studio Odyssey



そして冒険の旅へ。


      

 明くる日。
「モラァ!気合いがたりん!!気合いが!!」
 プロンテラから西へ少し行ったところ、通称バッタ海岸に、インテの声が響いています。
「がんがれー」
 と、笑いながら言うのはフィアット。
「根性ですよー」
 続くのはエアです。
 ふたりとも、木陰にすわって、「みーてーるだーけー」
「ひいぃぃぃ」
 情けない声を上げているのはスピットです。彼の眼前には、バッタ型モンスター、ロッカーがいます。「振るえー!力の限りに剣をふるえー!」と、檄を飛ばしているインテを、ロッカーは攻撃し続けています。もっとも、彼はその攻撃をひょいひょいとかわしながらスピットに檄を飛ばしているのですが。
 スピットはインテたちに連れられ、この場所に来ていました。
 目的は言うまでもありません。
「ふぅー…」
「よし、片づいたな。次行くぞ、次!」
「えっ!?」
「ヤスムナー!」
「がんがれー」
「気合いですよー」
「貴様は今日中に、剣士として転職するのだ!」
「ま、マヂですか!?」
 目的は言うまでもありません。
 スピットのレベル上げです。
 ノービスのスピットは、まだ力も強くなく、強力な敵を倒すことは出来ません。が、インテのような高レベル冒険者に強い敵をたたいてもらい、その彼を壁にして敵をたたくという小技を用いれば、彼でも強い敵を倒すことが出来るのでした。
 当然、強い敵を倒せば、たくさんの経験値が手に入り──
「あ、レベル上がった…」
「お、おめー」
「よーし、がしがし行くぞ!」
「うぁ…ステータスあげたい…」
「あげるな。何に転職するかも決まってないヤツが」
「ぐ…」
「とりあえず、おめー!で、ブレスっ!!」
「つまりは、はたらけー」
「行くぞ、スピ!」
「って、インテさん、多すぎますっ!?」
「狩れー狩れー狩りまくれー!」
 けらけら、インテもフィアットもエアも、楽しそうに笑っていました。
 そんなことをやって、どれくらい狩りを続けたでしょうか。
 陽はやがて南天を通り過ぎ、バッタ海岸の風向きも変わりました。午後の陽光に照らされた海からの潮風が、四人の間をさわさわと抜けていくようになりました。
「──た、たいむ」
 ロッカーの大群を退けたスピットが、息も絶え絶えに言いました。
「なんだ、根性ネェな」
「す、少し休ませてください」
「じゃあ、面白い話でもしろ」
「はぁ!?」
 スピットは目を丸くしました。
「あ、ききたーい」
 と、フィアット。
「いいですねぇ」
 エアも笑って、帽子の位置を直します。
「お、面白い話なんかないですよ…」
「──プロボ…っ」
「あっ!ああっ!し、質問していいですか!?」
 とっさ、スピットは言いました。
「なんだ?」
 ロッカーに向けた手を下ろしながら返すインテに、スピットは「ええっと…」とどもり気味に聞きました。
「あのー…インテさんやフィアットさん、エアさんは、どうして冒険者になろうと?」
「面白くない話だな。プロボ…っ」
「いや!あの!!俺の転職の参考にしたいなーなんて」
 ダメか!?と、覚悟しましたが、インテは「んだよ」と小さく舌を打って、右手をおろしました。
「俺は別に、話すほどの事もないな。エア、お前は?」
「私ですか?」
 目を丸くして、エアは自分を指さします。そして、
「んー…私が冒険に出たのは、フィアットが飛び出しちゃったからなんですが」
「そうなんですか?」
「そうなのです」
「あっ!何!?その話するわけ!?」
 目を丸くして、フィアットは兄、エアに食ってかかりました。が、エアはかまわずに続けます。
