studio Odyssey



『魔女』の復活。


 秘境コモド。
 その村は洞窟の中にある。
 冒険者たちにその村へのルートが公開されるようになったのは、至極最近の事だ。それまではここ、コモドへのルートはミドカツ王国によって閉ざされ、冒険者たちは誰ひとりとして足を踏み入れることはなかった。
 至極最近に公開されたとは言っても、コモドへのルートが公開されてから、スピットたちも何度かこの村を訪れている。今ではコモド付近の灯台、ファロス灯台への定期船すらあり、冒険者たち、そしてミドカツ王国にも認められる村の、ひとつとなったいた。
 洞窟の中に栄えた不思議な村、コモド。
 スピットは光苔がやんわりと光っている洞窟の天井を、見るとはなしに見つめていた。
 ここはコモド村の中心に位置する、小高い丘。
 空──というよりは、天井だが──に最も近く、そして村中が見回せる場所だ。
 スピットは帽子をちょいと直すと、ごろりと横になった。天井の光苔の光量が少しずつ弱まりはじめている。きっと、外も夕暮れが近づいて来ているのだろう。このなんとかという種類の光苔は、時間によって光量を変えるのだとかなんだとか、聞いたことがある。
 村の至る所で篝火がたき始められている。
 コモドは洞窟の村だが、歓楽の村、夢と幻想の村として知られている。その理由はここが観光地として酒場や野外ステージ、カジノなどを備えているからなのだが──
「篝火なんかたいたって、人がいねぇだろうが」
 ぼやくスピットの台詞通り、この村は閑散としている。
 カジノは、あるにはあるが、まだ営業していない。野外ステージで踊る踊り子もいない。酒場だって、野ざらしで──コモドは洞窟の村なので、雨は降らないが──観光地とは、お世辞にも呼べない。一時期は新しもの好きの冒険者たちであふれかえってもいたが、今は、その面影もない。
「クソ村だな…」
 帽子のつばを下ろした状態で、スピットは横になったまま、悪態をついた。
 と、そこに声が降ってくる。
「カジノは、来月にはオープンするそうですよ?」
 言いながら、声の主はスピットの帽子を取り上げた。「あっ」と、スピット。視界の中に、笑う翡翠色の髪のプリーストの姿が飛び込んでくる。
「カエセ」
「私は、結構コモドも好きですけどねー」
 帽子をちょいと自分の頭の上に載せ、アピは笑った。
「特に夜になってからのコモドは、うすっらと光る光苔と、篝火のオレンジの光が壁に反射して、綺麗ですし」
「娯楽のない町なんか、つまらん」
 アピの頭の上の帽子を奪い取り、スピット。
「本当なら、今頃はアルベルタで蚤の市、夜の部で騒いでるはずだったのに…」
「災難でしたねー」
 我関せずという風に言って、アピは笑った。無論、そんなことはない。
 彼女は、当事者だ。
「──わかってんの?」
 帽子をなおしながら、スピット。視線をアピとあわせずに、眼下に広がるコモドを見つめながら、呟く。「魔女の封印だかなんだか知らないけど──」と、言葉を続けようとして、やめる。
「んー…」
 アピも、眼下の景色を見つめながら返した。
「ノリですか?」
「ノっていいことと、悪いことがある」
 座り込んだ姿勢で肘をつき、けっとスピットは悪態をついた。
「マヂで、命と引き替えに魔女を封印するって話じゃねぇだろうな」
 道中、アピから話は聞いた。彼女は初めから、当然のようにそれを知っていたのだ。あの老人も、そのことは彼女に話していた。自分に話さなかったのは、引き留めるに違いないと思ったからだと、彼女は笑って言った。
「んー…」
 アピは、言葉を探すように眼下の景色を見つめている。
「さぁ?よくわかりません」
「そのおつむの構造だけは、はやいとこ、何とかした方がいい」
「前に魔女の封印をした人は、それと同時に死んでしまったという話なだけですから、何とかすれば、大丈夫なんじゃないですかね」
「ナントカ」
 けっと、スピットは言葉を吐き出したけれど、アピはかまわずに続けていた。
