studio Odyssey


第十九話 後編その2


       2

「一也…」
 道路にあぐらを掻いて座っていた一也に、遙は小さくそう声をかけることしかできなかった。眼前では、動きを止めて崩れ落ちたR‐0に、再びバックパックバッテリーをつける作業をクレーンが行っている。
 一也は、じっとそれを見ていたのである。身動き一つ、せずに。
「かず…」
「あんな物つけて、どうするつもりなんだろう」
 皮肉っぽく笑いながら、一也は呟いた。
 失血した頭部は、わずかに血に塗れていた。出血自体はもう止まっている。ただ、一也の髪が、赤黒くなっているだけ。
「『薄膜』を何とかしなくちゃ、何度やっても同じ事なのに」
 一也は髪を掻き上げながら、立ち上がった。何事もなかったかのように。だけれど、彼は遙には振り向かずに、
「僕の──R‐0の出る幕じゃないよ。R‐0は、薄膜を持ったエネミーには勝てないんだから」
 はっきりと、そう言った。
「日本には、ゴッデススリーもあるじゃないか。『薄膜』を持ってるエネミーは、大空さん達に後は任せておけばいいんだよ」
 振り返り、BSS端末用ヘッドギアを彼女に投げ渡す一也。
「一也!ちょっと!」
 反射的にそれを受け取り、目を丸くする遙。歩き出す一也の背中に向かって声をかけるけれど、彼は一瞬立ち止まっただけで、ぼそりと返した。
「ごめん。今は、あんまり喋りたい気分じゃないんだ」
 血に塗れ、それが固まり、ごわごわになった髪をかき上げて、一也は再び歩き出した。
「一也!」
 遙が自分の名を呼ぶ。
 僕は──戦わない。
 薄膜を持ったエネミーには、どんな力を使ったって、僕は──R‐0は、敵わないんだ。
 そんなの──
 一也は立ち止まり、空を見上げた。
 頬を打つ、黒い雲からの滴。
 雨──夕立。
 そしてその雨足は、徐々に早まっていった。
 そんなの──無駄な事じゃないか。
 降り始めた夕立の中で、一也は再び髪を掻き上げた。下唇を、きゅっと噛み締めて。


 品川埠頭の北端。そこには水上警察署がある。
 とは言っても、今はここもNecの特別前線司令部となっているのであるが。
「『ATフィールド』をどうにかしないことには…」
 会議室。コーヒーをすすってシゲが地図を見ながら呟く。
「『超硬化薄膜』だ」
 くだらないことのこだわって教授が言う。が、シゲは聞こえているんだかいないんだか、彼は地図を尺取りながら、言った。(注*7)
「エネミー自体のスピードは遅いですから、都心部──新宿に到達するのにも、一時間はかかります。その間になんとか対策を…」
「そんなことはわかってるのよ」
 ノートパソコンの液晶を見つめながら返す明美助教授。ぴくりと動いた眉が、彼女のいらだちを顕著に表していた。
「だから、その対策として、『薄膜』を何とかする手だてはないのかって、聞いてるの」
「ないことはない」
 と、教授。
「だから、さっきから言っているだろう」
「ですから、その答えはもう聞きました」
 明美助教授は目を伏せて眉を寄せるだけで、教授の答えに納得しかねる様子。
「ミサイルを何百発も撃ち込めば壊せるって言うんでしょう?大体そんな事したら、東京の街が消えてなくなっちゃうじゃないですか」
「今のままでも、三日もすれば東京の街は壊滅だがね」
 ふっと自嘲するように笑う教授。
「教授、真面目にやってください」
 怒ったようにして唇を噛む明美助教授に、教授は笑ったままで返した。
「私は真面目だよ。明美君も、他に手はないと思っているんだろう?」
「で…ですけど…」
 明美助教授も、教授のその言葉にただ言葉を飲む事しかできなかった。伊達に付き合いが長いわけではない、教授の嘘と本当くらい、簡単に見破れるのだ。
「手は…ないんですか?」
「だから言っているじゃないか」
 教授は軽く口許を弛ませながら、言った。
「湾岸を火の海にすれば、エネミーは止められるって」