「フィアットは、修道院を脱走したのです」
「だっ、脱走って!お兄ちゃんはあの修道院の監獄生活を知らないから言うんだよ!!おかしも食べられないんだよ!?」
「──おかしってお前、ガキじゃねぇんだから」
 はぁとインテはため息を吐きました。
「それで──」
 と、エア。
「仕方なく、私はフィアットを探すため、単身旅に出る事になったのですが、私は非力でしてね。自分で自分の身を守るには、魔法士として魔法を覚えるしかなかったのです」
「ま、その頃こいつはあのベンチにいたんだけどな」
 にやりと、インテは笑いました。
「雨の中、ひとり寂しそーに、くすんくすん、泣いていたわけだ。で、俺がしょうがねぇから、パンくずをくれてやった」
「雨も降ってなかったし、パンくずももらってなぁーい!!」
「お前が当時はか弱い女の子だったという部分をスピに教えてやろうとしてんだ。文句いうな」
「今でもかよわーい!」
「は?」
 と、インテとエアが同時につぶやきました。
「コイツなんか、本当は落ちぶれ剣士だ!」
 びっと、フィアットはインテを指さして「あ──…」
「──ごめん」
 力無く、その腕を下ろしました。
「──いや」
 と、インテは帽子の位置をきゅっとなおしました。
 よくは、スピットにはわかりませんでした。
 でも、きっとそれは触れちゃいけない話なんだと、そう──
「触れちゃいけない話だと思ったか?」
「え?あ、いや」
「たいした話じゃネェよ」
 帽子を押さえながら、インテは口許を曲げました。「ある日、ある名の知れたある剣士どもの集まりに、ある特命が下されました」
「ある──?」
「で、そいつらはこのミドカルド大陸に旅立ちました」
 と、インテは近くにあった木陰の方へと歩いていきました。
 そして一本の木の下に腰を下ろし、帽子を押さえました。小さく、だけれどしっかりと話す自分の口以外のどこも、誰にも見えないようにして。
「そいつらは皆、自分たちが鍛え上げてきた剣士としての力がついに認められ、その特命が下されたんだと、信じて疑いませんでした。が、その命令は、ただのやっかい払いだったんだな」
「その、特命って──?」
 聞くスピットに、インテは弛ませた口許を見せて、返しました。
「この世に存在もしないものを持ってこいっていうようなもんだ。昔話にあるだろ。姫様が、結婚を申し込んできた男どもに、存在もしないようなモンを持ってこれたら──って。あれのたぐいだわな」
「──状況はちょっと違う話だったと思うけど…」
「何にせよ、存在もしないモンを探してこいって命令に、始めは十数人もいた仲間も、次々と減っていって──最後には、阿呆なリーダーだけがひとり残り──まぁ、やがてそのリーダーも冒険をやめてしまおうと思うわけなんだが──このままじゃ終われネェ。夢を抱いて旅立った仲間の事を思うと、そして、破れたそいつらを気持ちを思うと、そんな命令を下したヤツの顔面に、マグナムブレイクの一発でもブチ込まなきゃ、気が晴れねぇ」
「物騒ですねぇ…」
 苦笑いのエアがぽつりと言いました。「そんなことをしていたら、今頃インテはここにいなかったでしょうけどね」
「だが、そいつはそう決心してそこへ向かう途中、雨に濡れた子犬を拾うんだな」
 と、にやり。
「アホか」
 ぷいとそっぽを向き、フィアットは目を伏せました。
「その犬に、妙になつかれてなぁ…まぁ、冒険者としてはもう、そいつは目的も何もネェ、ダメダメなヤツになっちまったわけなんだが──」
「ご飯にしようか?」
 フィアット。風に揺れる髪をなおして、木陰の中へと入ります。
