studio Odyssey



それぞれの『覚悟』。


 私はそれを『護る者』。
 たとえそれが偽りの平和であったしても、千年続いたこの世界の真実を、護らなければ──
 少女は闇を駆け抜けていく。
 目指す場所は、ただひとつ。
 封印の祭壇。たとえ──
 この命に代えても!
「ドレイク!!」
 翡翠色の髪をゆらしながら、少女は駆け抜けていく。
 洞窟の中心、封印の祭壇に向かい、巫女──ユイ──は、その乱戦の中を駆け抜けた。
 ついで、その場所に冒険者たちが姿を現した。
「なん──!?」
 先頭を走っていたアサシンのラバが、その光景に目を見開いた。
 魔物達と兵士達が乱戦を繰り広げている。
 ユイはその中心、祭壇へと向かい、艀にさしかかろうとしている。まっすぐに彼女が見つめる先、祭壇の上には不死の海賊王、ドレイク。
 その後ろには、禍々しいばかりの闇の力を放つ、不死の力に包まれた何者かの姿。
「どうなってんだ、こりゃ!?」
「ドレイク──!?」
 彼の隣に駆け寄ってきた魔導士、アブが敵を認めて言葉を吐いた。
 状況がよくわからない──よくわからないが──
「ドレイク!!魔女の身体は、あなたには渡さない!!」
 駆け抜けるユイの声が、洞窟に響いていた。
「総員、戦闘態勢!!」
 アークワンドを振るうアブの両脇を、仲間たちが駆け抜けていく。
「速度増加!!」
 聖職者、玲於奈の祈りの言葉に、アサシン、グリムの身体が羽根のように軽くなる。それをわかって、グリムは駆け出した。両手のジュルの位置を確かめ、祭壇へと迫る。
「行くぞ!!」
「ほいさ!!」
 続いたのはペコペコに乗った騎士、あおいるかだ。二人は先陣を切り、闇の者うごめく戦場へと、突き進む。
「祭壇の上に、スピさんがいる!」
 剣を引き抜きながら、迦陵。
「面倒事に巻き込まれるのは──」
 シンティスも短剣を両手に構え、戦場へと駆け下りる。
 仲間の声に、既に戦場の中にいたアサシンのいるる、まゆみ嬢、そしてハンターのウィータが振り向いた。そして、同時に言葉を発した。
「冒険者だからな!!」
「なんだかよくわかんないけど──」
 グリが杖を突き上げ、呪文の詠唱をはじめた。
「叩きつぶしちゃえばいいわけネ?」
 巨大な魔法陣が祭壇の洞窟を包み込む。
「フレックスさん!!」
 ユイの声。
「魔女を──」
 彼女に、曲刀を手にしたパイレーツスケルトンの一団が飛びかかってくる。
 祭壇の上、ドレイクはその光景を見下ろし、肉のない顔を恍惚の表情にゆがませた。『封印の巫女が、もうひとりいたか──だが──』
『遅すぎた』
 血に濡れた曲刀が怪しく光る。
 脳に直接響く、ドレイクの言葉が心を刺す。
『無駄に命を散らすがよい』
「魔女を──!!」
 駆け抜けるユイの声が響く。
「封印します!!」
 闇の力に満ちた曲刀が、彼女の頭上に向かって振り下ろされる。
 闇に光る無数の刃。振り下ろされた曲刀に、一瞬、ユイは目を伏せた。だが、それは一瞬だった。金属のぶつかりあう甲高い音が響く。
 目を開けたユイの視界に、大きな両手剣ですべての曲刀の刃を受け止めた剣士の姿があった。
 翡翠色の髪の剣士はにやりと口許を弛ませる。
 そして闇の者に素早く視線を走らせ、叫んだ。
「行け!!」
 剣士は剣を振り上げる。その力に、パイレーツスケルトンたちが体勢を崩す。刹那、返す力で剣を叩きつけながら、剣士は叫んだ。
「マグナムブレイク!!」
 どんっと大地を爆発が駆け抜けた。すさまじい剣圧に巻き起こった爆発が、闇の者をはじき飛ばし、そこに活路を見いだす。
「まだ、世界の終わりと決まったわけではありません」
 剣士の相棒の聖職者が、彼女の隣に立った。そして素早く祈りの言葉を発する。「速度増加!!」ユイの身体が、ふわりと羽根のように軽くなった。
 先陣を切って駆け寄ってきたグリムとあおいるかが三人に追いついた。
「スピさんのお兄さん!?」
 ペコペコの手綱を切りながらあおいるか。「どうしてこんなところに!?」
「手短に話す!」
 剣を握り直し、剣士は活路の向こう、祭壇へと続く艀、そしてその奥のドレイクを見据えて言った。
「オマエらのリーダー、うちのアホ弟が、魔女を再封印させずに、ブッ倒してやろうとした!その結果が、これだ!!」
「やりそうなことだ…」
 グリムが祭壇に視線を走らせて呟く。立ちはだかるドレイクの足下に、そのリーダーが横たわっている。
「やられたのか?」
「アホか──」
 剣士は剣を斜に構え、大地を踏みしめる。そして、駆け出す。
「うちの家系が、あの程度の事で死ぬかよ!!」
 剣士にパイレーツスケルトンが襲いかかってくる。しかし剣士は両手剣を巧みに振るいながら、その闇を切り裂き、道を作り上げていく。
「急いでください!」
 声を上げたのは、彼の相棒の聖職者だ。
「まだ間に合います!彼女なら、魔女を封印出来る!!行ってください!!」
 こくりと頷きを返すこともなく、翡翠色の髪の巫女──ユイは駆けだした。
 騎士、あおいるかがペコペコの手綱を握り直す。
「グリムさん!」
「ドレイクか──相手にとって、不足はないな!」
 そして騎士と暗殺者の二人は、彼女を追った。
 露払いに剣を振るう剣士。その彼を聖なる祈りに補助する聖職者。
 降りかかる闇の刃を、ウィータの矢が打ち抜く。
 艀に向かって動かんとする者たちを、いるる、まゆみ嬢が押しのける。巫女を追うものを、ラバ、迦陵とそしてシンが退け、アブの魔法に凍てついたその波を、玲於奈の聖なる光が退ける。
「フレックスさん!!」
 祭壇に躍り込んだユイの声が、喧噪を突き抜けた。