「エネミーは、都心部へ向かって侵攻を続けています」
 眼下のエネミーを見下ろしながら、テレビPアナウンサー、新士 哲平はつぶやいた。
「ご覧いただけるでしょうか。あの禍々しいまでの甲殻の巨体が。そしてそれの胎動が。前進するエネミー。宇宙(そら)より来たりし、破壊の使者──その前に我々は、為すすべもなく、こうして見ていることしかできないのでしょうか」
 彼の声は電波に乗り、日本中へと届いていた。雨の中を侵攻するエネミーの映像と共に。
「我々の目の前で、人類の希望、R‐0も破れてしまいました」
 そして水上警察署のロビー。しんとしたロビーに、雨音と、スピーカーからの新士の声がだけ響いている。
「R‐0は、このエネミーに勝てなかったのです」
 テレビから聞こえた新士の声に、一也は歯を噛み締めた。そしてそれに手を伸ばし、ロビーに響く音を一つだけにする。
 雨音──
 しんとしたロビーに、一也は小さくため息を吐き出した。


 ぼそりと、一也は呟いた。
「出来れば一人になりたいんですけど…」
 一也の座る長椅子の逆端に座った小沢は、困ったように微笑んだ。
「でも、ここ以外は禁煙なんだよ」
「…そうですか」
「う…ん」
 二人の間を、沈黙という空気が満たす。
 ロビーの天井の隅を見つめたままで、小沢は煙草をゆっくりと吸い込んだ。
「…小沢さん?」
 うつむいたままで、呟く一也。
「ん?」
 ふーっと煙を吐き出して、小沢は素っ気なく返した。
「なに?」
「エネミーは、どうなりましたか?」
 一也は一瞬だけ小沢に視線を走らせて聞いた。小沢は、気がつかなかったようだったけれど。
「依然、微速ながら都市部へ向けて進行中と言ったところだな。自衛隊が、エネミー殲滅のために動き出した」
「そうですか…」
 ただ、自分の言葉に力なく返しただけの一也に向かって、
「いいのかい?君は、戦わなくて?」
 小沢は煙草を軽く吸い込みながら、聞いた。
 一也はうつむいたままで、返す。
「R‐0は、薄膜を持ったエネミーには勝てません。僕が、戦う必要はないですよ。日本にはゴッデススリーだって、自衛隊だっているじゃないですか」
「ゴッデススリーは、間に合うかな?」
「──間に合う?何に──」
「僕の情報では、ゴッデススリーは、以前の戦いで受けたアクチュエーターの損傷がまだ直っていない。道徳寺先生は、もう防衛庁からは資金援助を受けていないからね」
 軽く口許を弛ませる小沢。煙を、天井に向かってふうと吐き出す。
「エネミーが、防衛庁の定めた絶対防衛戦にかかれば──ゴッデススリーが間に合わなければ──自衛隊がその全火力をもってエネミー殲滅を決行する。湾岸を、焦土と化してでもね」
 言いながら、小沢は灰皿に煙草を押しつけた。それままだ長く、十分に吸えたのだけれど、彼は、それを灰皿に押しつけて消したのであった。
「それでも君は戦わない?」
 小沢は立ち上がって一也に向かって聞いた。
「焦土と化して──」
 つぶやき、眉を寄せる一也。だけれど、彼は顔を上げなかった。
 小沢は、小さく何度か頷いた。
 そして、ゆっくりとその場を離れた。


「雨…やまないな」
 ぼそりと、遙は水上警察署入り口で呟いた。時計を見てみるけれど、雨が降り始めてからそれほど時間がたっているわけでもなかった。
「私って…無力だな」
 ふうと、遙はため息を吐き出した。結局、一也になんの言葉もかけてやれなかったし…結局、なんの力にもなってやれない。
 ──東京は、どうなっちゃうんだろう。
 一也、どうするつもりなんだろう。
 頭上からしたローター音に、遙はふと顔を上げた。雨降る空に、一機のヘリコプターが飛んでいる。
 ヘリ?テレビ局?違う──あれは、自衛隊のヘリコプターじゃ…
 そのヘリコプターは、ゆっくりとこちらに向かってきていた。
 こっちに来る──ここに降りるつもりなんだ。
 接近するヘリコプターのローターが、雨を激しく巻き上げ始めた。思わず片目を閉じ、身を低くする遙。長い髪が、雨とともに宙に躍った。
「誰が──?」
 つぶやき、片目だけで眼前に着陸したヘリコプターを見る遙。
 そして、彼女は驚きにその目を丸くした。
 雨を巻き散らせながら、眼前に着陸したヘリコプターから降りてきた男の姿に。