「今日のランチは、フィアットちゃんの得意りょうり〜」
 と、インテの隣に座り、膝の上でバスケットを彼女は広げました。
「またアレか?」
「じゃーん。お手製、ポテトパイー」
「──いや、俺はさっきからけっこー、芋食ってんだが?」
「なんか言った?」
「──まぁ、それも悪くネェかなと」
 言って、インテは帽子をあげて笑いました。


 午後の陽光を遮る木陰の下、四人は車座に座っています。
 もぐもぐとフィアットのポテトパイをかじりながら、インテ。
「しかし、もうちょっとでスピも転職だな」
「私たちの話も聞いたことですし、身の振り方を考えないといけないですねー」
「アコになるんでしょ?」
「え?」
 さもありなんと、フィアット。インテが続きます。「剣士だろ」「アコだって」「いーや、剣士っ」「アーコ!」
 何度聞いたやりとりでしょう。やっぱり、なんだかんだで仲いいんじゃ…
「実際、心は決まったんですか?」
 新しいポテトパイに手を伸ばしながら、エアが聞きます。
「何に転職するか」
「いや…まだ…」
 スピットはうーんとうなりながら返しました。「スピットくん、ポテトパイついてるよ」「え?どこ」「とったげる」
「ま、いろんな職を見てみて、それで決めるもひとつの手段でしょうけど」
 と、エア。「エア、ポテトパイついてるぞ」「え?どこ」「口に決まってるだろ。てめぇでとれ」
 口のについていたポテトパイをぬぐいながら、
「なんなら、私がひとつ、職業適性を見てあげましょうか?」
 エアが言います。
「え?お兄ちゃん、そんな事できるの?」
「私は、知性にあふれた、魔法士ですからね。先ほどは私たちの話でしたが、今度はスピの潜在能力に聞いてみましょう」
「あてになんのか?それ」
 もぐもぐとポテトパイを食べながら言うのはインテです。「インテもポテトパイ、口についてるよ」「え?マジで?」「とったげないけど」「こちらから遠慮する」
「スピ、これを持ってください」
 と、ポテトパイを置いて、エアは近くにあった小枝をスピットに握らせました。
「これを?」
「で、ここに、こうします」
 と、スピットの前にエアは近くからちぎり取った草をさっと巻きました。
「なになに?何かの占い?」
「楽しそうだな、フィアット…」
「インテだって、楽しみなくせに」
「では、その枝で、その草をぴっと指してください。で、私がはいっと言ったら、上へ振り上げる」
「はぁ…」
 なんだかよくわかりませんでしたが、スピットは右手に持っていた枝で、自分の前に巻かれた草を指しました。「では──」と、隣のエアはそっと目を閉じると、小さくぶつぶつとつぶやき始めました。
「はいっ!」
 ぴっ!と、スピットは枝を振り上げます。
「──…」
「──なにもおこんないよ?」
「あ、あれ?」
「──どうなるはずなんですか?」
「どうなるの?」
「お、おかしいな…ボッと燃えるはずなんだけど──もっかいやってみましょう!」
 再び、エアはぶつぶつとつぶやき始めました。
「あ、俺もういいわ。それ知ってる」
 と、インテ。「そんなん、やったって無意味だぞ、エア」「なんの占いなの?」
「はいっ!」
 ぴっ!と、再びスピットは枝を振り上げます。
「──燃えないですよ?」
「燃えないねぇ…」
「いや、今のは本当は凍るんです」
「才能ねぇぞ、スピ!」
「ええっ!?なんの!?」
「ラスト!いきますよっ!」
 再び、エアはぶつぶつ…でも、今までの中で一番真剣っぽいです。スピットも少し申し訳なくなってきて、枝を握る手にちょっと力を入れました。
 あれ──?