「魔女を封印します!その間だけでも、私の命を──」
 眼前のドレイクが、彼女に向かってゆっくりと曲刀をかざしていた。
 祭壇には、光をなくしたエンペリウムと、そして、魔女──
 ユイは力の限りに叫んだ。
「みんなにためなら、この命、惜しくはないから!」


 フレックスは剣を握る右手に力を込めた。
 駆け出せば、祭壇はすぐ目の前だ。
 しかし、その間には無数の闇の者の姿。永遠にすら感じられる、絶望的な距離があるように思えた。
 封印の巫女の声が耳に届く。
 自分の名を呼んでいる。
 フレックスは祭壇の上を見た。
 ドレイクの曲刀が、ユイに向かって振り下ろされる。はっとフレックスが一歩を踏み出そうとした瞬間、その間にひとりのアサシンが飛び込んできた。アサシンは目にもとまらぬ速さで左手のジュルをかざす。甲高い音が響く。と、同時にアサシンは身を翻し、右手のジュルを横に薙ぐ。ドレイクが背後に飛び退いた。
 ジュルが空を切る。
 しかしアサシンはそれを読んでいたかのようにそのまま横に跳び、続くものに道をあけた。
 ペコペコを狩る騎士がそこに躍り込んでくる。騎士は手にした槍を飛び退いたドレイクに向かって突き出す。捕った!そう思った。
 ドレイクの手が不自然な方向に曲がり、曲刀が槍を受け止めた。ちっと、騎士とアサシンが同時に舌を打った。
 アサシンが左へ回り込む。
 騎士が、右へと回り込む。
 ドレイクは素早く、左手で二本目の剣を抜いた。それは直刀。両脇から、騎士とアサシンの一撃がドレイクを襲う。しかしドレイクは腕を交差させ、二振りの剣で二人の攻撃を受け止めた。
「行け!!」
 アサシンが叫んでいる。
「今の内に、魔女を封印してください!!」
 騎士が叫んでいる。
 祭壇の上のユイが体勢を立て直し、その『運命の石』の前に駆け寄っていた。
「フレックスさんっ!!」
 自分を呼ぶ声が、鼓膜をゆらした。
 彼女は、封印の巫女。
 それは、彼女が生まれたその瞬間から決まっていたこと。
 ユイ。翡翠色の髪の少女。
 空に赤い十六夜の月が昇り、流星の輝きがそれを裂いた日に生まれた子供。
 伝承にあるように、選ばれた──何もわからない、無垢な赤子のうちに──あたりまえのように選ばれた、命を賭して、世界を護る運命を背負わされた巫女。
 そして自分は、彼女を『護る者』。
 それもまた、生まれたその瞬間から決まっていた。
 闇の魔女を封印する力を持った一族。
 その中で生まれ、育った、自分たちの、避けることの出来ない、『運命』。
 遥か古の昔から続く宿命。
 千年の偽りの平和を、我が民は守り続けてきた。巫女として選ばれた者たちは、いつか自分に訪れるかも知れないその時を見据え、生き続けてきた。
 それは、覚悟──
 護る者もまた、同じだ。
 千年の時の間、ずっとずっと、繰り返してきた。誰もが、本当は心の中で、その『いつか』が決して訪れないことを望んでいたはずだ。自分と同じように──
「フレックスさん!!」
 彼女の声が鼓膜を揺らした。
 フレックスは顔を上げる。視界の中に、封印の祭壇が見えた。
 彼女の唇が、素早く呪文を紡ぐ。
 『運命の石』に、再び光が宿る。
 千年の時の間、選ばれた巫女たちは、ずっとずっと、思ってきたはずだ。本当は心の中で。彼女と同じように、自分と、同じように。
 その瞬間が、決して訪れないことを。
 『運命の石』に、再び光が宿る。
 その瞬間が、『今』──
 ドレイクが剣を振るった。闇の者のすさまじい力に、騎士とアサシンの身体が軽々と宙を浮いた。二人の冒険者はドレイクの剣に押され、祭壇の端にまで吹き飛ばされた。
 ドレイクが振り返る。その闇の瞳に、翡翠色の髪の巫女の背中を映す。
 巫女の淡紅色の唇が、封印の呪文を紡ぐ。
 ドレイクが、その背中に向かい、手にした曲刀をゆっくりと振り上げていた。
『無駄なことをするな、巫女よ』
 その声が鼓膜を揺らす。
 はじき飛ばされた騎士が、槍を手に起きあがろうとしている。衝撃に飛びそうになっていた意識をつなぎ止めるように、頭を振っている。手の槍を、握り直している。
 ユイは振り返らない。
 剣戟の喧噪が包んでいるはずの封印の洞窟に、彼女の唇が紡ぐ呪文が、確かに響いていたような気がした。
『何をしようと、無駄なのだ』
 血に濡れた刃が、無表情に光っていた。
『人間ごときの儚い力で、我らのもたらす運命にあがらおうなどと』
 フレックスは強く目を伏せた。
 あがらうことの出来ない、運命。「──戻れぬぞ?」記憶の中の老人の声。
「覚悟は出来ています」
 ゆっくりと目を開き、彼女が言った。
 老人が頷く。そして、呪文の最後の言葉をつぶやいた。
「闇の魔女を封印する力を、その命と引き替えに」
 その時──俺は──
 それが、当たり前だと思っていた。それが、俺たちの民がずっとずっと続けてきた事で、それが、あたり前だと、そう思っていた。
 俺は、覚悟を決めていた。
 俺たちは、覚悟を決めていた。
 そうだ。そうだったはずだ。
 だけれど──あの時──
 あいつは?
 あの瞬間、あいつは?
 祭壇にのぼった、同じ時代に現れた、二人目の封印の巫女と、そしてそれを『護る者』。
 あの瞬間、あいつは!?
 そして今、その、翡翠色の髪の魔導士は──!?


 ドレイクが剣を振り下ろす。
 騎士、あおいるかは駆けた。ほんのわずかな距離。その距離が縮まらない。右足を追う左足が遅い。左足を追う右足が遅い。もっともっと速く動けたら、今まさに彼女に向かって振り下ろされようとしている曲刀に追いついて、盾で受け止めることだって出来るかも知れない!いや、槍ではじく事だって出来るかも知れない!