「こんな所で何をしてるんたい?」
 一也はその言葉と声にはっとして顔を上げた。
 飛び込んできた男の姿。思わず、言葉を飲む一也。
「お…大空さん…」
 そこには、ゴッデススリーパイロット、大空 護の姿があった。あのヘリコプターで降りてきた男は──遙が驚きに目を丸くした男は──彼だったのである。
 大空は軽く口許を弛ませながら、言う。
「傷心かい?」
「い…いえ…」
 一也は、言葉を濁した。大空の後ろには、所在なさそうに遙がうつむきがちに立っている。一也はただ、再び下を向くだけだった。
 それを見つめながら、大空は何も言わない。
 遙も、何も言えない。
 ロビーのしんとした空気を、雨音だけが揺らし続けていた。
 沈黙の時が流れる。けれど──一也は椅子に座って、もじもじと手を揉んでいた。うつむいたまま、何かを言おうとするのだけれど、その言葉が見つからない。
 沈黙を破ったのは、大空だった。
「何かあったのかい?」
 ぽつりと、大空は一也に聞いてみた。その顔に、微かな微笑みを浮かべたままで。
「いえ…その…」
 思案するような沈黙の後、一也はゆっくりと口を開いて言った。
「僕は──R‐0は、エネミーを止められなくて…」
「止められなくて?」
「む…無力だなって…僕がどんなにがんばったって、かなわない敵には、かなわないのかなって」
 一也ははぁとため息を吐き出した。
「結局、僕は弱いなって…大空さんたちにあってから、強くなろうとしたんですよ。精神的にも肉体的にも。日本を、地球を護るためにって。…でも」
 抑揚のない声で、一也は続けた。ちょっと、自嘲するように笑って、
「でも結局、僕もR‐0も、薄膜を持ったエネミーに敵わない。負けちゃう。地球どころか、日本も護れないんですよ。僕には」
 と、言葉を結ぶ。
「すみません。大空さんに、地球を護ってくれって言われたのに──ダメですね。僕」
「ああ。ダメだな」
 大空の突き放すような言葉に、一也は顔を上げた。
「お…大空さん…」
 その目をじっと見据えて、大空は言う。
「なんだ一也君。優しい言葉でもかけてもらいたかったのか?悪いが、今のオレはそんな気分にはなれない。君は、何か勘違いをしている」
「勘…」
「自分だけ、悲劇の主人公を気取るのはよせ」
「僕は…そんなんじゃ…」
 うつむいたままで、一也は歯をかみしめた。どうして…?大空さんも、この…悔しさっていうか…やりきれなさっていうか…気持ちをわかってくれない…
 僕は──
「一也君。オレは君にひとつだけ聞いておきたいことがある」
 大空は大きく息を吸って、言った。
「すでにある程度は知っているだろうから、説明は省く」
 カツと靴の踵を鳴らして、きびすを返す大空。
 そして彼は、一也に背中を向けたままで、言った。
「それでもオレは行く。君はどうする?」
 肩越しに振り返る大空。
 うつむいて眉を寄せる一也。
 小さく頷いて、大空は歩き出した。
 足音が、ロビーに木霊し続けていた。


「…一也」
 遙は、一也に向かって、雨音にかき消されてしまいそうなくらい小さな声で言った。
 もしかしたら、一也の耳には届かなかったかもしれない。ロビーの空気は、自分の声に、微かにも振るえなかったかもしれない。
 けれど、遙はそれでも、言っていた。
 無力だけれど…今の私に出来ること──
「──私、待ってるから」
 遙は、一也に手渡されたままのBSS端末用ヘッドギアを、胸に抱いていた。