「はいっ!!」
 ぴっ!と彼が腕を振り上げたのは、エアのかけ声からではなく、ぴりっと腕に走った何かからでした。
 瞬間、スピットの目の前にあった草の葉が、彼の腕の動きにあわせて、高く高く、舞い上がりました。
「飛んだ──」
「飛んだねぇ…」
 ひらひらと舞うそれに、スピットとフィアットはぽつりとつぶやきました。
「お見事!」
 ぽんっと手を打つのはエアです。
「スピには、風魔法の才能があります」
「え?」
「魔法士の潜在能力をチェックする、簡単な診断だ」
 と、インテ。ポテトパイを口の中に押し込みながら、言います。
「でも、魔法士になるようなヤツには、三つとも反応するモンだがな」
「え…?」
「あっ!なんて事を言うんですか!!」
「お前には、魔法士の才能がないぞ、スピ」
「練習すれば、大丈夫ですよ!スピ!!」
「やっぱ、アコだねー」
「アコも魔法使うだろうが。スピ、やっぱお前は剣士」
「ち、違います!きっと私の調子が悪かったのです!!」
 すっくと立ち上がり、ぐっと拳を握りしめてエアは言いました。
「ゲフェンの魔法ギルドでちゃんとチェックしてもらえば!!」
「──ゲフェン行く?」
「悪くないな」
 インテににやりと笑って、帽子をなおしました。
「ゲフェンに向かって歩いて行く間にレベルも上がるだろうし、つく頃には陽も暮れるだろ」
「ゲフェン?」
 スピットがつぶやくように聞きました。
「魔法士の町です」
 ちょいと頭の上の帽子をなおしながら、エアが言いました。
「強力な魔法の力を封印したという塔の周りにできた、魔法士たちの町ですよ」
「そしてお前はそこで剣士に転職をする、決心をするのだ」
 にやにや笑いながら、よいしょとインテは立ち上がります。「アコだってば!」返すフィアットはバスケットの中のポテトパイの残りひとつをスピットに差し出しながら、「ねぇ?」
「…あ、あー」
「よーし、満腹。第二ラウンド、いくぞ。スピ!」


「魔法士を目指して!」
「いや、魔法士の町を目指して、だろ」
「最終的には、アコになるからね」
「剣士っ!!」



      

 夕暮れの近づくミドカルド大陸は、ルーンミドカツ王国。
 その、西の果て。
 魔法都市ゲフェンは、そこにありました。
「ここが、魔法士の町、ゲフェンです」
 と、その魔法士であるエアが、ゲフェンの階段を下りながら言います。
 ゲフェンは窪地の中にありました。町は周りの大地よりも一段低いところにあって、少し長めの階段を下りきった先に、円周状に広がっていました。魔法士の町と言う割には、スピットの目に入ってくるのはどこの町にもある市場の光景。露天商人たちの姿。そして冒険者たちの姿です。
「プロンテラとかと、あんまり変わらないですね」
「プロの方が圧倒的に広いがな」
 インテが言います。
「んでもって、あれがゲフェンの象徴だ」
 指さす先、西の空に沈もうとする赤い夕陽の前に、巨大な塔がそびえ立っていました。「ゲフェンタワー──」帽子をなおしながら、エアが続きました。
「強力な魔法の力が眠るとされる大地の上に立つ、ゲフェンの象徴です」
 スピットは感嘆のため息とともにその塔を見上げました。
 魔法の力でしょうか。巨大な宝石が宙に浮き、夕焼け色に輝いています。
「すげぇ…」
「偉大なる、魔法の力です」
「でも、魔法の力でも空腹は満たせないがな」
 ふんと鼻を鳴らしてインテ。
「さっさと宿を決めちまおう」
「ですね」
「二手に分かれる?」
 フィアットが言いました。
「私、ゲフェンはあんまり詳しくないから、私とインテで宿探ししてる間に、お兄ちゃんはスピットくんをつれて、魔法士ギルドに行ってくれば?」
「ああ、いいかもしれません」
 と、エア。「スピもそれでかまわないですか?」「あ、いいですよ」
「じゃ、それで」
 くるりとインテはきびすを返しました。「行くぞ、フィアット」「あいあい」
「お兄ちゃん、スピットくん連れて行くのはいいけど、ゲフェンダンジョンに突貫とか、しないでよ?」