 間に合わない。
 刃の閃光が、闇を裂く。
 踏み出す。
 一か八かだ。右手の槍を逆手で持つと、騎士はドレイクに狙いを定めた。
 強く奥歯をかみしめる。そして、握りしめた槍を──
「!?」
 騎士は目を見開いた。
 空間に、光が弾けていた。
 祭壇の至る所から、光の柱が無数に立ち上っていた。彼女を護るように、無数に。
 ドレイクが光にうろたえた。しかし、振り上げた曲刀は勢いを失うことなく、彼女めがけて振り下ろされた。甲高い音が響く。生み出された光の壁の前に、振り下ろされた曲刀がはじかれる、甲高い音が響く。
 壁際にまではじき飛ばされていたアサシンが、その光景に気づき、顔を上げていた。
 弱く、口許をゆるませて。
「オイシィな、お前」
『貴様…』
 ドレイクの光のない目が、その『護る者』を映した。
 騎士は再び大きく踏み出し、槍を投げつける。「スピアスタブ!!」その一撃は過たずドレイクの身体を打ち抜き、不死の海賊王は祭壇の向こうへとはじき飛ばされた。
 フレックスは、祭壇の上に、光の聖域を見た。
 あふれんばかりの光の中、ひとりの魔導士が血に濡れたマントをそのままに、立っている。血に濡れた翡翠色の髪を風を風に揺らし、立っている。
 魔導士はゆっくりと左手に持っていた帽子を頭の上に載せた。
 そして、その帽子のつばを降ろし、言った。
「何をしようと、無駄なんだよ」
 血に濡れた帽子の下から、魔導士は闇の者を見た。
「お前らごときの力で、冒険者の俺らは砕けねぇ」


 スピットは、力の限りのその聖域の中で叫んだ。
 倒れていたアピを抱き起こし、仲間たちに向かって、叫んだ。
「魔女の身体を破壊する!!」
『おもしろい!』
 祭壇の向こう、地底湖の中へとはじき飛ばされたドレイクが起きあがり、叫ぶ。
『ならば、貴様らすべてを、今、破壊し尽くしてくれる!!』
 闇の魔力が渦を巻いた。
 封印の洞窟に、嵐が吹き荒れる。
 地底湖の水面が、その風に激しく波打ちはじめた。と、同時に、魔力によって生み出された小さな水球が宙を舞い、岩壁を、骸骨兵団をうち崩しはじめた。
 冒険者たちは、その風の中で目を伏せた。
「まずいぞ!?あんなもん食らったら、即、おだぶつだ!?」
 次々と生まれる小さな水球が、洞窟の中を踊り狂う。ほんの数センチの大きさの水球ですら、兵士たちの盾を、プレートメイルを突き抜け、悲鳴をあげさせていた。
「動ける奴は、祭壇に駆け上がれ!!」
 翡翠色の髪の剣士が叫んだ。
「巫女を守れ!!」
「登らないで!!」
 祭壇と逆方向に走りながら、ウィータ。
「走って!!洞窟から出て!!」
「グリ!行けますか!?」
 魔導士、アブが入り口に向かって振り返りながら叫んだ。
 入り口には、赤い髪の火魔導士、グリル=ポーク。
 にやりと笑い、彼は手にしたアークワンドを掲げて見せた。
「…当然」
「逃げるぞ!」
 スピットはユイの腕を取った。はっとして、ユイが目を見開く。
「魔女を封印しないと!?」
「魔女を封印する必要なんかねぇ」
 スピットはユイを無理矢理に振り返らせた。
 祭壇から、あおいるかとグリムが駆け下りている。道を作ろうと、パイレーツスケルトンの壁をうち崩していく。
 スピットはユイに向かって真っ直ぐに叫んだ。
「誰も、命を賭けて、ひとりで戦おうなんて、考えるんじゃねぇよ!!」
 ユイが目を見開く。
 血に濡れた自分と同じ翡翠色の髪を揺らし、魔導士は腕の中の聖職者を抱き寄せていた。左手に、目を伏せた聖職者。右手に、自分の腕。
 魔導士はゆっくりと言った。
「命張ったって、人間、ひとりで助けられる奴なんざ、ひとりがいいトコだ。ひとりの力で、世界丸ごと助けようなんて、おこがましいにもほどがあるぜ?」
「スピット!!」
 祭壇の洞窟の向こう、唯一の出口へと駆けるラバが、振り返りながら叫んでいた。
「行くぞ!!」
「おうよ!!」
 スピットはユイの腕を引いて駆けだした。祭壇を飛び降り、艀を駆け抜ける。
 そして、背中の向こうに向かって、言った。
「あんたにだって、仲間はいんだろ?」
 祭壇を、巨大な魔法陣が包み込んでいた。


 魔導士の呪文の詠唱が空気を裂いて響き渡る。
「すべてを焼き尽くし、永遠に回帰させし炎の力よ!今こそ我が眼前に立ちはだかりし壁を、その力をもってうち崩し給え!!」
 それは炎魔法の最強魔法。
 三大大魔法のひとつ。
 大地が魔力に軋む。
 岩壁に亀裂が走り、岩が崩れ落ちはじめた。スピットは巫女の手を引き、もうひとりの巫女を抱え、走る。岩石の塊が地底湖の水面をうち砕き、白波をあげる。
 その地底湖の中、不死の海賊王、ドレイク。
『──逃がすものか』
 曲刀を手にした右手を振るう。と、巨大な水球が二つ生まれ、ひとつが呪文を唱える魔導士に向かって襲いかかった。嵐の中を舞うように、その水球は空間を踊り狂い、過たずに魔導士に迫る。
「玲於奈さんっ!」
 騎士、迦陵が叫ぶ。「インデュア!!」
 続くのは聖職者、玲於奈。「キリエエレイソン!!」その祈りの言葉と共に生み出された光の衣が、迦陵の身体を包んだ。そして迦陵は水球と魔導士の間に、剣を手に飛び込んだ。
「いたくなーい!!」
 水球に向かい、迦陵は剣を振り下ろす。はじけ飛んだのは水球そのものと、鋼鉄の剣。そして光の衣。勢いに押されて、迦陵の身体は、飛び込んだ位置から数歩後ろにまで押し込まれてはいたけれど、彼女の真後ろには、詠唱を続ける魔導士の姿があった。
「──サンクス」
「騎士ですから」
 そしてもう一つの水球は、巫女とともに走る魔導士に迫る。