「でも、ちょっとドキドキしませんか?」
「何が」
「この世界を護るために、命を賭けて戦うのです。冒険者なら、この事態に、ドキドキ心躍らなければ、嘘だと思うのです」
「アホくさ…それで死んだら、一ゼニーの得にもならん」
「スピさんは、この村がどうやって生まれたか、知ってますか?」
「しんね」
「コモドは、もともとはメロプシュムという悪い魔女が、世界を闇の力で支配しようとして、魔物とともに隠れ住んでいたところなのだそうです」
 ゆっくりとだけれど、アピは続けていた。スピットは帽子の影から、彼女の横顔を盗み見ていた。
「十年ちょっと前、この場所に、魔剣を求めていた冒険者たちがやって来たのだそうです。彼らは、五本の魔剣のうち、四本を手に入れ、最後の一本を持つというコモドの魔女──メロプシュムに出会ったのです」
「へぇ…『コモドの魔女』の話ってのは、そんな話だったんか」
「その冒険者たちは魔剣を求める旅の途中だったのですが、メロプシュムの陰謀を知り、総力を持って魔女と戦うのです。そしてその戦いの中、最後に生き残った四人のうちのひとり、タウスプという人は、自らの力のすべてを使い、メロプシュムをこの村に封印しました」
 淡々と語るアピが何を言いたいのかがよくわからなくて、スピットが「それで?」と聞き返そうとしたとき、アピは微笑みながら、最後の台詞を呟いたのだった。「タウスプさんは、この村の村長さんなのです」
「そしてコモドの村は、今、ここにあるのです」
「──へぇ」
 素っ気なく、スピット。アピの言いたいことがわかって、わざと素っ気なく。
 アピはよいしょと立ち上がると、座ったままのスピットに向かって、
「さて。では、私は戻りますね。逃げたなんて思われてはいやなので。スピさんも、時間を見て、Westend Kafraに来てくださいね。さっきの呪文がないと、儀式が完成しないそうですから」
 言うと、村へと続く小道を小走りに駆けていった。
 スピットは帽子に手をかけ、ため息混じりにその位置を直す。
 そして、ぽつり。
「だからって、そうして出来たこの村の事を思ってとかなんだとかで、お前が命賭ける理由には、なんねぇよ」


 夕暮れの時を過ぎ、夜を迎え、砂漠はしんと静まりかえっていた。
 コモドより東。
 砂の町、モロクの南。
「さて──と」
 一行の先頭に立った魔導士が呟く。
「回り道している暇もありません。突っ切りましょう」
「ポタが使えれば、こんな苦労はしなくてもよかったのに──」
 一行の中にいた聖職者がぼやいたが、彼女の隣に立っていたアサシンが、ぽんっと彼女の肩を叩きながら言っていた。「ポタの不発は、今に始まった事じゃない。仕方がないさ」
「サンダルマン要塞遺跡を、突っ切れますかね?」
 心配そうに騎士が聞いたが、仲間たちは軽く笑うだけだ。
「もーまんたい」
「とりあえず、ユイさんは私が護るッ!」
「いえいえ、私がお守りします」
「女の子同士の方が、いいに決まってるー!!」
「なにを!?私の方がレベルは上ですよ!?」
「そんなこと言ったら、俺の方が上だ」
「却下」
「すらっしゅ しょっく!?」
「えーと…そのぅ…」
「コモドの方で、ヤナ感じの魔力を感じるネ…」
 別の魔導士が夜の闇の向こう、はるか西を見つめながら呟いていた。「強力な──しかも、闇の力みたいな」
「カンケーねぇよ」
 赤い髪のアサシンが、にやりと笑ったのに、
「その通りです」
 一行の先頭にいた魔導士が続いた。
「目指すは、コモド」


「なんで、あいつらがこんなところにいるんだ!?」
 コモドの中心にある野外ステージの隣、Westend Kafraの地下室の影で、ひとりの剣士が近くにいた兵士の首根っこを掴んでいた。「わ、わかりません…しかし、フレックス殿と共に、この村に来ましたので──」「今日は、どんな冒険者どもも、村にはいれるなって話だったろうが!?なんのために、ポータルまで出せなくしたと思ってんだ!?」
「まぁまぁ」
