studio Odyssey



おはなしのつくりかた

 管理人、しゃちょ流のお話の作り方講座。

目指すトコ。

 この「おはなしのつくりかた」の目指すところは、基本的に「書けない人が書けるようになるまでの手助け」として目指してきているんですけど、いろいろ、書いてきましたねぇ。それにしても。

 今回は、最終回。
 目指すトコ、という事で、僕自身が目指すトコをふまえて、「書けない人が書けるようになるまで」のゴールのその先まで考えて、いろいろ書いていきたいと思います。今回ははっきり言って、かなり、僕の特異な考えが出てきます。結構、ひどいこと書いてます。(笑)

 役には立たないかもしれないですが、最終回です。


敵は誰だ!?

 敵はだれだ!?

 敵がいないと、始まらないんですよ。僕。
 まずは、何はなくとも、敵探し。

 敵は何でもいいんですよね。常日頃から疑問に思っていること、気に入らない考えを持つやつらでも、なんでも。

 僕の性格的なものなんでしょうけど、どうしても、敵がいないと筆が進まないのですよ。
 たとえば『新世機動戦記R‐0』。あれが全26話も週刊で書き続けられたのは、巨大な敵がいたからなんですよね。
 まぁ、何を敵視していたかは、ともかくとして。(わぁ、刺されそう)

 R‐0は、そう言えば政治ネタも結構あるんですが、どうなるんでしょうね。日米ガイドライン。首相は、防衛大学の卒業式に当たる式典で、「ガイドライン法案が早急に可決され、君たちの活躍の場が──」なんて言ってましたが、自衛隊の活躍の場は、戦場じゃないだろうとも、思わなくもないのですが。

 ま、それはそれとして。
 敵探しの話を続けましょう。

 やはり、一番わかりやすい原動力っていうのは、敵だと思うんです。

 「かきあげるということ」の回では、生みの苦しみを書きました。
 で、そこで諦めるという選択肢もあるはずです。つまり、負けを認めるというわけですね。
 その、認める負けが何であるかは人それぞれでしょうけれど、つまりそれが敵です。

 負けたくないと思うなら、勝つしかありません。
 となければ、お話に限って言えば、まずは勝負の土俵に上がるためにも、書き上げなければなりません。
 こういうシンプルな事って、一番わかりやすくて、僕は好きです。

 敵がいなければ、戦う必要もありませんから、逃げることもありません。
 と言うより、何もしなくていいのです。
 原動力なんていらない。

 まぁ、ともかく、ここでは書き上げたとしましょう。
 となれば、勝負の土俵には上がれるわけです。

 まぁ、多く場合、勝負しても負けるんでしょうけども。
 さて、では負けた後、どうするか…

盗め!

「強くなりたければ、強い奴をよく見て盗め!」

 スポーツ全般、職人気質の世界では、よく、こんな風に言われるでしょう?


 世の中、How toで渡っていけてしまう風潮が、だいぶん強くなってきました。

 未だに高校生なんかと接点があって、まぁ、彼、彼女らと話していて思うのですが、どうも連中は「他人から何かを盗む」という様なことをしない。
 そりゃ、盗むって言ったって、財布やら何やらを盗まれちゃ、かなわないですけどね。
 もちろん、そう言う事じゃないですよ。

 だいぶん、古い考えなのかも知れませんが、はっきり言ってしまうと、この「おはなしのつくりかた」でも何度も触れているように、出来る人は、本当に自分の出来ることを教えたりはしてないんですよ。さわりくらいは、教えてくれるかも知れないですけどね。

 じゃ、どうやっていろんな事を覚えていくかって言うと、後はもう、盗むしかないんですよ。

 罪悪感?そんなもん、感じてちゃいけません。
 盗まれる奴が悪い。

 盗むべきものがわからない?
 だったら、とりあえず全部パクってしまえばいい。その中から、自分で取捨択一して、いいものを取り上げていけばいい。

 いいこと、わるいことを知っているというのは、それを知らないよりも明らかに上なのですし。

蹴落とす!