 スピットは迫る魔力の力に立ち止まって振り返った。ユイを背後に引き込み、左手のアピを抱え直す。素早く腰のアークワンドを右手一本で引き抜き、咄嗟の動きに飛んだ帽子をそのままに、呪文を唱えた。
「ユピテルサンダー!!」
 杖の先から、雷弾がほとばしる。巨大な雷弾は迫り来る水球に炸裂し、光と共に魔力を霧散させた。
 海賊王、ドレイクの眼窩の奥で、怒りのそれが揺れていた。
 そして──
「ドレイク──」
 翡翠色の髪の魔導士は、にやりと口許を弛ませて、言った。
「終わりだ」
 スピットは杖を振り上げた。
 呪文の詠唱を終えたグリが、ばっと前へ飛び出す。
『終わりなのは、貴様らだ!!』
 ドレイクの闇の力から生まれた魔力が、頂点に達する。
 地底湖の海面に、無数の水柱が立ち上り、その先から、大量の巨大な水球が生み出された。
『永劫の闇で眠れ!愚かなる人間たちよ!!ウォーターボール!!』
「それはお前だ」
 スピットが杖を振り下ろす。
 グリの呪文の最後の言葉が、祭壇の洞窟を突き抜けた。
「メテオストーム!!」
 祭壇の洞窟に水球が踊り狂う。
 しかし、それすらもうち砕く勢いで、天より闇を裂いて巨大な隕石が降り注いだ。


 降り注いだ隕石は、洞窟の壁を突き破った。
 踊り狂う水球が、生あるもの、亡き者、すべてをはじき飛ばす中、岩壁を砕き降り注いだ隕石が、それをはじき飛ばす。闇の中に差し込んだ十六夜の月明かりが、無数の光の帯となって明滅する。
 祭壇に降り注いだひとつの隕石が、くみ上げられたそれを砕き、巨大なエンペリウムを破壊した。光と風が堰を切ったように空間になだれ込み、辺りを包む。魔女の身体を打ち抜いた火球によって、同じくあふれた闇と、混ざり合いながら。
『おのれ──!?』
 地底湖に身をひたしたドレイクが、力の限りに叫んでいた。
『我らが魔女を──』
 その頭上に、巨大な岩盤が崩れ落ちてきた。
 ドレイクは目を見開く。咄嗟に魔法を唱えようとするが、間に合わない。骸骨の目の奥で、絶望に似た光が揺れた。
 地底湖に、巨大な水柱が立ち上った。
 魔導士、スピットは降り注ぐ瓦礫の中、真っ直ぐに立っている。
 前を見据え、流れる髪をそのままに、左手の巫女を強く抱き留めたまま、光の壁の中でまっすぐに前を見据えて立っている。
 降り注ぐ瓦礫が光の壁を撃ち、砕け散っていく。
 天変地異の力とも言われる、強力な火の大魔法が降り注ぐ祭壇の洞窟の中、魔導士の生み出した光の壁に護られたプロンテラ騎士団が、勝利を確信して、顔を上げた。
 降り注ぐ隕石はもうない。
 踊り狂う水球も、もうない。
 変わりに、祭壇の洞窟であった場所には、もうもうと煙が舞っていた。
 月明かりが、割れた岩盤の向こうから、一条の光となって、祭壇があった場所を──運命の石があった場所を──照らしていた。
 静寂。
 ぱらりぱらりとこぼれ落ちる、小石たちの立てる音すらも耳に届く、静寂。
 スピットは真っ直ぐに前を見つめたまま、ゆっくりと息を吸い込んだ。
 騎士、フレックスが、剣を握りなおして立ち上がる。スピットの見つめるその場所と、同じ場所を見つめながら。
 そして、そっと、呟いた。
「──スピット」
「ん?」
「我々には、覚悟が足りなかっただろうか…」
「さぁね…」
 スピットは杖を握り直す。
 フレックスは剣を握り直す。
 ユイはゆっくりと立ち上がると、彼らと同じ場所を見据え、そして──
「覚悟なら、とうの昔に出来ています」
 言った。
「すべてを振り切って、駆け抜ける覚悟なら──」
 祭壇の洞窟に、強大な闇の力を持ちし者の咆哮が、響いた。
 それは、封印の魔女。
 いかなる者であれ、その存在をかき消すほどに強力な火の大魔法の前にも、それは砕けることはなく──闇に包まれたその身体が、月明かりを裂いて、鳴動とともに己の領域を広げていた。
 封印の巫女、ユイは真っ直ぐにそれに向かって立った。
 気づいたのか──再び、魔女の咆哮が響いた。
 びりびりと、空間が震撼した。
 弱き者の心を、闇が突き刺す。震えるだけの命の灯を、一瞬にしてかき消してしまうほどの闇の力。巫女はその力の中で、真っ直ぐに立っている。
 魔女の腕が、横薙ぎに振り払われた。
 肉のない目が睨み付けた空間に、火柱が立ちのぼる。スピット、彼の腕の中のアピ、フレックス、そしてユイと、彼らよりも後ろに控えていた仲間たち、騎士団との間を、火柱が二分する。
 ゆっくりと大きく、ユイは息を吸い込んだ。
 封印の魔女が彼女を認め、目の奥の光を、怪しげにちろちろと揺らめかせていた。
 その目に向かい、ユイは言った。
「覚悟なら、すべてを振り切って駆け抜ける覚悟なら──」
 胸の前で腕を組む。
「とうの昔にできています」
 砕け散り、飛び散ったエンペリウムが、再び光りを放つ。
 祭壇の洞窟であった場所の至る所から──それは地底湖の中からも──光の柱が無数に立ち上った。
 魔女のあざけるような咆哮が響く。


 フレックスは剣を手に駆けだした。
 すべてを振り切るように強く吼えあげながら、瓦礫の大地を突き抜け、わずかに残った祭壇の上へと肉薄する。一瞬遅れて、スピット。腕の中のアピを足下に横たえさせ、「フレックス!!」その後ろを追う。
「ここは私が押さえます!!」
 騎士は剣を大上段に振り上げ、魔女に向かって躍りかかった。
「ボウリング──!!」
 魔女が手をかざす。と、同時に、まるで見えない壁にはじかれたように、フレックスの身体が宙を押し戻された。スピットはアークワンドを握り直す。そして杖を振るう。
「ソウルストライク!!」
 生み出された五つの精霊球が魔女に向かって弧を描く。魔女がフレックスに向かってかざしていた手を、いや、その指を、スピットに向かって軽くひねった。