「お馬さんと戯れますか…」
「死ぬだろ、テメーは」
「ジョークですよ」
 一行は二手に分かれました。
 インテ、フィアットのふたりは、宿を探してゲフェンの北東に歩いていきました。酒場がそこにあり、いくつかの宿屋がその近くにあるという事でした。
 そしてスピットとエアのふたりは、ゲフェンの北西にある、魔法士ギルドを目指しました。
 さて、その魔法士ギルドですが──そこはスピットの想像していたものなんかとは、だいぶん違っていたのでした。
 魔法士ギルドは他の建物より、少し大きな建物というくらいで、外見上は他の建物と違いがありませんでした。注意深く見ないと、そこが魔法士ギルドであると言うことにすら、気づかないのではないかというくらいです。
「魔法士ギルドというくらいだから、もっとけばけばしいのとか、あの塔みたいに何か浮いてるのかと思ったんですけど…結構、地味ですね…」
「外見はね」
 言いながら、エアはその建物の中に入りました。
 建物の中は、ひとつの大きな部屋になっていました。中央には、タワーの上に浮いていたのと同じ宝石が浮いていて、その部屋の中にいた人たちを映しています。
「あ、中はこれ、あるん──」
「お」
 エアが奥まったところにいた三角帽子をかぶった男の前に、何人かの人垣が出来ているのを見つけて、目を輝かせました。「いいものが見られますよ」「いいもの?」
「あの三角帽子の人が、魔法士ギルドの人なんです」
「へぇ」
 人垣の中のひとり、スピットと同じノービスの女の子が、そのギルド職員に話しかけていました。「彼女が──」エアがいいました。
「魔法士として、転職します」
 ぽっと、弱い光が輝きました。スピットは思わず目を伏せました。エアは軽く笑って、帽子のつばに手をかけました。
 再びスピットが目を開くと、そこには魔法士の姿になった、ひとりの女の子がいました。
「おめー」
「おめでとー!」
 彼女を取り囲んでいた、彼女の仲間らしき人垣から、祝福の声が飛びます。
「ありがとー」
 そして──「参加しなければ!」「へ?」
 だっと駆け出すエア。どこから湧いたのか、部屋の中にいた──らしき──幾人もの魔法士たちも、彼女を取り囲むようにして、かけだしていました。そして、その魔法士たちの声が響きました。「サンダーストーム!」「ファイヤーワール!」「セイフティーウォール!」「サイトー!」「しまった!宴会芸がないっ!?」「ネイパームビート!」「ファイヤーボール!」「誰だ!?NB打ったの!?」
 ど派手な魔法が、魔法士ギルドの室内に炸裂します。輝く魔法の力に、部屋の中心にあった宝石は、けらけらと笑うように七色に光っていました。
「す、すげぇ…」
 魔法の祝福に囲まれて、転職した魔法士の女の子は目をぱちくり。祝福に魔法を唱える魔法士たちは、本当に祝福なのか、それとも自分の魔法を見せびらかしているだけなのか、ともかくも、派手な祝福を、力の限りに続けていました。
 やがて──
「はぁはぁ…」
「SPつきた…」
「お、おめ…」
「こ…これからも、頑張ってください」
「りっぱな…ま…魔法士になってくださいね」
「あ…ありがとうございます」
 SPを使い果たし、肩で息をする先輩魔法士たちの言葉に、新米魔法士の彼女はちょっと苦笑い気味に返しました。「じゃ、いきます」「うぃ」「がんがれー」「オマエモナー…」
「何してるんですか…」
 壁により掛かっていたエアの元に歩み寄り、スピット。「あ?ああ、スピ」はぁはぁと肩で息をしながら、エアはちょいと帽子をなおしました。
「祝福は礼儀です」
「はぁ…」
「魔法士ギルドの転職時祝福は、派手でなければなりません。そう──」
 ぐっと拳を握りしめ、
「大聖堂のアコライト転職祝福に負けてはいけないのです!」
 高らかにエアは言いました。
 部屋の中にいた、肩で息をする魔法士たちの皆が、ぐっと親指を立てた右手を、つきだしていました。
「はぁ…」
「あまりにも派手にやられるので──」
 と、スピットに声をかけたのは、三角帽子の魔法士ギルド職員でした。
