まあ、なんか書いてみよっと。
いや、書かなきゃ始まらないですよ。それこそ、書かなきゃ終わらないですもの。
まず何から手を着けていきましょうか。ふ〜む。パソコンのソフトは何がいいのかしらとか、縦書きの方がいいのかしらとか、いろいろ考えるでしょうねぇ。
面倒なので、ここはまず、手帳に書きましょう。
手帳、持ってませんか?ダメですよー、持たないと。「モバイル」だからいらない?ダメですよー、そんなんじゃ。手帳です。まずは、手帳。6穴の大きさで十分ですよ。
まず一番始めに書き出すとき、みんなが詰まってしまうのはここなんですよ。
『壮大なストーリー、今までにないキャラクターと、その展開!』
結構ですよー。それが書けるんでしたら、こんなモン読む必要はないですよ。
これは、僕自身に対する戒めでもあるんですが、あんまりでっかいこと考えない方がいいです。でっかいこと考えちゃうと、あとでわかんなくなっちゃいます。それで、あとになって「こんなはずじゃなかったんだ」とかってなって、完成しなくなっちゃうんですよ。あるでしょう?そういうこと。
自分が作る物に対して、謙虚な姿勢をとりましょう。
壮大なストーリーだとか、今までにないキャラクターだとか、そんな物はたぶんもうないですよ。あらかた、出し尽くされちゃいましたから。だったら、「これは〜からパクった!」って胸はって言っちゃうくらいでいきましょう。
では、そういう意味も含めて、身近な物から「書く力」をつけていきましょうか。
にっき
さっきの手帳に、『日記』を書きましょうか。あ、「何でいまさら日記なんて」と思ってるでしょう。
「釣りはフナに始まりフナに終わる」ように、物書きは「日記に始まり日記に終わる」んですよ。(知らないけど)
まぁ、ともかく日記です。
初めに日記を書く理由は、いくつかあります。日記って言うのは、全部自分の体験したことなんですよ。ここがポイントなんです。つまりですね、どんなにえらい小説家の人でも、自分が経験したことのないことは書けないものなんですよ。
いや、本当にえらい人は知りませんよ。でも、僕はそうなんですよね。だから、まずは日記。
日記はいいですよ。だって、自分の周りに起こったことをそのまま書けばいいんですもの。
では、まず身の回りにある物を文にするという、簡単な一歩目から行ってみましょうか。
ある講義の風景
少しばかり中国語の混じった先生が、レーザーについて話してる。
OHPを使っているせいで、少しばかり暗い講堂。
話しながら、先生は黒板にレーザ発振器の略図を書いているのだけれど──黒板を見ている人なんて指折り数えるほどしかいない。
かくいう自分もそうだったりする。
窓の外は天気が良さそうだ。そういえば、ついさっきポケットの中のPHSが鳴ったっけ──
連中の高校は、中間テストが終わったらしい。
さて、これはたった6行のその時を書いた文ですが、ここからドラマは十分に始められそうな気配がありますね。
つまり、日記を書くって言うのは、そういうことなんですよ。
意外と、身の回りに起こっていることはドラマになるんです。自分自身では気づいてはいないかも知れませんけれど。
あとは要は、その日常のシーン達をどういう風に繋げていくか──って事なんですね。
「まぁ、なんか書いてみよっと」
まずは日記です。