studio Odyssey



プロローグ


「お手紙、書くね」
 まだあどけない少女は、そう言って、軽く笑った。
 ミドカルド大陸一の都市、王都、プロンテラ。
 まだ朝靄の色濃く残る街に、少女の小さな声が響く。
「引っ越しても、幼なじみは、幼なじみだよね?」
 少女の言葉に、彼女が乗る荷台にを引くペコペコ──空を飛べない、大きな鳥のような生き物だ──が、くるりと振り向いた。黄色い毛並みのその鳥の視線の先には、二人の少年の姿があった。
「そうなんじゃない?」
 背の高い方の少年が言う。「そういうのは、よくわからんけど」
「手紙、待ってるね」
 背の低い方の少年が言った。
 二人、同じ翡翠色の髪に、似た顔つき。少女は、二人に向かって笑いかけながら言った。
「うん、ちゃんと、読んでよ?」
「オレは、字、書くのヤダから、スピに読ませる」
「じゃあ、へっぽこにーちゃんには、オレがよんでやるよ」
 背の低い方の少年は、苦笑するように笑って言った。「おぉ!?」と、目を見開き、「へっぽこにーちゃん」と呼ばれた兄は、弟に向かって、食ってかかった。
「生意気だなてめぇ!?たたっ斬ってやる!」
 すらり、腰に携えていた木刀を引き抜いて見せたが、
「へっぽこにーちゃんなんかに、まけるかよー!?」
 弟には、威嚇にもならなかったようだ。
「けんかするなよー」
 けらけらと楽しそうに笑う少女に、ふたりはむすりと口をとがらせるばかり。
「プロンテラにも、たまには来るね」
「ああ」
「引っ越し先って、アルベルタだっけ?」
「うん」
 商業都市、アルベルタ。
 プロンテラより、遥か南東に位置する町だ。まだそれほど栄えた町ではないけれど、砂漠の中にある町、モロクや、他国との海路の拠点として、近頃、急速に大きくなり始めていた。
「ちょっと、とおいね」
 少女の言葉に、背の高い方の少年が続いた。
「あれだ、でも、イズルードの街ができたら、船でアルベルタまで行けるようになるって話だし、すぐにあえるようになるさ」
「イズルードがいつ出来るか、わかんないけど…」
「おぉ!?テメェはなんで、オレがお別れしても、いつでもあえるさって話をしようとしてんのに、水を差すんだよ!?」
「ほっぺたひっぱるなよ!!」
 衛星都市イズルードは、海に面さないここ、プロンテラへの海路の入り口として作られ始めた町だ。町の完成は数年後とも言われているが、彼らにしてみれば、それは遠い将来の話ではない。
 ペコペコの引く荷台の上、少女は笑っている。
 結局、取っ組み合いの喧嘩を始めた二人に、おかしそうに笑っている。
 荷台の上に、彼らの両親に挨拶をすませた彼女の両親が、笑いながら腰を下ろしていた。気づいた彼女は、細く笑う。
「じゃあね、スピット」
 声に、二人は振り返る。
 そして、
「イブも、元気で」
「オレにはネェの?」
 軽く言う。
「スピ兄は、いつでも元気そうだし」
 彼女はそして、その微笑みを残したまま、この街を去ったのだった。「じゃあね」
「いつか、冒険者になったら、またあおうね」


 その、『いつか』がやって来たのは、今から一年以上も前の話だ。
 王都、プロンテラの街は、あの頃から今も、変わらない。
 けれど──
 商業都市アルベルタは、今では様々な町との貿易が盛んに行われ、週に一度は冒険者たちのバザールが催されるほどになっている。
 衛星都市、イズルードも出来た。海路も整備され、毎日、定期便がその海路を行き来している。
 『いつか、冒険者になったら』
 彼らは今、その『いつか』の先にいた。
 彼らは今、冒険者になっていた。
 この世界を、広大なミドカルド大陸を駆け抜ける、冒険者になっていた。


 そう。
 それは、今から十数年も前の話。
「あれ?」
 その日も、ミドカルド大陸は真っ青な空に覆われていたのだった。
「お父さん、誰か泣いてる?」
 その家族を載せたペコペコが引く荷車は、プロンテラの南に位置するソクラド砂漠を抜け、フェイヨン森の林道を抜けて、一路、アルベルタへと向かっていた。
「イブが、泣いてるんじゃないのかい?」
「な、泣いてなんかないよ!」
「子どもの泣き声だわ…」
 木漏れ日の差し込む林道。
 ちいさな、誰かの泣き声。
 手綱を引く父がペコペコを止めるのよりも速く、少女は荷台から飛び降りると、その泣き声の聞こえる木の裏へ駆け出していった。
「あ…」
 遅れてやって来た母親が、そこで泣きじゃくる子どもを見つけ、
「赤ちゃんだわ」
 そっと、その子を抱き上げた。
「何か落ちたよ?」
 と、抱き上げた拍子にその子の服の中から、赤い宝石のような輝きを持つ石──レッドジェムストーンだ──がひとつ、ぽろり。
 少女は、臆さずにそのジェムストーンに手を延ばした。と、その指先が触れた瞬間、石は弱く輝き、おぼろげな映像を浮かび上がらせた。
 それはまるで、砂塵の向こうにいる誰かが、彼女たちに向かって言うような感じで──聞き取りにくい言葉、目を細めても、輪郭しか見えない姿。
『──たちを、お願いします。今の私にできることは──いつか──運命の石──』
「魔法か?」
 ぽつりと、目を丸くしてつぶやく父を見上げ、少女は瞬きをひとつして小首を傾げた。声は続けている。
『──この子たちの、運命──私は──』
「でも、こんな魔法、聞いたこともないわ」
 母も目を丸くし、腕の中の赤ちゃんをあやしながら、「捨て子かしら…」ぽつり。
「このご時世だ…捨て子もそう、珍しいことじゃないが…」
「かわいそうに…」
「神さまが、赤ちゃんをくれたの?」
 両親を見上げながら、少女は首を傾げたままに聞いた。
「私の、いもうと?」
 少女はそっと手を伸ばす。ふたりは、少し気後れするように身体をそらせたけれど、微笑みながら手を伸ばす彼女に、仕方がなくて、苦笑しただけだった。
「だっこさせて」
「しっかりもてる?」
「うん」
『は、ユイ──』
 少しずつ弱くなっていく光と声に耳を傾けながら、父親は目を細めてつぶやく。
「たち──と言っていたようだが…」
「この子しか、見あたらないわ…」
「──みたいだな」
 彼女の腕の中のその子どもは、泣き疲れたのか、それとも人に出会い安心したのか、今はちいさく寝息を立てていた。「この子だけでも──」「あなた、大丈夫?」「なに、新しい仕事がうまくいって、アルベルタに向かうんだ。ひとりくらい食い扶持が増えても、なんとかなるだろ」「──あなたがいいなら、私はいいけれど」
「赤ちゃん、おなまえは?」
 少女は、安らかな寝息を立てるその子に向かって聞いた。その小さな子が、答えられるはずなど、ありはしなかったけれど。
『紅い髪の子の名前は──アピ』
「アピちゃん」
 微笑み、その名を口にしながら、彼女の母親は紅い髪のその赤子の頬をつついて笑った。
「イブも、これでお姉ちゃんね」
「うん」


 そして、『今』。
 彼らは、この出会いの瞬間から決まっていた、『いつか』の運命の冒険を、始めることになる。