 と、彼の後ろにいた聖職者が笑いながら彼の肩を叩く。
「何事にも首を突っ込んでしまうのは、家系ということで」
「今回の件に、冒険者のあいつらが関わる理由なんか、ねぇだろう!?」
「なんでも──」
 聖職者はちらりと壁の向こうを見た。
 燭台の光が、その一室を照らしている。一室、といっても、そこは部屋という形容詞に似つかわしくない。
 そこは、洞窟のそれだった。
 コモドの町と同じように、壁には一面、光苔が密生している。燭台にともる炎と光苔の灯りに照らされる風景は、鍾乳洞のようであり、地底湖が部屋の半分を支配している。
 地底湖の上には、呪術で使われるのと同じような祭壇が組みあげられていた。そして祭壇へと向かう艀(はしけ)の両脇には、プロンテラ軍帽をかぶった兵士達が、それを護るようにして控えている。
「ほぇー」
 と、遠くから祭壇を眺めていたアサシンの女が呟いていた。
「こりゃぁ、ものものしいね」
「あれ、エンペリウムっぽいな」
 もうひとり、別のアサシンが祭壇の中央に据えられた黄金に輝く鉱石を見ながら呟いた。
「あんなに大きなエンペリウムは、はじめて見た…人二人分くらい、あるんじゃないか?」
「魔力でも込められてるのかな?ずっと光ってるみたいだけど…」
 ハンターが言うと、アサシンの女が祭壇に近づいて、
「なんか、半年も前から準備していたってゆーし、そーなんじゃない?」
 行こうとしたけれど、両脇を護っていた衛兵に槍で止められた。「あぅ!?」
「いや、普通、入っちゃダメだってわかるだろ」
「佐倉家の普通は、一般のそれとは違う、と」
「プロンテラの犬めー!!」
 いーっと、アサシンは口を両手で真横に開いて、べろべろべろー。
「あいつ、斬っていいか?」
 物陰の剣士は今にも剣を引き抜こうとしていたが、「まぁまぁまぁ」という相棒の聖職者の言葉に、なんとかこらえた。「なんでも──」
「魔女を封印する力を持った巫女というのが、アピさんなのだそうです」
「なにょ!?」
 剣士はたいそう驚いた。その声は、鍾乳洞の中に響いて、連中に聞こえてしまうのではないかと思い、とっさに聖職者の彼が、その口を押さえつけたほどだった。「まぁまぁ」「マジか?」「フレックスさんが言ってます、間違いありません」
 先の三人は続けている。
「これって、なんかもしかして、歴史の陰に隠れた、国家レベルの、いんぼー?」
「陰謀とは言わないだろ」
「まぁ、秘密にして処理しちゃおうって感じみたいだけど…フレックスさんのところの民っていうのは、王家とつながりがあるみたいだし…」
「あー、話したい!話したら、ごーもん?ごーもん?」
「──むしろ、だから話したい?」
「さすが佐倉家…」
「アレらが、この世界の危機を救う封印の巫女の仲間かよ!?」
 剣士が、「アレら」を指さしながら言っていた。
「ふふ…それだけで驚いてはいけません…」
「あれ?もうみなさん、おそろいなのですか?」
 鍾乳洞の中に、翡翠色の髪の聖職者が、騎士と共に姿を現した。彼女は手に、古めかしい魔法書を携えている。
「マジかよ」
 その聖職者の顔は、よく知っていた。
「マジです。彼女、魔法書を持っているでしょう?」
 剣士は、彼女が持つその古い魔法書を見たことがある。今回のこの魔女再封印計画に自分が参加することになったとき、彼女の後ろに控えている騎士から見せてもらったものだ。たしか、魔女の封印を解く、恐ろしく長い呪文と、魔女を再び封印するための呪文が、書かれていたはずだ。
「そして、それだけで驚いてはいけません」
 聖職者は剣士に向かって、静かに言った。
 ちょうど、「アレら」の最後のひとりが、その場所に姿を現したところだった。
「しかたがねーから、さっさと終わらせよーか?」
 それは翡翠色の髪の魔導士。
 剣士が、彼の姿に目を見開く。
 相棒の聖職者の台詞の最後が、彼の耳に届く。
「封印の巫女を『護る者』は、弟さんなのです」


「魔女を再び封印するには、まずは封印を解かなければなりません」