「この建物も、なんども建て直しをしているので、あまり威厳のない、普通の建物なのです」
「な…なるほど…」
「こ、こんな時でもないと、私の魔法が陽の目を見ることはないのです。宴会芸魔法と呼ばれる、我が最強の風魔法…こんなことでもなければ…」
 ぐっと拳を握りしめるエアに、スピットは苦笑いです。何をそこまで…
「あのー…すみません…」
 と、ギルド職員に声をかけるノービスの男の子の姿がありました。「あの…魔法士に転職したいのですが」
「あ、そうですか。わかりました。では、魔法士になる前にいくつかの質問を…」
「はい!」
 ちらりとスピット。壁により掛かっていた、先ほど魔法を打ちまくっていた魔法士たちに視線を走らせました。すると、一様に皆、両手を胸の前から両脇へとくいーくいーと延ばしていて──「のばせー、のばせー」「エアさんまで、何を…」「SPの回復が、おっつきません」「…なにもそこまで」
 ぽっと、また弱い光がはじけました。振り返ると、そこには魔法士となった男の子がいました。
「いくぜ!野郎ども!!」「おぅよ!」「ひとりで転職なんて、そんな寂しい思いはさせネェぜ!」「おっとせー!!」「落としちゃダメだろ!?」
 そして再び、宝石はけらけらと七色に輝き出しました。


「…大丈夫ですか?」
「うーん…ダメかも…」
「あの…俺の適性って話は…?」
「…みんな死んでますからねぇ…」
「あ…じゃ、じゃあ俺、ゲフェンタワーって行ってみたいんですけど?」
「ん──行ってらっしゃい。後から、追いかけるよ」
「いいですか?」
「うん。ただし、地下はダメだよ。地下はダンジョンになっていて、今のスピなら即死だからね。上へ行くぶんには、問題ない」
「わかりました」
「あ、もしもインテやフィアットからWisがあったら、私も一緒にいることにしておいてください」
 苦笑いにエアは笑って、帽子をなおしました。「あのー…魔法士に転職するのは、ここでいいんですか?」「ええ」「またキター!?」「野郎ども、蜂蜜なめろ!」「今度こそ、落とす!」「かかってこいやー!」
 スピットは苦笑い。
 けらけらと笑う七色に輝く宝石を後にして、夕暮れのゲフェンの町に戻りました。
 天高くそびえる町の中心に立つタワーを見上げ──「あの宝石のところって、いけんのかな」


      

 何十、何百という段数の階段を、スピットはぜぇぜぇと息を切らしながら上がっていました。
「い、いったいどれだけの高さがあるんだ…」
 スピットはゲフェンタワーを上っていました。ここが何階か、もうスピットにはわかりません。「足が棒になる…」そんな思いまでして登っているのですが、実は一階で出会った冒険者に「この上って、何があるんですか?」と聞いたところ、「いや、何もないよ」と聞かされていました。
「これで、本当に何もなかったからどうしよ…」
 というより、何かないと登る気力も、降りる気力も、もはやないのでしたが。
 何階か、スピットはたどり着きました。その狭い部屋はすぐ向こうに階段があって、部屋の中央にはあの魔法の宝石がぷかぷかと浮いていました。
「お、こんなに間近でみれた」
 スピットは宝石に近づきます。弱く、自ら輝くその石は、ふわりふわりと宙に浮き、ゆっくりと回転しています。「魔法の力か」つぶやきます。「すげぇかも…」
 ちょっと、スピットは魔法にあこがれていました。
 あの魔法士ギルドでみた、数々の魔法士たちの魔法。そして今、こんな大きな宝石すらも浮かせてしまう力。
 俺にも、こんな力がもしかして──「あ」そういえば、スピットはエアの魔法適性診断で、たったひとつしか適性が現れなかったのでした。
「──ダメか」
 苦笑するように口許を弛ませ、スピットは再びぷかぷかと浮くその宝石を見上げました。
 冒険者として旅立つ前、スピットはそれなりにいろいろな事を勉強したつもりです。剣士の持つスキル、アコライトの持つスキル、当然、魔法士のそれも一通り勉強しました。いくつかの魔法の属性、そして、いくつかの魔法──
