studio Odyssey


Across the Sea & Sky.

    6

「…海」
 観鈴は小さく呟く。
「海、見れた」
「だな」
 往人は夕陽を見つめたままで、短く返す。
 すべてが赤く染め上げられた世界。
 その横顔へ、観鈴は言う。
「…きれい」
「だな」
「往人さん、他に何か言えないのかなぁ」
「だな」
 視線を落として「…がぉ」呟く観鈴の頭を、往人は軽くたたいた。
 観鈴は顔を上げる。
 少し微笑む。
「いたい…なんで殴るかなぁ」
 ふたり、少し、微笑む。


「…空に、終わりはあると思うか?」
 果てしなく続く空。
 そして広がる、海。
「そらの終わり?」
 観鈴は往人の横顔を見上げて呟いた。
 往人は小さく頷いて、言った。
「この海をずっとずっと行くと、どこかで空とつながって、そこに、空の終わりがあると思うか?」
 水平線の向こう、果てしなく広がる空と、どこまでも続く海の交わる場所。
 この空の、終わり。
「…わからない」


 往人は沈む夕陽の向こうを見つめながら、言った。
「おまえは…観鈴は、その空の終わりで、悲しみを繰り返してるのか?」
 悲しみに満ちた空。
「ずっとずっと、何年も、何十年も、何百年も何千年も」
 観鈴は答えない。
 答え、られない。
 うつむく。
 夕陽の赤が、少しずつ色を失っていく。
「飛べない翼…」
 言葉に静かに視線をあげる。
 往人は水平線の向こうを映した瞳を、そっと細めて笑った。
「飛べない翼に、意味なんか、なくない。観鈴には、翼がある。その場所に飛んでいくための、真っ白な、大きな、もしかすると、ものすごくもろくて、ものすごく弱いかもしれない」
 この海の向こうへ。
 この空の終わりへ。
 空と海の交わる場所へ。
 その場所へ、飛んでいくための、翼。
「でも、確かにある」
 往人はゆっくりと自分を見つめる少女を見た。
「痛みを感じるのはきっと、それが本当にあるからだ」
「…そうかもしれない」
 うつむくことなく返す観鈴に、往人はその瞳に、まっすぐに言った。
「だから、俺と一緒に行こう」


 夕凪の時が終わって、波の音の中に優しい風が吹き始めた。
 静かに躍る髪を、観鈴はそっと押さえつける。
 赤色に染め上げられた世界が、過ぎゆく時間の中に、今日という記憶に変わっていく。大切な記憶。大切な言葉たち。
 観鈴はその全てを胸の中にしまい込むように、そっと瞳を閉じた。
 青年は言う。
「俺には、翼がない。そこに行けない」
 少女を見つめて、往人は言う。
「だから、俺を連れてってくれ。俺には翼がない。けど…」
 観鈴の手の中の人形が、ひょこっとはねるようにして動いた。
 そして優しく、その頬をなでた。
「俺には、この力がある」
 青年は優しく笑った。
 観鈴は目を細めて、なんとか笑う。なんとか、笑おうとする。
 大切な人が、言ってくれる。
 ずっと、ずっと欲しかった言葉。
「おまえひとりでなんて、行かせない」
 往人が言う。
「悲しみを繰り返す翼の少女のところへ、一緒に行こう。おまえ一人でなんて、行かせない。俺も行く。俺にはこの力がある」
 大切な人が、言ってくれる。


「一緒に、行こう」


「…ありがとう」


 だけれど、答えられない。
 答えられなくて、目を伏せてうつむく。
 ずっとずっと、ずっと欲しかった言葉。
 果たせた約束のたくさん。
 両手いっぱいの、抱えきれないほどの想いのたくさん。
 繰り返してきた時間のどの一瞬よりも、輝いていた夏。
 もう一度──そう決めた夏。
 出会い、そして始まった、夏。
「往人さん…」
 観鈴は、かすれた声で小さく、ひと夏の全てをこめて、言った。
 頬を伝わる想いに、それでも──わたしは強い子だから──まっすぐに前を見つめて。
 せいいっぱい、微笑んで。
「ありがとう…」


「バカ…」
 往人は仕方なくて言う。
 見つめられなくて、言う。「笑え」
「俺のこの力は、人を笑わせるためにあるんだよ。ハッピーにな!泣くな、笑え!」
「…むちゃくちゃだよ、住人さん」
 それでもその優しい言葉に、観鈴は微笑むふうに頬を弛ませる。
「お前が笑ってくれなきゃ、自信がなくなる」
 視線をあわせられなくて、空と海の交わる場所を見つめながら、往人は言った。
「お前は笑ってればいい。俺の隣で、ずっと、笑ってればいい」
「…うん」


「バカみたいにな」
「…ひどい」


ごま挿絵より  空と海の交わる場所へ向かって、一羽の鳥が飛んでいく。
「そら…」
 その翼の軌跡を追いかける観鈴。
 ──空と海の交わる場所。
 この空の、終わり──
「住人さん…悲しみに、終わりはあると思う?」
 観鈴の言葉が空に吸い込まれていく。
「ある」
 往人もまた、同じ場所を見つめながらに返す。
「俺の──俺たちのこの力が切れるのと、同じだ」

「…うん」
 そっと、観鈴は目を伏せた。
 目を閉じれば──その向こうにはいつも空があった。
 そして目を開ければ──

「もう…終わりだ」
「うん」

 静かに微笑んで、観鈴はそっと寄り添った。
 そして目を開ければ──
 閉じた瞳を、ゆっくりと開ける。

 そして目を開ければ──辿り着いた場所。
 辿り着きたかった、場所。
 その場所は──


 空と海の、交わる場所。

ごま挿絵より