 そこから、五つの精霊球が生み出される。
「マジかよ!?」
 生み出されたそれはスピットが放った念魔法、ソウルストライクのそれと同じだった。生み出された五つの精霊球は、過たずにスピットの生み出したそれに炸裂し、すべてを無に返す。
「上等だ!!」
 腰だめに構え、スピットは呪文を素早く唱えた。生まれ出た魔法陣が、魔女の足下を包む。魔女はその魔法陣を認め、そしてゆっくりと上を向いた。
「ライトニングボルト!!」
 魔法陣から立ち上った雷が、魔女の頭上で雷弾となり、そこから十の雷が魔女に向かって降り注ぐ。ライトニングボルト──雷魔法では初歩のそれだが、スピットのそれは魔導士の中でも使いこなす者が少ない、十の雷を落とす強力なものだった。
 しかし──魔女は降り注がれる雷を、まるで雨だれと同じように見上げている。
 光が駆け抜け、魔女の身体を確かに雷は打ったが、ただ、それはそれだけだった。
 魔女はゆっくりとスピットに視線を戻す。自ら身体を包む雷をそのままに、ゆっくりと腕を振るう。
 風が吹いた。
「!?」
 スピットが目を見開く。
 風が髪を揺らしたその刹那には、すでに魔女が自分の眼前にいた。
「スピット!?」
 はじき飛ばされたフレックスが剣を取り直し、彼の元に駆け寄ろうとするが、間に合わなかった。
 魔女の手が、スピットにかざされる。彼の鼓膜に、呪文の詠唱が一瞬だけ聞こえた。それは、間違いなかった。自分も知っている、魔法の初歩の初歩、最も簡単な念魔法、ナパームビート。
 ばんっと空間が弾けるような音が響いたときには、彼の身体は宙に舞っていた。全身の骨を軋ませる衝撃。ドレイクに斬りつけられた傷口から、鮮血が舞った。
『お前が、魔導士?』
 脳裏に、女の声が響いていた。
『犬でも、もう少しはましな魔法を使う』
 魔女は、どさりと大地に倒れた魔導士にゆっくりと歩み寄った。
「待て!!」
 その背中へ向かい、フレックスが怒号と共に剣を振り下ろした。が、魔女はその彼と自分の間の空間を、軽く睨み付けただけだった。フレックスが目を見開く。その視界いっぱいに、炎の壁が映る。
 うすれゆく意識の中、スピットは悲鳴が聞こえた気がして顔を上げた。そのぼやけた視界に、魔女の姿があった。魔女は自分に向かって、手をかざし、脳に直接響く声で言っていた。
『──くだらん魔法以外は、使いこなせないようだな。この時代の魔導士というのは、皆、その程度か?』
「よけいな、お世話だ」
 なんとか口を動かして、言ってやる。よけいなお世話だ。本当によけいなお世話だ。
 短い呪文の詠唱。
 ばんっと何かが弾ける音。激痛が右肩辺りを襲った。スピットは目を見開く。痛みに声が漏れそうになったが、こらえたのかどうなのか、自分でもよくわからなかった。ただ、声は出なかった。
 ただ、動かないと思っていた身体は動いた。左手で、激痛が起こった右肩に手を伸ばす。しかし、違和感だけがそこにあった。言い換えれば、違和感以外はなかった。あるはずの、腕も。
 汗が噴き出る。でも、声はでない。
 腹が痛いと思った。思ったから、痛みから逃れるように、丸くなった。じゃりと、足が濡れた地面を動いた気がした。ああ、お気に入りのぼろマントが濡れるのは嫌だな…汚れたからって、洗濯したら、ただのぼろマントが、もっとぼろマントになっちまう。右肩が痛い。いや、痛いのかもよくわからない。くそっ、くそ…っ。
 脳裏に女の声だけが、やけに鮮明に響いていた。
『封印の呪文の最後を結ぶ者か──残念だったな。その身体では、もはや呪文のひとつも唱えられまい』
 くそっ、うるせぇよ。ちょっと黙ってろよ。
 今、今、ちょっとこの痛ぇのおさまったら、てめぇの横っ面を、アークワンドでぶん殴ってやるから。
 仲間たちが呼んでいるような気がして、スピットはうっすらと目を開けた。
 魔女の生み出した炎の壁が、ごうごうと火の手をあげている。そのせいでかすんで、よく見えなかった。よくみえなかったけれど、炎の向こうで、仲間たちが声を上げているような気がした。
「──ちょっと、待ってろ」
 今こいつ、ぶん殴ってやるから…
 魔女が、ゆっくりときびすを返した。
 倒れた騎士の脇を抜け、翡翠色の髪の巫女に迫った。
 翡翠色の髪の巫女──ユイ──は、呪文を続けている。真っ直ぐに立ち、胸の前で腕を組み、そっと目を伏せ、その淡紅色の唇から呪文を紡ぐことをやめずにいる。
 そっと、魔女は彼女の前に立った。
 そして、不死の力に崩れかけた左手を、美しい少女の前にかざした。
 闇の力に、ユイが身を強ばらせた。
『──怖いか』
 脳裏に直接声が響く。
 しかし、ユイは目を伏せたまま、呪文を唱え続けた。震える唇で、なんとか、呪文を唱え続けた。
『死に生きる人間にとって、死は安息』
 魔女の声が響く。『お前が封印の呪文を唱え終わろうとも、その最後を結ぶ者はいない。諦めるがよい。そして、死に身を委ねるがよい』
 そして紡がれた魔女の言葉に、ユイは呪文を止めてしまった。
 はっと見開いた目の中に、何かが入ってきたような気が、ユイには、した。
『覚悟は、出来ていたのだろう?』
 何かがこぼれた気が、した。


「何事かと思えば──」
 封印の洞窟に声が響いた。
 ごうごうと燃える業火の音が響く中、確かにその男の声が響いた。
 魔女が顔を上げた。
 冒険者たちが、その男を見た。
 月光差し込む頭上から、ひとりの男がその地に降り立ってくる。男は身軽にその地に降り立つと、目を細めて腕を組んだ。
 いぶかしげに、魔女が男を足下からゆっくりと一瞥する。
『何者だ?』
「何者?」
 腕を組んだまま、男は、魔女を見据えて言う。