「でも、ものを浮かす魔法なんて、なかったような気がするけど──」
 ぽつりと、スピットがつぶやいた時でした。
「失われた魔法のいつくかの、ひとつだ」
 不意に、声が聞こえました。


 スピットは階段を上がります。
 声のした、階段の上へと向かって、歩いていきます。
 階段の上は、ゲフェンタワー最上階でした。
 狭い部屋。
 奥まったところに、机がひとつ。その脇には小さな本棚。古い魔法書らしき物がぎっしりと詰まっています。「こんなところまで上がってくるとは、ずいぶんと酔狂な人間もいたもんだな」
 本棚の前に、ひとりの魔法士がいました。
「あ…」
「ゲフェンタワーは、地下のダンジョンに挑む者こそいるが、上へ上がってくるものなどただの酔狂か、この世界のすべてを見ようとする冒険者のどちらかだ」
 魔法士は本棚に手をかけます。ぴりりっと、その場所に電撃のようなものが走りました。「ち…ここも結界がはられているのか──」
「あの──」
 スピットはあたりを見回しながら言いました。
「ここ、最上階でいいんですか?」
「そうだ」
「何にもないんですね」
「ああ」
 魔法士は返します。
「ゲフェンタワーの最上階。今はまだ、なにもない場所だ」
 本棚から離れ、魔法士は机の方へと歩いていきます。歩きながら、言います。「だが、いずれはここも多くの人が訪れるようになる」
「は?」
「見たところ、ノービスのようだな」
 魔法士は机に寄りかかり、スピットに向かって続けました。
「このゲフェンにいるということは、魔法士になるのか?」
「いえ──まだ、決めかねているんですけど──」
「そうか」
 魔法士はにやりと口許を弛ませて笑い、言いました。
「阿呆の前衛職になるくらいならば、魔法士になることをお奨めするぞ」
「あ…あほう…ですか…」
「ああ、阿呆だ」
 ふっと笑い、魔法士は机から離れました。そして再び本棚の前に立ち、「冒険者を始めたばかりの君には、まだわからないかもしれないが」いいながら、右手を本棚へと伸ばしました。
 先ほどよりも強い電撃のようなものが、ばりばりとはじけました。思わずスピットは目を伏せます。しかし魔法士は手を止めることなく、その電撃の中へと右手を突き入れました。ばちりと強い光がはじけ、スピットは思わず身を引きました。
「この世界は、ゆっくりとバランスを崩し始めている」
 言う魔法士の手の中には、本棚から抜き取られた一冊の本。
「君は、イミルの爪角を知っているか?」
「イミル?」
「世界の平和を支えているという──知るわけがないな」
 魔法士はそっと本を開きながら続けました。「昔、神と人間、そして魔族による戦争があった」
「え?」
「今から、千年も前──その長きにわたる聖戦の末、壊滅的な打撃を受けたみっつの種族は、滅亡を避けるために長い休戦状態へ入るしかなかった。そして、今、我々はこの大地に立っている。わかるか?」
 魔法士は軽く口許を曲げ、スピットを見て言いました。
「我々は今、その千年の偽りの平和の上に生きている」
「千年の──偽りの平和──?」
 スピットにはさっぱりわかりませんでした。だからきっと、スピットがそういう顔をしていたのでしょう。魔法士は笑い、続けます。「やがて、君も耳にすることがあるだろう。人間界と神界、魔界を隔離する魔壁から響いて来る轟音の噂、凶暴化する野生動物の噂、頻繁に起こる地震と津波の噂。そして、次々と数を増やす魔物たちに、この世界の平和を支えているというイミルの爪角の噂」
「様々な、噂を──だ」
 魔法士はゆっくりと本を閉じ、そして言いました。「しかし、それらはすべて真実」
「すべては、遥か昔に起こった出来事の繰り返しなんだ」
 スピットには、さっぱりわかりませんでした。
 難しすぎて、というよりは、突拍子もなさすぎて、わかりませんでした。この世界が偽りの平和の上にあるって?遥か昔に、神と人間と魔物の間で、戦争があったって?人間界と神界、魔界を隔離する魔壁?