 どれくらいの間、一也はそこでそうしていただろう。
 変化のないロビーの風景。
 鼓膜を、とぎれることなく揺らし続ける雨の音。
 ただ、流れて行くだけの時。
「さて──」
 ロビーの長椅子がきしむ音。
 煙草に火をつける、ライターの音。
 沈黙の時を破壊した、彼の声。
 小沢は天井の電灯を見つめながら、煙草を軽く吸い込み、
「そろそろ、時間になるな」
 口許を弛ませるようにして、笑いながら言った。
「でも、俺も、ここでこうしているしか脳のない奴なんだけどね」
 小沢の吐き出した煙は、静かに、雨音の中にかき消えていく。
「…小沢さん?」
 うつむいたままで、一也は小さくつぶやいた。
「ん?」
 届くはずのない天井に向かって、ふーっと煙を吐き出しながら、小沢は素っ気なく返す。
「なに?」
「小沢さん…自分が無力だなって、感じたことあります?」
「うん、あるよ」
 すうと煙草を吸い込んで、
「と言うより、いつもそう思ってるな」
 からっとした声で、小沢は笑う。
「そう思わない人間なんて、多分いないよ。誰でも一度は思うと思う。けど、それでもいいんじゃないかな?人間ってのは、誰でも無力なものだ」
 そう言って、小沢は自分で自分の言葉に照れたのだろう。「ははは」なんて声を出して、わざとらしく笑った。
「そう…なんですか?」
 探るように、小さく返す一也。
「僕は…まだ、あんまりよくわからないですけど…」
「そりゃそうだろう。君の歳で何もかも全部わかるようだったら、僕らはどうなっちゃうんだよ。それこそ無力な大人になっちゃう」
 相変わらず小沢は笑っていた。一也は振り向きもしなかったけれど、彼の笑い顔が何となくその目に見えていた。時々見せる、あの自嘲混じりの笑顔。お姉ちゃんが言う、本当の小沢さんが見える瞬間という、その表情が。
 だから一也は、聞いていた。
「僕…無力ですよね?」
 ぎこちなく、笑いながら。
「──今は、そうかも知れないな」
 小沢は「よっ」と声を出して立ち上がった。手にしていた煙草をくわえ、ため息混じりに煙を吐き出す。
「でもね一也君。その気持ちは、大切にした方がいい。そしてその気持ちを胸に刻んで、忘れないようにした方がいい」
「…忘れないように?」
「ん。それから、覚えておいた方がいい」
 咽を鳴らした小沢の声は、少し遠くなっていた。
 顔をあげる一也。視線が小沢のそれとぶつかる。
 灰皿に煙草を押しつけて、小沢は彼に軽く笑いかけて言った。
「君だけじゃない。みんな、その気持ちを胸に持ってる。それで大人になっていく」
「みんな──」
「そう。ただし、いい大人になれるかどうかは、また別の話だけれど」
 そう言って、小沢は片手をあげた。「俺みたいな大人には、なりたくないんだろ」なんて、軽く笑って言いながら。
 一也は、彼の背中を見送っていた。
 通路の向こうへ消えていく小沢の背中。その陰になっていてわからなかったけれど、その向こうには、姉、香奈がいた。
 うつむいて、小さな手をきゅっと握りしめて。
「お姉ちゃん…」
 一也の声に、はっとなって顔を上げる香奈。
 そして、香奈は、ゆっくりと一也に向かって歩み寄ってきた。視線を泳がせ、困ったように眉を寄せて、その手を唇に押し当てたままで。
 なんて言ったらいいんだろう…一也に…
 言葉を探す香奈。一也のすぐ目の前に、そっと立ち止まる。
「あの…一也?」
 結局、一也を目の前にしても、香奈は小さくそれだけしか口に出来ないでいた。
「あ…あの…ごめんね」
 雨音だけが響くロビーに、香奈の声の残響が重なる。
「ごめんね…私のせいだよね…一也に…辛い思い、させて」
 その言葉に、一也はふうとため息を吐き出した。そして、姉、香奈に向かってぼそりと返す。
「どうして、お姉ちゃんが謝るの?」
「だって、お姉ちゃんのせいだもん!」
 はっと怒ったように顔を上げ、香奈は眉を寄せた。
「一也をこっちに呼んだのも、R‐0に乗せたのも、全部お姉ちゃんのせいだもん。だからお姉ちゃん──」
 香奈は再びうつむいた。そして、小さく絞り出すような弱い声で、言った。
「ごめんね…私が、もっとしっかりしてれば、こんな事にはならないですんだんだよね。一也がこんな思いすることもなかっただろうし、教授だって、小沢さんだって…」
「お姉ちゃん、何を──」
 一也は小さく何かを言おうとした。
 けれど、何も言えなかった。
 香奈が言った、その言葉に。
「私が…無力だから」
 その一言の持つ、すべてに。
「…お姉ちゃん」
「ごめんね、一也。今の私には出来る事なんて何もないから──一也に謝ることくらいしか、今の私に出来る事なんてないから」
 うつむいた香奈の表情は、長い髪に隠れて一也にはわからなかった。けれど、震える姉の手とその言葉から、一也は、小さく聞き返してしまっていた。
「お姉ちゃん…泣いてるの?」
「ううん…違う…」
 ふるふると頭を左右に揺らす香奈。長い髪が、さらさらと揺れていた。
「ごめんね。私、お姉ちゃんなのにね」
 えへへと笑って顔を上げるけれど、その顔を見れば、香奈の嘘は誰の目にも一目瞭然だった。ただ、一也はあくまでお姉ちゃんであろうとする香奈に、何も気づかないフリをして、
「お姉ちゃんのせいじゃないよ」
 大きく息を吸い込んで、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「行かなきゃ」
 と、一也は歩き出す。
「一也?」
「僕も行かなくちゃ。遙が雨の中で待ってるって言うんだもの。放っておいたら、後で何言われるか──」
 くすっと笑うけれど、その次の瞬間、一也はその一瞬だけ、決意ともとれる真剣な表情をその顔に浮かべて見せた。
「僕はまだ子供だ」
 自分の言葉に笑って、恥ずかしそうに鼻をこする。
 くだらないことで悩む。考える。
「それに、まだ無力だ。だけど──」
 自分の皮肉に仕方なしに微笑む小沢の顔。その後に一瞬だけ見せた小沢のあの顔が、ふと一也の目の裏に浮かんできた。
 そしてその台詞。
 そう…
「なってやる。僕も──」
 一也は、大きく頷いた。