「それは私の台詞だな」
 封印の巫女が振り向く。視線の先には、腰に大きな剣を携えた、特徴的な顎ひげを生やした剣士がいた。
「魔壁の向こうに住むはずの魔女が、この世界に何用だ?」
 剣士はそっと組んだ腕をとく。魔女がゆっくりと剣士に向き直っていた。
 魔女は剣士に向かって手をかざすと、素早く呪文を唱えた。剣士は一瞬、剣に手をかけようとしたが、その手を止め、眉をひそめただけだった。
「──詮索好きの闇の者と見た」
『魔剣を運ぶ者が、なんの用だ?』
「この地、コモドは──」
 剣士はゆっくりと腰の剣を引き抜く。
「私が、気に入っている村なのだ。ここには、魔剣に通ずる者が多く住む。貴様のような闇の者に、荒らされたくもない」
 剣士は引き抜いた剣で、虚空を切った。
「来るべきRagnarokの時まで、私は静かに暮らしておきたいのだ」
 閃光が空間を引き裂く。と、その空間が確かに二分され、蒼い光が空間の向こうから漏れた。
 剣士は腰の鞘に剣をおさめ、その空間の中に手を伸ばす。そして、言う。
「我、魔剣士、ウォン」
 引き抜いた手には、巨大な一振りの剣が握りしめられていた。
『私と戦うつもりか?』
「その方がそのつもりならば──」
 ウォンは魔力に満ちた剣を正眼につけ、魔女に向かって言った。
「そのつもりだ」
 魔女が手をかざす。
 直に届く声が、素早く呪文を紡ぐ。魔剣士が駆け出す。
 ユイが目を見開いた。
「逃げて!」
『お前に用はない!』
 その手から、一条の閃光がほとばしった。と、同時に魔剣士ウォンは素早く横に飛び──のこうとして崩れた体勢のまま、手にした魔剣を閃光に向けてかざした。
 光が弾ける。
 ウォンは衝撃に顔をしかめた。
 その視界の隅には、自分の背後、火柱の向こうの何者かの姿があった。
「ふんっ!」
 気合いと共に、ウォンは剣を振りきる。
 閃光が砕け、宙に散った。
 蒼い光の向こう、
『魔道に通ずる者としては、甘い男だ』
 魔女はかざした手を返し、嘲るようにして言っていた。
「待て!!」
 剣を振るい、再び魔女に迫ろうとしたウォンを、ごうと風が打ち付ける。風圧に、ウォンは片目を伏せた。もう片の目で、ウォンは魔女を追う。
 翡翠色の髪の少女にかざした手に、闇の魔力が集まったのがウォンにはわかった。ウォンは舌を打つ。片眼だけの視界の中で、少女がくずおれる様が映った。
『お前の相手は、私の力が戻ったとき、存分にしてやろう』
 魔女の身体が風に乗る。
 そして自分の足下に倒れた二人の少女と共に、吹き抜けた強烈な風の中に、魔女は姿を消した。


 風が、すべてをさらっていった。
 音も、時間も、何もかもを。
 火柱の業火も、もうそこにはない。
 封印の呪文に呼応していた、エンペリウムの輝きもない。
 崩れ落ちる岩壁すらもない。
 地底湖の水面を揺らす、わずかな風すらもない。
 静寂の中、魔剣士はそっと視線を彼に送った。
 翡翠色の髪の魔導士が、そこに倒れている。
 右手の魔剣が、抗議するように少し震えた気が、ウォンにはした。いや、それは魔剣の、召還されたにもかかわらず、振るわれることのなかった抗議だと、思いたかった。
 静寂を割って、その翡翠色の髪の魔導士の仲間たちが、声を上げて彼に駆け寄ってきていた。
 ひとりふたりの数ではない。
 それはその場に居合わせた、自分以外のもののすべてだった。
 ふたりの聖職者が、彼に向かって祈りの言葉を唱えていた。癒しの祈りと、肉体の再生の祈り。他の仲間たちも、自分に出来る限りの事をしようと、あわてふためいているが、そのあわてぶりに聖職者の女性が、集中が乱れると、一喝していた。
 魔剣が震えている。
 抗議するように、手の中で震えている。
 ウォンは静かに魔導士の元へと歩み寄った。喧噪が大きくなる。近くにいた騎士が、聖職者の祈りに、傷ついた身体を起きあがらせていた。
 ウォンは彼の横を通り過ぎながら、言葉を吐いた。
「あの魔導士の名は?」
 騎士、フレックスが、魔剣士に視線を送った。しかし、魔剣士は騎士の答えを待たずに、魔導士の元への歩み寄って行く。
 魔剣が、震えている。
 ウォンは彼を取り囲む仲間たちの輪を割り、魔導士の頭の前へと立った。
「──名は?」
 翡翠色の髪が、静かに揺れた。
 うつろな瞳が、魔剣士を認めた。
 その口が、静かに動く。何か、言葉を紡ごうと、静かに動く。吐息にも似たかすかな空気の揺らめきが、鼓膜を揺らす。「うるせぇよ…」
「どけよ…」
 魔剣が震えていた。
「あいつ、助けに行かなきゃ──死ぬんだよ」
 魔剣士は震える魔剣の意志に、曖昧に目を伏せた。
 しかし、剣士は魔剣の意志を受け入れ、その剣を静かに振るう。魔導士の身体の上を切ったその刃のきらめきは、光となって魔導士の身体を包んだ。
 聖職者が目を見開く。
 翡翠色の髪の魔導士が、その光の中で、ゆっくりと目を伏せた。
「ちくしょう…」
 血に濡れた翡翠色の髪が、ふわりと揺れた──
「魔導士の魂を黄泉へと運ぼうとしていた力は、断ち切った。あとは聖職者、お前たちの仕事だ」
 魔剣士はきびすを返す。
「腕の再生は、ついでだ」
「なん──」
 アブが魔剣士の背中に向かい、口を動かした。足下の魔導士は、広がる血の海に似合わず、静かに横になっているように見えた。ほんのわずか前までそこになかったはずの右手が、ぐっと強く握りしめられていた。
 祭壇の洞窟の、わずかな砂を握りしめて。
「あなた、何者で──何故、私たちを?」
 アブの問に、魔剣士は立ち止まった。
 そして、魔剣士は肩越しに振り返り、静かに目を伏せている魔導士を見て、口許を弛ませた。「私は魔剣士、ウォン。そして、何故という質問に関してだが──」