 ぐるぐると頭を回転させますが、もともとあまりよいできではない頭です。スピットは眉を寄せました。
「君には、まだ難しすぎたか」
 魔法士は笑いました。
「だが、すべてはいずれ起こる事だ。君が下で見た、宝石を浮かす失われた魔法も、やがて、誰かの手によって復活する時が来るかもしれない」
「はぁ…」
「君はこのゲフェンタワーの最上階に、何もないと言ったな」
 魔法士は先ほどの机の前にまで行くと、そっと、そこにあった椅子に腰を下ろしました。そして机の上に両肘をついて、言います。
「そして俺は答えた。『今はまだ、何もない』」
「──いずれ、何かが出来るんですか?」
 ふっと軽く、魔法士は笑いました。「崩れ始めたバランスの中、より凶悪で残忍な魔物たちの数が増える事になる。そしてそれに伴い、いくつかの失われた魔法が再び姿を現す」
「その時、この場所は魔法士の上級職、ウィザードへの転職をする場所となる」
「──なんでそんな…」
「言っただろ」
 魔法士は弛む口許を隠しながら、つぶやくようにして言いました。
「すべては、遥か昔に起こった出来事の繰り返しなんだ。俺はすでに、知っているんだよ」
 魔法士が体勢を変えると、椅子がぎしりときしみました。「なんなら、君にその新たに生まれる魔法のいくつかを教えてあげようか?巨大な隕石を降らす魔法、空気を圧縮し、雷の力で爆発させる魔法、すべてを凍てつかせる空間を作り出す氷の魔法──大魔法と呼ばれる魔法のいくつかが、復活する」
「そして凶暴化する魔物たちの前に、前衛職──剣士やシーフは──カス同然になる。凶悪な魔の者たちに対峙できる唯一の力を持った存在は──」
 その魔法士は笑いました。
「我々、魔法士、そしてその上級職、ウィザードのみとなる」
 スピットは眉を寄せました。
 この魔法士の言っていることが本当か嘘か、スピットにはわかりませんでした。確かに魔法士の魔法の力はスピットもさっき見て、すごいと思いました。でも──
「剣士だって、強い力を持った人たちは、たくさんいます」
「越えられない壁が、やがて出来る」
 魔法士は笑いました。「あと戦えるのは、アーチャーたちの上級職として生まれるはずの、ハンターたちか──それくらいだな」
「君も、転職をするのなら、自分の将来を考えた方がいい」
「──まだ、何になるかは、決めていません」
「君が阿呆な選択をしないことを祈るよ」
 ゆっくりと立ち上がり、魔法士は歩き出します。スピットの脇を抜け、彼の肩をぽんと軽く叩き、
「この場所に来るような冒険者は、酔狂か、この世界のすべてを見ようとする冒険者のどちらかだ」
 言いました。
「俺は、君がこの世界のすべて──Ragnarokすらも──見ようとする冒険者であるのなら、次の時代のために、君を我々の仲間に誘うんだがな」
「ラグナロク──ラグナロクって──」
 その言葉は知っていました。小さい頃に読んだ神話の中に出てきた言葉。それはたしか──
「君の名は、何という?」
 身体を半身にしたスピットに向かって、魔法士は歩きながら言いました。
「──スピット」
「覚えておこう」
 魔法士はそっと目を伏せて、言いました。
「スピット。俺たちは、来るべき時のために、ある鉱石を探している。その鉱石は、この世界の運命を変えられる者の前に現れ、その者と運命を共にするという──いずれは世界中でその鉱石が見られるようになるだろうが、俺たちはそれを一番に見つけなければならない。そのために、多くの仲間を必要としているんだ」
「世界の運命って、そんな物を手に入れて、どう──」
「この世界はバランスを崩し始めている」
 魔法士は立ち止まり、肩越しにスピットを見て、言いました。
「誰よりも先に俺たちはそれを手に入れ、この世界のバランスを保つんだ。この世界を、俺たちの手で、救う」


「その──」
 そっと、スピットは訪ねました。
「その──この世界の運命を変えられる者の前に現れ、その者と運命を共にするっていう、鉱石の名前は?」
 魔法士は弱く笑い、返しました。


「エンペリウム」



「おーい、スピ。宿が見つかったぞー。どこにいんだー?」
 頭の中に直接響くインテの声。
「あ──」
「お兄ちゃん?ちゃんとスピットくんと一緒にいるんでしょうね?」
「い…います」
「なに息切らしてんだ?エア」
「き…気のせいです」
「ともかく、いつもの宿が取れたからよ、早く来いよ」
「わ…わかりました。行きましょうか、スピ」
「あ──はい」