん」
「あ!?」
「なんだよー、文句あるかぁ?」
「ザンギって知ってる?」
「若鶏の唐揚げ!」
「話がずれてる…」
「神様って、許しを請いたら、許してくれるものなの?」
「こいたらって──嫌な言い方」
「くれるんじゃないの?くれない場合は、くれるまで懺悔を続ければいいんでしょう」
「ヤダよ。めんどくさい。やっぱ、私も懺悔しない。罪を背負って生きてく」
「存在自体がすでに罪だものな」
「あ!?」
「それでも、人間は生きていく。生きていかなゃならない」
「そっそ」
「だから、君も懺悔なんかしない」
 少女は突然に話を振られて、目を丸くして驚いた。
「私…ですか?」
「そっそ」
「今、君、僕らに向かって悩み事言ったじゃない」
「それは懺悔にはならないの?」
「悩みを聞くのも、神の使いの役目なんでしょ?」
「いつの間にか、逆になっちゃってたね」
 私は笑って、言った。
 彼女も弱く、笑ってた。


「そうだっ!俺は懺悔しないっ!罪を背負って生きてくぞ!」
「そうだーっ!私もそうするぞーっ!!」
「終末、大いに結構!来るならきやがれ七の月!!」
「自分を信じるものしか助けないような神さまなら、こっちから願い下げだーっ!」
「…いうねぇ」
「ええ…っ。ノってくれないの?」
「俺は生き残るもの。どんな手を使っても」
「悪魔ですな、あんた」
「いや、ぜんぜん」


「あの…」
 彼女の小さな声に、私は振り向いた。連中は、勝手に暴走を続けてる。
「なに?」
 私は、連中の会話を片耳で聞きながら、小さく聞き返した。
 少女は、銀の十字架をきゅっと握りしめて、私に向かって言った。
「あの…あなたは、懺悔と言うか…みなさんが話していたような事、ないんですか?」
「私?」
 ん──あるね。
「そうね、まず、あなたに迷惑かけたこと。そして──」
 私は連中を軽くにらみつけて、言った。
「今年一年で、悪魔どもと、さらに親しくなってしまったということ」
 少女はくすっと私の言葉に笑ったのだった。




 数日の後に、少女は知ることになる。
「私が…私が首席なんですか!?」
 少女は目を丸くした。
 彼女の前に立った神さまは、にこにこと微笑みながら、言った。
「ああ、五人の人間の、心からの懺悔を聞いてきた君が、今年は一番だよ。よかったね、ここ数年の努力が、ついに報われたじゃないか」
「え──で、でも…」
 少女は目を丸くしたままで、呟いた。
「心からの懺悔──って…」


 少女が、クリスマスイヴの夜に聞いてきたという、懺悔をした人間達の数。その数五人。
 五人の人間の心からの懺悔というものを、彼女は何とか思い出そうとした。
 けれど──
 思い出されるのは五人の人間達の、バカ話ばかり。
 少女は眉を寄せた。
「心からの懺悔?」
 呟いた自分の言葉に、自分で笑う。
 そして、言う。
「そっか。そうなんだ」
 少女はその場で、ふわりと軽く宙に浮いた。
 銀の十字架が、恥ずかしそうに光ってた。