「魔剣の気まぐれに聞け」
「待ってくれ!」
 再び歩き出そうとしたウォンの前に、フレックスが立ちはだかった。
 ウォンは立ち止まり、その騎士を足下から一瞥した。騎士は一瞬気後れするように身を引いたが、ぐっと手を握りしめて、言葉を吐いた。
「魔剣を持つ方とお見受けする!その力、我々に貸してはくれないだろうか!?」
「──断る」
 ウォンは即座に返した。
 フレックスは即座に、
「この通りだ!!」
 地に座り込み、両手をついた。額を地面に押しつけんばかりの勢いのフレックスの姿に、栗色の髪が揺れていた。
「我々の力では、魔女を倒すことは出来ない!貴方の力が必要なんだ!!」
「あの魔女を倒すのは、容易なことではない」
 ウォンは、静かに騎士を見つめながら呟いた。
「しかし、君たちには、別の方法があるように見えるが?」
 別の方法──それはフレックスにはよくわかっている。命を賭して、魔女を封印する。自分たちがしようとしていたことだ。そして、ユイが、魔女の前に倒れるその瞬間まで、しようとしていた事だ。
 この魔剣士の言うことは、間違っていない。
 強大なあの闇の者を退ける手段は、我々には、それしかない。古の巫女とそして護る者がそうしたように、自分たちも、そうするしかないのだ。
 フレックスは地につけた両手に力を込めた。
 そして、言った。
「この通りだ!」
 額を大地に押しつける。
 その姿を見ていたすべての者たちは、思った。剣士も、眉を寄せていた。それは騎士がするようなことではない。「この通りだ!!」
 栗色の髪が、揺れていた。
 魔剣士は静かに、告げた。
「私は、魔剣を運ぶ者だ。自らの意志によって、この世界と魔界とをつなぐ事ができる。故に、この世界のバランスに干渉するような事には、手は貸せない」
「この通りだ!頼む!!」
「断る」
 沈黙の、戦場であった場所に、その言葉が響いていた。
「面を上げよ、その方、騎士であろう?」
 フレックスの頭を見つめながら、ウォンは呟いた。
「騎士ならば、その騎士道を全うするのが、騎士のつとめ」
「──俺は」
 フレックスは、そっと目を開いた。
 視界を覆うのは、自分の影になった、祭壇の洞窟の地面。「俺は──だめな騎士だ──」彼はそれを見つめたまま、呟く。
「俺は、誰ひとりも救えやしない──覚悟なんて言葉を使っても、本当に覚悟なんかしちゃいない。魔女の復活なんて、俺たちの代で起こらなければいいと思ってた。でも、魔女がの封印が解けそうになって──」
 震える言葉が、空気を揺らしていた。
 誰もが、彼を無言で見つめていた。
 だから、魔導士の右手が、強く、強く、握りしめられていたことには、誰も気づかなかった。
 震える声が、鼓膜を揺らす。
「ユイがいなくなって、心の何処かで安心した自分がいた。アピさんが代わりに封印をすると言ってくれて、ほっとした自分がいた。俺はそれが、魔女の封印が解かれて、世界が、闇に沈んでしまうのを回避できるからだと思っていた」
 顔を上げたフレックスの真っ直ぐな視線が、魔剣士ウォンを映した。「でも、本当は違う!俺には、覚悟なんか、初めからなかったんだ!!」
「貴方が名を聞いたその魔導士は、そしてアピさんは、俺たちのものだったはずの『運命』を受け入れて、それでも戦うことを選んだ。彼らは──貴方が現れなければ、命を落としただろう!そして俺は、俺は、彼らの行動のすべてを、愚かな、無駄な戦いと──!!」
「ウィータ、俺の帽子はどこだ?」
 フレックスの言葉を遮って、起きあがった魔導士が呟いていた。
 皆の視線が、その魔導士に送られる。誰もが皆、目を見開いて、驚愕の表情を浮かべていた。
「俺の帽子は、どこだ?」
 辺りを見回しながら、スピットは言った。
 苦笑するように口許を曲げた、彼と同じ翡翠色の髪の剣士が、近くに落ちていた帽子をひょいと拾い上げ、「ほらよ」投げた。
「ありがとよ、クソ兄貴」
「もう少し死んどけよ、馬鹿弟」
「うるせぇな」
 受け取った帽子を頭の上に載せ、スピットは笑うように口許を曲げた。
「ちょ…動いて平気なの?キズは確かにヒールで直ってはいるけれど…」
 聖職者、玲於奈の問に、
「そうですよ!?いくら身体のキズがふさがっているとは言っても、スピの精神的な疲労までは──」
 兄の相棒である聖職者が続いていた。
 スピットは帽子のつばをちょいと下げると、弛む口許をそのままに軽く言う。「漏電雷魔導士をナメンナ。身体の傷さえなおりゃ、十秒あればいつでも全快だ」
「フレックス──」
 そしスピットはアークワンドを拾い上げ、言った。
 騎士が、立ち上がった魔導士を、見開いた目で見つめていた。
 栗色の髪の奥の瞳が、揺れていた。
「お前の話は、長くて、よくわからん」
 魔剣士ウォンもまた、その台詞に口許を弛ませた。右手の魔剣が、震えている。
 魔導士──スピットか──口の中で、小さく呟く。
「俺は、こう見えて、馬鹿なんでな。簡単に答えてくれ」
 スピットはフレックスに向かって言った。それは軽く、簡潔に、誰の耳にも、微塵の疑いも持たせないように、ただ一言を、しっかりと。
「それであんたは、どうしたいんだよ?」
 フレックスは魔導士を真っ直ぐに見据えていた。
 大地につけていた手を、強く握りしめる。
 揺れていた、栗色の髪の向こうの瞳が、ひとつの瞬きの後に、確かな光を宿していた。
「ユイを──死なせたくない」
 スピットはそっと、帽子のつばを下ろした。
「わかりやすい」
 そして、言った。
「俺も、アピを死なせたくない」