「遙!」
「一也!?」
 水上警察署の入り口に立っていた遙は、その声に勢いよく振り向いた。思わず弛んでしまう口許を隠して、
「遅いよ!」
 と、怒鳴りつけながら、ヘッドギアを投げ渡した。
「イーグルはいける?」
 片手で受け取ったヘッドギアを、素早くかぶる一也。前髪を軽くいじり、雨の中へ、足を弛めることなく飛び出していく。
「あ…も…もちろんよ!いつでも行けるわ」
 その後ろに続く遙。
「よし」
 二人の足が、アスファルトの上の水たまりを勢いよく弾く。
「一也!」
 追いかけてきた香奈が、水上警察署入り口で大声を上げていた。
「気をつけるのよ!!」
「はいはい」
 面倒くさそうに手を振り返す一也に、遙は、思わず吹き出した。
「なんだよ…」
 頬をちょっと赤くして、一也は口を尖らせる。
「いやいや…別に」
 遙は、一也のいつもの気弱そうに笑うその表情に、軽く微笑んだ。
「その方が一也らしいなって♪」
「それじゃ、僕が普段なんにも考えてないみたいじゃないか!」
「考えてたの!?」
「怒るよ!?」
 手を振り上げた一也に、遙は「きゃっ♪」とか言って頭を抱えた。


「大丈夫よ一也。まだ間に合うわ」
「間に合わなくても、僕は行く」
 言いながら、シート右下にある起動コックを、一也はACTIVEに入れた。
「でも──実は、今でもちょっと考えてるんだ」
 モニターが光を帯びて動き出す。
「何を?」
 インカム越しの遙の声。
「いろいろ」
 補助モニターに光る文字。BSS system released──LINKed──R-0 system LINK.
「ふーん…」
「でも、一つだけわかったんだ」
 ──COMPLETED.点滅する起動可能を示すコマンド文。──system ALL Green.
「なーに?」
「知りたい?」
「なーんかむかつく返事だけど…気になるから聞きたい」
 遙の言葉に、一也はにやりと微笑んで言った。
「熱血の意味だよ」
「はあ?」
 遙の声に、一也は彼女の表情を想像してけたけたと笑っていた。
「さあ、行こう遙」
「ま。何でもいいわ。とりあえず──」
 遙の声に重なって、補助モニターに光る文字。R‐0 wihtout RESTRAINT.
 そして──FREE.
「勝ちゃあいいのよ」
 モニターには、都市部に向かって侵攻するエネミーの姿が映っていた。