 祭壇へと続く艀の前、フレックスがアピに向かって言う。
「まずは魔女の封印を解き、その後に、再び封印するのです」
「封印を解かずに、かけ直すことはできないのですか?」
 手にしていた古文書を抱えなおして、アピ。フレックスが小さくこくりと頷いていた。
「魔壁の中にいる魔女に封印の力を届かせるには、魔壁を破らなければなりません。しかし、我らにはそれだけの力はありません。つまり──」
 そしてフレックスはその洞窟の中を見回した。
 うっすらと光る光苔の灯りに照らされたその場所には、プロンテラ軍帽をかぶった兵士たちが隊列を組んで身構えている。「つまり──」フレックスが言った。
「どうしても、魔女の封印は一度、解かなければならないのです」
「なるほど。つーと、再封印するもしないも、結局、魔女は復活すると」
 まゆみ嬢がぽんっと手を打っていた。
「そーゆーことだね」
「だからこう、ものものしい警備な訳か」
 と、いるる。見回す兵士達の一団は、一個中隊くらいの人数はいそうだ。
「これだけの人数がいれば、魔物の大隊でも来ない限りは、平気な気もするけど…」
「でも、プロンテラ騎士団だからなぁ」
 苦笑いにウィータが頬を掻く。
「国に従属してる騎士たちは、冒険者の騎士たちとは比べものにならないほど、弱い…」
「そこは、気合いとノリでカバー」
 ふんっと鼻を鳴らすまゆみ嬢。どちらかというと、プロンテラ騎士団よりも自分たちがそれ。
「ただし、祭壇に近づけるのは、巫女と、彼女を『護る者』だけです」
 フレックスが祭壇に振り返りながら言う。艀の向こう、輝くエンペリウムをおさめた祭壇が見える。
「祭壇にあまり人が増えすぎると、力が霧散してしまいます。巫女の心を支えることの出来る、『護る者』だけが、祭壇に登ることが許されます。そして『護る者』もまた、命を賭して、巫女を護り──」
 ぴっと、まゆみ嬢、いるる、ウィータが彼を指さした。
「適任」
「マカセマシタ」
「女の子護るオシゴトなんて、スピたん、今回はいい役回りだねっ」
「どーせ、封印とかの最後の呪文は、俺の役目なんだろ」
 スピットは帽子をちょいと直すと、ふぅとひとつ息を吐いた。
「乗りかかった船だ。沈没するまで、つきあってやるさ」
「沈没した後まで、つきあってるんですけどね」
 アピが笑っていた。
「言葉のあやだ」
「では、行きましょうか?」
 悪く笑ったアピが、とことこと歩き出す。
 手にしていた古文書を抱え直し、艀を渡り、祭壇へ。
「はいはい」
 スピットも帽子に手をかけながらそれに続く。手にしていたアークワンドを握り直し、口の中で小さく呪文の言葉を唱えた。「エナジーコート」
 ふっと彼の身体を光の衣が包む。いかなるものの攻撃も、魔力の力の前にある程度弱めることの出来る魔法だ。
 気づいたアピが、笑っていた。
「スピさん、やる気まんまんですか?」
「青ジェムなら、鞄にいっぱいだ」
 ある種の魔法を使う際に触媒として発動し、魔力の力に砕けてしまう魔法の石。青ジェムこと、ブルージェムストーン。スピットが使える魔法の中で、ブルージェムストーンを使う魔法はひとつしかない。
 物理攻撃の絶対防御魔法、セイフティーウォールだけだ。
「指一本、触れさせネェから、安心しろ」
「頼もしいです」
 笑い、祭壇にたどり着いたアピは、手にしていた古文書を祭壇の上に広げていた。「っと、その前に、自分にキリエかけとこーっと」「信用してネェ!?」
 キリエこと、キリエエレイソンは耐久度こそセイフティーウォールに劣るものの、いかなる攻撃も受け付けない防御魔法だ。アピの祈りの言葉にはじけた光が、彼女の身体を包んでいた。
「スピさん?」
「ん?」
 祭壇を前に、アピはゆっくりと大きく息を吸い込んだ。
 スピットは彼女の斜め後ろに構え、彼女の翡翠色の髪──つむじのあたり──を見つめて、小首を傾げていた。
「私、もしかしたら死んじゃうのですかね?」
 ぽつりと彼女の口から漏れた声に、スピットは帽子に手をかけた。