 仲間たちが、その彼の台詞に、ひゅうと冷やかすように口を鳴らしていた。「人間、どんなに頑張ったって、救える人間はひとりがいいトコだ。だったら──」
「オトコノコってのは、惚れた女を助けるついでに、世界を救うくらいが丁度いい」


 魔導士、アブドゥーグが皆を見回して言う。
「準備はみなさん、オーケーですか?」
「突貫か…」
「いつものことでしょ?」
 アサシン、ラバの嘆息に、ハンターのウィータが苦笑する。
「この旅行に参加するときから、ある程度こうなるだろうとは、予測していたよ」
「このパーティの旅に平穏なんかないしな」
 聖職者、玲於奈の苦笑に、隣にいたグリムが肩をすくめてみせる。
「いやー、でも、思わぬスピたんの告白が聞けたよ?」
「収穫と言うべき?」
「どーなんだろネ」
 くすくす笑うのはアサシンの佐倉まゆみ。立ち上がりながら続いたのはいるるに、魔導士、グリル=ポークだ。
 フレックスが皆を見、問いかけた。
「力を──貸してくれるのか──」
「その言い方は、おかしいな。だろ、スピット?」
 頭の後ろで手を組んで、シンティスが笑う。視線の先のスピットは肩をすくめてみせるだけ。
「仲間を助けるのに、力を貸すも何もありません」
 迦陵が笑っていた。
「ノリさえあれば」
「ノリかよ!?」
 あおいるかが目を丸くする。しかしそのおどけた感じは一瞬で、騎士の彼は槍を構え直し、笑う口許をそのままに、面を上げた騎士に向かって言った。
「細かいことは知りませんし、聞きもしませんが、同じ騎士として、ああまでするあなたの気持ちを、無碍にすることは出来ません」
「俺ぁ、いーい仲間たちを持って幸せだな」
 ひょいと帽子をあげ、スピット。
「行くぞ」
 杖を振るい、魔導士は大きく一歩を踏み出す。
「死ぬかも知れないぞ?」
 魔剣士、ウォンがその魔導士に向かって問いかけた。
「その時は、その時だ」
 ウォンの脇を抜け、スピットはフレックスの隣に歩み寄る。そして左手を彼に向かって差し出した。騎士が、その手を強く握りしめる。スピットが腕を引く。
「どうせ死ぬなら、戦って死んでやる」
 強く握りしめられた手が、騎士を立ち上がらせた。立ち上がりながら、騎士は頷きを返す。右手には、強く握りしめられた、剣。
 ウォンは魔剣を逆手に持ち直すと、その切っ先を大地に突き立て、直立の姿勢をした。
「見届けよう」
 魔剣の震えは、もうなかった。
「闇の者の力は、南方に逃げた。これより南に、村の者も知らない海底洞窟がある。奴は、そこだ」
「思ったより、親切じゃねぇか?」
「魔剣の気まぐれだ」
 ウォンは目を伏せた。そして素早く、何事かを呟いた。
 スピットは眉をひそめた。それが何かは、よくわからなかった。ただ、ドレイクや魔女の言葉のそれと同じように、直接脳に響くような声で、そしてその響きは古の失われた呪文のような響きだった。
「──なんだ?」
 ちらりと仲間たちを見回すと、フレックスもまた、いぶかしげに眉を寄せていた。どうやら、この不思議な声は、自分と彼にだけ聞こえたらしい。
 ゆっくりと大きく息を吸い込んで、ウォンが言っていた。
「魔剣の気まぐれを信じるのなら、覚えておけばいい」
「おい、クソ弟」
 同じ翡翠色の髪の剣士が、スピットに向かって声をかける。
「俺は、プロンテラ第九八騎士団遊撃隊隊長だ」
「あ?」
 スピットは眉を寄せた。
「いつの間に、そんな肩書きつけたんだ?」
「うるさい。聞け」
「なんだよ」
 ゆっくりと息を吸い込み、兄は静かに言った。
「魔女は、我ら、人間の脅威だ。最悪でも、奴を封印しなければならない」
「だから?」
「頭悪いな、お前」
「血が出すぎてんの。わかりやすく言えよ」
「もともと、たいした脳でもねぇだろう」
「うるせぇよ」
 スピットは帽子のつばを下ろした。「じゃーな」
「帰ってきたら、俺らを、魔女を倒した英雄として、あがめろよ」
「魔女を封印した英雄として、死んで伝説になれ」
「黙れバカ」
 帽子のつばをぐっとおろし、そして──
「行くぞ!」
 スピットはもう一度強く言った。
 十二人の仲間たち──ギルド、Ragnarokの皆が──強く、返した。
「おう!!」


「──彼は、貴殿の兄弟であるか」
 祭壇の洞窟。
 しんとしたその場所で、直立不動の魔剣士、ウォンが呟いた。
「出来の悪い弟です」
 翡翠色の髪の剣士は笑う。
「なんでか、剣士にならずに、魔導士になっちまった、うちの家系の異端児ですよ」
「やはり、剣士の血を引いている者か──」
「立ち回りでわかりますか?」
「いや──」
 ウォンは笑うように口許を弛ませると、そっと目を伏せた。
「魔剣の、気まぐれだ」
 ひょいと、翡翠色の髪の剣士は肩をすくめてみせた。
「お話を聞いていると、魔剣というのは、大分気まぐれなようで…」
 嫌みのひとつの感じで言ってみた。ウォンはわかって、苦笑する。
 そして、呟く。
「彼らに、魔法書に記されている呪文を教えて置いた。あとは、彼ら次第だ」
「魔法書?」
 問いかけに、ウォンはひとつのため息で返す。
「『覚醒の石』、『ミョルニールの石板』、そして『魔法書』の本体もない。彼らにはまだ、『資格』はないが──」
「ちょっと待ってください!?」
 話に割って入ったのは、相棒の聖職者だ。
「それは、魔剣召還の──」
「魔剣?」
「人が魔剣を呼ぶのではない」
 ウォンは静かに虚空を見据えながら呟いた。
 そこに、彼らの姿は、もうなかったけれど。
「剣が、人を選ぶのだ」
 虚空に彼らの姿はもうなかったけれど、十六夜の月が照らす光が、静かに差し込んできていた。
「彼らが魔女をうち倒せねば、私もこの力を貴公ら貸そう」
「魔剣の気まぐれって奴は、ナシの方向でお願いしますよ?」