 大地を揺らし、R‐0はエネミーの眼前に降り立った。
 すぐ後ろには、333メートルの赤い電波塔──東京タワーがあった。このすぐ後ろが、絶対防衛戦である。
「これ以上は進ませない!」
 叫びながら、一也は強く歯を噛み締めた。まだ間に合う。間に合わせてみせる。
「くらえっ!」
 腰の後ろへ手を伸ばすR‐0。そこに装着されたバズーカを手に取り、肩に掛ける。
 FCS Lock.トリガーを引き絞る一也。
 大地を、空間を、激震と爆音が駆け抜けた。一発、二発──
「やっぱりダメか!?」
 爆煙の中で、エネミーはその固い甲殻を軋ませながら動いていた。新開発でも、一発や二発じゃ効果がないか!?
 そうと知りつつも、一也は四発すべてをエネミーに向けて発射した。そしておまけだとばかりに、バズーカ自体もエネミーに向かって投げつけ、
「僕たちは──無力なんかじゃない!!」
 強くマニュピレーションレバーを握り直し、まっすぐに前に向かって突き出した。
 侵攻するエネミーを、R‐0の巨体が受け止める。
 各部アクチュエーターが、けたたましい悲鳴を上げた。
「パワーは──エネミーの方が上か…」
 歯を食いしばり、モニターの向こうを睨みつける一也。エネミーはその歩みを弛めない。
「くそ…っ」
 力を込めるためにと一歩後ろへ引いた足が、東京タワーの足に掛かった。
「しまっ…」
 ふらつく上半身。足元がおぼつかない。
「くっ!!」
 がくんと揺れるコックピット。
 一瞬の躊躇に力が抜けたR‐0を、エネミーが力任せに押したのである。目を見開く一也。けたたましい音を立てて、赤い鉄骨が割れる。
「あ…っ!!」
 ゆっくりと、まるで積み木の建物のように、ひしゃけて曲がる333メートルの建築物。
「く…っ。くそおぉぉお!!」
 R‐0の身体を、エネミーの身体を、鉄の雨が打ち付ける。
 一也の声に高鳴るアクチュエーターと、それの負荷を知らせる警報音。
 歯をかみしめたまま、一也は強く心に思った。
 負けるもんか…ッ!
 補助モニターには、雨に濡れた幻のような街の灯が、幾つも映っていた。


「待たせたな一也君!!」
 インカム越しの声。
 一也はその声に、口許を弛ませた。
 ゴッデススリーパイロット、大空 護の声である。
「待ちましたよ!」
 笑うようにして、インカム越しに一也も返す。
「間に合いましたね!」
「君も、やっぱり来たな!」
「地球を護ってくれって、そう言われましたから。それは約束ですから」
「よーしっ!よく言った。後は任せろッ!!行くぞみんなッ!!」
「おうッ!」
 大空、大地、海野は声を合わせて叫びながら、そのレバーを思い切り引き下げた。
「ジャスト・フュージョンっ!!」
 夕立の降り注ぐ空を、雷が走り抜けた。