「一番になるには、一番の奴を蹴落とさなきゃいけない」

 当たり前なんですけどね。


 一番は、一人しかいないわけで、以下、2位3位と続いて行くんですが、との順位も、当たり前の事ながら、1つしか席がないんですよね。

 たとえば、16番以上って言ったら、そこには、どうしたって、16人しか選ばれない訳です。当たり前なんですけど、結構重要。

 今いる位置から上へ行こうと思ったら、上にいる奴を蹴落とさなきゃならない。
 蹴落とさなきゃ、ひとつでも上へあがれない。

 それらはすなわち、すべて敵。

 本当のことを言ってしまうと、僕にとって見れば、身の回りにいる人間はみんな敵。
 もちろん、僕よりも上にいれば、蹴落としますよー。躊躇せずに。

 だから、上にいる人間を蹴落とすために、僕は書く。で、下にいる人たちが、虎視眈々と上を狙ってくる感覚が、僕の筆を進ませるんです。
 一番ストレートにわかりやすく僕に書かせる方法は、危機感を煽ることです。覚えておけよ、貴様ら!

 いや、あんまり煽られると、逃げちゃうかもしんないですけどね。

強い奴と戦え。

 自分より強い奴と戦って負けることは、経験になる。

 経験は失敗からしか学べず、失敗は未熟さが生む。


 格言なのか、今回は。

 まぁ、結構好きな格言です。
 自己矛盾をしているのですが、まぁ、それが正しいなぁと。

 おはなしづくりで強い奴というとどんなものがあるのかと思ってしまうのですけど、まぁ、長編とか?
 長編書き出して、まぁ、途中で挫折するとするじゃないですか。

 これで失敗すると言うことは、その失敗から学べるわけです。経験を。

 すると、その経験は失敗を減らす。
 けれど、失敗は未熟さが生む。

 となれば、たくさん失敗した方がいい。
 たくさん失敗するにはどうするか。

 強い奴と戦い続ける。

 ってもね、気をつけないといけないのは、学べない失敗には、なんの意味もないということ。
 強い敵と戦って、経験を得たとしても、その経験を生かせなければ意味がない。

 長編を書き出して挫折したとしてら、「何故」を考える。
 その「何故」がわからなかったり、その経験を生かしても、その強敵にまだ勝てないと思えるなら、別の失敗をする。

 失敗は経験を生むのだから、たくさん失敗した方がいい。
 となければ、短編をたくさん作った方がたくさん失敗できる。

 そうして経験を重ねていけば、未熟さが消えていく。
 すると、失敗はしなくなる。

 強い敵と戦え。
 というのは、今の自分より強い敵と戦え、とするのが正しいかも知れません。
 習作は、うまく作る事に意味があるのではなくて、へたくそに作る事に意味があるのです。

練習は試合に勝てない!

「一回の試合は、一日の練習にも勝る」


 上で、習作を作って失敗しまくれと言っておきながら、一回の試合は一日の練習にも勝ると書く。

 まぁ、ここで言う試合というのは「書き上げること」だと思ってください。習作は、ぶっちゃけ、失敗するためにやるものなので、中途半端でもいいっちゃ、いいんです。(書き上げた方がはるかにいいことは言うまでもないですが)
 けれど、「書き上げた」1本は、「習作」の50本よりも上。ずっと上。

 一万冊の本を読んだ人間と、一作書き上げた人間では、「おはなしをつくる」という部分では、一作書き上げた人間の方が上です。
 一万冊の本を読んだ人は、自分の方がうまく書けると言うかも知れませんが、その人は書いたわけではないのです。書けば、もしかしたら、うまいかもしれません。しかし、書いてはいません。それは区別されるべき差であって、決して埋まることのない差です。

 書き上げることの難しさは、書いてきたつもりです。
 書き上げることは難しいです。
 テクニックや、話のネタや、ストーリーの組み立て方なんていう、そんな技術的な事は、後からでもなんとかなるのです。というより、僕はそれらはあまり必要な事ではないと思っています。それよりもやはり一番難しい事は、書き上げることです。

 それは、人の技術を盗んだり、何十本もの習作を作ったり、いくつもの失敗を重ねて、その上でやっと実現される事なのです。
 泥臭い事もあるでしょう。
 うちひしがれる事もあるでしょう。
 やめてしまうこともあるかも知れません。

 その時に、あなたを突き動かすものは、はたして何でしょうか。

 僕にとってのそれは、敵です。
 そして目指すべき場所は、てっぺんです。

 では、あなたは?

 あなたは、何故書こうと思ったのか。
 そして、あなたが目指すトコは。

 ここまで触れてきたいろいろな事を思い返して、考えてみるといいのではないかと思います。
 おはなしは、作れてますか?
 このつくりかたは、なんかの役に立ててますか?

 もしも、何かの役にたてていれば、僕にとっても幸いです。

 なぜなら、あなたが僕の新しい敵になるかも知れないからです。