「覚悟してんだろ?」
 長老を前に、アピはしっかりとそう言っていた。スピットはよく覚えている。その時の彼女のまっすぐな瞳は、決して偽りのそれではなかった。けれど、アピの小さな声が彼女の口からまた、漏れた。
「覚悟なんて言葉は、キライです」
「そうか──」
 スピットは帽子のつばを下げた。彼女の翡翠色の髪が見えなくなって、足下の地面だけが、その視界を支配した。
 スピットはぽつりと、口許を曲げて呟く。
「同感だ」
「──格好悪いですかねぇ」
「いや…」
 スピットはアークワンドを握りなおした。
 そして、小さく呪文の詠唱をはじめた。
「つきあってやるぜ?」
 やがて、彼女の淡紅色の唇が、呪文を紡ぎはじめる。


 空に、雲はなかった。
 十六夜の月が輝く以外、そこには星もなかった。
 冒険者たちは、木々の隙間から差し込む月明かりを頼りに、林道を抜けていく。
 ふいに、魔導士のひとりがはっとして立ち止まった。「どうしたの?」と、仲間たちが立ち止まった。
「いえ…」
 魔導士、アブドゥーグは木々の隙間から見える月を見上げてみた。
「──今、何かが聞こえたような」
「なにか?」
 なんだよと、ラバが耳を澄ます。
「…何も聞こえないぜ?」
 月を見上げたまま、アブが、
「お馬鹿のラバには聞こえません。魔力に由来するものです」
 さらり。
「なにを!?」
「まぁまぁ」
「実は、さっきからすごい魔力を感じてるんだよネ…」
 同じく魔導士のグリが呟く。
「それも強力な力を中心に、無数の魔の者の力」
「何も感じません」
「同」
 ぴっと手を挙げたのは騎士のあおいるかと迦陵だ。
「魔導士どもの脳が逝ってるだけだろ」
「俺も、よくわからないですね」
 アサシンのラバとシンも、ひょいと肩をすくめていた。
「何か感じるか?」
 グリムが玲於奈に向かって聞くと、玲於奈は少し首を傾げて、
「そういわれれば、そんな気が、しなくもないようなないような…」
「あの…っ」
 翡翠色の髪の巫女、ユイが口を開いた。
「あの──ここまでで結構です。ありがとう」
「は?」
 ラバが目を丸くした。
「何いってんの?コモドまで、あとちょいだぜ?」
 それに玲於奈が続く。
「そうだよ。それに、コモドに行くには、東洞窟を抜けないといけないから、ユイちゃんひとりじゃ、やられちゃうよ?」
「…すくなくとも、サンダルマン要塞遺跡で、ゴブリンアチャにタゲられて、やばかったですしねー」
 目を細めて思い出し苦笑をするのはあおいるかだ。「迦陵さん、ちゃんと護らないと…」「あおさんいるから、平気」「俺は壁かー」「…いつもだけど」
「あの…いえ…」
 言葉を探すように、ユイは呟いた。
 言うべきか──言わないでいるべきか。やはり、あの時に言っておくべきだった。そして自分ひとりで、この場所へと来るべきだった。
 強まりはじめている闇の力。
 その正体を、自分は知っている。彼らは、知らない。
 知るべきではない。
 それは、千年の偽りの平和の中に埋もれた真実。
 私はそれを護る者。
 彼らは、冒険者。
 彼らは、この世界の真実を求める者たち。
 相容れるはずなど、ないのだ。
 たとえ仲間だと言われても、私の『運命』の前に、仲間なんていうものは、脆く、弱い繋がりでしかない。それは、私を護り続けてくれた民のみんなと同じ。私を『護る者』と同じ。
 私はだから、誰にも傷ついて欲しくなんかなくて──せめて、仲間だと言ってくれる人たちがいるのなら──私は、覚悟を決めなくちゃならない。
 彼らをこれ以上、巻き込んでしまわないように。
 そして──
「ありがとう」
 ユイは微笑みながら言った。私は、この命を賭けて──
「大丈夫。私はコモドにたどり着いて見せます」
 みんなのために。
「覚悟を決めれば、人は、なんだって出来ると思うのです」


 しかし、彼女の言葉は仲間たちの耳には届かなかった。
 闇を突き抜けてきた閃光に、空間を裂いた風の音に、彼女の声はかき消されてしまったのだった。