 大地を揺るがせて、今、人類最後の希望『ゴッデススリー』が着陸する。
「よしッ!待たせたな一也君!!」
「大空さん!このエネミーには『超硬化薄膜』があります。薄膜を何とかしないことにはゴッデススリーといえども──」
 背後のゴッデススリーに視線を走らせる一也。その視界の中で、
「任せておけッ!!」
 ゴッデススリーは、足下からそれを拾い上げて返したのであった。
「ええっ!?」
 一也の視界に飛び込んできたゴッデススリー。さすがに、一也も我が目を疑った。
「そんな…正気ですかッ!!」
「もちろんだッ!!」
 大地の声に高鳴るゴッデススリーのアクチュエーター音。
「これ以外に、このエネミーを倒すすべはないッ!!」
 と、海野も叫ぶ。
「でも…だって!」
 ゴッデススリーはその手に崩れた東京タワーの先端──ポール状の部分──を持ち、重量挙げの選手よろしく頭上に掲げて見せていたのである。
 大地にすっくと二本の足で立つその雄姿。その様は、まるで天の蒼穹を支えるアトラスのようでもあった。
 だが、
「そっ…そんな物どうするんですかッ!?」
 流石に一也もあせった。(注*8)
「投げるッ!!」
 と、有無を言わさず大空が返したからである。
 東京タワーの先端部。まるで槍のようなそれ──
「そっ…それはっ…!?」
 シゲが、
「『ロンギヌスの槍』ッ!?」
 と、水上警察署会議室において、観戦用管制モニターに映るゴッデススリーの雄姿にどんと机を打った。ぐっとこぶしを握りしめ、
「くそっ!おいしすぎるぞ、ゴッデススリー!!」
 ことさら悔しそうに言う。
「そういう問題?」
「大問題ですよ!!」
 明美助教授の冷たい突っ込みに、シゲは今にも泣き出しそう。
「あぁ…せっかくここまで盛り上げてきたのに…最後の最後に美味しいところを…(注*9)」
「しかしあれで…」
 教授は、ごくりと唾を飲んだ。
「あれで『超硬化薄膜』を破れるのか…」
「よく見ろ一也君!ちゃんと先端部は特別仕様だッ!!」
 大地がにやりと微笑んで熱血する。
 彼の言うように、先端部にはドリル状の奇妙な矛先が装備されているが、
「でもそれで『薄膜』を…」
「オレ達を信じろッ!!」
 と、海野も熱血。
「熱い血潮をたぎらせて、今、君たちに見せてやるッ!!(注*10)」
 大空の言葉に、ゴッデススリーの巨体がゆっくりと屈められていく。それに伴い、ポールの先端部から得体の知れない電撃が迸り出した。
 赤い電撃が、ポールを包み込む。
「さぁその目をしっかりと開いて、世界中の子供たちよ見ろッ!!これが熱血だぁッ!!」
 大空の、魂の叫び。ゴッデススリーの左足が、大地の感触をしっかりと確かめる。
「退け!R‐0ッ!!」
「目標捕捉ッ!!進路オールグリーンッ!!変更、なしッ!!」
 大地と海野の絶叫に、一也は急いで飛び退いた。
「大空さん!?」
「見ておけ一也君ッ!!」
 三人の魂の迸りにあわせ、輝きを増す赤い電撃。
「これが魂の輝きだッ!!そしてこれが──熱血だぁッ!!」
 走り出すゴッデススリー。夕立に濡れた路面に滴を飛び散らせ、ゴッデススリーは、頭上に掲げたその槍をエネミーに向かって投げつけた。
 三人の、魂を揺さぶる熱血絶叫とともに。
「ゴッデス・ハイパーシューティングアロォォオオオォォオオオォッ!!(注*11)」
 一条の赤い閃光となって、エネミーを捉える槍。その甲殻に確かに突き刺さり、それは、そのままエネミーごと遥かな海上に向かって、突き進んでいった。
 周りを盛大に破壊しながら、南東の空へと向かって──
 天を刺す赤い雷。蒼穹を射抜く。
 夕立を降らせていた黒い雲が、その雷に飛び散った。(注*12)


「なッ!?」
 シゲは思わず机を叩いて立ち上がった。
「そんな…信じられない…」
 目を丸くしたまま、シゲは身動きひとつできないでいた。ま…まさか…これが…熱血パワー!?
「明美君、槍の動きを追いかけられるかね?」
「ちょっと待って下さい。衛生システムに割り込めば…」
 と、舌先で軽く唇を湿らせてからキーボードを叩き始める明美助教授。
「まさか…」
 シリアス顔にシゲは呟き、ゆっくりと明美助教授の方に視線を走らせた。
「あった!」
「エネミーは!?」
「槍は!?」
 教授とシゲ、ほとんど同時に机を叩いて明美助教授の方に身を乗り出させる。
「槍はエネミーを貫通して第一宇宙速度を突破。このままだと──」
「美味しすぎるッ!!」
 ばんと悔しそうに──いや、実際悔しかった──シゲは握り締めた拳を思い切り机に叩き付けた。
 なんてことだ!!ゴッデススリーが!!
 シゲの目頭に、熱いものが渦巻く。(注*13)
 だがしかし、さらに付け加えた明美助教授の一言が、彼を再起不能にさせた。
「しかも、このままだと月に刺さる可能性大」
「なっ…!!」
 目を丸くして固まったかと思うと、へなへなと、シゲは力無くその場にくずおれた。
「し…シゲ君?」
 足元にとろけているシゲを、明美助教授はヒールの先で軽くこづいた。けれどシゲは、
「はぅぅう…」
 と、再起不能。
「ゴッデススリーが…ゴッデススリーが…ゴッデススリーがぁああぁ」
「シゲ君?どうしたの?」
 錯乱一歩手前のシゲにたいして、きっぱりと教授が言う。
「ほうっておいてかまわん」
「はぁ…」
 ぱちりと瞬きする明美助教授の視界の中で、「大丈夫ですかシゲさん?」と香奈がシゲの顔を覗き込んでいる。
「シゲ君も、ここまでやられちゃぁなぁ」
 なんて、小沢は苦笑い。
「で、エネミーの方はどうなった?」
「あ。はい」
 教授のちょっと真面目な質問に、明美助教授は驚いたように目を丸くして──実際驚いた──パソコンのキーボードをかちゃかちゃと軽く叩く。
「エネミーは槍に貫通されて大気圏に再突入したみたいですね。『超硬化薄膜』さえなければ、大気圏内で燃え尽きると思います」
「うむ…そうか」
 満足そうに頷いて、教授は窓の外に視線を走らせた。
「R‐0の勝ちですね」
 と、小沢も笑って窓の外に視線を走らせる。
「ああ。まぁ正確には、R‐0とゴッデススリーの勝利だな」
「また、心にもないことを」
 そう言って笑う明美助教授に、小沢と香奈は吹き出した。
「明美君。君は僕のなんだい?」
「助教授」
「わかっていればよろしい」
 小さく頷いて、遥かな南東の空に昇る月を見つめる教授。
 ぽつりと、
「月に──か」
 意味深に、主星である地球に比べ、不釣り合いなほどに大きい天体を見つめながら言う。
 けれど、
「別に、何か考えている訳じゃないんでしょ?」
 微笑みながら返した明美助教授の言葉に、教授は不機嫌そうに返した。
「明美君。君ね──」
「はいはい」
 明美助教授は香奈と小沢に向かって、ひょいと肩をすくめて見せた。