 冒険者たちが振り返る。
 闇の向こう、洞窟の村、コモドの方角。
 冒険者ならば、誰でもがわかる。爆発のそれのように空間を突き抜けていった風と光と、そしてそれに、皆、目を見開いた。
「な…」
 誰かが言葉にならない声を上げた。
 闇の中、漆黒の空のそれよりも黒い力がうごめいていた。空間のすべてが、その力に支配されていく。生ある者たちの皮膚を突き刺し、闇の力が心を撃つ。
 魔力を持たない者にも、聖職者でないものにも、誰にでもわかる。
 それは闇の力。
 空間が軋み、魔物の咆哮のそれのような音が響いた。
「何が起こってんだ!?」
 誰かが、闇に向かって叫んだ。
 スピットは知っている。
 それは、人間界と神界、そして魔界を隔てる魔壁が崩れようとしている音だ。悪魔の咆哮も似た、全身に悪寒を走らせるそれ。
「おいでなすったな…」
 帽子を押さえつけ、スピットは身構えた。
 祭壇を見守る兵士たちの間から、声にならない声が漏れた。誰もが臆し、心と同じに、後ずさる。
 翡翠色の髪の巫女が唱える、封印を解く呪文が、今、終わりを告げようとしている。祭壇に置かれたエンペリウムは、真昼の太陽以上の光を放ち、嵐を凌ぐ風を生みだしている。
 揺れる髪をそのままに、巫女は、ゆっくりと顔を上げた。
 光の中に、ぼろぼろのローブをまとい、闇の力に、朽ちた身体を支えられているだけの、人の形をしたものがあった。魔女──それは光の中にありながら、その光を飲み込むほどの闇をまとっていた。
「…スピさん」
「ああ」
 アピの声に、スピットは帽子を押さえつけたまま、小さく返す。
 響き続ける、魔壁が崩れようとする轟音の中、その声はあまりにも小さすぎた。見守る者たちの中、恐慌をきたした、心の弱い者たちのあげる悲鳴ですら届かないこの場所に、その声は、あまりにも小さすぎた。
 けれど、ふたりは確かに小さく頷きあった。
 祭壇の奥、地底湖の向こうの壁が砕けた。
 魔法の力。
 無数の水球。
 壁を突き破ったその水球は、荒れ狂う波と同じく辺りに踊り狂い、その場にいた者たちをなぎ払った。そしてそれは最後に、祭壇に向かって突き進んできたが、エンペリウムの放つ光の前にかき消された。
 霧散する、水の魔法の力。
 翡翠色の髪の魔導士は帽子の下から、それを見た。
 にやり、口許を曲げてみせる。
「遅かったじゃねぇか…」
 視線の先にいたのは海賊の頭──異様な形をした帽子をかぶり、元は上質なものであったろう、マントを身にまとった闇の者──「ドレイク」
『時は、真実を明かすときを迎えたのだ』
 ドレイクの、肉のない顔が恍惚の表情にゆがむ。
『我らが、魔女とともに!』
「そうかい──」
 スピットはアークワンドを握り直す。
「残念だが──俺らも、覚悟完了なんでね」
『魔女は、貴様らに封印される前に、我らが貰い受ける!』
 ドレイクの身体を、魔法の力が包む。
 生み出される魔法陣の輝きに、水がうなり、闇の魔力が高鳴りを増す。
「させるかよ」
 答えて、スピットは両手で握りしめた杖を、高々と突き上げた。
 エンペリウムの生む光と風が渦を巻き、彼の帽子を舞い上がらせる。その足下には──巨大な魔法陣。
 誰もが目を見開いた。
 軽く微笑む、翡翠色の髪の巫女以外。
 輝く魔法陣によって生み出された空気の流れが、スピットを中心に渦を巻く。辺り一面を飲み込む風は、祭壇を、その上にある輝く『運命の石』を、魔女を飲み込み、すさまじい勢いで加速していく。
 光の粒子が弾け、雷がほとばしった。
 雷鳴が幾重にも重なり、すべての音を飲み込んでいく。
 魔壁からの轟音も、誰かの声すらも。
「これが俺らなりの、覚悟だ」
 そして風が、その雷鳴すらも飲み込んだ。
 一瞬の静寂に、彼の口が言葉を紡ぐ。
 呪文の、最後の言葉が響き渡る──
「ロードオブヴァーミリオン!!」
 光が、圧となって駆け抜けていく。全ての音を飲み込んで、全ての色と物質すらも飲み込んで、辺りを一面を、真っ白に吹き飛ばしながら。