「ふぅ…」
 小さく吐き出した一也の吐息に、遙の笑うような声が重なる。
「おつかれさま♪」
「ホント、つかれたよ」
 一也もその声に軽く微笑んだ。
「また助けられちゃったな…」
 モニターの向こうには、月に向かって仁王立ちするゴッデススリーが映っている。夜の帳の降りた街をバックに、堂々としたそのたたずまい。
「大空さんたちはすごいな」
 一也はゴッデススリーと、その向こうの街の灯を眺めながら呟いた。
「あの力が?」
 なんて言って、遙は笑う。
「ま、ある意味尊敬に値するかも知れないけどね」
「尊敬に値するよ」
 街の灯に向かって軽く笑いかけ、一也は南東の空に視線を走らせた。
 しばらくの沈黙の後──
「大空さんたちみたいな人を、『いい大人』って言うのかも知れないな」
 一也はぽつりと呟いた。
「はぁ!?」
 明らかに「それは違うでしょ」と言うような、遙の声。
「一也?」
「ん?」
「頭、平気?変なところでも打ったんじゃないの?」
 インカム越しの遙の声に、
「んー…」
 一也はぽりぽりと頬を掻いて、笑った。
「そうかも知れない」
「うん。精密検査、受けた方がいいわ」
 遙。真面目に心配している。
「多分、かなりやばい状態だと思う」
 遙のその声に、一也はおかしそうに笑って返した。
「ちょっと、そう考えてみただけだよ」
 声だけを聞いていた遙には、一也のその声は自嘲ともとれるような声に感じられた。一也…本当に大丈夫かしら?
「そういえばさっき」
 と、ぽつり。
「え?」
「さっき、小沢さんがなんて言ってたのかって聞いたよね?」
「ああ…そういえばそんなことも…」
「知りたい?」
 なんて、探るように笑って言う一也。
「なーんか嫌な聞き方だけど、気になるから聞きたい」
 興味を持ったように言う遙の言葉に、一也は軽く笑いながら、言った。
「熱血の意味を、教えてくれたんだよ」
「はあ!?」
 インカムの向こうで顔をしかめているであろう彼女の表情を想像して、一也はけたけたと実に楽しそうに声を出して笑った。
「あんた…」
 と、本当に心配そうに遙。
「ちゃんと病院に行って、精密検査受けてきなさいよ」
「わかってるって」
 夜の帳の降りた南東の空を、一筋の流星が流れていった。


つづく








   次回予告

  (CV 吉田 香奈)
 東京都、新宿。
 ついに都市部に直接降下するエネミー。
 新種とも言えるそのエネミーを、果たしてR‐0は止めることが出来るのか。
 全てを溶かす溶解液と、
 爆発的な増殖力。
 そのタイムリミットは、
 次の朝日が昇るまで。
 果たしてR‐0は、東京の街を護ることが出来るのか。
 次回『新世機動戦記R‐0』
 『首都、消滅。』
 お見逃しなく!

[End of File]